|千葉氏HP|千葉宗家目次|肥前千葉氏目次|千田庄千葉氏|肥前千葉氏の一族|下総原氏|下総高城氏|
平安時代末、平家打倒の願望を果たすべく立ち上がった頼朝に対し、千葉介常胤は一族をあげて頼朝に味方し、鎌倉幕府成立ののち、千葉氏は陸奥国から薩摩国に至る全国各地に所領を与えられた。
時代は下って鎌倉中期、大陸の大国・元帝国は日本に使者を派遣して従属をせまったが、幕府は激怒して元使を斬殺。元は日本を攻め取るべきだとする高麗王の軍勢などとの混成軍をもって博多に攻め寄せた。これを「元寇」という。
幕府はただちに博多湾岸に石塁を築いて防ぐ一方、九州に所領を持つ御家人の九州下向を命じた(異国警護番役)。千葉家も肥前国小城郡に所領を持っていたことから出陣を命ぜられ、当主・千葉介頼胤が肥前国へ出陣した。しかし、頼胤は元寇(文永の役)で毒矢を受けて負傷。その傷がもとで病死してしまった。そのため、下総国の嫡男・千葉太郎宗胤(当時12歳)が家督を継がぬまま急遽九州へ下向することとなり、肥前国小城郡晴気城に駐屯した。
文永の役・弘安の役と二度にわたる元寇は、いずれも暴風雨による元軍の壊滅という幸運にめぐまれ、日本側の勝利に終わった。しかし、幕府はさらなる元寇を想定し、博多湾岸の警備を強めるため、九州へ出陣した御家人の帰郷を認めなかった。そのため、宗胤も下総国へ帰国できず、却って弘安6(1283)年から正応4(1291)年にかけては大隅守護職に任じられるなど、九州での政務に忙殺されることになる。そして宗胤はそのまま九州で没した。
宗胤が九州に在陣している間、下総の留守を守っていたのは宗胤の弟・千葉胤宗だったが、嫡男・宗胤の帰国が叶わない中、当主不在の千葉家中は胤宗を当主とせざるを得ない状況になっていたのだろう。胤宗は一族・家臣たちから擁立される形で千葉介に就任したと考えられ、以降、胤宗の子孫が下総千葉氏として現代に至る。
一方、宗胤の子孫は小城郡を中心に繁栄し、肥前千葉氏となった。肥前千葉氏は肥前国に非常に大きな影響力を持ち、九州北部の雄・少弐氏とともに発展していく。また、宗胤は下総国千田庄や八幡庄にも広大な所領を有しており、宗胤の子孫の一流は下総に戻り、千田庄や八幡庄にも栄えた。下総千葉氏の筆頭家老である原氏は宗胤の末裔ともされている。
肥前千葉氏は室町時代中期に起こった家督争いで、晴気城・牛頭山城に二分された。このため勢力も二分されて急速に弱体化。晴気城の「西千葉氏(晴気千葉氏)」は少弐氏と結び、東の牛頭山城に拠った「東千葉氏(祗園千葉氏)」は大内氏と結んで互いに争った。その後、祇園千葉氏に少弐氏の血を引く胤頼が入って、両千葉家はようやく一つに戻り、少弐氏と密接な関係を持つが、この胤頼は、おなじく少弐氏の血を引く西千葉家・千葉介胤連を晴気城から追放したため、今度は胤連が大内家を頼って胤頼と抗争。結局、少弐氏・祇園千葉氏は大内氏の攻撃を受けて滅亡し、胤連が千葉家の惣領となる。
その後、胤連は龍造寺家や鍋島直茂(胤連の養子)の庇護を受け、胤連の実子・胤信ははじめ龍造寺隆信から「龍造寺」姓を、江戸時代には「鍋島」姓を賜って佐賀藩の家老となった。
また、肥前千葉氏の流れと思われる千葉家が筑前国福岡藩に仕えて「大宮」と姓を改め、御用所吟味役などを勤めた。明治以降、千葉に復姓している。
| 名前 | 父 | 発生氏族 |
| 千葉新介宗胤 | 千葉介頼胤 | 肥前千葉氏 |
| 千葉胤貞 | 千葉新介宗胤 | |
| 千葉高胤 | 千葉胤貞 | 下総原氏 |
| 千葉胤平 | 千葉胤貞 | |
| 千葉胤継 | 千葉新介宗胤 | 下総千田千葉氏 |
| 千葉胤泰 | 千葉新介宗胤 | |
| 千葉胤基 | 千葉胤泰 | |
| 千葉胤鎮 | 千葉胤基 | |
| 千葉胤紹 | 千葉胤基 | |
| 千葉元胤 | 千葉胤鎮 | |
| 千葉教胤 | 千葉胤鎮 | |
| 千葉胤朝 | 千葉胤紹 |
| 西千葉氏 (晴気千葉氏) | 東千葉氏 (祇園千葉氏) | |||
| 名前 | 父 | 名前 | 父 | |
| 千葉胤資 | 少弐教頼 | 千葉胤盛 | 千葉胤紹 | |
| 千葉胤治 | 千葉胤資 | 千葉興常 | 千葉胤盛 | |
| 千葉胤繁 | 千葉胤資養子 | 千葉喜胤 | 千葉興常 | |
| 千葉胤勝 | 横岳資貞 | 千葉胤頼 | 少弐資元 | |
| 千葉胤連 | 千葉胤勝 | 千葉胤誠 | 千葉胤頼 | |
| 千葉彦法師丸 | 鍋島清房 | 神代勝利 | 神代利久 | |
| 鍋島胤信 | 千葉胤連 | 神代長良 | 神代勝利 | |
| 鍋島玄蕃家(千葉鍋島家)…惣領家 | 千葉頼母家…別家 | |||
| 名前 | 父 | 名前 | 父 | |
| 鍋島常貞 | 鍋島右馬佐胤信 | 千葉常成 | 鍋島玄蕃允常貞 | |
| 鍋島常治 | 鍋島玄蕃允常貞 | 千葉常輝 | 千葉太郎助常成 | |
| 鍋島常範 | 鍋島玄蕃常治 | 千葉常春 | 千葉頼母常輝 | |
| 鍋島胤貞 | 鍋島志摩茂春 | 千葉常以 | 鍋島伝兵衛教令 | |
| 鍋島常長 | 鍋島玄蕃常治 | 千葉胤貞 | 鍋島靫負茂敬 | |
| 鍋島常安 | 鍋島玄蕃常長 | 千葉胤矩 | 石井六郎左衛門賢次 | |
| 千葉常良 | 岡部善左衛門利旨 | 千葉胤武 | 千葉太郎助胤貞 | |
| 千葉常庸 | 千葉忠右衛門常良 | 千葉胤明 | 千葉順右衛門胤武 | |
| 千葉胤繁 | 草場忠左衛門経正 | 千葉胤佐 | 千葉三郎右衛門胤明 | |
| 千葉胤廣 | 千葉八助胤繁? | 千葉胤清 | 千葉八左衛門胤佐 | |
| 千葉胤脩 | 千葉内匠胤清 | |||
千葉介頼胤―+―宗胤―――+―胤貞―――+=日祐 +―原胤親
(千葉介) |(千葉新介)|(大隈守) |(本妙寺) |(式部少輔)
| | | |
+―胤宗 +―胤泰 +―高胤―――+―高城胤雅
(千葉介) (刑部大輔)|(原四郎?) (越前守)
|
+―胤平―――――瀧楠 +―経胤 +―俊胤
|(孫太郎) | |
| | |
+=胤泰―――――胤基―――+―胤鎮―――+―元胤―――教胤
|(刑部大輔) (右京大夫)|(千葉介) |(千葉介)(千葉介)
| ⇒胤清? | |
| | +―胤氏―――徳嶋義胤
| |
| |
| +―胤紹―――+―政胤
| |(右京大夫)|
| | |
| +―乙法師 +―胤朝
| | |(千葉介)
| | |
| +―千法師 +―胤盛
| |
| |
+―胤継―――――胤氏―+―義胤 +―胤将
|(大隈守) | |(次郎)
| ⇒常陸介胤連? | |
| +―胤清――道胤 +―九郎
+―宗果上人 |
| |
+―日音 +―胤満――胤安――胤幸――胤仲――+
(今川仲秋妻) (三郎) (三郎)(中務丞)|
|
+―――――――――――――――――+
|
+―胤範―――胤親――胤嗣
(喜兵衛)
■東西千葉氏の系譜■
千葉胤紹―+―政胤 横岳資貞――+=胤勝―――胤連――+―胤信――――鍋島常貞―+―千葉常成
(右京大夫)| (兵庫頭) |(千葉介)(千葉介)|(右馬助) (玄蕃) |(太郎助)
| | | |
| | +=彦法師丸――鍋島勝茂 +―鍋島常治
| 【西千葉氏】| (鍋島直茂)(肥前守)
(玄蕃)
+―胤朝―――――尼日光==+=胤繁――――娘
|(千葉介) ∥ (千葉介) ∥―――――胤忠
| ∥ ∥ (陸奥守)
| ∥―――――胤治 鴨打胤宗
| 少弐教頼―+―千葉胤資 (筑前守)
| |(肥前守)
| |
+―胤将 +―少弐政資―――資元―+―冬尚 神代勝利
| | (大和守)
| | ∥――――神代長良【川久保領主】
| +―千葉胤頼 +―娘 (刑部少輔)
| (千葉介) |
| 【祇園千葉氏】 ∥―――+―胤誠――――日住
+―胤盛―――――興常―――――喜胤――――娘 (千葉介) ∥
|(七郎) (千葉介) (千葉介) 江上右京亮
|
+―九郎
|ページの最初へ|千葉氏HP|千葉宗家目次|肥前千葉氏目次|千田庄千葉氏|肥前千葉氏の一族|下総原氏|下総高城氏|
copyright(c)1997-2009 chiba-ichizoku all rights reserved.