-LOCUS OF LOVE あの夏の日’98-


Vol.9



 
 
 駿のぬくもりに長く包まれていたせいだろうか。彼の腕から離れた私は初夏だというのに少しだけ肌寒さを感じた。なんとなくわびしくて、なんとなく物悲しい気分の朝だった。

 ダイニングに味噌汁の香りが洩れてきた。不思議に思い、慌ててカウンター奥のキッチンに向かう。そこにいた黒いワンピースにエプロン姿の女性は私の気配を素早く感じ取ったようだ。振り向きざま、笑顔を見せた。
「おはよう」
「明日香…どうしたの?」
「ん?この格好見てよ、葬式手伝いに決まってるでしょ。結婚した時後輩の子に貰ったエプロンドレスなんだけど、似合う?メルヘンチックだから私らしくないでしょ。白はこれしか手持ちがなくて…。ちょっと恥ずかしいわねぇ」
「似合うわよ…けど、どうしたの?ここで何してるの」
 自分のキッチンを朝から明日香に占拠され、私はすっかり居場所を失った。
「早く来すぎちゃったから、朝ご飯の用意してたの。弥生、もうちょっと休んでてよかったのに。…あ、勝手に冷蔵庫とにらめっこさせてもらったわよ。あれ?佐伯家の朝は早坂家とおんなじでほんとはパンとコーヒーなのかな?」
「特に決まってないわ」
「そう?今朝は和食よ。なんてったって私が作るモンだから味の保証はしないわよ、あっははははは…。あ、今まだ母屋にいるんだけど亨もここで朝ご飯いただいていいかな。おばさまに母屋で食べるように誘われてるんだけど、佐伯家のお堅い親戚と並んで難しい話しながら食事するのイヤみたいなのよ。亨のことだから、気の合った駿の従兄弟何人かこっちに引き連れて来るかもしれないけど。若者は若者同士、ってことで…ねっ、いいでしょ?」
「そうだわお客様の朝食!私、お母様手伝って来ないと…」
 まだ多少夢見ごこちだったが、成すべき仕事を思い出しやっと我に返った。
「あ、大丈夫!うちの母親が行ってるから」
 味噌汁にでも散らすつもりなのだろうか。三つ葉を刻む手も休めず明日香は平然と言った。
「えっ?」
「弥生はここで、もうちょっとゆっくりしてていいのよ」
「ゆっくりって…そうもしていられないわ。駿はもうむこうだし…」
「え?あ、そう。もう行ったんだ。…そりゃぁ駿は喪主だから、ご親戚や近所の手前、そう長いこと遺体の前を離れてるわけにはいかないわよ」
「そうよ。だから私だって…」
「弥生はもうちょっと落ち付いてからにしなさい、って。朝ご飯こっちでしっかり食べて、心にゆとり持って、キレイな顔で行きなさいよ。今日はあんた、誰よりも注目の的でしょうから」
 明日香はやっと私と顔を合わせ、意味ありげに微笑んだ。
「どうして?キレイな顔だなんて…お葬式なのに…」
「ホラ、あんた達披露宴してないでしょ。弥生にとって、公には今日が佐伯家の嫁デビューってことになるのよ。夕べのお通夜でもそうだったみたいだけど、悲しみの席でも参列者は駿のお嫁さんに興味津々なのよ。だからあんたは今日、出来るだけキレイでいなきゃいけないのっ!わかったらもう少しここで息ついて、顔色マシにしてからいきなさいって。駿に心配かけたくなかったら、眼の下の隈もちゃんと隠していくのよ」
 素早く近づき、明日香は人差し指で私の眼の下を指して見せた。
「心配って…明日香、駿になんか聞いてるの?」
「ん、どうして?なんにも聞いてないよ。…あ、それより今朝ここにお邪魔した時ね、偶然見かけちゃった。あんたたちのラブシーン。悪いから声はかけなかったけど」
 いともあっさりした口調に私の方が驚いてしまった。
「へっ?」
「きゃっはははは…初めて見ちゃったぁ。見てるこっちが恥ずかしくなっちゃったわ」
 「・・・。」
 明日香は一体どのシーンを目撃したのだろう。気にはなるが羞恥心が先に立ち、問いただせなかった。
「でも…弥生抱き締めてる時の駿、思いつめた顔してた。…いろんなこと、内に秘めてる感じ…」
「いろんなこと?」
「うん。口には出せないいろんなこと」
「私にも言えないこと?」
「うん、多分ね。…あ、マンゴーティ煎れていい?」
 コンロに戻る途中大好きなマンゴーティの木箱を電気ポットの脇に見つけ、明日香はご満悦だ。
「いいわよ。…ね、明日香はどうしてわかるの?私ももっとわかりたい。駿の気持ち…」
「悪いけど、駿とは私の方が付き合い長いんだよ。あんた達の空白の時間にも私は駿のそばにいた。アイツが何か問題抱えてたり心痛めてたりすると、今でも雰囲気や顔色でわかる。わかっても、こうやって気を揉むだけだけどね。当然だけど、今じゃ社会的立場とか責任の重さなんかは、駿と私じゃ比較にもならなくなっちゃったから。私はもう、駿の相談相手としては役不足。ただひとつ…あんたに関する悩みなら一生相談に乗っていけると思ってるんだけど」
「明日香…」
「聞いても話してくれないと思う。弥生に関することって、駿にとってはもう夫婦間の問題だからね。あたしの出る幕じゃないんだよ」
 ため息混じりに呟いた。

「ひとつ注文していい?」
 明日香はガラスの収納ケースから紅茶ポットを取り出し、お湯を注ぎ入れている。間を置いてからの、うつむいたままの発言が思わせぶりで、何事かと不安が過ぎった。
「…なに?」
「駿…今相当萎んでるのに、へこたれないでがんばっていられるのは他の誰でもない、弥生がいるからなんだよ。いろいろあるから仕方ないんだけど…結婚してからの弥生は想像以上に危なっかしい。それがアイツにとってはかえって刺激になってるのかもしれないけど、辛いくせに愚痴こぼさない今のあんたの子守りはメグより厄介だと思うよ。…こんな一大事にはさ、確かに気丈でいなきゃいけない。でも駿の前では素直で、キレイでいなよ、昔の弥生みたいに…」
「…明日香」
「喪服のオンナはキレイに見えるって言うでしょ。世間ってそういうところ見てるモンなんだよね。喪服が映えるようにうまいこと化粧して、もう少し見られる顔にしておいでよ。…っと、おかずは卵焼きとさけの塩焼きでいいよね?焼けたかな…」
 明日香がガステーブルを開けた途端に香ばしい匂いがあたり一面にたち込めた。鮭の切り身にはちょうどいい加減で焦げ目がついている。
「うん。…私、明日香にもたくさん心配かけてるね…」
「四九日だ、百か日だ、一周忌だって、これからもなんだかんだ落ちつかなくて大変だよ。どんな時にも、弥生にはそれなりに元気でいて欲しい。親友として、出来る限りバックアップするから。弥生が元気なら駿も亨もご機嫌だしね。つまり、二人から不機嫌の煽りを食わないで済むから私自身のためにもなるってことよね、あっはははは…」
 フライ返しとさい箸を使って、明日香は一切れずつ丁寧に鮭を裏返している。
「私、なんだか頭の回転が鈍ってて、今は自分の判断力に自信がないの。お言葉に甘えて明日香の言う通りにさせてもらうわ」
「うん、そうしときなさい。悪いようにはしないから。あっははははは…。今はまだ無理だろうけど、一日も早くこういうバカ笑いにつられて頂戴ね。あっはははは…」
 屈託なく笑う明日香に、私ははっとした。
「・・・。」
「どうした?」
「あ…うん。同じことを昔…ううん、駿も…駿もまだ笑ってくれないから…」
「それは仕方ないよ。駿はまだまだ笑えないって。…まずは弥生が笑わないとね」
「…うん」
「な〜んて、お葬式の日にバカ笑いしてるなんて不謹慎ね、ごめんごめん」
 明日香はフライ返しを顔の前に立てて頭を下げた。
「・・・。」
「弥生?」
「…昔、私愛想悪くて…笑えなくて…」
「えっ?」
「あ…ううん、なんでもない。私はもう…きっと大丈夫」
 自分に言い聞かせるように呟いた。

「弥生…」
 自然に笑顔が浮かんでいた。明日香は一瞬驚いたようだが、ほっとした様子で私に微笑を返してくれた。


 





-To be continued.-





Vol.10へ

『LOCUS OF LOVE』INDEXへ


annex