|
|
|
姓は操。名は師乞。生没年 〜AC617年。饒州の鄱陽出身の人。 またの名を”操天成”とも名乗ったとも言われて居る。隋末の混乱に乗じて、群盗として決起し、周辺を治めると、自らを元興王と号し、名乗った。また始興と建元したとも言われる。 しかしその後、隋王朝に討伐軍として”劉子翊”と言う者を派遣され、彼の軍との交戦の中、矢が命中してしまい、絶命した。 その後、彼の勢力は、部下だった林士弘の勢力として受け継がれ、群雄勢力の一つとして、楚王朝と成った勢力の礎と成った。 |
|
|
|
姓は王。名は戎。生没年 〜AC622年。?出身の人。 隋末の群雄、”林士弘”に従い活躍し、彼が楚王朝を建国すると、司空の位に任じられた。 その後、唐が強盛と成って来て、武徳五年(622年)の戦いで唐に敗れて、敗色濃厚の情勢と成ると、その頃、南昌の地の守備を任されて居たが、その地を挙げて唐王朝に帰順して、改めて唐王朝から南昌州刺史の位を拝命した。しかしその後、林士弘が遁走した後、安城(安成)の山塞に潜伏して居る事を知ると、密かに自らの邸宅に招いて匿い、共に再起を図ろうと密約するが、元同僚で唐王朝配下の”張善安”に企みがばれてしまい、彼の討伐を受けた。この中で主君の林士弘を失い、その勢力が瓦解してしまい、自らも張善安の虜と成ってしまった。 |
|
|
|
姓は林。名は藥師。生没年 〜AC622年。饒州の鄱陽出身の人 林藥師は、隋末の群雄、林士弘の弟。楚建国に従軍して活躍。その後唐に奪われた循州を奪還する為の司令官として、二万の兵を託されて州城を包囲したが、循州を守る州刺史の”楊世略”に反撃されて敗れ、斬られた。 |