−*RED−HOT BLUES



The 19th Movement:psychedelia

 

 垣田琴子が如月海と恋に落ちた。

「ね、キン。どうするの?このままじゃ…海君」
「…うん」
「キン…」
「わかってるけど…。帰したくないよ、日本になんか」
「キン…」
 私たちが垣田家の別荘にやって来て2週間近くが経とうとしていた。海は初めてこの別荘に遊びに来た晩からここに居ついている。琴子と海。ふたりはあの晩私の知らない『TOKYO』を肴に夜一夜語り明かした。翌日のブランチに揃って姿を現した時から、彼らは誰の目にも恋人同士に映った。ただ、前夜一足先にリビングを後にするまで、海の熱い視線は琴子よりもむしろ私に向けられていた気がした。今思えば、それは私の己惚れに他ならなかった。知らず知らずのうちに海の瞳に涼のBlue-blackを重ねていたのだ。彼と交わる視線が頻繁になっていくように思え、終いには息苦しくさえなった。私は身体の不調を訴え、二人を残し早々に退散したのだった。翌日、彼らが一晩のうちに結ばれたと明らかに認識したとき、私は驚きと同時に胸をなで下ろす始末だった。
「海とここにいたい。私も日本には戻らない」
「キン!」
「こっちに戻ってきて気づいたの。今まで無理に否定してたんだけど…でもやっぱりわかった。日本に住んでる私、すっごい惨めだって」
「どういうこと?」
「和はいいわよ。なんだかんだ言ってもピュアな日本人でしょ。こっちのインター出て、アメリカの大学卒業して、3ケ国語話せるマルチリンガルだし。日本に帰って就職する気なら大手の企業から引手あまたよ」
「そんなこと…。どうしてそんなこと言うの?キンと私、学歴なら一緒じゃない」
「違う!私は日本人じゃない。ピュアじゃないもん」
 琴子はいきなり声を張り上げた。
「…キン」
「ごめん、大声出して…。私ね、日本で…ほんとは辛かったんだ。憧れの日本にやっとの思いで就職出来て前途洋々だって思ったのに…違った。仕事には恵まれたけど…でもね、私、ここで裕福に生まれ育って幸せだったけど…自分がクウォーターだってこと…日本では堂々と言えない。自分の体に東南アジアの血が混じってるって…言えないのよ」
「・・・。」
「私は…私はこの国に誇りを持ってる。おじいちゃまを尊敬してるし、パパとママの子に生まれて良かったって…そう思ってる。でもね、でも…それを日本では隠さなきゃいけないの。私の気持ちわかる?ね、和。わかってくれるでしょ?あなたなら。100%日本人のあなたでもわかってくれるわよね?」
「キン…」
「ママの祖国は…悲しいくらい私に冷たい…」
 琴子はそう言うと、俯きながら唇をかんだ。
「・・・。」
 日本を離れて十七年。私には、祖国が琴子に浴びせる目に見えない仕打ちの程を想像することが出来ない。彼女の嘆きを受け止めてやれない私は沈黙する以外なかった。
 一緒になって唇をかんでいる私に、琴子は少し間を置いてから話し始めた。
「海の家柄って名門なんでしょ?血統の違う私とは到底釣り合わない。今海を手放したら、日本に戻したら、もう一生彼と会えない。そんな気がする。だから…離したくないよ。海も『家』から逃れたいって…私とここにずーっと一緒にいたいって、そう言ってくれてる」
「気持ちはわかるけど、でも現実的に…」
「現実になんか戻りたくない!」
 琴子は激しく首を横に振った。
「キン!…こんなこと言うべきじゃないかもしれないけど…。今、ここでの海君は幻かもしれないよ」
 意を決して吐いたセリフは琴子にはあまりに酷な気がして、私は彼女を直視出来なかった。
「和…」
 私の名を呟く彼女の声は実に弱々しい。恐る恐る顔を上げた。私を直視する彼女の瞳は次の言葉を待っている。嫌われるのを覚悟で話を続けなければならない。
「海君…日本での生活から一時でも開放されたくって、それでこっちに来て…キンと知り合って…。『日本での現実に戻りたくない』って言う彼の気持ち、今まで何度か耳にしてたからなんとなくはわかる。でも…ごめん。彼は“逃げてる”って思っちゃった。それにキン…。海君ツーリストなんだよ。滞在期限があるわ。いずれ彼は日本に帰らなきゃいけない。日本に帰ったら、彼はすぐに現実に戻るかもしれないでしょ。もしかしたらキンを…キンを…」
「『忘れる』って、そう言いたいのね?それくらい私だって考えたわ。だから…だから今、海を離したくないの。幻でもいい。1秒でも長く海のそばにいたいのよ」
「辛くなるだけだよ。わかってるでしょ、嫌と言うほど。ツーリストを本気で愛しちゃダメだよ」
「和…」
 懲りない恋愛の回数においても琴子は私の先輩だった。
「現実は無視できない。キンだっておばさまに事情を説明しなきゃここにはずっといられないでしょ?」
「私が海とここにいたら…ママのお教室に迷惑かかるかな…」
「…そうだね。…ね、このままじゃ海君、行方不明者になっちゃう。お友達に、ここ、知らせてないんでしょ?もしかしたら捜索願い、もう出てるかもしれない」
「・・・。」
 散々琴子をたしなめるような発言をした私は、次にうな垂れる彼女を励まさなければならなかった。
「…キン、大丈夫よ。私、へんなこと言っちゃったけど…あなたは今、幸い日本で暮らしてる。国籍とか、“血”とか…今時関係ないよ。海君の気持ちが…ううん、二人の気持ちが日本に戻っても変わらなかったら、むこうでお付き合い続けられるじゃない」
「和…」
「ね、海君説得して一緒に日本へ…」
 その時カタッとテラスに続く網戸付きのドアが開き、プライベートビーチで日光浴をしていた海が浜辺から戻ってきた。
「海君」
「海…聞こえた?」
「ん?何?声は張り上げてたようだけど、内容はわかんなかったよ。けんかでもしてたの?親友同士のけんかは猫も食わない…あ、あれは夫婦か。それに、あれ?犬だっけ?わっかんねえや。あっははは…」
 呆れるほど屈託のない海。スリムな腰つきの涼とは対照的に、ビキニパンツ姿の彼はサーフィンで鍛えた筋肉質の体躯を持っている。サンオイルで光る躰はこの2週間ですっかり赤銅色になっていた。
「ねえ海。今、和とも話してたんだけど…帰らなきゃね、日本に」
「・・・。」
 海は冷蔵庫からハイネケンを取り出し、私たちの座るダイニングの一席に腰を下ろした。喉の渇きを癒す姿を凝視しつつ、私たちは辛抱強く彼の発言を待った。
「なに?なんで二人とも黙ってんの?あ…ごめんごめん。ひとりで飲んでるからか。気が利かなくて…。ちょっと待って。二人の分も取ってくるよ」
「海!わかってるんでしょ。だからそうやってはぐらかしてる…」
 冷蔵庫に向かう海を制止するかのように、琴子も立ち上がった。
「・・・。」
 海が取った間の長さはそのまま困惑の度合いを物語った。その証拠に、私は彼の真顔を初めて目にした。
「…そっか。The end.ってことだね」
「海…」
「わかった。しょうがないよね。逃げ場所なんて、結局世界中どこにもないんだ」
 ふてくされて吐いた彼の言葉に私は何故か黙っていられなかった。
「海君。『逃げ場所』って…どうしてそんなに日本から逃げたいの?日本ってそんなにイヤな国?私は…日本人なのに情けないけど…今の日本を良く知らない。でも、小さいとき向こうで暮らしてた頃の楽しかった思い出だけは、ちゃあんと心に残ってる。いつか帰ろうって、帰りたい、って思ってるの。だから、今日本にいるふたりに『帰りたくない』って言われちゃうと…悲しくなるわ。帰りたくない日本って一体…一体どんな国なの?わかんない…」
「和さん…」
「ごめんね、和。あんたの気持ち考えずに勝手言っちゃってたみたいね。悪くないよ、日本は。ただね、私は…私は故郷に帰ってきてほっとしたんだろうね。愚痴りたくなっちゃったんだと思う。…ね、海。帰ろ、日本に。戻って続かないんじゃ…やっぱり幻の恋だわ」
「なにそれ?」
「ん?ふふふ。和にね、今言われたの。ここにいる海は“幻かもしれない”って。でも私、日本に帰ってもFade outしない海を見たい」
「・・・。」
 海は黙ったまま肯き、微笑んでみせた。
「ありがと、海。…それにしても、和ったら私にはこんなキツイこと言っといて、自分はいまだに幻を愛してるのよ。…ね?」
 突然いたずらっぽく笑う琴子に私は青ざめた。
「キン!」
「いいじゃない。ほんとはあんたが思いを寄せる彼は幻なんかじゃないよ。この際義弟にキューピットになってもらったら?」
「・・・!?」
 いきなり『義弟』と琴子に視線を投げられてもスグに合点がいくはずはない。海はキョトンとして私を見た。
「よしてよ!キン、どうして今そんなこと言うの?」
「いいじゃない。こんなチャンス滅多にあるもんじゃないわ。海に黙ってる方が不自然よ。ね、和。あんた…臆病すぎる。離れてたって恋愛は出来るって、あんたが一番よく知ってるんじゃない。私はあんたのこと誰よりもわかってるよ。むかし負った心の傷が相当深いってことも。でも、だからって自分の気持ち偽って遠距離恋愛拒否するの、どうかな?…忘れられないんでしょう?涼さんのこと」
「・・・。」
 琴子が遂に涼の名を口にしてしまった。海の視線が私には痛くて、顔を上げることが出来ない。
「和さん、どうして兄貴を…あっ、もしかして去年のイベント…」
「そう、そのもしかして。和ね、あの時ショーのモデルだったのよ」
「モデル?じゃさ…白無垢着たのって…もしかして和さん?」
「そう、そのもしかして。海、冴えてるわね」
「そうか、それで兄貴と…」
「…ん?どうしたの?海。和の恋に問題あり?浮かない顔になってる」
「え?ああ…」
 “浮かない顔”と曖昧な返事をする海が気になって顔を上げた。途端に彼と目が合った。
「和さん…。こういうこと、おとうとの俺が言うべきじゃないと思うけど…でもごめんね、はっきり言うよ。その方が和さんのためだと思うし…。兄貴は…止めたほうがいい」
「海!どうして?それだけじゃ納得出来ないよ。理由答えてよ」
 琴子が空かさず代弁してくれた。
「…ひどい事言ってるかもしれないんだけど。和さん、絶対兄貴に振り回されそうだから。それで…たくさん傷つきそうだから…。そういうの俺、なんとなくわかるからさ」
「海君…」
 涼とは血が繋がっている。義理の兄弟だが、本来彼らは従兄弟同士だ。どこか似ていても不思議はないはずだ。が、しかしこの瞳の透明感だけは決して涼からは得られないだろう。私に向けられた海の瞳は悲しいくらい澄んでいた。



 -To be continued.-

 




Mov.20につづく

TOPに戻る

ANNEXの表紙に戻る

HOMEに戻る