ひとりしずか

2002.2.9

筋肉年齢

 昨年の12月27日のNHK BS2の番組 「ためしてガッテン」で「寝たきり予防! 簡単筋トレ術 」という放送がありました。 これは再放送で、NHK総合では11月21日に放映されたそうですが、わたしはBS2の方を見たのです。

 歳を取ると足から衰えてくると、よく申します。 それではトレーニングして鍛えようなんて、考えるだけはしますが、トレーニングは続けなければ効果がないし、しかし、続けられないというのが、わたしのような弱い人間のサガです。

 ところが、「寝たきり予防! 簡単筋トレ術 」では、トレーニング法は簡単で、しかも誰でも続けられるというのです。 (詳しい話は http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2001q4/20011121.html で、ご覧下さい)

 んじゃまあ、とにかくその番組を観るだけはみてみようと、最後まで観て、筋トレもやってみました。 それから、ひと月以上が過ぎましたが、トレーニングはずっと続いています。

 じゃあ、その筋トレ法とはどんなものかといいますと、ポイントの一つは、筋力を測定してその値を筋肉年齢に換算するというものです。 トレーニングして筋力がアップしてくると、筋力年齢が若返るので、トレーニングの励みになるというわけです。

 その筋力年齢の測定法もトレーニング法も、使う道具は椅子で、測定用にだけ秒針の付いた時計が必要です。 その椅子ですが、キャスターが付いていて動きやすいものはダメです。 また、倒れやすいそうなものも危ないので使わない方がいいでしょう。 

 そうそう、忘れるところでした。 腰やひざを痛めてる人は行わないで下さい。 トレーニングの間隔は週2回か、2日おきが目安です。 その方が、毎日するよりもかえって筋力が付くのです。

 では、まず筋肉年齢の測定法からご紹介しましょう。 椅子に浅く腰掛けます。 足を開きは肩幅程度がいいでしょう。 両手は胸の前で組み合わせます。 手で反動をつけないためです。 その状態から、立ったり座ったりを繰り返します。 30秒間で何回座ったかで筋肉年齢を求めるのです。 30秒の寸前に立ち上がっていたら、それも数に入れます。

 上の筋肉年齢早見表で回数から年齢を求めて下さい。 あなたの今の筋肉年齢は何歳だったでしょうか?

 わたしの筋肉年齢の変化をもう一つの図に示しました。 初めて測定したときは38歳でした。 それから42日目は、なんと、-15歳。 おいおい、生まれる遙か前じゃねえか。

 ところで、筋肉年齢早見表では分からないところは、しょうがないから、男の場合では
     「筋肉年齢」 = 75 - (回数 - 16)*10/3
から求めました。 女性の場合は図から計算式を出してね。

 さて、ではトレーニング法をご紹介しましょう。 これも筋肉年齢の測定法と似ています。 まず、椅子に浅く腰掛けます。 足も肩幅です。 ここでどちらかの足を半歩ほど前に出します。 前に出した足のかかとの線が後ろの足の親指の線になるようにします。 両手は前と同じに胸の前で組みます。 これで、ゆっくりと立ったり座ったりします。 その回数は、筋肉年齢が20代では左右それぞれ12回ずつ、30代では左右それぞれ10回ずつ、40代では左右それぞれ8回ずつとなります。

 では50代以上はと申しますと、この場合は筋肉年齢の測定法とまったく同じ方法です。 その回数は、50代では12回、60代では10回、70代では8回です。

 私の場合は、筋肉年齢が10代になってからはもう少しきつくやってます。 片足を上げて立ったり座ったりしているのです。

 では、皆さんもトレーニングを続けて筋肉年齢を若返らせましょう。 頑張らないで、がんばって。

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2001.11.23

土が水に濡れるとなぜ黒く見えるんだろう?

 畑の黒土なんていいますが、そんな土も乾いているときは、灰色だったり赤茶けたうすい色をしています。でも、濡れると真っ黒に見えます。 なぜでしょう。

 今年の夏、ユニクロで買ったグレーのTシャツを着てテニスをしました。 汗をかいたら濡れたところが真っ黒になって、汗をかいたのがとても目立ちました。 他の人の白いTシャツやテニスウエアの汗はそれほど目立たなかったのに。 なぜでしょう。

 多くのものが濡れると、程度こそ違え濃い色になります。 なぜでしょう。

 以下は、その答です。

 土の中にはいろんな種類の小さな砂粒や有機質が入っています。 その中でも比較的たくさん入っているのが長石の砂粒です。 長石は水晶と同じ二酸化珪素で、大きな結晶は透明です。 この大きな長石の結晶を粉々にして、小さな砂粒にすると真っ白な砂になります。 でもこの砂を水の中に入れてみると、かなり透明に見えます。

 実は、なんでも透明なものを小さく小さくしていくと、白くなってきます。 その白くなったものを水に入れると透明に見えます。 例えば、ガラス。 ガラスを粉々に砕いてやると、白くなるけど、水の中に入れると透明に見えます。

 反対に、例えば砂糖のように白い物。 色の付いた砂糖は、不純物が混じっているから別にして、白い砂糖の大きな結晶は氷砂糖ですね。 透明でしょう。 少し白っぽいのは表面が荒れているからで、表面を磨いたら透明になります。

 ただし、角砂糖が白いのはあれは小さな砂糖粒をまとめて固めただけだから。 中に空気が入っていて、白く見えるんです。

 透明なものを小さくしていくと間に空気の相ができます。 空気と透明物質の密度差は大きいので、小さくなった物質の集まりによって光は乱反射(や全反射)を繰り返します。 そして結局は目の方向に光が散乱してきます。 それで白く見えるわけです。

 でも、このような粒の集まりを水の中に入れると、空気が抜けます。 水と粒の密度差は小さいので、乱反射はしにくくなります。 それで、水の中では透明に見えるわけです。 また、氷砂糖がすこし白っぽいのは表面が荒れているからだといいましたが、表面が荒れていると、やはり光が乱反射するから白く見えるわけですね。

 これで、表題の答の準備ができました。

 砂の中には色の付いた砂や黒い砂もまじっています。 でも、乾いている砂の間にはたくさんの空気が入っていて、長石の砂などの透明物質の粒で白い光が強く反射されます。 それで、乾いているときは白っぽく見えるんです。 砂粒の表面の荒れも白っぽさを強調します。

 でも、水にぬれると、間の空気は少なくなって、白い光はとても小さくなります。 それで、色の付いた砂や黒い砂が目立つようになり、黒っぽく見えるようになるわけです。 砂粒の表面の荒れも、水に濡れると乱反射を起こしにくくなります。

 さて、グレーのTシャツが汗で真っ黒になったのも、同じ理由です。 実はよくみると、このTシャツの生地は白糸と黒糸で編んであったのです。 汗に濡れて白い糸は透明に近くなり、黒糸だけが目立つようになったわけです。

 白いパンツで泳いだら、上がってきたとき中が透けて見えたなんて経験を持ってはいませんか。 白いTシャツで汗を沢山かくと、乳首が透けて見えたりします。

 数年前に白い水着が売り出されました。 それまでは、濡れると透けて見えてしまうから、そういう製品は無かったのです。 でもそのとき売り出された水着は濡れても透き通ることはなかったそうです。 おそらく、濡れても空気の層が抜けないように工夫されていたものと思われます。

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2001.4.3

思いこみ?

 またもや、Sさんに関係した話題ですが。 Sさんがある本の点訳を終え校正に出したところ、校正者から「蝦夷島」の読みを「えぞしま」にするようにとの指摘があったそうです。 ところで、この「蝦夷島」は北海道のことを指しています。

 実は、Sさんはその部分を点訳するときに「えぞがしま」と読むのだろうと思っていたのですが、自信がなかったので、わたしに確認を求めてきました。 わたしは百科事典を調べて「えぞがしま」が正しいことを伝えたので、その読みでSさんは点訳したのでした。

 「えぞしま」にするようにと指摘を受けたSさんは、わたしのとは別の百科事典で調べたところ、やはり「えぞがしま」となっていたそうです。

 となると、校正者が間違っているとしか考えられません。 一般に点訳の校正を担当する人は点訳のベテランで、このような問題ではよく調べ、その上で間違っていたら訂正を促すはずなのですが。 わたしには校正者が何かの「思いこみ」で間違えたとしか思えません。

 *****

 もう、30年ほど前のことですが、あるグループの席で、わたしは自分の名前の由来を披露したことがあります。 「建次郎」の「建」が実はわたしの誕生日(2月11日)の「建国記念日」の「建」であることを。

 わたしは母親から何回もその由来を聞かされていたのだから間違いはありません。 わたしがその話を母から聞かされた頃は、2月11日は平日になっていて、建国記念日なんて名前は付いていませんでしたから、母が作り話をしたわけもありません。

 でも、そのグループの中の一人は、わたしの話が作り話だといってききません。 わたしが生まれた時代には、2月11日は「紀元節」と呼ばれていたのだから、「建国記念日」なんていうのはウソだというのです。 たしかに「紀元節」という方が普通だったかもしれませんが、「建国記念日」とも呼ばれていたのです。

 こういう思いこみは困ったもので、いくら訳を説明しても聞き入れてはくれません。

 ところで、今は「建国記念の日」となって、「の」が入っていますね。

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2001.1.13

地名2.  地名と駅名がちがうよ!

 もう、数ヶ月前のことですが、Sさんから電話がかかってきました。 ある人の点訳をチェックしていたら、東京都中野区の「江古田」を「えこた」と読んでいるが、「えごた」が正しいのではないかという質問です。

 わたしも自信がなかったので、平凡社のDVD−ROM世界大百科事典で調べてみました。 「江古田」単独では出ていませんでしたが、「江古田植物群」という項目がありました。 その江古田付近を流れる妙正寺川の谷間に埋められている植物化石群をいうそうです。 読みは「えごたしょくぶつぐん」です。

 さて、Sさんはさらに中野区役所だったかに電話して、「江古田」が地名では「えごた」、駅名では「えこた」ということをつきとめました。

*****

 わたしは、東京都荒川区尾久町で生まれ育ちました。 今は尾久町は二つに分けられて、西尾久と東尾久になっています。 わたしは東尾久で生まれて、西尾久で育ったのです。

 いずれにせよ、「尾久」は「おぐ」と読みます。 明治生まれの祖母は「おーぐ」と伸ばして発音していました。 かつてそう呼ばれていたのか、祖母が勝手にそう呼んでいたのかは分かりません。

 さて、東北本線を上野から出発して、最初に止まる駅の名前をご存じでしょうか。 鈍行の場合です。

 駅名は「尾久」です。 尾久駅は、実は荒川区ではなく、北区に属していますが、駅から北区側は操車場で、その先は大きな段差の台地になっていて、道がつながっていません。ですから、駅は荒川区西尾久側にだけ開けています。

 それはともかく、駅のプレートには「おく」と書かれています。 車内放送も「おくー、おくー、次はおくに止まります」などといいます。 何か苦しそうで、この放送を聞くのが嫌いでしたが、高校に通う3年間は毎日のように聞かされていました。

*****

 その高校で、あるとき当時の東大総長の茅誠二(お名前の字が違っていたらすみません)先生の講演がありました。 講演の中身は、そのテーマさえ思い出せないほどですが、一つだけ覚えているのは、埼玉県の「熊谷」を国鉄が勝手に「くまがや」にしたのはいけない。 「くまがい」とするべきだ、ということでした。

 確かに、歴史からいっても、「熊谷次郎直実」は「くまがいの じろう なおざね」です。

 最近、地名辞典を見てみたら、「熊谷」市は「くまがや」と振ってありました。 地名はいつごろから「くまがや」に変わったのでしょうか。

******

 ともあれ、同じ漢字を使いながら、地名と駅名で読みが違うのは、点訳者にとって迷惑以外の何ものでもありません。 通常、駅名は地名よりあとからできたのでしょうから、地名とその歴史に敬意を表し、地名と同一にするべきだと思うのですが。

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2001.1.12

地名1.  読みのむずかしい地名

 点訳をやっていて、少しやっかいなのが固有名詞、とくに地名です。 皆さんも、地名をどう読むのか分からなかった経験をお持ちだと思います。

 わたしが以前住んでいた埼玉県浦和市には「道祖土」というところがあります。 「さいど」と読みます。 今、「さいど」で仮名漢字変換したら「道祖土」も候補に入っていました。 最近のFEPにはほとんどの市町村名が入っているようですね。 ですから読みを知っていれば漢字を引き出すことはできますが、逆に漢字で書かれている地名を読むことはできませんね。

 大きな辞書を持っていたところで、どこから引けばいいのか見当がつきません。 ただし、市町村名などに関しては、とても大きな地名辞典があるので、その地名の所在地さえ分かっていれば図書館で調べることができます。

*****

 わたしの点訳の先生のSさんが、点訳を手がけている本の中に「大乗権山」という地名が出てきました。 山の名前は地名辞典に出ていません。

 その山のおおよその所在地は分かっていたので、相談を受けたわたしは、その山のあると思われる市にE-Mailで問い合わせてみました。 しかし、その市からは「分かりません」との返事です。

 それで、Webで「お寺」を検索するページを探し出し、その山のある寺の住所を知ることができました。 さっそく104に電話番号を問い合わせたところ、その住所、およびその名前の寺では電話番号は登録されていないとの返事です。

 やむをえず、前にE-Mailを出した市に、その住所を書いたE-Mailを再び出しました。 そうしたら、「だいじょうごんやま」と読むと返事が来ました。 お寺の山号としては「だいじょうごんさん」と読むとも記されていました。

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2000.12.21

地下埋設は見かけ倒し

 わたしの住んでいる団地は、県の住宅公団が開発・販売しているもので、当初はお隣のつくば市を当て込んで、「学者村」にするつもりだったようです。 つまり、学者と呼ばれる人種以外には売らない方針だったのです。 

 でもバブルがはじけて、それでは売りさばけないところから、わたしが購入した第2期売り出しには、すでに、そんな条件は無くなっていました。

 そんな団地なので、公団では新しい町づくりをしようと張り切ったのでしょうか、電気、電話などは地下埋設にしてあります。 ですから団地には電線というものが見あたりません。 本当のことをいうと、公団の建設資金が足りなくなったためではないかと思うのですが、団地の一部には地下埋設になっていないところもあります。

 さて、問題はケーブルテレビです。 屋外アンテナも美観上よろしくないと判断したのでしょう、テレビアンテナは立ててはいけない決まりになっていまして、その代わり、これも地下埋設のケーブルテレビに、強制的に、加入させられます。 ところが、これで困ったことになっているのです。

   *****

 いま、インターネットは高速化と常時接続の時代に入りつつありますね。 土浦ケーブルテレビも、大手のJ.COMの系統で、常時接続を売り物にインターネットの地域を広げつつあります。 従来のCATVの配線では高速化に対応できないので、新しい配線に付け替えながら地域を拡張しているのです。

 うちの団地もその中に入ったので、申し込みました。 しかし、さんざん待たされたので、電話をこちらからかけて、やっと来てくれた技術者のいうことには、わたしの家の配線を付け替えるのは実際的でないとのことなのです。 多分、工事費用が向こうで設定した金額15,000円では合わないということだと思います。

 地下埋設であるが故に、電気もCATVも、配線は家の外廻りでなく、各戸の門柱の脇にある集合計器板から地下を通り、縁の下から天井裏に行って、そこから分岐しています。 そのため、その更新やメンテナンスがやりにくくなっているようです。

 で、家の配線はそのままで、集合計器板までの工事するというのです。 ただ、それではノイズレベルが問題になるので、そのあとで、接続の「調査」(試験?)をし、それがクリアできたら、インターネットの接続をするということなのです。 そして、この「調査」の費用5,000円は、インターネットの接続が可能であろうと無かろうと、払い込まなければならないというのです。 (ただ、インターネットの接続ができたのなら、工事費は調査費も含んで全部で15,000円でよいようです。)

   *****

 CATVの新しい配線といっても、その速さはまだISDNの約2倍というものです。 一部では家庭でさえ実験されている光ケーブルなら、ISDNの約2,000倍も速いのだそうです。 ですから、これからのIT革命の時代に、配線はたびたび更新されていくかもしれません。

 ところがまだ日本では、家の内部構造が地下埋設に対応していないので、保守性が悪く、我が家では新しいIT革命の時代に乗り遅れそうです。 地下埋設は、単なる見かけの良さでしかなく、時代遅れの遺物となる運命なのです。

   *****

 土浦ケーブルテレビでは、ハイビジョンの配信はしていないので、うちの団地でもBSアンテナは各戸で付けていいことになっています。

 我が家でもBSアンテナを付けていて、しかもCSは見ないので、CATVに加入しているメリットは、屋根の上にVHSアンテナが無いことだけなのです。 それなのに、CATVに強制的に加入させられているために、年間に9,576円(消費税込み)も取られています。

 なんてことだ!!!

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2000.12.11

ひつじ雲浮かぶ秋空いぬとゆく
   ゆんりふぁーふぁりふぁんりゆーふぁー

思いつつ寝ればやひとり旅の宿
   夜半の嵐に山茶花ちりぬ

いつまでも上手くならないテニスする
   健康のためとうそぶきながら

朝日へと霜原蹴って犬走る
   ダイヤモンドダストのわき上がるなか


2000.11.11

 今朝は、わたしにしては珍しく、二首、歌ができました。露と白の歌ばかりですが。

朝露をおく道芝は
   逆光に白き光の孔雀とぞなる

晩秋の白き朝露飲みにしか
   小鳥の声は高く鋭く

以下は、ここ二、三日のうちに詠んだものです。
荻白きことさら白きこの朝は
   秋一番の冷え込みなりし

朝霧に柳の大樹濡れそぼち
   滴るしずくは小さき流れに

天空は曇りたれども
   遠山の初冠雪は黄金に光る

最後の歌は、おととしの晩秋の素晴らしい景色を思い出して詠みました。


2000.11.1

 いつもは2週に1回の割合で短歌の講座があるのですが、先週と今週は連続で講座があるので、宿題の短歌を急いで作らねばなりませんでした。 それを紹介いたします。

我が犬に初潮のときの迫りくれば
   避妊手術に迷い戸惑う
 おゆみがそろそろ初潮を迎える時期になりました。 犬のためには、1回シーズンを迎えてから手術をした方がいいと聞いていますが、子供が産まれては困ります。 でも、子犬のもらい手があれば、できれば1回は子育てを経験させてやりたいとも思います。 しかし、雑種同士の子供では、もらい手は少ないでしょうし。
筑波路にもみじの光さざめくを
   犬走りゆきまた駆けもどる
 これは去年の秋に、マタベーと筑波山に行った時のことを思い出して詠みました。 おゆみは、車に乗せただけで、まだ動いてもいないうちから、よだれを流しはじめます。 精神的な車酔いです。 これでは山へ行けません。 昨年は山に4回も行ったのに(そのうちの3回は、筑波山およびその周辺の山ですが)、おゆみが来てからは、1度も山へ行っていません。
雨あがり一陣の風森を撃ち
   雫の涛やドドドッザザザザーッ

2000.10.26

初めての本点訳の完了

 昨日、初めての本点訳が完了し、水戸の点字図書館に郵送しました。 まだ査読があって、点字書になるのは先のことですが、一段落付いてほっとしました。

 点訳した図書は、「日曜日の夕刊」 重松清著 毎日新聞社刊です。 「サンデー毎日」に連載されていたものを、一部改稿して発行されたもので、読んだことのあるひとも多いでしょう。

 この本は短編の小説集で、現代人の抱えている様々な問題点が描かれています。 恋愛、様々な家庭内問題、自殺、ダイエット、いじめなど、著者の重松清さんは、今一番油の乗り切った作家の一人であるだけに、その内容、構成とも素晴らしく、読み応えのあるものとなっています。

     *****

 短歌講座に参加して

初めての点訳完へし朝なり
   筑波嶺を背に一つ柿の実

朝飯を今日も待ちかね
   犬たちは戯れ吠えて部屋駆け回る

野はなべてアワダチ草の黄の中に
   小さき花群秋桜の紅

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2000.10.18

点訳の規則に関する疑問

 点訳の規則の一つに、次のようなものがあります。

「人名に続く『さん』『様』『君』『殿』『氏(し)あるいは(うじ)』は、人名を浮き出させるために、区切って書く」

たとえば、「鈴木さん」は「すずき さん」とするわけですね。

 でも、これには例外がいくつかあります。

例外1. 「一族を表す氏(うじ)名は続けて書く」

たとえば、蘇我一族をいうときの「蘇我氏」は「そがし」が正しいのであって、「そが し」としてはいけないのです。

例外2. 「短縮形や愛称などの場合は続けて書く」

たとえば、「お釈迦様」は「おしゃかさま」、「花子ちゃん」は「はなこちゃん」と続けます。

例外3. 「普通名詞の後ろは続けて書く」

ほんとうは、この規則は例外ではありません。人名ではないのですから。

例としては、「魚屋さん」は「さかなやさん」でいいのです。

 

 さて、ここでわたしが疑問に思うのは、第1に、子供の場合などの使い方です。

たとえば、男の子なら「たくや くん」と切って、女の子の場合は「はなこちゃん」とつなげるのは、男女差別でしょう。 もちろん、男の子を「ちゃん」で呼ぶことも多いでしょうし、女の子にも、「君」付けすることもありますが、とくに女の子の場合の「君」は、あまり一般的とはいえません。

差別をなくし、統一できないものでしょうか。

 

 第2に、このように例外が多いと、解釈に困る場合がでてくるのです。 その例を示しましょう。

いま、わたしが点訳している本の中に、キャンプ場の話が出てきます。 そのキャンプ場の管理というか指導している人たちは、本名ではなく、「チャーリー」と「リッキー」とか呼んでくれといっています。

このひとたちを、他の人が呼ぶ場合を考えてみてください。「チャーリーさん」か、「チャーリー さん」か、つまり、これを愛称とするかどうかで、間を切るか切らないかが異なってきます。 わたしの点訳を見てくださっているひとに、この場合を尋ねたら、「愛称と考えてつなげてください」とのことでした。

でも、疑問は深まります。 漫画のキャラクター、例えば「さざえさん」はどうなんだろうか? ペンネームや芸名はどうなんでしょうか? とくに、「タモリ」さんは「森田一義」でも出ていますし、この「タモリ」はどう考えるのでしょうか?

最近はハンドルネームなんかもありますね。 いかにも愛称的なハンドルネームをもつひとが多いのですが、中には本名ではないが、ペンネーム的な、愛称とは呼びにくいようなハンドルネームをもつひともいます。

ともかく、いろいろな中間的な場合が出てきて、その解釈は最終的には、各県の点字図書館の点訳担当者などの個人的な解釈に依ってしまうことになります。 ですから、各県でその解釈が異なることもあるのです。

 

こんなことになるのは、例外をやたら付けるからだと、わたしは思います。 なんで、例外がなければいけないのでしょうか。 

もちろん、目の不自由なひとたちが、解釈に困ったり、読みにくい思いをするのは避けなければなりませんが、ここで問題にしている場合に関しては、すべてを「切る」か「切らない」かに統一しても、問題はないのではないでしょうか。

このように書くと、例えば、「そがし」が一族としての「蘇我氏」なのか、個人の「曽我氏」なのか区別できないというひとも、いるかもしれません。

でも、このことは漢字を用いた場合でも、それだけでは区別できないはずです。 常識としては、確かに「曽我氏」は個人と考えられますが、小説の中では、一族の名前でも決しておかしくはありません。 つまり、それが一族名なのか、個人名なのかは、文章の流れから汲み取らなくてはならないのです。 点字で書かれているから判断できないというものではないのです。

 

 ところで、ここで取り上げた「さん」「様」「君」...は、文法では「接尾語」に属します。 そして、点訳の規則では、「接尾語は前の単語に続ける」が、もっとも基本的な規則なのです。

ですから、ここで最初に示した規則、「人名に続く『さん』『様』『君』...は区切って書く」は、実は、例外なのであり、例外1. 2.などは、例外の例外だったのです。

なんと複雑なことでしょう!!!

もっと整理して、簡単で、分かりやすく、読みやすい規則にしてほしいものです。 それが結局、点字を読むひとたちにとっても、いいことなのではないでしょうか。

 まだ点訳駆け出しのわたしが、こんなことをいっていいのか、少々気にはなります。 「多くの実例を通して決められた規則なのだから、それ相応の理由があるのだよ」といわれそうですが、駆け出しだから気が付き、いえることもあると思うのです。 いかがでしょうか?

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 点訳についての予備知識

このページでは、点訳について書くこともありますが、理解を助けるための予備知識として、以下のことだけは頭に入れて置いてください。  まず、誤解を恐れずにいうと、きわめて大ざっぱにいって、点訳をするというのは、漢字の混じった文を、仮名だけの文に変換することだと、思ってください。 

 なぜかというと、通常使われている点字には、漢字に相当するものがないのです。 そして、仮名と点字は、形こそ違え、それぞれに相当するものがあるからです。 (ひらがなとカタカナの区別はありません) 

 ですから、点字を読むのは、仮名文字を読むと似たようなものなのです。 

 さて、仮名だけでできた文を普通に書くと、有名な例ですが、「ふたえにしてくびにかけるじゅず」があります。 

 とても読みにくいですね。 しかも、「二重にして首にかける数珠」なのか、「二重にし手首にかける数珠」なのか分かりません。 

 そこで、読みやすく、誤読されないように、考え出されたのが「分かち書き(マス開け)」です。 

 上の例なら、「ふたえに して くびに かける じゅず」、あるいは、「ふたえに し てくびに かける じゅず」という風に、単語ごとに区切って書くのです。 英語みたいですね。 

 ただし、この例でもお分かりでしょうが、助詞や助動詞は前の単語につなげます。 

 さて、「分かち書き」の規則が、「単語ごとに区切る」と、「助詞や助動詞は前の単語につなげる」の、二つだけなら簡単なのですが、残念ながら、もっともっとたくさんの規則があるのです。 

 そして、その規則には例外が沢山あって、さらに、その例外の例外まであるのです。 これが、点訳の難しさというか、やっかいなところです。   

なお、点訳の規則に関しては、「点訳のてびき 第2版」 全国点字図書館協議会 編集・発行 を使っています。

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 はじめに

マタベーやおゆみのこと以外に、書いてみたいことがあります。  今年(2000年)の3月から勉強を始め、8月から「本点訳」をさせてもらえるようになった点訳ボランティアのことや、公民館で今月から勉強を始めた短歌のことや、その他もろもろのことを、書きつづるつもりです。 

 このページを「ヒトリシズカ」としたのは、このページの表題を何にするか考えていたときに、どういう訳か、昔登った高尾山の付近で見た「イカリソウ」を思い出したことに始まります。 

 子供の頃、遠足で一度高尾山に登ったことはありましたが、成人してからは初めての登山で、青みがかった薄紫の清楚なその花が、山道のひとの歩くところに咲いていたので、驚いたことを思い出したのです。 

 高尾山とその周辺の山にはその後何回か行きました。 何回目のときのことか、古い記憶でよく分かりませんが、下山の途中の休憩で、道ばたのきれいな緑の小灌木の下に、「ヒトリシズカ」を見たのです。 図鑑では知っていましたが、実物を見たのは初めてでした。 真っ白な、小さな小さなブラシのような花でした。 「一人静」という名にふさわしいと思いました。 

 「イカリソウ」からの連想で、この「ヒトリシズカ」を思い出したとき、「ああ、これを表題にしよう」と思いました。 

 今年の4月に、わたしは定年を数年前にして、仕事を辞めました。 家族もおりません、一人暮らしです。 お金もないので、マタベーたちがたまに騒ぐ以外は、まったく静かな暮らしをしています。 

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目次

筋肉年齢
土が水に濡れるとなぜ黒く見えるんだろう?
思いこみ?
地名2.  地名と駅名がちがうよ!
地名1.  読みのむずかしい地名
地下埋設は見かけ倒し
短歌
点訳の規則に関する疑問 −− その1
「点訳についての予備知識」
はじめに


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