岩戸山 満願寺 由緒

三浦半島の中央部に位置する三浦氏の本拠衣笠城の周辺には一族の建立した寺院が点在している。
満願寺もそのひとつで、三浦義明(大介)の末子である義連(佐原十郎義連)を開基にして、開山は大達明岩正因禅師という。


十郎義連は三浦義明の十男末子で、この地に住し、寿永三年(1184)二月、十九才の時、平家迫討の戦に源頼朝に仕え、源義経に従い凱旋して、一の谷合戦では、ひよどり越えの崖を真っ先に駆け降りて活躍した事は世の普く知ることである。


また、西国に出発の際、義連の曰く「戦場に出で、再び故郷に帰ることを思わず、骸を軍門に曝し、名を天下に上げ、後世に残さんと欲す」と、因て自らの姿を仏像に刻み、一宇に安置して誓願す。幸いに、西国各地に転戦願望満ちたるに従い、寺号を満願寺と称し、現在に至る。
尚、近年の境内発掘調査により、創建当初の伽藍は現在の数十倍の広さをもつ寺領百貫の一大伽藍であったとされている。


満願寺の諸仏



        国重文 観世音菩薩                   国重文 地蔵菩薩



        市重文 不動明王                     市重文 毘沙門天