-LOCUS OF LOVE あの夏の日’98-


Vol.1





 久しぶりに駿の笑顔を見た。
亨に向けられたその微笑を横取りしたくて、私は彼から目を逸らさずにいた。
「なに?」
 視線を感じた駿は笑顔の余韻をのぞかせながら、やっと私を見つめてくれた。
「ん?ううん…。もう…夏も終わりね」
 言った途端消えてしまった。駿の笑顔が…。
「…ああ、いろいろあったね、この夏は…」
「…うん」
 たちまち後悔した。
(言わなきゃよかった。もう少しあなたの笑顔を見ていたかった。やっと浮かんだ微笑なのに…。)
 また、亨が得意のジョークを飛ばした。
 再び見せた駿の笑顔は、底抜けだった先程に比べて心なしか弱々しい。
(思い出させちゃったかな…。)
 気が咎めて、もう駿を凝視出来ない。私はテラスの向こうに群れる背の低いひまわりたちに目を移した。黄色い花弁のフレームの中にまぁるいスクリーンが浮かぶ。モノクロのカウントダウンを経て【私たちの夏】が上映を始めた。夏の陽はいつしか輝きを和らげ、映像は次第に色を増していく。最初のシーンは屈託のない駿の笑顔だった。
(そうか…。駿、夏の初めは笑ってたんだ…。)
 急に目頭が熱くなり、私は思わず目を閉じた。



  悪夢を見続けていた。いや'悪'ではない。私にとって、それは不思議なほど心地よい夢だ。覚めることを拒みたくなるほどの、現実世界では決して得ることのない快楽に似た開放感を毎夜味わっていた。しかし繰り返される夢は、いつしか潜在意識の中で'悪夢'に変わっていたのだった。

「お帰りなさい」
 いつものように帰宅の遅い駿をリビングで出迎えた。
「また起きてたの?先に休んでろ、って電話したろ」
「うん。さっきまで休んでたのよ。でも…ふと目が覚めちゃって…。お風呂にする?」
「あ、ビールくれる?…新しい寝床にまだ慣れない?」
 ダイニングテーブルを挟み、向かい合った駿のジョッキにビールを注ぐ。
「そんなことないわ。新しい寝室もベッドもお気に入りよ。駿が戻ってないと心細くて…熟睡出来ないだけよ、きっと」
「そんな風に言ってもらえるのは光栄だけど…今夜も顔色悪いぞ。寝不足だろ。…少し飲むか?」
 もうひとつ、私の分のジョッキを取りに行こうと立ちあがった駿を慌てて制した。
「ううん、いい。…大丈夫よ。お父様やお母様には顰蹙だと思うけど、メグと一緒にお昼寝してるもの」
「…ならいいけど。いつも言ってるけど無理はするなよ。ふっ…何度言っても無駄なのはわかってるけどね」
「駿…」
 ジョッキに口をつけたかと思うと、駿は一気に一杯目を飲み干した。
「ふーっ…。二世帯住宅にしたのになんで弥生の気苦労は緩和されないんだろうね」
「・・・。」
 私は黙って再びジョッキにビールを注ぎ始めた。駿は一度離したジョッキを慌てて掴み、私に向けて傾けた。
「あ、怒ってるわけじゃないよ」
「うん。でも…がっかりしてるんでしょ。新しいおうちになったのに、私がいまだに冴えないから」
「'冴えない'って自分で思ってるの?」
「…うん。ごめんなさい」
 駿は注ぎ足されたビールをすぐには口にせず、先程スラックスから取り出しテーブルの隅に置いたラッキーストライクに手を伸ばした。
「謝ることじゃないよ。だけど…何か心因あるんじゃないのか?自分を'冴えない'って思う理由。不眠症なのもそのせいだろ。なんか…俺に黙ってることない?」
 煙草に火をつけ横にひとつ煙を吐くと、駿は私を直視した。
「ないわよ。お互い、隠し事では苦い思い出あるでしょ。もう懲りてる。駿に内緒のことなんてないわ」
「そう。わかってるだろうけど、俺の仕事が忙しいから、迷惑かけたくないから黙ってる、っていう水臭いのだけはよしてくれよ」
「うん」
 それからしばらく、駿は私から目を逸らさなかった。恥ずかしくて伏目がちにしていると、いきなり声を張り上げた。
「夏休み、兄貴んとことキャンプにでも行くか!」
 珍しい大声とすっかり諦めていたバケーションの提案に、私は驚いて顔を上げた。たちまち駿の笑顔が目に飛び込む。
「お休み取れるの?」
「取れないけど取っちゃうのっ!」
 言葉に力が入っていた。
「え?」
「あっはははは。2、3日連休…なんとかするよ。メグと遊びたいしね。父親の顔忘れられてるんじゃ情けない」
(無理しなくていいのよ。私よりあなたの方が余程疲れてるんだから、お休みが取れるならゆっくり休息を…)
 そう思いつつ、柔らかく微笑んでくれた駿の笑顔を崩したくなくて、私は黙って頷いていた。






-To be continued.-




Vol2

『LOCUS OF LOVE』INDEXへ


annex