| 東胤頼 | 東重胤 | 東胤行 | [1]東行氏 |
| [2]東時常 | [3]東氏村 | [4]東常顕 | [5]東師氏 |
| [6]東益之 | [7]東氏数 | [8]東常縁 | [9]東縁数 |
| [10]東元胤 | [11]東常和 | [12]東常慶 | [13]東常堯 |
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・東氏とは ・東氏惣領家 ・郡上東氏の一覧 ・江戸時代の遠藤家・東家 ・安東氏世(東益之の子) ・東貞常(東時常の子) ・東氏胤(東元胤の子) ・東尚胤(東元胤の子) ・郡上遠藤氏 |
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東氏は千葉介常胤の六男・東六郎大夫胤頼を始祖とする一族。「ひがし」ではなく「とう」とよむ。のちに下総国東庄(千葉県東庄町)を領して東を名乗る。
胤頼は文武両道に秀で、平安時代末期、まだ二十代の胤頼は上洛して上西門院に仕え、五位の位を受ける。また、三浦義澄とともに流人だった頼朝と交流を持ち、頼朝の挙兵に際しては、父・常胤らを説得して頼朝に味方させた。その功は大なりと頼朝に評価、信頼され、「東六郎大夫胤頼子息等」が本所や瀧口に伺候することについて、子細を告げることなく進退を意に任せる旨を示すなど、ほかの御家人とは一線を画した。
胤頼は上西門院に仕えた経緯からか、京都との結びつきが深く、嫡男・重胤に家督を譲った後は京都の法然房に師事し、念仏行者「千葉六郎太夫入道法阿」として生涯を送った。おなじく念仏行者として有名な相馬次郎師常は胤頼の実兄である。
東兵衛尉重胤は藤原定家に和歌を学び、重胤の子・東中務丞胤行も定家の子・二条大納言為家について和歌を学んだ二条流の歌人である。なお、師匠・二条為家の娘を娶ったとされるが、二条家の伝および系譜にその記述はない。胤行は承久の乱の功績によって美濃国郡上郡を与えられたといわれ、子孫はおもに下総国東庄と美濃国郡上郡の二つに分かれることになった。新たに地頭職とされた美濃国郡上郡山田庄は東六郎左衛門尉行氏へ分配されたと思われる。
行氏の子孫は代々二条流の和歌を継承し、室町時代中期の東下野守常縁は歌人として大成し、古今集の解釈の秘伝である古今伝授の創始者として著名。しかし戦国時代末期、東下野守常慶、東七郎常堯の父子が一門の遠藤六郎左衛門尉盛数に城を追われ、郡上東氏三百年の歴史に終わりを告げた。
遠藤盛数は東氏を滅ぼすと美濃郡上八幡城主となって東氏の旧領を治める。織田信長、その後は豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いでは遠藤但馬守慶隆が東軍に属して活躍したことを徳川家康に賞され、初代郡上八幡藩主となった。その後、常陸に転封したのち、近江三上藩主として幕末に至る。
また、東常縁の末孫(一系譜によれば東常和孫)といわれる東六郎兵衛尉行澄は、明智光秀が本能寺の変を起こす直前の天正10年5月28日、愛宕山で百韻の連歌を催した(俗に「愛宕百韻」と呼ばれる)際に、一句献じている。
| 当主 | 生没年 | 通称 | 父 | 母 | 妻 | 官途 | 号 | 法名 | 勅撰和歌集 | 総歌数 |
| 東胤頼 | 1155-1228 | 六郎 | 千葉介常胤 | 秩父重弘女 | 遠藤持遠女 | 法阿弥 | 通性院殿真岩常源 | |||
| 東重胤 | 1177-1247 | 平太 | 東胤頼 | 遠藤持遠女 | 兵衛尉 | 覺善 | 龍花院芳岩宗音 | |||
| 東胤行 | 1194-1273 | 東重胤 | 中務丞 | 素暹 | 廣慶了空宗源 |
続後撰集 続古今集 続拾遺集 新後撰集 続千載集 続後拾遺集 新千載集 新拾遺集 新後拾遺集 新続古今集 | 二十二首 | |||
| 東行氏 | 1228?-1300? | 六郎 | 東胤行 | 左衛門尉 | 素道 | 眞光院道瑜常雅 | 續拾遺集 新後撰集 續千載集 續後拾遺集 新千載集 新拾遺集 新後拾遺集 | 二十二首 | ||
| 東貞常 | ????-???? | 東 行氏 | ||||||||
| 東時常 | 1253?-1314? | 六郎 | 東行氏 | 中務丞 | 素阿 | 志禅院眞舜常仙 |
新後撰集 新千載集 新拾遺集 | 四首 | ||
| 東氏村 | ????-1377 | 東胤行 |
左衛門尉 中務丞 下総守 | 素源 |
続千載集 新千載集 續後拾遺集 新拾遺集 新後拾遺集 | 十首 | ||||
| 東常顕 | 1304?-1371? | 東氏村 |
中務丞? 下野守? | 素英 | 劉瑜院済慰常閑 |
続千載集 新拾遺集 新後拾遺集 新続古今集 | 七首 | |||
| 東師氏 | 1343-1426 | 四郎 | 東常顕 | 下総守 | 素杲 | 松林院暁月常山 | 新後拾遺集
新續古今集 | 四首 | ||
| 東益之 | 1376-1441 | 三郎 | 東師氏 |
源氏女 藤原氏女 藤原氏女妹 |
左衛門尉 式部少輔 下野守 | 素明 | 称光院経雅常月 | 新續古今集 | 一首 | |
| 東氏数 | ????-1471 | 東益之 | 源氏女 | 藤原基賢女 |
左衛門尉 下総守 | 素忻 | 新續古今集 | 一首 | ||
| 東常縁 | 1405?-1484? | 六郎 | 東益之 | 藤原氏女 |
左近将監 下野守 | 素伝 | 花山院徳元常雅 | |||
| 東縁数 | ????-???? | 東常縁 |
左近将監 | 素光 | 寶慈院明行常意 | |||||
| 東元胤 | ????-???? | 三郎 | 東氏数 | 中務丞? | 素通 | 栄樹院道潤了源 | ||||
| 東常和 | ????-1525 | 東常縁 |
左近将監 下野守 | 素安 | ||||||
| 東氏胤 | 1427-1495 | 東氏数 | 宮内少輔 | 素珊 | 聖慶院知寶常光 | |||||
| 東尚胤 | ????-???? | 東氏胤? | 下総守 | |||||||
| 東常慶 | ????-1561 | 東常和 |
左近将監 下野守 | 素忠 | ||||||
| 東常堯 | ????-1583 | 七郎 | 東常慶 | 叙任せず |
●東氏の諸系図●
『千葉大系図』
●東胤綱―――常縁―――頼数―――――元胤――――常知――――氏胤―――――尚胤――――常氏―――――常数――
式部少輔 下野守 宮内少輔 下野守 大和守 宮内少輔 下総守 宮内少輔 宮内少輔
素明 素伝 素光 三郎 兵庫頭 素純 素経 素山 素縁
『松羅館本千葉系図』
●東胤綱(益之)――――+―氏数――――+―元胤――――常慶
式部少輔・下総守 | 下野守 | 三郎 下野守
素明 | 宗玄 | 早世す
| |
| +―氏胤
| 中務・宮内少輔
| 素珊
|
+―東常縁―――+―頼数
下野守 | 宮内少輔
素伝 | 素光
|
+―常和―――――胤氏―――――尚胤――――常氏
左近大夫 下総守 宮内少輔
素純 素経 素山
『系図簒要』(官途は代表的なもの)
●東益之(胤綱)――――+―氏数――――+=常縁(養子)――――――+―元胤(元数)―+―常慶
式部少輔 | 下野守 | 下野守 | 下野守 |
素明・乗明 | 素玄 | 書錦居士 | |
| | | +―尚胤――――胤氏
+―野田常縁 +―頼数(常政)―胤氏 | 下総守
宮内少輔 素純 | 素光 素山
|
+―常和―――――――素昌
下野守・歌人
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