| 石叩き右近 |
| 嵐山右近(あらしやまうこん)は、今年13歳になる。 あまり賢い子供とはいえないが、いや、聡明な兄たちに比べるとはっきり劣っているといってもいいかもしれないが、優しくて空想の好きな、まあ、普通の男の子だ。 ただひとつ。右近が武家の三男坊だと言うことを除いては。 ただでさえ冷や飯食いの三男坊、それも名家嵐山家のであるから、これはまあ、悲劇と言ってもいいだろう。 彼以外の一族郎党が、みな傑出したとはいえないまでも、厳格で優れた統治者やその家族であったため、この少年はまるで影のように、希薄な印象と存在感しか持っていなかった。 彼は凡庸であるがゆえに、両親や兄弟から軽んじられ、国の人々の笑い話の種になっていたのである。 嵐山家は今、柊(ひいらぎ)家と対立している。一族郎党、国を巻き込んでの半分戦(いくさ)のような状態だ。 この国を治める嵐山家と、隣りの国を治めている柊家は、昔から仲が悪かった。それがここへ来て、ちょっとした誤解と行き違いから、完全に敵対することになってしまったのである。 どちらの家も昔からの武家だから、引くという事を知らない。戦いは国の人間を巻き込んで、だんだんと大規模になってゆく。 嵐山の国と柊の国の境には、長く巨大なまるで城壁のごとき石の壁が作られ、人々は交流を絶った。 その石の壁に、ひとり近づく者がいる。警備をしていた嵐山家の家来者が警告を発しようと近づいてゆくと、それは誰あろう嵐山家の三男坊、右近であった。 この三男坊が特別出来が悪いと言うことは国のみんなが知っていることだったから、男はため息をついて肩をすくめると、めんどくさそうに近寄って声をかけた。 「坊ちゃん、このあたりはいつ柊のヤツラが出てくるか判りませんから、危ないですよ。おうちに帰ってください」 「いやだよ。僕、千鶴に会いたいんだ」 「そりゃあ、無理ってもんですよ。この壁がある限りはね」 千鶴は今年10歳になる、柊家の長女だ。まだ、両家の仲がこれほど険悪ではなかったころ、大人同士のいさかいなど構わず、二人は仲良く遊んだものであった。 しかし、この壁が出来てからは、もちろん二人が会うことなど許されるものではない。もっとも大人の事情など右近に判るわけもなく、彼はただ千鶴に会いたいがためだけに、ここまでやってきたのである。 警備の家来は何とかして右近を帰らせようと説得を試みたのだが、強情な右近は一歩たりとも動こうとしない。業を煮やした男は、嵐山家に連絡を取る。しかし帰ってきたのは、「放って置け」と言う冷淡な返事だった。 仕方なく男は右近を放って仕事に戻った。右近はしばらくの間、悲しげな表情で石の厚い壁を眺めていた。その脳裏に、先ほどの男の言葉が蘇る。 「この壁がある限りはね」 右近は何事かを考え込むようにその場に立ち尽くしていたが、やがて大きくうなずくと、その場を去った。彼が去るのを見て、警備の家来はほっと肩をなでおろす。 と、安心したのもつかの間、どこからか鉄の棒を持ってきた右近は、それを大きく振りかぶると、石の壁をたたき出した。男は慌てて止めに入る。 「坊ちゃん、無理ですよ。そんなもので、この厚い壁が壊れるわけはないじゃないですか。怪我でもされたら、私が困ります。もうやめてくださいよ」 そかし右近は効く耳を持たない。まるで何かに取り付かれたかのように、一心不乱に壁を叩きつづける。やがて男は説得をあきらめる。しかし、それでも右近を見守るためか、彼が見えるところまで移動して、仕事を続けた。
嵐山の三男坊が、棒で大石の壁を壊そうとしている。 うわさは徐々に広がっていった。 その無謀な行いに失笑するもの、愛しい女に会いたいがためという少年の無垢な動機に感動するもの、反応はさまざまだった。しかし、それでもとにかく、右近の行動は戦(いくさ)に倦んだ人々の、退屈しのぎにだけはなった。 「しかし、あの子ももバカだな。そんなことできるわけないじゃないか。13にもなってそんな事もわからないんだから、嵐山さんも苦労するよな」 「いや、「虚仮(こけ)の一念岩をも通す」と言うからな。もしかしたらやり遂げるかもしれないぞ?」 「ははは、まさか。まあ、惚れた女に会いたいって気持ちは、わからなくもないがね」 「まあな。しかしそう言えば、そんな惚れ方、ずいぶんとしてないなぁ」 「それが普通だよ。純粋なのはいいことかもしれないが、あの坊やは少々頭がおかしいんだろうな」 右近はそれこそ本当にどうかしてしまったかのように、来る日も来る日も大石を壊しつづけた。今は棒ではなく、巨大な金槌を持って現れる。そして、ごんごんと壁を壊し始めるのだ。 もっとも本当に壊されては困るから、ある程度壊れかけると警備の家来が止めに入る。すると右近は、今度は別の場所を叩きつづける。 だんだん要領がよくなり、筋力もついてきたために、移動させられる頻度は高くなる。止められても止められても決してやめない右近に、家の者はとうに諦め、隣人や友人も「狂人」のレッテルを貼った。
叩いて叩いて叩きつづけ、二年の月日が流れる。 始めこそ面白がっていた人々も、やがてあきれ、飽き、ついには話題にのぼることもなくなった。しかし、それでも右近は叩きつづけた。いまや、彼を見守るのは、あの警備の家来のほか数人に過ぎない。 男は遊びに来ていた近所の友達と、右近を眺めながら茶を飲んでいた。 「はじめはさ、「もしかしたらあの坊主は、大したヤツになるかもしれない」と思ったよ。坊の行動に多くの人間がひきつけられたことは間違いないからな」 そう言うと、男は友人に向かって肩をすくめてみせる。 「でも、ダメだな、ありゃ。もうすぐ元服だってのに、未だにあんなことをしてるんだから。まさか本当に、壁を壊せば千鶴嬢に会えると思ってるとは思わなかった」 「愚かな者は、時々大人物に見えることがあるからな。ま、武家の息子でありながら、剣術も勉強もやらずに、ああして一日石壁を叩いているんだ。おつむの方は間違いなくイカれてるね」 「まあな。アレが長男でなくて本当に助かったよ。あんなのに嵐山家を継がれたら、この国は柊に乗っ取られるに違いないからな」
右近は15になり、元服した。その席で父は右近の狂動をたしなめる。 「右近、おまえももう大人になったのだ。バカなことはやめなさい。おまえのおかげで、兄たちまでが恥ずかしい思いをしているのだぞ?」 右近は父の顔を見返す。そして突然笑い出した。 「右近、何がおかしい?」 右近は立ち上がり、袴を翻すと父の座る上座へ近づいた。驚く家人を尻目に、父の背にある床の間から、家宝の名刀「雷電」をつかみあげる。 慌てて止めようとしたみなに向かって振り返ると、腹の底から響く大声で一喝した。 「静まれ!私は乱心などしていない」 それから穏やかに父親を見据えると、凛とした声で言った。 「父上、兄上、そしてみなの者も聞いて欲しい。私が世間から、バカだと蔑まれていることはよく知っている。そしてこの家のものまでも、そう思っていることも」 「右近?」 「いいのです、父上。確かに最初は、千鶴に会いたい気持ちでがむしゃらに石壁を叩いていたのですから。しかし、バカになると世間の声と言うものがよく聞こえてくるのですよ。私は石を叩きながら、いろいろなことを学びました」 「なるほど、おまえはわざと愚かなふりをして、世間の目を欺いていたと言うのだな?」 父親が感心したように言うと、右近は苦笑した。 「私は愚かですよ。はじめのうちは、ただ千鶴に会いたいために石壁を壊そうとし、後にはこの家や世の中を変えられると思って、石壁を叩いていたのですから。私の思いや行動を知って、人々が変わってくれると本気で考えていたのです。愚かでした」 「人々が変わる?」 「そうです。愛しいものに会えない。隣り合った人々が争いつづける。こんな愚かで、不幸な状態が変わるかもしれないと思ったのです」 そこで右近は自嘲気味に笑った。 「しかし、何も変わらなかった。世の中が変わって欲しいと願う者はいても、変えようと行動する者はひとりもいなかった。私はもう、諦めました」 「そうか。いや、おまえがそれほど聡明だとは思わなかった。私の目が曇っていたことは認めよう。しかし、さすがは嵐山の血をひく男だ」 「私は聡明などではありませんよ」 と言うと、右近は少し間を置いた。それから、父の反応を確かめるかのように、顔を覗き込みながらおかしそうに言う。 「家を捨てて、千鶴に会いに行こうというのですからね」 その言葉に、父親は狼狽し、激昂する。 「バカな!そんなことは許されん!第一、千鶴だとて、もはやおまえのことなど忘れているわ!」 「そうかもしれません。もしも、千鶴の気持ちが私になかった、その時はひとりで旅に出るつもりです。私は三男坊だから、もともとこの家に居場所があるわけではないし、気楽に流浪することといたします」 「そんな事は許さん!」 「ではどうします?私を止めてみますか?」 「無論だ」 父親の答えに反応して、長男次男が立ち上がり、刀の柄に手をかけた。 「兄上たち、おやめなさい。世の中は変えられなかったが、しかしそれでも、私自身はずいぶんと変わったのです」 いぶかしむみなの視線を受け流しつつ、右近は名刀「雷電」を抜刀する。即座に刀を抜きかけた兄たちを無言で制すと、庭に降り立ち、柿の大木の前に歩み寄った。 「御覧なさい」 そう言いながら無造作に振り下ろされた刀は、見事柿の大木を袈裟懸けに真っ二つにする。驚きで声も出ない家人たちに向かって微笑むと、右近は刀をさやに収めた。 石を叩きつづけた二年の月日が、右近に強大な膂力を与えていたことに気付き、みなが唖然としていた。 右近はその驚きの顔を満足そうに眺めると、くるりときびすを返す。 「右近。柊家の者を斬れば、間違いなく戦(いくさ)になる。おまえは戦(いくさ)が愚かで不幸だと言ったではないか」 背に浴びせられた父に言葉に、右近はゆっくりと振り向いた。 「言ったでしょう、父上。私はもう、諦めたのですよ。石壁を壊すことではなく、この嵐山家や柊家や、国の人々に期待することをね。何がどうなろうと、私はもう、私だけのために戦います」 そう言って冷笑を浮かべると、右近は歩き出した。 それから数年、柊家と嵐山家のいさかいは続いたが、結局、大軍を率いてやってきた隣国によって滅ぼされる。山の上に追い詰められた両家の大将は、隣国の兵の目の前で腹を掻っ切った。 その時、彼らは叫んだそうである。 「嵐山、柊、両家は滅んでも、その血脈は生きている。いずれおまえらは、その血によって滅ぼされるだろう!」 と。 嵐山と柊の血を受け継ぐものがいる。 その話はうわさとなり、近隣諸国を駆け巡った。もしかしたら、右近の耳にも届いたかもしれない。 もっとも、だからと言ってどうと言う事もないだろう。彼はもはや、そんなものには興味がないのだから。どこかで、右近は愛する妻子と幸せに暮らしているに違いない。 大石を叩きつづけた情熱と根気を、妻子の幸せのために発揮しながら。 |