−* LOCUS OF LOVE *− −Vol.4−
4階の踊り場にたどり着き、僕と明日香が耳にしたのは、ショパンのノクターンで はなかった。それは、弥生の大好きな女優、Bette Midlerが歌う「The Gift Of Love」というバラードだった。僕はこの曲を聞いて、彼女は案外平静でいるのではないかと思った。
Bette Midlerを聞いている時の彼女は、いつも幸せそうな顔をしていた から・・・そう、今、扉の向こうにいる彼女が、僕の知っている、昨日までの弥生で あれば・・・の話だが。
明日香がスタジオの扉を4回、小刻みにノックした。
「あ、サンキュ、重かったでしょ?」
クラウンの英和&和英辞典に、物理の参考書、数Vの問題集に、リーダーの教科書・ ・・etc・・・。明日の模試に備えて、勉学グッズがたっぷりと詰まった自分のデイ・バッグを、明日 香は予備校からここまで、僕に持たせていた。
「あ、はい・・・。」
右肩に掛けていたデイ・バッグを彼女に手渡しながら、自分のリュックと合わせて? Kgだったのだろうかと、僕はその時、頭の中で自分が持っていた荷物の推定重量を 計算していた。
(・・・・・・・。)
扉の向こうのBette Midlerの歌声が、わずかに小さくなった・・・・。
明日香は僕に目配せして、ダンス・スタジオのドアを開けた。
カチャ、ギーッ。
「やよいーっ、駿連れてきたよー。」
明日香は再び僕の左腕を強引に引っ張り、スタジオの中へ引きずり込んだ。
「駿?・・・」
ポータブルCDの前に立っている弥生は、既に私服だった。サーモン色のタンクトッ プに、ミニのGスカをはいている。しかし、足元はまだトゥ・シューズで、髪もシニ ョンのままだった。
「もう帰ろうと思ってたの。今更リキいれても、しょうがないし・・・。 それに、夕 方の大きな虹ずーっと見てたら、いつの間にか踊る時間なくなっちゃった・・・。」
(弥生も見てたんだ!)
僕は、彼女の白く長い指がCDデッキに伸びて、Bette MidlerをCDケ ースに収める様を見ながら、訳もなく微笑んでいた。
「やーだ、駿、何ニヤケてるの?いやらしい・・・」
明日香は、空かさず僕に問いただす。
「弥生も虹見てたのが嬉しいんでしょう?違う?」
「・・・。」
(全く、この橘明日香という女は、デリカシーというものを持ち合わせているのだろ うか?)
「弥生、ヨーグルト買ってきたけど、食べる? 駿がクランベリーだってきかないの よ! クランベリーって、ちょっとクセがあるじゃない? 嫌いな人も多いと思うん だけど・・・食べれる?」
「・・・。」
(僕がクランベリーを選んだ時は、サスガ、と誉めてくれた人が・・・。)
弥生はにっこり笑って、明日香の差し出したクランベリーヨーグルトを手にした。
「あのね、私も種類によるんだ・・・あ、ここのメーカーのなら、大好き!」
(ほうら、みろ!)
僕は心の中で呟くことは出来たが、明日香の前でそれを声にすることは出来なかった 。
「あ、そうそう、和輝、Jリーグのスカウト、蹴ったんだって?」
「・・・。」
明日香はやっぱりデリカシーがない。弥生にとって、和輝の身体問題は、明日の自分のオーディションよりも気がかりなテーマのはずだった。
「私もまだ、詳しいことは聞いてないの。駿、聞いてる?」
弥生はその時、クランベリーシロップをヨーグルトにかけ、付属のスプーンで、ベリ ーが潰れるほどぐちゃぐちゃにかき混ぜていた。
「いや・・・別に・・・。」
和輝は僕の友人ではあるが、親友ではなかった。まして、あいつは今僕の大事な弥生を、一人占めしている・・・。あいつに対する僕の劣等感は、この夏、日増しに募っていた。あいつは僕と比較する ことさえバカらしいほどのスポーツマンで、校内のヒーローだった。
そう、プリマを目指す弥生とは、ベスト・カップル、という訳だ。
僕は・・・僕は18年間、いや、物心がついてからという設定だとすると、約15年間 、弥生一人を愛していた。そして、その想いは、彼女に伝わる術もなく、現在も継続されている・・・。
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