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−* LOCUS OF LOVE *− −Vol.69−素足にヒールのあるバックベルト・サンダル。ホワイトジーンズのフレアースカートに、ノースリーブでハイネックの黒のサマーニット。プラチナのブレスレットに、口紅と同色のピンク・ローズのマニキュア。フルメイクの顔とワイルドな巻き髪は、大人の女そのもので、彼女の活躍の舞台であるブロードウェイのアベニューを闊歩させたら、さぞ絵になることだろう。彼女は個人経営の小さな診察室には明らかにふさわしくない、華やかなオーラを発していた。 しかしその目の真ん中に、ほんの少し茶色みがかって輝く黒い瞳は、僕がかつて愛した弥生のものに違いなかった。その瞳は、真っ直ぐに僕の目を捉えている。 「今日はどうなさいましたか?」 処置室と診察室をせわしなく往来している婦長が、僕らの時間の沈黙を破った。 「ちょっと、足首を捻ってしまって・・・・・」 ソプラノの懐かしい声が、僕の耳に響いた。彼女は婦長の手引きに従い、右足を診察台に乗せた。そして、その足首を押さえるうつむいた表情に、どことなくあどけなさが残っているような気がして、僕はやっとそこに弥生の昔の面影を見出した。 「・・・・・先生?」 「あっ、ハイ・・・・」 婦長の呼びかけで、弥生の一挙手一投足に見とれていた僕は我に返った。 「どうやって捻ったんですか?」 弥生の足首に手をかけて触診を始めた僕の問いに対し、その返答が頭上から聞こえてきた。 「神社の石段を踏み外しました」 「・・・・・・・・・。」 僕は弥生の顔を見上げた。彼女の表情は真剣で、その目は相変わらず僕の顔を見据えている。神社の石段で足を踏み外したのは、6年前の僕である。 (一体何を企んでるんだ?) 僕は再び彼女の足首に目を落とした。鍛えられた硬いふくらはぎに引き締まった足首。何度も血を滲ませたであろう節くれ立った爪先。彼女の足は、まさしくバレリーナのそれであるが、僕がどんなにその足の角度を変えても、彼女の顔は歪まなかった。 研修医の僕ではあるが、恐らくベテラン医でさえも、彼女の足首に異常は認められないだろう。 「・・・・・・・捻ってる様子はありませんね。痛むんですか?」 僕は弥生の足から手を放し、改めて彼女に向き直った。 「・・・・はい。今は平気ですけど、きっと夜になったら腫れてくると思います」 弥生は物怖じせずにそう言ってのけた。 「じゃあ・・・・腫れてきたらまたきて下さい。その時に治療します」 僕も彼女に対し、すっかり医者の口調になっている。 「夜でもいいんですか?」 彼女は右足を診察台から降ろし、早くもサンダルを履き始めている。 「・・・・・・いいですよ」 「わかりました。どうもありがとうございました」 彼女は座ったまま深々と頭を下げて・・・・それからにっこりと微笑んでみせた。 「ふっ・・・・」 僕も彼女の笑顔に、思わずつられて笑ってしまった。 「私、最後の患者みたいなんですけれど・・・・・先生、お昼はどうなさるんですか?どなたかと、会食のご予定でもございます?」 「・・・・・・あ、いや・・・・」 僕は言葉を濁らせながら、窓際で僕らに背を向け、細々とした医療器具の整理を始めていた婦長の方に目をやった。 婦長はさすがに大人で、弥生の言葉も耳に入らなかった素振りで、気を利かせて処置室に消えてしまった。 「・・・・・良い方ね」 弥生は婦長の後ろ姿を目で追って、その姿が見えなくなると、待ってましたとばかりにそう呟いた。 僕と弥生は昨年新装開店していた懐かしいサリーさんのビストロで、ランチを摂ることにした。 僕らが店に入るなり、サリーさんは弥生の姿を見つけて大喜びし、早速ワインで再会を祝してくれた。そして今日は日曜日ではないが、弥生はくるみ割り人形のさわりだけを踊って見せるという条件で、特別に‘日曜日のランチ’をシェフに作ってもらった。 「昨日、どうしたの?瑞生さん、ずっと待ってたよ。皆心配してた」 チョコレートのフォンダンをおいしそうに口に運ぶ弥生の表情は、すっかり高校生に戻っている。 「皆って、駿も?」 「うん・・・・一応俺も・・・・」 「一応?」 診察室で大人の女を披露した弥生は、コーヒーをブラックで飲み、かろうじてそのイメージを僕に留まらせている。 「ああ、一応・・・っていうか、結構・・・・かな?」 「はははは・・・駿、随分面白くなったね。何か・・・・別人みたい。白衣姿も板についてて、すっかりお医者様だし・・・」 「自分だって変わってるじゃん。・・・・俺なんか近寄りがたい雰囲気だよ」 「何言ってるの?一緒にこうしてランチ摂ってるじゃないの」 「そりゃあそうだけど・・・・・・。あっ、だから、昨日、どうしたんだよ」 言葉に詰まった僕は、未だに聞けていない彼女の昨日の言い訳を再び問いただした。 「うん・・・・・。乗り遅れた」 弥生はあっさりと答えた。 「えっ?飛行機に?」 「うん・・・・・。信じられない?」 「・・・・・・・昔の弥生だったら考えらんないな」 「そうお?それって、昔の私を誉めてくれてる訳?」 「そうだよ。だって俺は昔の弥生しか知らない」 僕はそう言ってから、座ったまま椅子を後方に傾けて隣のテーブルに手を伸ばし、灰皿を拝借した。 「それはお互い様よ。私だって、今の駿を知らないもの。どうしてそんなに素敵になっちゃったのか、教えて欲しいわ」 「・・・・・・・何言ってんだよ。俺は変わってないよ」 「・・・・・・・・・・・。」 弥生は僕がタバコを吸う様子を、じっと見ている。僕が彼女の前でタバコを吸うのは、もしかしたら初めてかもしれなかった。 「何?」 弥生に見つめられて、僕は少し照れ臭くなった。 「ううん・・・・今日、駿に逢えてよかったな、って思ったから・・・・。出掛けにルームメイトが熱を出して、その手当てしてたら飛行機に乗り遅れて・・・・ 一時は帰国を諦めたの。でも、丁度亨から電話があって・・・彼が私をケネディ空港まで送ってくれたのよ。 ‘結婚式に間に合わなくても、駿に逢ってこい’って。でも・・・・私は・・・・私は変わったの。この6年、いろんな事があって、変わったのよ。だから、もう駿とは向かい合えないって、ずっとそう思ってて・・・・。 亨は‘とにかく行って来い’って・・・・そう言ってくれた。・・・・だから、この街に帰ってきて、駿にまたこうして逢えて・・・・・ほんとによかった。駿とこうしてサリーさんのお店で一緒にランチ・・・・・」 弥生は急に顔を曇らせ、同時に声を詰まらせた。 「弥生?」 僕が夢中で追いかけていた幻の彼女が、今、目の前にいる。そして、もしかすると彼女は今、僕を必要としているのかもしれない。しかし・・・・・。 今の僕の心は、由布の笑顔で満たされている。僕の守るべき笑顔の対象は由布だけであり、既に弥生のそれではなくなっていた。 |