祇園千葉氏~肥前千葉氏の嫡流~

肥前千葉氏

○祇園千葉氏○

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千葉興常(????-1540)

 東千葉氏初代。千葉胤盛の子。千葉介胤朝の養子。初名は「胤棟」

 千葉介胤朝の弟・胤盛が若くして亡くなったため、その子・胤棟は周防国山口の大内家を頼り、そこで育てられたという。元服に際しては太守・大内義興から一字を賜り、「興常」と改めた。

 大内家の小城郡攻略の礎として小城に派遣され、小城郡赤目館(小城市三日月町赤司)に住んで、大内家の宿敵である少弐氏と対立。また、晴気城を占拠していた千葉胤資(少弐政資弟)と激しく対立。肥前千葉家の古来からの館があった松尾に程近い牛頭山に本拠を構えた。牛頭山にはかつて千葉大隈守胤貞が京都の祇園社より勧請した祇園社が祀られており、この城を本拠とする千葉氏を「祇園千葉氏」と呼ぶ。または、西の晴気城に対して東にあるため「東千葉氏」とも称された。

 明応6(1497)年正月、大内義興率いる大内勢は筑前国に侵入。太宰府に攻め寄せて少弐政資高経親子との激戦を勝利し、少弐勢を太宰府から放逐した。政資・高経は肥前国小城郡へと逃れ、晴気城の千葉胤資を頼った。

 一方、興常は大内勢の一軍として明応6(1497)年4月、晴気城を攻めた。この猛攻によって少弐政資は自刃し、千葉胤資は討死。高経は城を落ち延びたものの大内勢の猛追で壊滅した軍の立て直しができず、少弐政資は討死を遂げた。

 胤資亡き後、西千葉氏(晴気城)の勢力は大きく後退し、代わって興常の影響力が大きくなり、名実ともに小城郡主として振舞うようになる。永正10(1513)年12月15日、中村主馬允「肥前国杵島郡山口八十町」のうち、「浪打今里弐拾五町」についての知行安堵状を発給している。続けて、翌永正11(1514)年8月10日と11月2日の2度にわたって中村三河守知行安堵状を発給した。

 大永3(1523)年3月、千葉氏代々の祈願寺である松尾山光勝寺「肥前国杵嶋郡之内水尻分弐十四町」を寄進した。

 享禄4(1531) 年閏5月20日、「龍造寺民部大輔(龍造寺胤久)」へ宛てて、千葉家や龍造寺党のために働くよう命じているが、「其方之儀無心元存之候」とあり、晴気千葉氏の千葉介胤勝方の人物であった様子がうかがえる。当時、龍造寺党は本家の胤久ではなく、叔父・龍造寺家兼らに実権を握られていた。龍造寺党は分家の家兼のもとで晴気千葉氏方の有力豪族として活躍する。

 天文元(1532)年6月5日亡くなったとあるが、天文9(1540)年6月4日とも(『神代本千葉系図』)。天文5(1536)年3月5日、「後藤殿」「肥前国杵嶋郡内山口八拾町、小城郡内原分弐拾四町」の知行宛行状を発給していることから、亡くなったのは天文9(1540)年が妥当だろう。法名は本光寺殿日慶


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千葉喜胤(1507-1542)

 東千葉氏二代。東千葉初代・千葉介興常の次男。官途は丹波守。娘は千葉介胤頼

 天文11(1542)年閏3月29日、三十四歳の若さで病に悩んだ末に自害した。


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千葉胤頼(1532-1559)

 東千葉氏三代。東千葉二代・千葉介喜胤の婿養子。実は少弐資元の三男。通称は千葉新介。天文元(1532)年に筑前に生まれた。

 天文22(1553)年10月13日、光勝寺に「小城郡久遠壽寺敷地弐町」を守護不入の寺領として永代寄進した。

 永禄2(1559)年正月11日、胤頼は同族の千葉介胤連に晴気城を攻められ、晴気城東方の山中における戦闘で戦死した。享年二十八。法名は日頼。遺体は千葉家代々の菩提寺であった三間山円通寺に葬られたという。


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千葉胤誠(????-1593)

 東千葉氏四代。東千葉三代・千葉介胤頼の嫡男。別名は胤政

 永禄2(1559)年、父・胤頼が討死を遂げると、胤頼の家臣たちに護られて城を脱出し、叔父の川久保領主・神代大和守勝利を頼って落ち延びた。胤誠の姉が勝利の妻となっていたのだ。

 文禄2(1593)年9月13日、肥前川久保で亡くなり、川久保帯隈山山麓に葬られた。法名は日儀

 胤誠には一人娘がおり、小柳自鑑という人物のもとで育てられ、江上右京亮に嫁いでいたが離婚。佐賀藩川久保領主・神代伯耆守常親の時、常親はこの胤誠娘を「姉君」として敬った。

 神代家は実質的に東千葉家を継承することとなり、平姓月星紋を用い、千葉家の通字のひとつ「常」を諱に用いることとした。この「姉君」は寛文元(1661)年7月に亡くなり、父・胤誠と同じく帯隈山麓に葬られた。法名は眞如院殿妙光日住大姉。「姉君」に仕えていた平田左馬助胤家ら千葉家旧臣たちはそのまま川久保神代家の家臣となった。


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神代勝利(1511-1565)

 父は神代利久入道宗元。母は千葉氏支配下の豪族・陣内大和守(佐賀郡千布領主)女。妻は千葉介胤頼女、副島近江守信吉女千布兵庫頭入道淨貞女。通称は新次郎。官途は部少輔、大和守。肥前に名を轟かす兵法の達人として知られた。

 幼いころに千葉介興常に養われ、武術家としての名を高め、神埼郡三瀬城主・野田宗利がまねいて山内城主となった。天文14(1545)年12月、豊姫神社の灯油料を免除し、天文17(1548)年12月には佐賀郡の所領を寄進しており、佐賀郡内にも所領があったことがわかる。

 佐賀郡に本拠を持つ龍造寺隆信は、この神代勝利の存在がうるさく、弘治元(1555)年9月5日、勝利の谷田城(富士町)に攻め寄せた。勝利は筑前へ逃れて原田了栄を頼り、伊都郡長野に陣を張って龍造寺勢に備えた。一方、隆信は勝利を追放できたことで安心したのか、自らは水ヶ江城に引き揚げたため、勝利はひそかに山内へ戻ると熊川の代官を討ち取って、本城・神埼郡三瀬城に戻った。

 永禄2(1559)年正月、千葉介胤頼(東千葉)の嫡男・胤誠は父・胤頼千葉介胤連(西千葉)に晴気城を攻められて戦死すると、叔父の神代勝利を頼って川久保へ逃れた。これ以降、胤誠は文禄2(1593)年9月13日に亡くなるまで川久保で庇護された。このとき、胤誠は「家之重宝」を神代家に授けている(『葉隠』)。この重宝は千葉家系図妙見像妙見太刀三種の家宝とされる。神代家は妙見太刀を岩蔵寺に納め、系図は胤誠の後に、勝利以下神代家の当主が名を繋げた。

 その後も勝利と龍造寺隆信との戦いは続くが、永禄5(1562)年に隆信から勝利へ和議の申し込みがあり、勝利の孫娘と隆信の三男・鶴仁王丸の婚約が成立して和議が成った。その直後、勝利は嫡男・長良に家督を譲って隠居。永禄8(1565)年3月15日、五十五歳で没した。法名は覚譽賢利


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神代長良(1537-1581)

 神代大和守勝利の嫡男。母は副島近江守信吉女。妻は鹿江遠江守兼明女。官途名は刑部大輔。初名は勝良

 天文6(1537)年、神代勝利の嫡子として誕生した。姉は江上左衛門大夫長種の妻となり、長種の死後は、高木長門守胤利に嫁いでいる。

 永禄7(1564)年、父・神代勝利が隠居したことにより神代家を継承し、土生島城(金立町)を守った。翌永禄8(1565)年3月15日、父・勝利が没すると、4月23日に親族でもある隆信から弔問の使者が送られ、これまで通り違心のない旨の誓紙が渡された。これを信用した長良は隆信に対する警戒心を解いていたが、わずか数刻後の24日明方、隆信の命を受けた納富信景土生島城を攻められ、命辛々、筑前の大都留宗秀を頼って逃れた。

 長良は龍造寺勢の奇襲を怒り、すぐさま同盟関係にあった肥前の豪族たちと連携。8月20日、土生島城を奇襲で取り戻すと、神代家代々の居城・三瀬城に戻って各地に要塞を築いて龍造寺氏に備えた。

 永禄9(1566)年に干ばつが起こると、長良は仇敵である納富信景の所領・千布などへの水流を密かにせき止めた。水が来ないことを不審に思った信景に命じられ、その嫡男・納富信純が水路の巡検に現れたが、長良はあらかじめ水路に兵を伏せており、容易くその首を挙げる。信純が討たれた報告を受けた信景が兵を出すも、待ち構えていた長良勢はこれを破り、納富勢を佐賀に追い落とした。長良はさらに南下して龍造寺家の勢力圏内に攻め入ると、佐賀郡北村・五領・高木・渕・藤木・三溝郷を侵略した。

 しかし、元亀2(1571)年に龍造寺隆信に降伏し、龍造寺隆信が討死したのちは、鍋島直茂に属し、天正7(1579)年、鍋島直茂の甥にあたる小川犬法師丸(小川喜平次)を婿養子に所望し、神代家良として跡を継がせている。

 天正9(1581)年5月28日、四十五歳で亡くなった。法名は梁山宗異

●鍋島・神代氏系図●

神代利久    副島信吉娘  
 ∥      ∥
 ∥      ∥――――神代長良                  中院通純――娘
 ∥      ∥   (刑部大夫)                (大納言)  ∥
 ∥      ∥     |                          ∥
 ∥      ∥     |                          ∥      【鍋島吉茂
 ∥――――――神代勝利  |                          ∥―――――――神代直利
陣内大和守女 (大和守)  |                  +―鍋島忠直――鍋島光茂   (弾正)
        ∥     |                  |(肥前守) (丹後守)    ∥
千葉胤頼―+――女     |                  |               ∥
     |        ↓             鍋島勝茂―+―神代直長          ∥
     |      【川久保領主】        (信濃守)  (大和守)          ∥
     +―千葉胤誠==神代長良==+―神代家良          ∥             ∥
                   |(大炊助)          ∥―――――――――――+―娘      
                   | ∥――――――神代常親 +―娘           |        
                   | ∥     (伯耆守) |             |
                   | ∥      ∥    |             |        
           +―小川信俊――+―娘      ∥――――+―神代常利        +―娘    +―鍋島直愈
           |(武蔵守)           ∥     (采女正)          ∥    |(左京)
           |                ∥      ∥             ∥    |
           |         龍造寺信明――娘      ∥――――神代常宣     ∥――――+―娘
           |        (下総守)          ∥   (長門守)     鍋島直堯   ∥
           |                       ∥            (左京)    ∥――――+―神代直恭―――神代直贇    
      鍋島清房―+―鍋島直茂         +――――――――伊勢菊                  ∥    |(左京)   (伯耆)
            (加賀守)         |                             ∥    |
             ∥            |                    +――――――――神代直方 +=神代直贇―――神代直興
             ∥            |                    |       (対馬)   (伯耆)   (秀太郎)
             ∥            |                    |
             ∥―――――――鍋島勝茂―+―神代直長   執行氏―――娘     |【鍋島宗茂
      石井忠常―――娘      (信濃守)  (大和守)         ∥―――――+―神代直堅―+―鍋島宗教
     (兵部少輔)          ∥                   ∥      (主膳)  |(丹後守)
                     ∥―――――――――――――鍋島忠直  ∥            |      
             徳川家康――+=菊姫           (肥前守)  ∥ 中院氏  【鍋島吉茂】+―鍋島重茂
            (征夷大将軍)|(高源院)          ∥     ∥ ∥―――――神代直利 |(信濃守)    
                   |               ∥     ∥ ∥    (弾正)  |
                   +―亀姫            ∥―――――鍋島光茂         +―鍋島治茂―+―鍋島斉直―+―鍋島直正
                    (盛徳院)          ∥    (丹後守)          (肥前守) |(肥前守) |(信濃守)
                     ∥             ∥     ∥                   |      |      
                     ∥――――――松平忠明―――娘     ∥―――――――鍋島綱茂        +―神代直珍 +―鍋島賢在
                     ∥     (下総守)         ∥      (信濃守)         (弾正)   (弾馬)
                     奥平信昌          上杉定勝――娘
                    (美作守)                


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