−* LOCUS OF LOVE *− −Vol.49−
弥生を空港まで見送るのは、瑞生さんと兄貴の予定だった。
僕は明日香と松下に連絡を取って弥生の意向を伝えた。二人とも、
僕同様に最初は反発したが、弥生の達ての希望に納得せざるを得なかった。
僕がバイト先の生徒の家に向かう時、坂の途中で兄貴の車と遭遇した。
「駿。弥生ちゃんの出発、丁度7時だから、遅れるなよ。でもあんまり慌てるな。
今日は・・・祥吾君の家だろ。あそこのお母さんは帰り車で送ってくれるだろうから、
時間までちゃんと教えて来いよ」
「わかってる」
「うん・・・じゃあな。よろしく」
兄貴はそう言うと、ギアを入れアクセルを踏んだ。
弥生の出発便に仮に変更があったとしても、彼女は自分が口にした7時までは、
必ず僕を待っていてくれると確信していたので、兄貴に何を言われても、
大して気にならなかった。
この日僕が訪れた生徒は、来年に高校受験を控えていた。
彼が現在の僕等と同い歳になった時、弥生は日本に戻って来る。そう考えると、
やはり4年後というのは遠い未来のような気がした。
バイト先の生徒の部屋で、6時30分を告げるベルの音を聞き、
僕はゆっくりと帰り支度を始めた。
「あ、先生、すみません。今日、最初から勉強30分延長してもらうつもりで・・・
言うの忘れてました」「・・・あー悪イ、今日はダメなんだ。これから用事があって
・・・」
「そうだったんですか?用事、何時からなんですか?お袋が今日はパート先のスーパーの棚卸しとかで・・・
1時間残業なんです。帰ってきたら先生をすぐにお宅までお送りしますから、
それまで勉強延長しててもらってって・・・。黙って延長してもらっちゃって・・・
すいませんでした。お袋、もう帰って来ると思うんですけど。」
「・・・ちょっと待って。君の言ってる事、よくわかんないんだけど・・・。
今6時30分だよね?」
「・・・すいません。この時計電池新しいのとまだ代えてなくって、
30分近く遅れてるんです」
「・・・・。」
僕は慌ててズボンのポケットから腕時計を取り出した。
いつも5分進ませてある僕の時計は・・・その時確かに7時7分あたりを指していた。
僕は全身の血が引いていくのが分かった。
「・・・帰るわ。あっ、お母さんに、今日やったとこ、ちゃんと見せといて、
いいね。じゃ、また・・・来週」
僕は既に彼の部屋から片足を残すのみの体勢でそう言い残し、慌てて表に駆け出した。
この家は街外れで・・・そう、真子の家の近くだった。僕の足では全力疾走しても、
弥生の家まで20分はたっぷりかかるだろう。
(何で30分も延長してたのに気づかなかったんだ!)
(何で祥吾君のお母さんは今日に限って残業なんだ!)
(何で俺は足が遅いんだ!)
(何で弥生は・・・何で弥生は今日発つんだ!)
僕の頭の中は、もうぐちゃぐちゃだった。とにかく少しでも早く手足を前に出そうと、
必死で走っていた。左手に神社が見えてきて、僕は咄嗟に近道の計算をした。
境内を突っ切れば、2分は短縮出来るだろう。僕は迷わず神社の鳥居をくぐった。
社の脇を走り抜けながら、高校最後の祭や、初詣の日の事が、
僕の頭の中でもこま送りに上映されていた。
「イテッ・・・」
神社最後の難関だった下りの石段で、僕は突然右足首に痛みを感じた。
残り2段を甘く見た僕は、飛び下りようとした時点でバランスを失い、
結果、捻挫するハメになったのだ。
(ヤバイ!)
あたりはもう真っ暗だった。頭上を見上げると、
樹齢がやけに古そうな杉や欅の大木群が、月明かりさえ遮っている。
兄貴や松下が仮に僕を迎えに来てくれたとしても・・・道路添いに僕の姿はない。
(とにかく早く境内を抜けよう)
ズキン、ズキンと地に足が着く毎に脈を打つ右足をかばいながら、
僕は300m程先の東門に向かっていた。
「駿君、7時まで教えてたみたいよ。今、バイト先に電話入れたの。
先方のお母様が帰宅なさるのとタッチの差で、先に歩いて帰ったって」
瑞生さんはそう言いながら、既に全員が集まっている玄関先に姿を見せた。
「・・・ということは、あいつ途中でバテてるな。もう着いてもいい頃だろう」
兄貴が答える。
「・・・ったく、何やってんだよ、駿のやつ!もう7時半だぜ」
呆れ顔の松下は腕時計の針ばかり気にしている。
「駿、何かあったのかなあ・・・弥生・・・」
明日香は弥生を気遣っていた。
当の弥生は・・・闇にその視界を遮られながらも車のヘッドライトが歩道を照らす度
に、そこに僕の姿を探し求め、ただひたすら待ち焦がれていた。
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