| 有終の美 |
| 「おう、土産だ!」 「勤務中の後輩に、ビールの土産ですか?」 「硬いこと言うなって。いつものことじゃねえか。どうせ勤務中は飲まないんだろう?いつもどおり仕事が終わってから、ゆっくり飲めばいい」 「先輩が早く帰ってくれれば、仕事も早く終わるんですが」 「まあまあそう言うな。せっかく訪ねてきたんだ」 「どうせまた、非合法な薬とか毒薬とかが入用になったんでしょう?」 「ご名答」 「これだよ」 研究室の後輩を訪ねてきた男は、机の上にビールを置くと、後輩の機嫌をとりながら事のあらましを話し出した。聞き終わると後輩は、深いため息をつく。 「なんだか、えらくややこしい話になってるなぁ」 「そうでもないさ。要は毒薬をちょいとばかり、俺に分けてくれって話なんだから。おまえなら、出来るだろう?」 「もちろんできますよ。でも、こう何度も人殺しの片棒を担ぐのは、僕もいいかげん寝覚めが悪くって」 「そう言うなって。いつもどおり礼はたっぷりはずむからさ。それに、このまま行けば、殺されるのは俺なんだぜ?」 「そんなの自業自得じゃないですか。だいたい、なんだってそんなおっかない女に手を出したりしたんですか?」 「いい女なんだよ、これがまた。昔から言うだろう?綺麗なバラにはトゲがあるってさ」 「いばらに巻かれて、全身血だるまになるまでわからないんですね、先輩ってひとは。それで、こっちに尻拭いさせに話を持ってくるところまで、昔と全然変わらないじゃないですか?」 「悪かったって。なあ、頼むよ」 「でも、それでその先輩の彼女って人が、浮気相手のほうに毒を盛るって保証はあるんですか?むしろ先輩のほうが危ないんじゃ?」 「おめーは相変わらず植物の研究ばっかりしてて、人間の女のことはちっとも判ってないな」 「大きなお世話ですよ」 「いいか?大体こういう時女ってのはな、男に惚れていればいるほど、その怒りってのは相手の女に向かうんだよ。そりゃ、男にだって怒るけどよ。結局惚れてるわけだから、許しちゃうモンなんだよ」 「そんなもんですかね?」 「許さない時ってのは、もう惚れてない時だな。あとは、その男を自分の所有物のように思ってるときだ。これはもちろん男にも言えるんだけど、そう言うどっちかが優越した関係のときは、下にいる側が浮気なんかすると、上にいる側ってのは烈火のごとく怒り出すんだよ」 「裏切られたら、誰だって怒りますよ」 「う〜ん。むしろ飼い犬に手をかまれた、みたいな感情なんだろうな。そう言う場合だと、下手をすると両方殺したりしかねない」 「先輩は大丈夫なんですか?」 「俺はその辺、慣れたものだからな。上手いもんさ」 「威張ることじゃありませんよ。だいたい上手く出来なかったから、殺しちゃおうなんて物騒な話になるんじゃないですか。自分の彼女に毒を渡しておいて、いざ彼女が相手に毒を盛ったら、それをすぐ警察に密告。そして、両方いっぺんに片付けようなんて。外道にもほどがあります」 「わかったよ。これからは心を入れ替えるから。な、頼むよ。今回だけっ!な?な?これ最後だ。頼む、この通り」 「あーもー判りましたよっ。はいこれ」 「おお!さんきゅ。助かるよ。いつもいつも悪いな?」 「まあ、どうせいくら毒の出どこを探ったって、警察はココまではたどり着けないんですからね。でも、これで最後ですよ?」 「わかってるって、さんきゅな!」 「あ、帰るときは、ちゃんと消毒室に入っていってくださいよ?」 「ああ、わかってる。まったく、研究室だの病院だのって所は、なんでこう、やたらと消毒したがるのかね。俺はバイ菌じゃねえっての」 「ははは、まあ、決まりですから」 「わかったって。んじゃな、あばよ」 男は廊下に出ると、渡された毒薬のビンをハンカチでつつんで注意深くしまいこみながら、安堵のため息を漏らす。 「いっや〜上手くいった。この毒入りの小ビンさえ手に入れれば、後は楽勝だ。いくらあいつのハッカーとしての腕がすごくても、今度ばかりは捜査のかく乱なんてしようがないぞ。なんたって、奴の指紋のついた小ビンが毒殺現場に転がってるんだからな」 男はにやりと笑うと、口笛を吹きながら消毒室に入ってゆく。 「まったく、あの女が後輩の彼女だと知ったときは、心底驚いたぜ。まあ、奴のことだから、彼女の浮気なんて気づくわけないし、気づいたって後の祭りさ……」
一方、研究室に残った後輩は、恐ろしく酷薄な笑みを浮かべて、男の出て行った扉に軽蔑のまなざしを向ける。 「まったく。先輩ときたら僕が気づいてないとでも思っているのかね?本当におめでたい人だよ。偉そうに女の心理なんて語りやがって。ああ、確かに彼女は僕の優位に立っていたさ。でも、両方に殺意を抱くのは、何も優位に立った側ばかりじゃないのさ。あのひとが僕の彼女にちょっかい出したときから、僕はずっとこの計画を練っていたんだから。」 薄ら笑いを貼り付けたまま、後輩は男の持ってきたビールをひと息にあおり、大きくげっぷをした。 「まさか先輩も、来るたびに消毒薬と称して薄めた毒薬を吹き付けられているとは思ってもいないだろうなぁ」 早くも酔いが回ってきたのか、後輩はぐびぐびとビールを空けながら独り言を言いつつ、薄気味悪くほくそえむ。 「先輩の彼女とやらが、首尾よくあの裏切り女を殺してくれる。その彼女は先輩が警察に売る。そして、すべてが終わったと安心したころ、先輩は遅効性の毒で、原因不明のまま死亡だ。これですべてが綺麗に片付くな」
消毒室を出た男は小ビンの指紋を消さないように上着の上からそっと触ると、ご機嫌な調子で歩き出した。 「あいつ、ビール飲んだかな?ま、飲まなきゃ飲まないでもどうせ警察に捕まるんだし、どうでもいいか。でも、どうせならあの毒入りビールを飲んで死んでくれれば「彼女の浮気に耐えかねて自殺」何てカンジで、綺麗に片がつくんだけどなぁ」
彼らの予想以上に、すべては綺麗に片付きそうである。 |