-*RED−HOT BLUES*-

 

The 44th Movement:assimilate

 
 ショーは既に始まっていた。
 私は人気もまばらなホールの片隅にあるレセプションに駈け込み、受付嬢に呼び出しを乞うた。まずは琴子に会わなければ…。
 現地語で受付嬢を早口に捲し立て、兎にも角にも急いでいることを示唆した。開演前のひと仕事を終えてすっかり寛いでいる風の彼女を機敏に動かすには、これくらい過剰なアピールが必要なのだ。本日のスタッフリストを確認し、彼女は琴子がいそうな場所の内線番号を的確に選択してくれたようだ。応対に出た者とひとことふたこと言葉を交わすと、そばのソファーに腰掛けた私に向けてにっこりと微笑んだ。
 受付嬢は電話を切ると、
「間もなくご本人が参ります」
 通る声でそう言った。

 ここに来る気はなかった。なのに迷った。挙句、来てしまった。
 早朝覗きこんだドレッサーに映る私は、前夜とはまるで別人だった。その素肌はやもりのように血の気のないクリーム色をしていた。白無垢を着せられる身なのだから、どの道白塗りの化粧を施されるだろう。しかし灼熱の国に長年暮らす者として、そのまま出かけるにはどうにも許し難い肌色だった。少しでも血色を良くしようと、私はバスタブにたっぷりお湯を溜め、全身を温めた。カモミールが香るバスルームで、私はやっと自分を取り戻した気がした。しかし赤を着るに相応しい顔色にはとうとう戻らなかった。クローゼットに伸びた手は、無意識にノースリーブのシンプルな白いワンピースを掴んでいた。


 私を立ち上がらせたのは琴子ではなかった。
 行き交う者たち全てを振り返らせるその艶やかに透ける紫の衣は、流れるように私に近づいていた。衣の主は靡く髪を一度掻きあげた後、私に辿り着くまでその目線を外さなかった。
(…如月さん…)
 同じ会場に居合わせるのだ。琴子が言ったように『遭わない手筈は整っている』にしても、彼はショーの事実上の責任者である。どこでどう遭遇してもしかるべき、と心得ていた。だが、まさかこんなに早く鉢合わせるとは思ってもみなかった。
「よくお越し下さいました。…急ぎます」
 一礼すると、彼は私の右手首を掴み足早に歩みはじめた。
「へっ…?!あ、あの…」
 同じだ。初めてモデルになったあの日と…。
「如月さん?!私…」
「もう理事長の出番には間に合いません」
「…ごめんなさい。ずっと迷って…」
 私の言葉にちらと振り返った目の光は意外にも柔らかい。それでも胸は痛んだ。
「…ほんとうにごめんなさい。遅刻するくらいなら来なければ良かったのに…」
「いいえ、フィナーレに間に合わせます」
「間に合わせ…る?!って…」
「着付はわたしがします」
「・・・。」
 思わず立ち止まってしまった。先を急ぐ涼は突っ張った私にわずかに引き戻された。
「…頼みます。時間がない…」
 初めてだ。涼に懇願されるのも、これほどまでに真剣な眼差しを向けられるのも…。
 わたし達を繋ぐ手と手首が眼前にあった。涼は私の手首を離さず、私も彼の手を振り解かない。いや、振り解けなかった。わずかな沈黙さえ惜しいはずなのに、今日の彼は私を強引に楽屋に連れ込もうとはしていない。私の意志を真摯に窺っている。
「・・・。」
 仕事に対する熱意を感じ、私は黙って肯いた。


「作り映えなさるお顔ね。言われない?『メイクすると別人ね』って」
「いいえ。…あ、メイクしていないことが多いんです。日焼け止めに口紅くらいで…」
「あらそうなの…。あなた、もう肌は焼かない方がいいわ。日本に来ない?」
「えっ?」
「あなたを日本で使いたいの。コスモポリタンがウケてきっと話題になる」
「・・・。」
 40代前半だろうか。黄色いアロハシャツにジーンズの彼女はどうやらプロのメイクアップ・アーティストらしい。私をリラックスさせる意図もあってか口数は多い。しかし敏速な動きは精確だ。手元が狂う気配はない。大小のブラシを使い分け、私を日本の花嫁に変えていく。時間との闘いに慣れているのだろう。時折背後の時計に目をやるが、笑みを絶やさないその表情には余裕さえ窺える。
「涼、ほんとあなたって仕事運いいわね。それともオンナ運がいいのかしら?!海外に出てもしっかりこういう子とめぐり逢えちゃうんだから」
 この楽屋に前回のような畳は置かれていない。正面の鏡は涼の背中ばかりを映し出している。しかしどうやら彼はショーのモニターを見ながら和装肌着と小物を用意しているようだ。振り返ることもなく、その後ろ姿は応えた。
「今桂さんを動揺させないで下さい」
「はいはい、わかりました。涼ったら相変わらずなんだから…。でもね、これくらいでステージに影響なんて出ないわよ。大丈夫よねぇ?!桂さん」
 彼女は紅筆にたっぷりと‘RED’を載せながら私に目配せした。
「ステージに…影響…ですか?」
 私にはその言葉の意味がよく理解できない。
「そう。雑念でぼんやりされたら大変でしょ。涼はそんなモデル、ステージに上げたくないのよ」
「・・・。」
 彼女はちらと背後の涼を見やって言った。
「何しろ仕事第一の人ですからね。成功のためなら寝食も忘れるのよ」
「メイクの方はもういいですか。時間がない」
 着付けのための準備を終えた涼が彼女を急かす。
「はいはい、今回先に紅さしちゃったわよ、大丈夫?」
「問題ありません」
「そうよね、自分の身体以上に大事な衣装でしたっけね。着付けの最中に汚すわけないか」
 肩をすぼませた後、彼女は私の手を取り立ち上がらせた。
「はい、いかがでしょうか。あおいちゃん風に仕上げてみました」
「・・・。」
(如月さん・・・?!)
 彼女の言葉に目を見張り、一瞬こわばった表情になった彼は・・・私と目を合わせた途端、微笑を浮かべた。それは、かつて彼に浴びたことのない優しい眼差しだった。

 

-To be continued.-

 

 

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