−* LOCUS OF LOVE *−   −Vol.39−



3年生は既に自由登校になっていたが、弥生は既にモスクワへの留学が決定していたので、 卒業アルバム作成委員として毎日登校し、忙しい日々を送っていた。僕はトータルで7校の医学部を受験することになっており、 第一志望校を残し、既に6校の受験を終了していた。6校中、結果が出ているのは4校で、 内2校に無事合格していた。受験日の前夜には弥生が必ず電話を掛けてきて、激励してくれた。 しかし、心配性の彼女は試験日の晩や合格発表当日には、決して電話をくれなかった。 僕からの連絡をただひたすら電話の前で待っていたようだ。彼女はひとりで家に居る時は、 クラシックをBGMに流していて、時々ステップを踏んだりして自分の世界に入ってしまうことが多く、 電話のコールが彼女の耳に届くのはいつも遅かった。しかしこの時は、2コール目で確実に彼女の声が聞けたし、 クラシックのBGMも聞こえて来なかった。

 第一志望校の受験を明後日に控えていた晩、松下がひょっこりやって来た。
「これ、お袋から。あの人何考えてんだか。息子だって一応受験生だっつーのに (駿君に渡してえ)だとよ。ホラ、うちのお袋、お前のファンだからさ」
そう言いながら松下が僕に差し出したのは、北野神社のお守りだった。
「あの人、息子の試験日とか全然聞かずに冬の京都とか旅行しちゃう人なんだよね。 らしいだろ」
松下は既に全試験の日程を終了していたが、結果の出ているところは全て不合格だった。
「明後日がお前にとっても俺にとっても運命の日になる訳だ。まあ、お前は大丈夫だろうな、 今までがんばってきたもんな。俺みてえに運任せな生き方してねえもんな」
「何だよそれ」
松下にとって、最後の合格発表が明後日だった。松下の話を聞いていて、 僕は急に明日香のことが気になった。
「明日香どうしてる?予備校にも顔見せてないみたいだけど」
「あー、あいつ、弥生と違って本番に弱いんだよな。本命滑って落ち込んでるよ。ま あ、あと2校残ってるから気を取り直してくれればいいんだけど」
「だめだったの?うっそだろ。明日香が受かんなくて、一体どの面下げたヤツが受かったって言うの?」
共に予備校通いをし、戦友のような存在だった明日香の苦戦している姿を想像して、 僕はたまらなくなった。
「そうだろ、そう思うだろ。その言葉、明日香に聞かせてやりてえよ」
「明日香、あと2校って試験日いつ?」
「明日と明後日」
「えっ?」
「な、明日はともかく、明後日に運命感じるだろ」
松下はそう言ってコーヒーを飲み干した。
「ごちそうさん。もう帰るわ。お前、まだ試験残ってるしな。俺はもう済んじまったからどうしようもねえけど、 お前は明後日がんばれよ」
「ああ、サンキュ」
それから松下はベージュのマフラーを巻き、更にダウンジャケットの襟を立てて、 冬将軍の中を帰って行った。

 受験最終日、自分としては何とか健闘した自信があった僕は、試験会場から真っ直ぐ弥生の家に向った。 僕は翌日久しぶりに登校する予定だったので、弥生には夜電話で試験の出来を報告すればいい事になっていた。 しかし、結果はどうあれ、全過程の試験日程が終了した喜びを、弥生と共に分かち合いたかった。 彼女の笑顔が見たかったのだ。

(ピンポーン)
時刻は既に夕方6時を回っていた。辺りはすっかり夜景色で、2月の寒空に星さえも姿を見せてはいなかった。
(ピンポーン)
一度目の呼び鈴が弥生に聞こえないのはいつものことなので、僕は5つ指折り数えてからもう一度、 扉の中央にあるライオンの鼻に見立てた呼び鈴を押した。
「はい・・・」
そう言って玄関の扉を開けてくれたのは瑞生さんだった。彼女の様子がいつもと違っていた。 僕の顔を見るなり、一瞬戸惑ったような素振りを見せた。
「あれ?今夜は・・・日勤じゃなかったんですか?それとも、早退なさったとか・・・」
僕は弥生から瑞生さんの勤務形態を電話で毎晩つぶさに聞いていたので、 家に居るのは弥生ひとりだと思っていた。
「ん?うん。ちょっとね、用事があったもんだから友達に勤務代わってもらったの」
「あ、そうなんですか」
瑞生さんはいつもならすぐに家に招き入れてくれるハズなのに、今日は僕と視線すら合わせようとせず、 やはりいつもの瑞生さんではなかった。
「あの・・・弥生・・・」
「あ、弥生ね、うん、今ね、そう・・弥生・・・」
瑞生さんは何度も振り返って、玄関から真っ直ぐ突き当たったところにある弥生の角部屋に視線を送った。
「いるんですか?」
僕は彼女の部屋を指差して、瑞生さんに招き入れてもらうのを待っていた。
「あーっ・・・・ごめん、あのね、ちょっと、弥生、具合が悪いのよ」
「えっ?」
「ごめんね。今、寝てるの。熱あって・・・。39度かな。風邪引いたみたいよ」
瑞生さんのウソは、弥生のそれよりも明解である。 玄関先では容赦無く乾燥した冷たい空気が部屋に流れ込んできているのに、 彼女は動揺してうっすらと額に汗が滲んでいた。
「・・・・。」
僕は瑞生さんの様子をしばらく黙って観察することにした。
「な、何?あ、駿君、今日の試験、どうだった?今日が本命だったんでしょう? 弥生もすっごく気にしてて、麻酔の時も・・・あっ・・・」
瑞生さんは慌てて口を押さえた。
「麻酔?」
「あ、うん、ちょっとね、怪我したのよ。それでね・・・」

僕は瑞生さんがまだ全部を語り終える前に、既に靴を脱ぎ、角部屋に向っていた。
僕は興奮していてあまりにも強くその扉を開けてしまったために、 それはかなりの音を立てて内側の壁を叩いた。
しかし、その雑音に身じろぎもせず、ベッドには弥生がこちらに背を向けて横たわっ ていた。                  



Vol.40に続く

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