
−* RED−HOT BLUES*−
【The 4th movement:andante】
雪のないクリスマス・イブ。
目覚めると、セミ・ダブルのベッドに私はひとり置き去りにされていた。
夕べ暗幕を引き忘れた窓からは、レースのカーテンの間隙から一筋陽が洩れている。その光を受けたバナナたちは、原色をかけらも残さず茶褐色に朽ちていた。ふと、真冬の朝に全裸でいる自分に気づき、私は自身の哀れなその肢体をブランケットごと抱きしめた。
午前10時。
ホテル脇の路地に連なる屋台で練乳がけフリッターとグアバを買い、私はコンベンションセンターに向かった。デモンストレーションの通訳を親友の母親に頼まれていなければ、自分をホテルに置き去りにした男がいるホールになど、こうしてのこのことやって来はしないだろう。いや違う。それはもはや口実で、実際はこの国で残された涼の“時”を、彼の呪文を浴びたこの躰体が独占したがっているのだ。
会場内では既に前半部のリハーサルが開始されていた。ステージ下には、昨日涼と口論を交わしたマネージャーを始め、関係者が顔を揃えている。
涼の姿は・・・まだそこにはない。
「和ちゃん、ごきげんよう。悪いわね、忙しいのに。ご苦労様」
「あ…おはようございます。おばさまもお忙しそうですね。今日は、お教室の生徒さん、全員総出ですか?」
「ええ、勿論よ。もう楽屋で着装が始まってるわ。ただ、現地の子達にあまり早く着せても可哀相だから、今はまだ日本人の子にだけよ」
「そうですか。段取りもいろいろ大変なんですね」
この地できもの着付教室を開いている親友の母親は、今回の『アジア民族衣裳展』のショー部門担当責任者だ。そして涼は、そのステージ・スタッフとして日本の親教室から派遣された使節団員で、きもの学院講師のひとりだった。
−あの晩−
「もしもし?日本からの使節団の方…ですよね?」
「はい」
「あの…きもの教室の垣田先生の使いのものです。団長が先程センターのミーティング室にお忘れになった書類をお持ちしました。今、下のフロントにおります。使節団でリザーブされているお部屋の中で、御在室はそちらだけのようで…。恐れ入りますが、ロビーまで取りに来ていただけませんか?」
「・・・。」
「…もしもし?」
「あ、わざわざ届けて下さってありがとうございます。今俺ちょっと手が離せなくて…。すみません、あとで取りに行きますから、そこに…フロントに預けていってもらえますか?」
「いえ、それは…。大事な書類なので必ず使節団の団員の方に手渡しするようにと…。それに、垣田先生が団長から頼まれておりました両替金もお預かりしています」
「じゃ…申し訳ないんですけど、部屋まで上がってきてもらえませんか?実は今シャワー浴びてたとこで…。ロビーには…スグには出向けないんですよ」
「…わかりました。伺います」
レトロなエレベーターを20階で降り、薄紅色の絨毯が敷き詰められた廊下を、私は出来るだけゆっくり歩いた。パンプスの足音が消され、かかとが僅かに沈む。目的の部屋の前に辿り着き、腕時計を覗いた。内線電話を切ってから、ジャスト4分。部屋からシャワーの音も漏れ聞こえず、まだ見ぬ彼は、この中で恐らく身支度を整えているに違いない。
(コン、コン、コン、コン)
無意識にしたノックの数は4回だった。この街の方位を体で覚えている私は、この部屋の窓から望む大河の向こうに、愛する79mの塔、“『暁』は真正面にある”、と悟った。
(カチッ)
ドアノブを廻す音と同時に、扉が部屋の内に向かって引かれていった。
「・・・。」
目の前に現れた彼は、私の予想に反し、いまだバス・ローブ姿のままだった。肩まで届く髪は、まだ多分に水気を帯びている。
「…君かあ。さっき、コンベンションセンターにいたよね?」
「はい。…こんばんは」
「あ、こんばんは。…君、日本人だよね?」
「はい。あの…先程、センターで私のこと?」
「うん、垣田さんと一緒のとこ見かけたよ。海外に来るとさ、日本人が目につくんだよね。つい同胞探しちゃったりする。ふっ…」
そう言って見せたニヒルな笑顔に、この胸がドクンと反応した。久しく忘れていた日本男性の色香を、彼は私に感じさせた。
しかし…。この地ゆえに成就の叶わぬ恋愛を懲りずに繰り返し、幾度後悔したことか。長居は無用だ。
「…あ、これ、書類です。それから…こっちがお金…」
私はA4サイズの書類ケースと銀行のロゴ入り封筒を彼に差し出した。
「ありがと」
「じゃ、失礼します」
ペコリと頭を下げて、踵を返した。
「…あ、ね、ちょっと…」
「…はい?」
「君さ、この国長い?」
「はっ?」
私を呼び止め、振り返らせた彼のセリフだけでは、まるでその意図はつかめない。
「あ、いや…。部屋にね、変わったフルーツいっぱい置いてあるんだけど、何だかどれもアヤしくて…。食べ方ワカンナイのもあるし…。君、わかる?」
「ああ…はい、多分。あ、でも…」
「さんきゅ。ちょっと見てくれる?」
「あ…あの…」
彼は長い腕を伸ばし、私の右手首を掴んだ。そして部屋に私を引き込む彼は、浮かべていた笑顔に似合わず、恐ろしく力強かった。
その部屋に一歩足を踏み入れた途端、正面の窓から予想通り“暁”が見えた。
「RED-HOT・・・」
「え?なんか言った?…ホラ、これなんかさ、このまんま食べてもいいわけ?」
彼は傍らのテーブルに山盛りにされたリフレッシュメントから、凹凸のある緑のテニスボールを拾い上げた。
「あ…それは“ノイナー”っていいます。“釈迦の頭”」
「シャカ?ああ、お釈迦様の“シャカ?”」
「はい」
「そう言われればそんな感じだね。表面デコボコしてて…。で、おいしいの?」
「ええ。カスタードの味がします。種が多くて、ちょっと甘すぎますけど…。でも私は好きです」
闇の中、ライト・アップされた“暁”に見とれていた私は、窓辺から離れることが出来なかった。
「…キレイだよね。あのお寺、“アルン”っていうんだっけ?“暁”って意味だよね?あ…ねえ、こっち座ってよ。…これは?」
彼は茶色い外皮のたまご型を手に取った。
「南洋柿です。今が旬の“ラムッ”。それは…私はちょっと苦手です。干し柿の様な感じですけど、日本の柿のイメージでいただくと、きっと裏切られます」
「あっははははは…。君、正直で面白いね」
「・・・。」
そう言って笑った後、私と目を合わせた彼の顔が、気のせいか幾分険しく見えた。
「じゃあ…君が一番のお勧めフルーツは?」
「…その中にはありません。ホテルには持ち込み禁止のフルーツだから」
私はまだ窓辺に立っていて、彼の座るソファーとは5、6Mほど距離があった。彼と私の間には、既にカバーが外されたセミダブルのベッドがある。
「あ、わかった。“ドリアン”でしょ」
「ええ。でも…旬は雨季の前なんです。今もデパートのスーパーマーケットにはありますけど、味は…どうでしょう?」
「そっか。どうせなら旬に食べたいね」
「あっ…」
「ん?」
「青マンゴー」
彼が籐の籠から真っ赤なリンゴを取り上げた時、それまで底に潜んで見えなかった青マンゴーが私の目に飛び込んできた。
「…これ?」
「ええ。大好きなんです。でも…日本の方には、最初は黄色いマンゴーの方がお口に合うんじゃないかと…。あ、そうだわ。その、手前にある“ランブータン”の種をくり貫いて差し上げます。種の外皮が口に入ると、せっかくのお味が半減して悲しくなりますから…」
私はやっと彼の傍に歩み寄って、鮮赤色の外殻にあおいヒゲの生えたランブータンをその籠から4つ拾い上げた。テーブル上に用意されていた種抜き専用のナイフを取り上げようとしたその時…。再び大きな手が私の手首を掴んだ。
「あ…あの…」
「君は…ホントはここに“アルン”を見に来たんでしょ。だったら、朝陽に輝く文字通りの“暁”も見たいよね?」
「・・・。」
生成りの広袖に濃藍色の切袴姿で、涼はいきなり私の前に現れた。
「…おいで」
何の挨拶も言い訳もなく、彼は出会った時と同じ力強さで私の手首を掴み、楽屋へ引きずって行った。うすものの衣擦れが、一定のリズムで心地よく耳に響いてくる。
遠い昔−。忘れかけていた故郷の桜吹雪を思い起こした。決して振り返らない涼が、唯一私と接するその手の先に、天然のさくら色した爪を持っていたからかもしれない。私は彼の親指を、何故か切なく眺めていた。
−To be continued.−
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