−* LOCUS OF LOVE *− −Vol.100−
その人の髪はシニョンだった。
パール・オーガンジーのジャケットから透けるジョーゼットのタイトなドレスは、傍らの紫陽花と同系色のブルーミントで、僕はこの瞬間を待ちに待っていたにも関わらず、その人がすぐそこに立っている事が不思議でならなかった。
後ろ姿に魅せられて、僕は身動きが取れなかった。
その人は本当に、僕と愛し合ったその人自身なのだろうか?
風景画の中のリムジンが消えた後、その人はそのまましばらくトウモロコシ畑からの薫風に吹かれていた。
そして突然、何の前触れもなくこちらに振り返り、それと同時にその人の伏し目がちな目は次第にその視界を広げていき、遂に僕と目を合わせた。
(・・・・・・・・・・。)
その瞬間、‘その人’は弥生になった。 弥生が僕に向かってゆっくり歩いてくる。花嫁のブーケを携えて。
そうしてゆっくりと、ゆっくりと、一段一段踏みしめながら、礼拝堂の石段を昇ってくる。
最上段の僕のところに辿り着き、彼女は言った。
「ごめんなさい」
うつむいて・・・・・黙ってしまった。退院時はまだ頬のあたりがふっくらしていたのに、久しぶりに目の前で見る彼女の頬は以前よりこけていて、顎も削がれたような気がする。
「どうしたの?何かあった?」
「・・・・・・・・・・。」
「言わなきゃわかんないだろ?電話ではあんなに話してくれるのに・・・・。言ってごらん?怒んないから。・・・・・やっぱり乗り遅れた?」
「・・・・ううん。出掛けに、お姉ちゃんから連絡もらったの。予定日が過ぎたから、まだお産の兆候は全然ないけど、今日検診のあと、用心の為にそのまま信さんの病院に入院する、って。『来なくていい』って言われたんだけど、私、ちょっと心配になって・・・・・・。まだ時間に余裕もあったし、ほんのちょっとの途中下車なら結婚式には間に合うと思ったの。病院に寄って、産婦人科の待合室でお姉ちゃんの元気そうな顔見て、安心して・・・・。それでおしゃべりしすぎちゃって。慌てて駅に戻って電車に飛び乗ったのよ。でも特急の到着がちょっぴり遅れて、そうしたら今度は、ここの駅前でなかなかタクシーが捕まらなくて・・・・。ごめんなさい。二人が新婚旅行から帰ってきたら、ちゃんと謝ります」
弥生はそう言い終えると、またうつむいてしまった。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・駿?」
僕が何の返事もしなかったので、弥生は恐る恐る顔を上げた。そして、そこに僕の笑顔を発見し、ほっとしたらしい彼女は白い歯を見せて笑ってくれた。
「もっと頭使えよ。何で電車乗る前に俺の携帯に電話よこさないんだよ。わかってりゃ、ここの駅まで車で迎えに出てやったのに」
「ごめんなさい。これからは気を付けます」
僕は少々口が過ぎたかもしれなくて、彼女の返答に内心ビクついていたのに、弥生はあっさりと自分の非を認め、その表情にも反省の色が伺える。
「弥生・・・・・。あ、いや、あの・・・・ちょっと俺、言いすぎた。ごめん」
弥生はそう言われて、不思議そうな眼差しを僕に向けた。
「駿の言う事はもっともよ。言い過ぎなんかじゃないわ。駿の方こそ、私に遠慮しないで何でも言って。もしそれでけんかになっても・・・・・萌がきっと私達の仲を取り持ってくれるわ」
「はははは・・・・・。そうだね」
「ふふふふふ・・・・・。あ、ここね?礼拝堂」
弥生はそう言いながら、まだ片側だけ開かれている扉から中を覗き込んだ。
「うん・・・・。あ、結婚式、もうちょっと落ち着いたら俺たちもしような」
「・・・・・・・。それって、何?」
弥生は扉に右手をかけたまま僕に振り返った。
「何って・・・・」
「プロポーズ?」
「・・・・・そう取ってくれていいよ」
「嫌よ。気に入らないわ、そういう言い方」
弥生は急に怒り出して僕を睨み、プイと正面を向くと、そのまま礼拝堂の中にひとりで入って行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待てよ」 僕らはバージンロードの出発点に、二人並んで立っていた。朱色の絨毯が聖壇までまっすぐに続いている。外気温との格差は1−2℃はあるだろう。何となくひんやりと、そして人気もなく、静寂の中に重厚な空気が漂っている。
自分の手にブーケがあることを忘れていたらしく、弥生はふっとそれに気づき、こう言った。
「ね、駿。バージンロード、今一緒に歩いてくれる?」
「えっ?・・・・・何でだよ。普通、新郎は向こうの聖壇で新婦を待つんだぞ。それに・・・・俺は弥生とじゃなくて、萌を連れて歩くよ。まだ・・・・考えたくないけど」
「ふふふふ・・・・。そうね、いつか・・・・萌もここを歩く時が来るのかもね」
「『来るのかもね』、って・・・・。結婚はして欲しいだろ?親としては。だから、まだ考えたくないけど」
「ふふふ・・・・・・。私はね、白無垢着たいの。だから、場所は神社がいい」
「神社?」
「あっ、そんな大きな声出しちゃだめよ。ここは教会なんだから」
「そうか・・・・。ごめん」
「ふふふっ・・・。神主さんが、萌の命名をして下さったでしょ?それに・・・・・私達にとって、あそこには思い出がいっぱい詰まってる」
「・・・・・・うん」
「ホラ!だから今は私を萌だと思ってリハーサルよ」
弥生はそう言って、僕の左腕を取った。
「・・・・おい、何年後のリハーサルなんだよ」
「いいじゃないの・・・・。いくわよ」 聖壇上の天窓のステンドグラスには、キリスト像と、神の平安と聖霊を象徴するハトが描かれている。僕らは聖壇に辿り着いても、そのステンドグラスの精彩な迫力に圧倒され、しばらく沈黙が続いた。
ふと、お互いの存在が気になって、僕らは顔を見合わせた。しかし何となく照れ臭くて、僕はすぐまたステンドグラスのキリスト像を見上げてしまった。
「明日香たちの宣誓って・・・・日本語だった?」
弥生が思い付いたようにそう言った。
「ああ・・・・・そうだね。うん、日本語だった。なんて言ってたかな?・・・・・覚えてないや。『約束します』とかって言ってたような気がするな・・・・・。あ、英文なら知ってるよ。学生時代に留学生からお祈りの本のコピー貰って読んだことある。文語が多くて、結構辞書引いたんだ。あの頃は覚えてたんだけど・・・・。えーっとね。ちょっと・・・言ってみるよ。
“I‘Syun Saeki’do take thee‘Yayoi Hayasaka’
to be my lawful wedded wife; to have and to hold from this day forward, for better for worse, for richer for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish till death us do part; and thereto I plight thee my troth.”」
あまり自信はなかったのだが、ステンドグラスのキリスト像を見上げて言ったら、何故か空で最後まで言えてしまった。
「私も言ってみていい?」
弥生が言った。
「・・・・・いいよ」
「“I‘Yayoi Hayasaka’do take thee‘Syun Saeki’
to be my lawful wedded husband; to have and to hold from this day forward, for better for worse, for richer for poorer, in sickness and in health, to love and to cherish till death us do part; and thereto I plight thee my troth.”」
「・・・・・完璧じゃん」
僕は驚いて弥生を見た。そう言えば、僕が弥生の英語を耳にしたのは高校時代以来のことだ。
「ふふふふ・・・・・。私、異邦人としての生活が長かったから」
笑いながらそう言ったが、弥生の表情には哀愁が満ちていた。
「弥生・・・・」
「ね、あの二人、キスした?」
愁いていたのは一瞬で、弥生は急にトーンを上げて、今度は嬉しそうにそう言った。
「いや・・・・しなかったな」
「普通しないの?」
「うん。多分、しないんじゃない?日本では」
「そうなんだ。ふっ・・・。あの二人『見詰め合った事ない』って、明日香そう言ってたけど、ほんとかしら?」
「はははは・・・・。まんざら嘘じゃないかもな」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
お互いの顔から何時の間にか笑みが消えていて、そして沈黙が続いた。
ステンドグラスから目を外した僕は弥生を見た。すると彼女も僕を見ていて・・・・・そして僕らは向き合った。
外界から一線を画した神の聖域に、僕らは二人きりで立っていた。パイプオルガンの旋律も、独唱もない静寂な時を、今僕らは共有している。
特急電車とも、Delivery Roomとも違うこの神が宿る空間で、僕らは黙って見詰め合っている。二人の心が昇華され、次第にピュアになっていく感覚を、僕らは同時に味わっていた。
神が放った光を、天窓のキリストが受け止めている。それは微妙に屈折し、光のプリズムシャワーを僕ら二人は今全身に浴びている。 言葉はもう、要らなかった。
二人の距離に虹橋がかかり、互いに吸い寄せられ、そうして僕らは唇を重ねた。
幾千日の日々を共に学び、歌い、笑い、愛し合った。そして、逢うことさえ叶わなかった幾千夜の辛く、苦しく、切ない日々をも重ね、それでもお互いの存在を求め合った。僕らはやっと今、本当にひとつになれた喜びをかみ締めていた。 「行こうか。萌を迎えに」
「はい」
弥生の潤んだ瞳には‘弥生の虹’ではなく、それは紛れもない僕自身が映っていた。もう、僕らの瞳の中に虹はない。僕らの虹は今、新しい生命の、けがれのない瞳の中に宿ろうとしていた。何時の日か、あの生涯で最大級の虹が、その瞳に新たに映し出された時、再び愛の軌跡は弧を画き始めるだろう。 僕らの瞳から虹が消えたこの日・・・・・萌の澄んだ瞳が初めて僕と弥生の顔を捉え、そうして無垢な微笑を浮かべた。
僕は、いや、僕と弥生は・・・・・萌?
僕らは他に何も欲しくない。 −『どうしても君がいい』− −The end.− Special thanks to “tomoko” and “Takuya Kimura”. By.....Khanom |