ちょうこう
張弘


青州の群雄、張歩の二弟。


 姓は張。名は弘。生没年 〜AC32年。琅邪は不其の出身の人。
 斉王”張歩”の二弟。張歩の挙兵につき従い、彼が斉王を名乗ると、自らも衛将軍に任じられた。その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、兄弟と共に劇城で篭城戦に参加した。その後兄が漢に降伏すると、自らもそれに習い、一時期任地で獄に繋がれるも、後に許された。
 しかし、その後、兄の張歩が再度挙兵を企むと、それに従おうと臨淮へ行くが、それを察知した琅邪太守の”陳俊”に、この動きを察知されて追撃して来た軍に、斬られてしまった。

ちょうらん
張藍


青州の群雄、張歩の三弟。


  姓は張。名は藍。生没年 〜AC32年。琅邪は不其の出身の人。
 斉王”張歩”の三弟。張歩の挙兵につき従い、彼が斉王を名乗ると、自らも玄武大将軍に任じられた。その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、精兵二万の軍勢を率いて、西安城の守備に着いた。初め耿弇が西安城に大攻城戦を仕掛けてくる。と言う噂を耳にすると、日夜に備えを整えた。
 しかしこれは、劇城と西安城の間に有る臨淄を攻め落として、西安城を孤立させる耿弇の策略を気付かせない為の物で、遂に気付かずに、西安は孤立させられてしまう。この状態を懼れた張藍は、損害を被るのを覚悟で、全軍を率いて自軍の本拠、劇城へ退却した。
 その後兄が漢に降伏すると、自らもそれに習い、一時期任地で獄に繋がれるも、後に許された。
 しかし、その後、兄の張歩が再度挙兵を企むと、それに従おうと臨淮へ行くが、それを察知した琅邪太守の”陳俊”に、この動きを察知されて追撃して来た軍に、斬られてしまった。


ちょうじゅ
張壽


青州の群雄、張歩の四弟。


 姓は張。名は壽。生没年は不明。琅邪は不其の出身の人。
 
 ”張壽”張歩の四弟。張歩の挙兵につき従い、彼が斉王を名乗ると、自らも高密太守に任じられた。その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、兄弟と共に劇城で篭城戦に参加した。その後兄が漢に降伏すると、自らもそれに習い、一時期任地で獄に繋がれるも、後に許された。


ちょうい
重異


民衆造反団の頭目から、張歩の部将と成った男。


 姓は重。名は異。生没年は不明。出身地は不明。
 初め新末の民衆造反団”大彤”の渠帥として、山東地方の民衆の為に起ち上がったが、その後、この地の群雄”張歩”に平定されると、大彤の衆を率いて彼の配下に加わり、その下で将軍と成った。
その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、張歩の兄弟と共に臨淄の東方で陣を張り攻めたが、淄水の辺で耿弇軍に遭遇し、会戦して(この時の戦いは耿弇の示弱の計によるものでは有ったが)これを破り退却させる等の功を挙げた。


ひゆう
費邑


青州の群雄、張歩の部将。


 姓は費。名は邑。生没年は〜AC29年。出身地は不明。
 いつからか、斉の地に挙兵した”張歩”に、弟の”費敢”と共に仕えた。その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、張歩から済南王の位に任られ、歴下の守備を命ぜられ、この任に着き、守備の軍隊を駐屯させた。更に祝阿・鍾城の各城にも数十の営所を設けて、此れに備えたが、”耿弇”に祝阿を陥落され、更にわざと退路を開けさせられたので、そこから命からがら逃げ帰って来た兵士が、漢軍の強大さを喧伝する為に、城内は恐怖で混乱してしまった。
 そこで体勢を整える為に、弟の費敢を巨里に分遣した。 すると次に耿弇が、その分遣した巨里に大攻勢を掛ける。と言う情報を手に入れた費邑は、急いで弟の救援の為に出陣するが、これが実は、耿弇が自分をおびき出す為の計略だと気付かなかったので、そこで待ち伏せて用意していた耿弇と戦いに成り、敢え無く討ち死にしてしまった。


ひかん
費敢


青州の群雄、張歩の部将、費邑の弟。


 姓は費。名は敢。生没年は不明。出身地は不明。
 いつからか、斉の地に挙兵した”張歩”に、兄の”費邑”と共に仕えた。その後、劉秀軍の将軍”耿弇”軍が攻め入って来ると、兄が歴下の守備を命ぜられ、この任に着き、守備の軍隊を駐屯させ、更に祝阿・鍾城の各城にも数十の営所を設けて、此れに備えたので、自らもこれに従軍した。しかし”耿弇”に祝阿を陥落され、劣勢に陥ると、体勢を整える為に、兄の命令で巨里城の守備軍として出陣した。 すると耿弇が、巨里の周辺の材木を切り開き、その材木を巨里の城の堀を埋めるのに使用するのだ!と宣伝して、大いに大攻勢を仕掛ける様子を示した。この情報を耳にした兄、費邑は、急いで弟の救援の為に出陣て来たが、これが実は、耿弇が兄、費邑の本隊をおびき出す為の計略だったので、そこで待ち伏せて用意していた耿弇と戦いに成り、兄は敢え無く討ち死にしてしまった。
 そして、この戦いで召し取った友軍の首級を、耿弇が収めて城中に示すと、城内の兵士は皆恐怖してしまって、戦意を喪失してしまったので、費敢もどうする事も出来ずに、遂に張歩軍の本拠地で有る劇城へと退却をして、敗戦した。
 その後、彼の行方は定かでは無いが、恐らくこの後張歩も敗れて降伏して居る事から、共に降伏したのであろう。もしかしたら、その後の張歩一族の造反にも加担しようとして居たのかも知れない。



故事成語

 無し。
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