
−* RED−HOT BLUES*−
【The 9th movement:Variation】
PM8:00
ポルシェ911の真っ赤なボディが独特のエンジン音を鳴らし、第二ターミナルのロータリーに滑り込んだ。旋回を続けるボーイングと悠久の望月が、低空で共存している。
「お帰りなさいませ。お身体の調子はいかが?」
運転席の香坂真希は、御機嫌伺いを兼ねて男の顔を覗き込んだ。
「まあまあ」
素っ気無く応え、男は助手席のシートに身を沈めて目を閉じた。
「あちらでのショー、大成功だったようですね。おめでとうございます」
前後左右には物影すら見えないが、機械的に操られた赤信号の前で、真っ赤なポルシェは一時停止を余儀なくされた。彼女の目に映る助手席の男は、日本を2週間前に発った時とその表情と態度に何ら変化はない。眠っている風でもなく、ただ目を伏せ押し黙っている。
(相変わらずね)
苦笑しているうちに信号が青に変わった。わざと急発進してタイヤを鳴らしたが、男は動じる気配などまるでない。
真希は男が腕組みしたのを機に、口を開いた。
「海(かい)はどうしたのかって聞かないの? あなたが出迎えて欲しかったのは私じゃなく、彼でしょう? それとも…海に頼めば私が来ること、わかってらした? あなたは何でもお見通しのようですから。そう、きっとそうよね?成田到着便なら、彼は絶対出迎えを私に頼むってわかってた。違う?」
「己惚れだな。それじゃあその辺の女と変わらない。何年俺と付き合ってるんだ」
Blue―Blackが真希の横顔を直撃した。
「ふふふ…。待ってました。涼の怒った顔、大好きよ」
追い越し車線に入るため、真希の視線はバックミラーに注がれていた。彼の表情が見えるはずはない。
「嫌われたいようだな」
「あら?もう嫌ってるんでしょ?私のこと。とっくに知ってるわよ」
後方を肉眼で確認するついでに、真希は彼と目を合わせた。ニヤリと笑い、アクセルを踏む。
「どうする?明日、東京の本校に顔を出す必要なんてないんでしょ。あなたが疲れてないんだったら、今夜このまま京都まで高速飛ばしてもいいけど?」
「ご自由に」
穏やかな返答が真希の耳に響いた。
「いいの?どこでも? ふふふ…。じゃ、ホテルに付けちゃおうかな…」
伊達にスポーツ・カーを転がしてはいない。真希の巧みなハンドル捌きは思考に惑わされることも、況して鈍ることもない。
「海ね、知恵熱出したの。ダメね、純なボンボンは。独創性がまるでない。変わり帯5種のお題を丸1日かけてもクリア出来ないのよ。とてもあなたの義弟とは思えないわ。育った環境は一緒なのにねえ」
「嫌みか」
「ええ、そのつもりで言ってるのよ。全くね、養子のあなたが如月の家を背負ってるんだから、おかしなものね。海はこれからモノになるのかしら?大学も伊達で行ってるようなものでしょう?波乗りに忙しくてほとんどおさぼりマンだし…。卒業までにあと何年かかることやら」
「アイツは100%義父(おやじ)の子だ。必ず頭角を現す。真希だってそれが判ってるからアイツから離れないんだろう」
「あら?私が愛してるのはあなたよ」
「そのセリフは聞き飽きた」
「意地悪ね。涼はどうしてそうなの?私は本気なのに…」
「海はその手で落ちたのか…」
「…まあね」
「哀れなヤツだ」
不必要な赤信号の待ち時間は、夜間になると更にもどかしい。真希がカーステレオのボリュームを上げると、流行のポップスが流れ始めた。
「向こうでどんなモデル使ったの?賞賛を浴びたようですから、上等なタマだったんでしょ。モデル次第ではかなりイケるって計算だったものね」
「真希が同行しなかったから、今回は結構苦労した」
「あっはははは…。それは嬉しいお言葉ですこと。私の実力、認めて下さる?」
「とっくに認めてる。…やってくれるよな。フライト直前に行方をくらませて使節団のメンバーから外れる。そういう神経、真希が持ってるとは思わなかった。責任感の強い女じゃなかったのか?正直面食らった」
「あ、やっぱり怒ってる?雑用スタッフとしては行きたくなかっただけよ。私が現地スタッフとあなたの間を取り持つことになるのは目に見えてたし…。モデル選びもあなたの仕事。自分の眼鏡に適った子にしか白無垢は着せない。しゃくだけど…どうせ寝たんでしょ、その子と。褐色の肌はどうでした?」
「…日本人だよ」
「ほんとに?へえ…」
真希は思わせぶりに含み笑いをした。
「何だよ」
「らしくないわね。現地の子を使うんだと思ってた」
「外見は現地の人間と大差ない。13年も向こうに住んでる子だ」
「…。」
光の加減かもしれないが、満月を見上げる涼の眼差しが真希にはやけに柔らかく映った。彼女は驚き、瞬間言葉を失った。
「涼…。あなた、まさかその子を…」
前方を気にしながらハンドルを握る彼女の視線が、途切れ途切れ涼に向けられる。
「ふっ…何考えてんだよ」
真希の慌て振りに、今度は涼が含み笑いを浮かべた。
「それはこっちのセリフよ。今、思い出してるでしょ。その子のこと」
「珍しい子だったんだ。今時の日本を、あの子には見せたくない」
「ヤバイわねえ。完璧いっちゃってる。ホントは連れて帰って来るつもりだったとか?」
「あっはははは…。なんで判るの」
「涼!」
「冗談だ…。誘ったって付いてくるような子でもない」
「…どこが冗談なのよ」
「何心配してんだ。真希には海がいるだろう」
「許せないのよ。たかがアバンチュールでしょ。そんな女にあなたが骨抜きにされるなんて。そんなことが現実にあってたまるものですか」
「そんなんじゃない。変に勘ぐるのはよせ。真希のポリシーにも反するだろ。嫉妬なんて、スマートじゃない」
「都合の良いことばかり言ってる。私があなたのことで嫉妬深くなるのは必然なのに」
「それは口説きを入れてるのか」
「毎度です」
「…抱かないぞ。お前が俺にそんなセリフを吐くのは無意味だ」
「判ってる。でも…しつこいようだけど、私が心から愛してるのはあなたよ」
「どんなに待っても俺が跡目を継ぐ日は来ないぞ」
「海を立てることに、一体どんな意味があるの?あなたに野心はないの?」
「人並みにはあるよ。ただ…如月の名に拘るつもりはない」
「分家じゃなくて?」
「…真希には時機に話す」
「私があなたの味方になると思ってる?」
「それはお前の気持ちだろ。俺が決めることじゃない」
「意地悪」
都内へ向かう高速道のジャンクションは詰まっていた。ブレーキを踏んだ真希は、助手席の涼に素早く顔を近づけ、キスをした。音をたてて唇を吸っても、彼からは何の見返りもない。
「あーあ、味気ない。つまんないの」
頬を膨らませ、真希は助手席のパワーウィンドウを開けた。涼が通行カードを引き出す。
真っ赤なポルシェは一気に速度を上げ、イルミネーションの星屑に加わった。
−To be continued.−
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