芭蕉逗留泉屋の趾〜虚子の句碑〜

「かがり吉祥亭」からゆげ街道を歩く。


よしのや依緑園の向かいに芭蕉の句碑があった。


湯の名残今宵は肌の寒からむ

 元禄2年(1689年)8月5日(陽暦9月18日)、山中温泉最後の日に泉屋の主人桃妖に書き与えた別れの句。

『柞原集』(ははそはらしゅう)に収録されている。

泉屋の当主久米之介は当時14歳の少年。

 あるじとする物は、久米之助とて、いまだ小童也。かれが父俳諧を好み、洛の貞室、若輩のむかし、爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰て貞徳の門人となって世にしらる。功名の後、此一村判詞の料を請ずと云。今更むかし語とはなりぬ。

『奥の細道』

芭蕉は桃妖の俳号を与えた。

   加賀山中桃妖に名をツけ玉ひて

桃の木の其の葉ちらすな秋の風

『泊船集』(風国編)

 昭和2年(1927年)10月、小杉未醒は「奥の細道」を歩いて、泉屋のことを書いている。

 山中の湯の宿の主人俳諧巧者のほまれあつた者の記事、細道本文にあるが、此の湯の宿は今以て引つゞいて居ると云ふ話、


さらにゆげ街道を歩き、北国銀行へ。


北国銀行脇の民家に「芭蕉逗留泉屋の趾」の碑があった。


湯の名残今宵ハ肌の寒からむ

昭和54年(1979年)2月、山中温泉観光協会建立。

山中温泉「菊の湯」裏には高浜虚子の句碑があった。


秋水の音高まりて人を想ふ

高濱虚子先生、昭和18年11月18日山中に遊び、森田愛子を主とせる小説『虹』成る昭和27年9月28日、再び山中に杖を曳かれ、翌早朝旅舎にて

秋水の音高まりて人を想ふ

の句成る。即ち遠く芭蕉を想ひ、近く愛子を想ふの句。

 昭和28年10月

伊藤雨翠誌す

芭蕉の館へ。