強い願い
「ありえねえ」

俺は鏡を見て愕然とした。いや、うすうす判ってはいたのだ。明らかに身体が重いし、身をかがめるのも苦痛になっている。

ただ、認めたくなっかったのだ。しかし、鏡の中の己(おの)が姿を見れば、もう、言い訳はきかない。

やせなくては。

俺は心の底から決心した。その決意の程は、中途半端なダイエットなど眼中なく、最初から強硬手段に出たことからも判るだろう。

断食である。

喰わなきゃやせる。単純明快にして、永遠の真理だ。たった今から、俺は一切飯を食わないことに決めた。

そう決めて10時間後くらいが一番つらかった。しかし、それを過ぎると、なにやら喰わないことがつらくなくなってくる。胃が小さくなったのだろうか?

「こりゃいいや」

とニコニコしていられたのも、3日目までだ。

4日を過ぎるころから、漠然とした不安が襲ってくる。それはそうだろう? こんなに喰ってないのに、なんで腹が減らない?

絶食が10日を越えたところで、俺はついに決心した。と言っても病院にいくわけじゃなく、ダチの科学者の家を訪ねたのだが。

「やい、平山。俺の身体はどうなっているんだ?」

「身体はどうだか知らないが、人の家に訪ねてきて、いきなり自分の身体がどうなっているとか聞くヤツの頭の中は、間違いなく壊れてると思う」

相変わらず口の悪い男だ。しかし、ほかに頼れそうな知り合いもいないので、仕方なく相談することにする。

俺の話を黙って聞いていた平山は、ふんと鼻を鳴らすとパソコンに向かって仕事を始めた。

「おいおい、なんだよ。これがどういうことなのか教えてくれよ」

「知るか。データが少なすぎる」

剣もほろろに追い返された俺は、しかし当初の目的に向かって邁進(まいしん)すべく、決意も新たに断食生活を続けることにした。

断食20日目。相変わらず、ぜんぜん平気だ。

目の前に食い物があれば、そりゃもちろん喰いたいと思うのだが、冷静に自分の心を分析してみると、どうやら食欲ではないように思える。

つまり、いつも食い物が目の前にあるから、何の疑いも疑問もなく、なんとなく喰っていたけれど、改めて「どうしてもか?」と聞かれれば、別段、喰わなくても何とかなりそうなのだ。

そんなある日、平山が俺の家を訪ねてきた。

「その後どうだ?」

平山の問いに、俺はありのままを話す。黙って聞いていた平山は、持参した、なにやら複雑な機械を取り出すと、俺の身体を調べ始めた。

しばらくして、平山は悲鳴に近い声を上げると(いつも冷静なこの男にしては、ひどく珍しいことなのだが)顔を真っ赤にしてわめきだした。

「なんということだ! お前の身体には葉緑素があるぞ?!」

「なんだ? カテキン?」

「だまれ、バカ。いいか? お前の細胞には葉緑素が存在する。つまり、お前は光合成しているんだ」

「ほほう。つまり、太陽の光を浴びれば、喰わなくても生きていけると言うことだな? そりゃ便利だ。ありがたいなぁ」

平山はなにやらわめきながら、俺の家を飛び出した。飛び出しながらも、

「いいか? お前はここを動くな。絶対にどこへも行くなよ?」

と釘を刺すことを忘れない。しかし、そう言われるとなんだか、ここにいちゃいけないような気がしてきて、俺は急いで自宅を出た。

平山のことだ。きっと俺を、NASAとかサーカスとか、珍しいものを集める趣味のあるヤカラに売り飛ばそうと思っているに違いない。ここは逃げて正解だろう。

とにかく問題なのは、俺の身体だ。

いや、葉緑素とかカテキンとか、お茶っ葉の親戚みたいなのはどうでもいい。光を浴びただけで生きていけると言う、その絶望的な状況が問題なのだ。

普通に飯を食ってても太ったのに、光を浴びただけで太るんだぞ?

俺は天を仰いだね。

しかし、しばらく悲嘆にくれてから、はたと気づいた。

でも 俺、やせてきてるじゃん。

平山の話では、光に当たっても太るはずなのに、俺は明らかにやせてきているのだ。これはどういうことだろう?

と、川原の土手で夕日を眺めながら、トランペットでも吹こうかとしていた俺の後ろに、いつの間にか平山と、なにやら怪しげな白衣の男たちが立っていた。

「おい、どうする気だ?」

「お前の身体は、もしかしたら人類を救うノアの箱舟になるかもしれない」

平山がいつになくまじめな顔でそう言うので、俺はヤツの言うことを聞いてやることにした。

 

「わかったぞ。お前の細胞はとんでもない」

平山が叫びながら、俺のところに来た。俺はこの研究所に来て以来、三食昼寝つきの結構な生活をさせてもらっていたので、もはやそんなことには興味がなかったのだが。

「お前の細胞は、単に葉緑素を持っているんじゃないんだ。なんと、お前が望むことを細胞レベルでアシストする、ものすごく高度な……」

「うるさいな。もうちっと判りやすく説明してくれよ」

平山は一瞬鼻白んだあと、大げさにため息をついてしゃべりだした。

「つまりだな、お前がやせたいと望んだから、お前の細胞は絶食していても空腹を感じないように満腹中枢を調整しながら、一方で最低限の栄養を得るために、葉緑素を作って光合成していたんだよ!」

「へえ、じゃあ俺が望むことは俺の細胞がかなえてくれるって言うのか?」

「簡単に言えばそう言うことだ。もちろん細胞レベルの変化だから、いきなり何かに変身できたり、急に長い時間水に潜ったりできるわけじゃないが」

なるほど。それは面白い。 俺はそのあとしばらくの間、ひとつのことを思い続けた。

そして 14日後。

「お前、いったい何をした?」

「や、かっこいい俳優を思い浮かべてたんだけど、気がついたら……」

俺は、オードリー・ヘップバーンになっていた。

「すごい! すごいぞ! まさか骨格まで変わるなんて」

大喜びの平山を尻目に、俺は肩をすくめる。オードリー・ヘップバーンは確かに大好きな女優なんだが、自分がなりたいかと聞かれれば、こりゃまた話はぜんぜん違う。

それに、どうやらここにいるのも、飽きてきた。

俺は平山たちの隙を見て、研究所を脱出した。

 

あちこちを放浪しながら、俺は色んな人間に化けた。とにかく体型から顔かたちから、時間さえかければなんにでもなれるのだ。

勝手気ままの愉快な放浪生活も、もう、半年になる。その気になれば金を稼ぐことも、有名になることも簡単なのだが、そうなったらなったで、金とか有名になることには興味がなくなった。

今以上に快適な生活なんてありえないのだから。

俺は久しぶりに自分の姿に戻って、川原の土手にいた。ずいぶん前に平山たちが迎えに来た、あの川原に。

たまに自分の姿に戻らないと忘れてしまいそうになるので、俺は時々こうして自分に戻る。

別に世界中のどんないい男にも、場合によっては女にもなれるのだから、こだわることもないようなもんだが、やはり長いこと慣れ親しんだ身体ってのは、格別の思い入れがあるものなのだ。

日曜の昼下がりだが、土手には誰もいなかった。俺は大きく伸びをすると、土手に転がって日光浴をする。

ああ、いい気持ちだ。

なんだかすべてが溶け出して、この世界と一体となるような……う〜ん、気持ちいい……太陽の光を浴びて、俺は今世界と一体に……

どれくらい、そうしていたのだろう。

しばらくして気がつくと、俺の身体から根が生えていた。

根っこは土手の土をしっかりとつかんでいる。太陽光を浴びれば生きてゆける俺は、土手で眠ったまま、2週間以上をすごしてしまったらしい。

そしてまさに、俺は地球と一体となった。

本来ならもっとあわてなくてはならないんだろうけれど、どうやら俺の頭の中までも植物化しているようで、別にどうと言う感慨もない。

それより俺にとって一番大切なのは太陽だ。太陽の光を浴びることを俺の本能が、いや、植物の特性を本能と言うのかどうかは知らないが、とにかくその手の根源的な欲求が太陽を求めるのだ。

俺はもはやほとんど動かなくなった両腕を、太陽に向かって伸ばす。

ああ、なんてすばらしいんだ。

この暖かさ。

このまばゆさ。

この高貴さ。

太陽、ああ、太陽。 俺は太陽に帰依する信者であり、太陽に恋する熱烈な恋人だった。 俺がほしいのは太陽だけ。

太陽こそすべて。

ああ……

太陽になりたい……

…………

俺の 願いはかなえられた。

が、残念ながら地球は、6000度の熱に耐えられなかった。


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