「弥生?」
「・・・・・・・・・・・。」
僕と由布の結婚式が延期になっているという思いもよらない事態に、弥生の顔は驚愕の色を隠せなかった。そんな彼女を諭すかのように、瑞生さんの言葉が冷ややかに響く。
「駿君ね、結婚式は延期になったけど、もう由布さんと一緒に暮らしてるのよ。だから・・・・」
「・・・・・うん、わかってる。それはもう・・・・・わかってる」
「弥生・・・・・」
瑞生さんの言おうとしている事は、弥生にもすぐに察しがついた。
「私達は幼なじみで・・・これからも・・・・ずっとそうなの。それに、私達は親戚でもある訳でしょ?駿はお姉ちゃんの義弟だもんね。だからもう・・・・・・全部解ってるよ」
[ピンポーン・・・・・]
丁度その時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「・・・・・・誰かしら?」
瑞生さんの視線を受け、玄関に向かおうとした兄貴を、弥生が引き止めた。
「あっ、私出ます。もしかしたら、私の匂いをかぎつけた明日香かもしれない」
弥生は張り詰めた空気を解き放してくれた来客に感謝したい気持ちで一杯だった。そして昔なら、こんな時にタイミングよく現れるのは、いつも明日香だと相場は決まっていた。
「はい・・・・」
弥生は玄関の鍵を開け、ドアノブを廻し、扉を押し開けた。
「こんばんは。・・・・あ」
「・・・・・・・・。」
元気のいい挨拶と共に、弥生の目に映ったのは、昼間、雨の横断歩道で出会った、まだあどけなさの残る‘あの子’だった。
「・・・・横断歩道で手を貸して下さった・・・・・」
「・・・・・あの時の・・・」
目の前の子が何者であるかを咄嗟に判断した弥生は、次の瞬間を想定し、硬直した。
五感が冴え渡って、その子の背後に広がる闇夜に人の気配を感じた。
「・・・・・随分歩くの早くなったな。戸締まりに手間取ってたから追いつかなかったよ。途中、転ばなかった?」
玄関先に立つ由布の後ろ姿に向かってそう呟き、僕は彼女と扉の間に自分の空間を作る為、扉に手をかけ、それをわずかに手前に引いた後、晩秋の闇からその光の中を覗き込んだ。
「こ・ん・ば・ん・・・・・・・・弥生・・・・」
「・・・・・・・・。」
僕は弥生の姿を捉えた途端、言葉を失った。
(どうして君が今ここにいるんだ?)
彼女は口元をきりりと締めて、診察室で再会した時と変わらない、大人の女を演じている。しかし、今夜その目が僕に何かを語っているように見える。気のせいだろうか?
「弥生・・・さん?バレリーナの弥生さんですか?ね、駿さん。ホラ、さき程、お話したでしょう?この方よ!昼間横断歩道で私を助けて下さった・・・・」
僕らの動揺に気づく気配もなく、由布は無邪気に微笑んでいる。
「えっ?・・・・・・あ、そう・・・・・」
(やっぱり・・・・弥生だったんだ!)
「ねえ駿さん、ちゃんと紹介して下さい」
「え?ああ・・・・・あの・・・・・こいつが由布。で、・・・・・弥生」
弥生に手を差し向け、僕は由布に彼女を紹介した。二人に対し、それぞれの名前の前に代名詞を付けることが、僕には出来なかった。
「はじめまして、由布です。弥生さんに関するお話は、皆さんからいろいろ伺っています。まだ小さい頃、何度かお祭りでお目にかかったような気がするんですけれど、お顔を思い出せなくて・・・・・ごめんなさい。でも・・・・偶然ですよね。昼間手を貸して下さった方が弥生さんだったなんて・・・・」
「・・・・・・ええ、そうですね。さ、どうぞ。お上がりになって・・・・。随分日本も寒くなってきましたね。由布さん、お身体の具合は・・・・いかがですか?」
「ええ・・・・・お蔭様で、リハビリは順調です。・・・・・お邪魔します」
由布が踏み込もうとした左足のワン・ステップで、僕と弥生は左右から、殆ど同時に彼女の腕を取った。
「あ、弥生さん、ありがとうございます。大丈夫ですよ」
きっと無意識に違いないのだが、由布は弥生の助けを拒否し、僕の支えだけで上がり込んだ。
「いらっしゃーい」
リビングの入り口から現れた瑞生さんは、僕らを見つけて笑顔で応じてくれている。
「こんばんは、瑞生さん。今日、駿さんのお誕生日なんですよ。ケーキがたくさんで・・・・少しおすそ分けです。召し上がっていただけますか?」
由布はそう言って、僕が持っていたケーキの箱に視線を投げた。
「まあ、そう。駿君、おめでとう。ウチでも丁度夕飯が終わったところなのよ。デザートに早速いただくわ。」
瑞生さんは僕からケーキの箱と、それから由布の腕までも受け取って、彼女の足元に気を配りながらリビングに連れ込んでしまった。
残された僕は、背後の弥生が気になって・・・・・振り向いた。
「・・・・・・・・・・・。」
彼女はまだそこに、黙って立ち尽くしている。その目はやはり、何かを僕に語りかけている。
「・・・・・・・・・・・。」
(どうして君が今ここにいるんだ?)
そう聞きたいのに、どうしても声にならない。
「駿・・・・・・お誕生日、おめでとう」
本来の弥生ならば、ここで微笑むだろう。しかし、今夜の彼女に笑顔はなかった。
「弥生・・・・どうして・・・・・」
「駿さーん、ごめんなさーい。装具を外したいんですけど・・・・何だか上手くいかないの。見ていただけませんかあ?」
由布の声がリビングから響いてきて、僕は弥生を・・・・・・その場に置き去りにした。