湖南・江北の門人おのおの義仲寺に会して、無縫塔を造立す。面には芭蕉翁の三字をしるし、背には年月日時なり。
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なきがらを笠にかくすや枯尾花
| 其角
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温石さめてみな氷る声
| 支考
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丈草は義仲寺境内の龍ヶ丘に仏幻庵を営み、芭蕉を供養するために法華経塚を建てた。
延享4年(1747年)、雲裡坊無名庵五世となる。『諸国翁墳記』を編纂。
『諸国翁墳記』は初期は宝暦11年(1763年)3月の序文を持つ小冊子から代々の義仲寺貫主に引継がれて、安政5年(1858年)の建立のものを含むものまでの数十種類の冊子が知られている。
義仲寺に今は無い。
義仲寺には、もうひとつ芭蕉の句とされる碑があった。

三日月の影を延すな蕎麦の花
現在、この句は文献で芭蕉の句と確認できない。
『俳諧一葉集』に「三日月の地はおぼろ也蕎麥の花」の句がある。
寛延3年(1750年)、文素建立。
蝶夢の句碑

初雪や日枝より南さり気なし
明和8年(1771年)、加舎白雄は義仲寺に詣でている。
ひともとのばせをはかれずなりけり。噫元禄のむかし蕉風ひろごりてすたれる国なし。吁、元禄のむかし
すり寄て墓の秋風きく日哉
| しら尾
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安永7年(1778年)、沂風第六世無名庵主となる。
寛政2年(1790年)、蝶夢の援助で粟津文庫を創設。
寛政4年(1792年)、重厚無名庵七世となる。
資料館に芭蕉像があった。

寛政7年(1795年)10月12日、小林一茶は義仲寺の芭蕉忌時雨会に参加している。
義仲寺へ急候はつ時雨
文化6年(1809年)10月12日、倉田葛三は義仲寺の時雨会に列席。
義仲寺にて
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淡海のあはにもうれし初時雨
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