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曇宗和尚は、南北朝時代、達磨大師が嵩山に開山した、中国拳法で有名な少林寺の武僧(僧兵)である。 また彼が活躍した戦いは、映画”少林寺”の物語の元と成った戦いでもある。 では此処で少し、映画”少林寺”の内容を書いてみる。(映画公開されてから既に20年余年、実際に原体験として観た人も、幼少の頃や若かりし頃で、作中の「ハッ! ハッ! ハッハッ!」と言う鍛錬のシーンは良く覚えて居るが、物語自体は良く覚えて居ない。と言う方も多いと思うので) 時は隋末期、中国には正義の将軍”リー将軍”と、悪の将軍”ワン将軍”が対立していた。 また、リー将軍は付近の少林寺の庇護者としての立場でも有った。 そんな中、ある時主人公の父親が悪のワン将軍の手の者に因って殺されてしまった。 悲しみと怒りに燃える主人公は、ワン将軍への復讐を誓う。しかし彼には復讐を遂げるだけの 力も実力も無い、そこで近隣の少林寺の高僧に助けられ、少林寺で拳法の修行を積む決心をする。 その後リー将軍の息の掛かる少林寺へ、ワン将軍の軍隊が襲い掛かる。 その後リー将軍も戦いに加わり、その戦いの中、主人公は遂に憎きワン将軍を倒し、復讐を遂げ めでたしめでたし… と言った内容だ。 史実は少し違うのだが、モデルが有るのは事実。 此処で映画と史実との比較をしつつ、曇宗和尚の事跡を語る。 何を隠そう、この映画の作中に出てくる”リー将軍”こそ、のちの唐王朝の第2代皇帝太宗で、この戦いの時は皇子として各地に転戦して居た”李世民”。 そして同じくワン将軍は、同じく群雄として副都洛陽を占領、そこを中心に周辺に割拠し、鄭王朝の皇帝と成って居た”王世充”その人である。 王世充の政治は圧政で、民からの信望は地に落ち、この周辺に有った、その頃既に武術で鳴らしていた少林寺も、周辺の民百姓の為にと圧政に立ち上がって居た。 そんな中、李世民は少林寺を庇護する姿勢を取った。 そして遂に李世民率いる唐軍が、王世充率いる鄭軍を討伐しようとした段に成って、自ら偵察に出た世民は、鄭軍の虜と成ってしまった。この時、それを聞いた少林寺の武僧”十三棒僧”(十三人の棒術の名手)が、李世民を救出に立ち上がる。その中で一番の活躍をしたのが、この曇宗和尚だった。李世民を唐の猛将秦叔宝と協力して救出したその後、李世民は体勢を立て直し王世充を攻める。そして彼らは寺に戻り、更に五百人の手勢を引き連れ、王世充討伐戦に加わった。そして遂には王世充の弟で、将軍の王仁則を討ち取る活躍を見せ、この戦いの流れを決め付ける手柄を立てる。 この戦いは、この時代全体的にも、天下分け目の決戦的戦いで有った為、李世民は彼らの活躍に大いに喜び、十三人それぞれに紫の袈裟を与え、一番の活躍を見せた曇宗和尚には大将軍の位を授け、領地も下腸した。 また彼らの活躍を石碑に刻ませて、長く伝えさせた。 彼(ら)の活躍で、以後少林寺は、王朝公認の、天下の道場として名を為しました。 |