辻斬り騒動
本作は拙作「冬一郎参上」のサイドストーリとなります。無論単独でも話は通っていますが、興味をもたれた方は、ぜひ他の作品もお読みいただけますと、より楽しめると思います。さらに今回は、「嵐山家興亡史シリーズ」ともリンクしておりますので、そちらでもお楽しみいただければ、幸いです。

 

じっとりと湿った夜が、濃く、重い。

そよとも吹かぬ風。やけに青白く、煌々と照る満月。普段なら涼しく聞こえる川のせせらぎも、今夜はヤケに鬱陶しい。

と。

その川に架かる小さな橋の上を、男がひとり、ずいぶんと酔っているのか、ご機嫌で放歌しながら、よろよろと千鳥足で渡ってゆく。男は橋の中ほどまで来ると、ぐらりと体を崩し、あわてて欄干に寄りかかる。

その拍子に。

ぽちゃん。

「あ」

土産につまんでいた折り詰めを、川の中に落としてしまった。

「あぁ、しまったなぁ」

独り言ちながら、頭を掻きつつ、川を流れてゆく折り詰めを見送る。家にひとり待つ妻への土産にと、料亭の女将に包ませたものだったのだが、こうなってしまっては、如何ともしようがない。

ひとしきり川面(かわも)に向かって毒づくと、男はまたもふらふらと歩き出した。

「さっかさいのぉ〜かんしゃくだまのぉ〜お通りだ〜とくらぁ」

みょうちきりんな歌を歌いつつ、橋の三分の二を越えようかというところで。

しゅっ!

ぬるんだ夜を引き裂いて、風切り音がひとつ。

「ん?」

小さく声を上げた男は、橋の上に立ち尽くしたまま凍りついた。そしてそのまま、一歩、二歩と歩き出し……

ずるり。

ごとん。

男の頭が大きな音を立てて橋の上に落ち、ゴロゴロと転がってゆく。身体はそのままもう一歩前に出、ようやく力尽きたとばかりに、どうと倒れこむ。

ごろごろ、ごろごろ。

頭は橋の勾配を転がり落ち、やがてどぼんと川に落ちた。川面に鮮血が広がり、いく条もの赤い帯となって流れてゆく。主を失った身体は、橋の上でぴくりとも動かない。

その傍らに、影がひとつ。

影は男の頭を切り離した刀を満月にかざし、魅入られたように微動だにせずその刀身を眺めていたが、やがて満足そうに笑うと、懐紙を取り出した。

鮮血をぬぐった懐紙が、薄気味悪い模様を塗りつけられたまま、橋の上に散乱する。ようやく吹きだした夜風が、懐紙をかさりと動かす。

その風に乗って、生臭いにおいが、ゆるゆると夜の闇へ流れていった。

 

「お客さん、申し訳ねえんですが、ちと半時ばかり出ますんで、手のいる肴は待っててもらえやすか? 酒と、そうだなぁ……漬物くらいならウチのかかあに言ってもらえれば、出しますから」

酒屋の主(あるじ)が申し訳なさそうに頭を下げる。言われた侍は杯を持った手を止め、小首をかしげた。

少し癖のある蓬髪を無造作に後ろで束ね、真っ黒に日焼けした顔は、穏やかと言うより、少々だらしなく緩んでいるように見える。

真っ黒な着流しを片手だけ袋手に、同じく真っ黒な帯には、地味だがしっかりとしたつくりの大小をさしている。旗本と言うにはくだけているが、浪人というほど荒(すさ)んでもいない。

どうにも素性の見当が付けづらい男である。

「それは構わないが、商売中に主が店を空けるとは、何かあったのか?」

「いえね、実は手伝いに来てくれている娘を送っていこうと思いまして。ほら、ここのところ嫌に物騒じゃないですか。知り合いの娘さんなんで、間違いがあっちゃ、親御さんに顔向けできやせんからね」

「ふむ……なるほどな。しかし、昨今出没する辻斬りは、どうやら相当の手練(てだれ)と聞く。親爺(おやじ)ひとりで大丈夫か?」

言われて居酒屋の主は肩をすくめる。

「まぁ、娘っ子ひとりを、夜道に一人歩きさせるわけにも行きませんやね。何かあったら、大声で叫びますよ。夜回りの人数も、だいぶん増やしてあるみたいですしね」

「う〜む……」

腕を組んでしばらくうなっていた男は、やがて渋面を作りながら立ち上がった。

「しかたあるまい。私が一緒にゆこう」

主は驚いて首を振るが、しかし、やはり侍が一緒にいてくれるとなれば安心であるのだろう。男がもう一度申し出ると、割合あっさりと首を縦に振った。

「お侍さんが用心棒になってくれるなら、こりゃあ助かる。帰ってきたら、美味い肴をご馳走しますよ」

「おぉ、それはありがたい」

どうやら本当にうれしいらしい。手放しで喜んでいるこのおかしな侍に、主は思わず破顔した。

「ところでお侍さん、お名前を聞かしちゃもらえませんかね?」

「菊島耕四郎(きくしまこうしろう)だ。四郎と付くが長男坊だ」

余計な解説を加える耕四郎に、主人も苦笑するしかない。

とにもかくにも、そう言ったわけで、娘と居酒屋の親爺、耕四郎の三人は、夜道を並んで歩き出した。

「わざわざありがとうございます、お侍様」

娘の言葉に、少々だらしなく眦(まなじり)を下げた耕四郎は、鷹揚にうなずいた。

「かまわん。どうせこの親爺のところで遅くまで飲んだあとは、家に帰って布団にもぐりこむだけだ」

どうやら、仕官しているちゃんとした侍ではなく、浪人であるようだ。そう見当を付けた親爺は、あえてお勤めの話を避け、辻斬りに話題を移した。客商売だけに、気の回る 男のようだ。

「嫌に蒸しますな。この間の辻斬りも、こんな蒸し暑い晩だった。どうか出ないでくれると、ありがたいんだがなぁ」

娘がうなずいて答える。

「それにしても、どうして辻斬りなんてするんでしょうね。どこかのお侍が、刀の切れ味でも試しているのかしら。ああ、嫌だ。近く、お城の若様のご婚礼のお祭りがあるって言うのに、縁起でもないですねぇ」

耕四郎は鼻の下を伸ばして娘のうなじに見とれていたが、辻斬りには憤慨していたのだろう。少し強めの調子で答える。

「ああ、嵐山の長男坊か。めでたい話だが、確かに城下で辻斬りが横行しているようじゃ、手放しで喜んでもいられないな。しかし、まったく嫌な話だ。何の抵抗も出来ない、か弱い町人を斬ったとて、それが剣を練ることになるとは到底思えん。きっと頭のおかしいヤツなのだろう」

わいわいと喋りながら歩いているうちに、三人はあっさりと娘の屋敷まで着いてしまった。ずいぶんと大きなお屋敷であるから、娘はさぞいいところのお嬢様なのであろうか。

耕四郎は、迎えに出た両親が御礼をしたいというのを固辞して、親爺とともに帰路に着く。いくらも歩かないうちに、親爺が残念そうにぼやき始めた。

「あそこのお屋敷は、佐津間(さつま)藩の家老、犬塚倫太郎様の江渡(えど)屋敷なんですぜ? ちょっと寄って行きゃあ、ずいぶんとお礼がいただけたでしょうに。もったいないなぁ」

親爺のぼやきに肩をすくめて、耕四郎は飄々と歩いてゆく。やがて、例の橋に差し掛かったところで、親爺がはほうっと大きなため息をついた。

「出ませんでしたね。いやぁ、助かりましたよ」

その言葉に、しかし、耕四郎は厳しい表情を作り、低く鋭い声で答えた。

「そうでもない。どうやら、おいでなすったようだ」

「え?」

あわてて周りを見回すも、誰もいない。そこで初めて、親爺は自分がこの侍の素性を、ろくに知らないことに気付く。

「ま、まさか……あんたが……」

親爺が驚愕の声を上げると同時に、耕四郎はにやりと笑って刀を抜く。

「ひやぁ」

マヌケな悲鳴を上げて腰を抜かした親爺の頭の上を、耕四郎の太刀が一閃、旋風をまいて掠めてゆく。親爺は思わず目をつぶった。

と。

首筋に、生暖かいものが流れる感触で、親爺はまた悲鳴を上げた。

「うわぁ、助けてくれぇ! 斬られたぁ!」

「こらこら、親爺。あわてるな。どこも斬られてないだろうが。斬られたのは、私の腕だ。奴(やっこ)さん、えらく腕が立つ。お前は急いで番所に走れ」

穏やかな口調でたしなめられて、親爺は冷静になった。急いで自分の首筋に手を持ってゆくと、べっとりと鮮血がつく。しかし、どこも痛くないし、斬られている様子もない。

それから耕四郎のほうに視線を移してみれば、なるほど彼の右前腕には、一条の傷跡が赤く刻まれている。親爺はあわてて手ぬぐいを取り出し、耕四郎の腕に巻きつけた。

「ありがとう。だが、これ以上あんたを守ってやるのは難しい。だから、早く番所に走れ」

親爺はがくがくとうなずくと、後ろも見ずに、一目散に駆け出した。

その様子を、苦笑を浮かべて見守っていた耕四郎は、やがて辻の隅、闇のひときわ濃く見えるほうへ向かって、声をかけた。

「さて、おっつけ役人が飛んでくる。それまでに決着をつけるか? それともこのまま姿を消すか? 私の方はどちらでも構わぬが」

男の言葉に、闇の一部がゆらりとうごめく。

次の瞬間には、大きな影がするりと姿を現した。

「ほほう、ずいぶんと大きな男だな。六尺二寸(約187a)はあるか。太刀が脇差に見えるわ」

そういう耕四郎のほうは五尺を一寸出るくらいだろうか。上背の違いは六寸(約18a)はある。頭ひとつ大きな影がゆっくりと近づいてくる。やがて月明かりの当たるところまで出てくると、その姿が明らかになった。

「鬼かと思うたが、人かよ」

耕四郎はにやりと笑って見せた。

大男のほうは何も言わずに、するりと腰の刀を抜く。そのまま中段に構えると、切っ先をゆらゆらと揺らした。

「ふむ。北神一刀流か……」

耕四郎の目が、すうと細くなった。相手の力量のただ事でないのを、瞬時に見て取ったのだろう。油断なく身構えると、こちらも抜刀した。しかし、耕四郎は刀を上げずに、そのまま地擦りで立っている。

今度は大男の方が目を細める。笑ったようにも見えるが、しかし、その瞳は決して笑ってはいない。

ふたりはにらみ合いながら、じりじりと間合いを詰めてゆく。

大男の剣先のゆれが、耕四郎の呼吸に合わせるかのように、だんだんと調子を変えてゆく。やがて殺しているはずの呼吸と剣先のゆれが、ぴたりと重なった。

(呼吸を読まれている。こりゃあ、かなり出来るな)

ふとそんなことを思った瞬間、相手の切っ先がいきなり調子を変えた。

刹那、そのまま耕四郎のノド元に襲い掛かってくる。電光のごときその突きが、過(あやま)たず耕四郎のノドを貫いた、と見えた矢先。

シャン!

金属のこすれあう音がして、大男の剣先が大きくはじかれた。

地擦りであったはずの耕四郎の剣が、瞬時に跳ね上がり、まるでコマ落としのように突然、相手の突いてくる軌道上に出現すると 同時に、斜めに擦り上げられた刀身が、蛇のごとく相手の剣に絡みつく。

もちろん実際に絡みついたわけではないが、剣を跳ね上げられた方から見れば、そうとしか思えないような早業であった。

大男はすばやく飛び退ると、改めて剣を構えた。

しかし、またも中段で剣先を揺らそうとする前に、耕四郎の身体が風をまいて飛び込んでくる。相変わらず刀は、地面にこするかのごとく下げられたままだ。

呼吸をずらす暇もなく、大男は鋭い突きを見舞う。

しかし今度は呼吸を読まれていないため、耕四郎は充分に余裕を持って、相手の剣を持った右手を、すっぱりと斬り上げる。鮮血と共に大男の右の指が二本、宙を舞った。

「がぁ」

小さく吠えた男は、それでも残った左手一本で、耕四郎の胴を薙ぎに来る。指を切り落として上空に跳ね上がっていた剣先は、空中でひらりと軌道を変え、今度は上空から襲い掛かってくる。

脳天を唐竹に割られる寸前に何とか身をかわした男は、そのかわした切っ先が躊躇なく跳ね戻ってくるのを見て、凍りついた。肛門がすくみあがり、背筋に悪寒が走る。

と。

耕四郎の剣先は、男の目の前でぴたりと止まった。

同時に、大男はがっくりと膝を付く。

そこへようやく番所の役人が、居酒屋の親爺と共に駆けつけた。

「こいつが例の辻斬りか?!」

驚愕に真っ青な顔をして役人が質(ただ)すと、耕四郎はかぶりを振った。思わぬ否定をされて、親爺が怪訝な顔で問う。

「でも、菊島の旦那」

その顔に向かって厳しい視線を向けながら、耕四郎は低い声で言った。

「この巨躯。驚くべき剣の冴え。そして、刀の柄に彫られた家紋。この男は、嵐山の三男坊だろう」

耕四郎の言葉に、うなだれていた大男が顔を上げる。その表情には、うらみつらみは感じられない。むしろ、そばにいた役人の方が、驚いて目をむいた。

「聞いたところ、嵐山の長男坊に嫁ぐお姫様って言うのは、もともと三男坊と恋仲だった と言う話じゃないか。婚礼に文句も言えず、かといって面白くないことには変わりない。それで、むしゃくしゃした挙句、最近噂の辻斬りを真似て、憂さ晴らしに出てきたってところか」

「面目しだいもない。まさに貴殿のおっしゃるとおりだ。しかし、最初に襲ったのが、貴殿でよかった。誰も殺めることなく済んだのだから」

「まあ、指二本がオイタの代償というのは、妥当なところだろう。こっちも危なく斬られるところだったのだから。これに懲りたら、もう少し他の憂さ晴らしでも覚えるんだな」

耕四郎がそう言って笑うと、男は恥ずかしそうに顔を赤らめ、それから指の痛みを思い出したのだろう、あわてて右手を抑え、顔をゆがめた。その様子を見てほっとした役人が、残念そうにつぶやく。

「しかし、残念である。ようやく辻斬りの犯人を捕縛できるかと思いきや……」

それ以降言葉を濁したのは、当主嵐山家の体面を考えてのことだろうか。

すると耕四郎が、にやりと笑って言った。

「そうでもない。犯人なら、それ、そこにいるではないか」

驚いた役人が指差す方を見ると、そこにいるのは居酒屋の親爺であった。親爺は飛び上がって両手を振る。

「旦那、冗談はやめてください。ああ、びっくりした」

「驚いたのはこちらだ。まさか、佐津間の草が辻斬りの犯人だったとはな」

耕四郎の言葉に、薄笑いを浮かべていた親爺の顔が凍りつく。

「佐津間の草?」

驚いて鸚鵡返しにする役人に、耕四郎はうなずいて見せた。

「もともと、佐津間藩というのは代々、中央転覆をもくろんでいる。大逆(おおさか)夏の陣以来、冷や飯を食らい続けてきた外様の中では、最大の藩だからな」

言いながら親爺の顔を見る。親爺はすでに好々爺然とした表情をかなぐり捨てて、厳しい視線を耕四郎に送っていた。

「実際、江渡から発った公儀の隠密が、何人も行方をくらましていて、ひとりとして帰ってきたものはいない。あそこの言葉がこちらとは似ても似つかないのは、そうやってよそ者、特に隠密をいぶりだすためな のだよ。言葉というものは、そこで生まれて育たなければ、そう簡単に身に付けられるものではないからな」

喋りながらも、耕四郎には一分の隙もない。親爺は腰を落として低く構えながら、じりじりと距離を取り出した。役人があわてて取り押さえようとするのを、耕四郎は押しとどめる。

「そして反対に、向こうから江渡にもたくさんの忍びが入り込んで来ている。彼らは「草」と呼ばれ、地元に根付いて普通の暮らしを送りながら、佐津間と連絡を取り合っている のだ」

「なぜわかった」

親爺が低い声で聞いた。

「しがない居酒屋の親爺が、どうして佐津間藩の家老の屋敷に出入りしたり、そこの娘を預かったりできる? 大方あの娘も、くの一なのではないか?」

「ふん、ぼんくらかと思えば、案外、頭が切れやがる」

「どういたしまして」

耕四郎がおどけて頭を下げたと同時に、親爺は一瞬で数間を飛び、あっという間に闇へ姿を消した。その後をあわてて追おうとした役人を、耕四郎がまたもや制す。

「無駄だ。追いつけはしないだろうし、万が一追いつけても、簡単に斬れる男じゃない。もし捕らえたとしても、口を割る前に自害するだろう」

「しかし、放っておいては、また辻斬りを……」

「ああ、それならもう、心配はない。いくらなんでも佐津間藩から「辻斬りをせよ」などと命じられてるわけではあるまい。せいぜい、事件を起こして人心を惑わせよ、と言ったとこ ろだろうと私は睨んでる。残忍な男だが頭は切れるから、これ以上事を大きくすれば、尻に火がつくのは佐津間藩の方だって事くらいは読めてるだろう」

役人は感心したようにうなずくと、突然、嵐山の三男坊と名乗った男に振り向いた。

「完三郎、失った右手の指を見るたびに、己の愚かさをかみ締めるがいい。まったく、辻斬りの犯人と聞いて飛んできて、貴様の姿を見たときには、心臓が止まるかと思ったぞ?」

そう言うと、きょとんとしている耕四郎に向かって、男は深々と頭を下げた。

「嵐山家の次男、嵐山銀次郎にござる。このたびは、弟の愚挙をお止めいただき、感謝の言葉もございませぬ。あなたがわずかな手がかりから、この男を嵐山の三男坊と見抜いたときは、本当に驚きました。実に類(たぐい)まれなる慧眼の持ち主ですな」

この言葉には、さすがの耕四郎も唖然とするしかない。

言葉も出ぬまま大男、嵐山完三郎の顔を見ると、彼は神妙な表情に、一瞬、イタズラっぽい笑みを浮かべた。耕四郎はあきれて、銀次郎に向き直る。

「いったい、どうして殿様の次男坊が、町方などを?」

銀次郎はにこりと笑うと、よく通る張りのある声で答えた。

「嵐山の家督は、兄が継ぎます。しかし、兄は戦乱のときにこそ力を発揮できるでしょう豪傑ですが、内政となるとからっきしとは言わぬまでも、あまり得意とはしておられませぬ」

「それで小兄はわざと身分を隠し、市井の者の暮らしぶりや文化などをうかがっていらっしゃるのです。いずれ大兄が家督を継いだとき、その補佐をするために」

我が事のように胸を張る完三郎に、銀次郎と耕四郎は顔を見合わせて苦笑した。それから厳しい表情に返った銀次郎は、弟に向かって語気強く叱咤する。

「まったく、この愚か者が」

続いて耕四郎がその後を継いだ。

「まったくだ。兄は大層な人物なのに、あんたは嫉妬とヤケで辻斬りの真似事とは、情けない話じゃないか。兄さんを見習って、少し世間様にもまれてくるといい」

完三郎は面目なさそうな面持ちで、右手を押さえたまま平伏する。

その姿に、兄はため息をつき、耕四郎はにやりと笑った。

「なあ、完三郎さん。あんた、かんしゃくのなだめ方が上手くない。そりゃきっと、遊び方を知らないからだ。私がひとつ指南してあげるから、すこし遊びを覚えるといい」

完三郎は驚いて頭を上げると、うれしそうに瞳を輝かした。それから気付いて神妙な顔をし、銀次郎に無言でお伺いを立てる。

腕を組んで難しい顔をしていた銀次郎は、やがてくすりと笑うと優しい顔で弟にうなずいた。

それを見て弟がぱぁっと顔を輝かすと、すぐに釘を挿す。

「だが、まずはしばらく謹慎しておれ。少なくとも、その右手が癒えるまではな」

完三郎はうれしそうに、何度も何度もうなずいた。身体が大きいだけに、その無邪気な喜びようが、やけにかわいらしくほほえましい。思わず釣られて微笑んだ銀次郎は、耕四郎に振り向いてもう一度頭を下げた。

「そういうわけで、この愚弟をよろしくご指南いただきたい。まことに勝手なお願いながら、この嵐山銀次郎、伏してお願い申し上げる」

「ははは。教えると言っても、剣術の方はいい先生が付いているようだし、まあ、私が教えられるのは、酒と色事くらいのものだが」

「ところで、今回のお礼といっては何ですが、我が家に来ていただけないでしょうか?」

「なんと? お城にか? それは少々……」

「いえいえ、違います。私の屋敷ですよ。酒肴を用意させますので、是非ともお願いします。じつは、お礼だけでなく、少々お願い事がございまして。あなたの慧眼を見込んで、お知恵を拝借したい事態が……」

「ふ〜む」

しばらく腕を組んで考えていた耕四郎は、やがて大きくうなずいた。

「わかった、行こう。実は、さっきの忍びがやっていた居酒屋で、晩飯を喰いっぱぐれて、腹の虫が鳴き出しているところなのだ」

銀次郎は思わず吹き出すと、大きくうなずいて歩き出した。

その後ろに耕四郎と完三郎が続く。

歩きながら、ふと何かに思い当たった耕四郎は、大男の三男坊に向かって、前を行く兄に聞こえないよう、小さな声でささやいた。

「おい、完三郎さん。色と酒を教えるのはいいが、勘定はそっち持ちなんだろうな? 割り勘なんて言われても、私は持ち合わせがないぞ?」

そう真剣にささやく耕四郎の顔を、驚いて見返した完三郎は、次の瞬間、はじけるように爆笑した。

銀次郎が驚いて振り向くのに、耕四郎があわてて「なんでもない、なんでもない」と手を振るのを見て、さらに笑いの発作がおこる。

大男の笑い声は、蒸し暑い夏の夜空に、いつまでも響いていた。


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