| 翼の折れたエンジェル |
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そしてその子は、驚くほど傲慢でもなく。 かといって控えめというほど、おとなしくもなく。 いたって普通に育った。 すごく普通に。 それがタメになったかならないかはともかく、両親は惜しみない愛情を注いで育ててくれたのだし、当節流行の「ポジティブ思考」とやらのおかげで、根拠のない自信に裏打ちされた明るさを持 たされたのだから、ほら、やっぱり普通に育ったといっていいだろう? 名前は、式守翼(しきもりつばさ)。 翼くんなんて、ちょっとイカした名前のようだが、同級生にはシオンくんだの、アンリちゃんだの、マリンちゃんだの、いちど聞いただけではどんな字を書くんだかわからないような、先生泣かせの名前もいるのだから、これもやっぱり普通だろう。 「キィー!」 翼くんが切れて、素っ頓狂な声を上げる。周りの友達は、一斉にそちらを見るが、次の瞬間には、「またかよ」って顔で、視線をそらす。そりゃあそうだ。翼くんだけじゃなく、誰もみんな、同じようなものだから。 子供は天使。マイ・エンジェル。 授業参観のたびに、背中のばっくり開いた原色のワンピースを買いに行くようなお母さんが、お友達同士、昼間からファミレスでビールを飲みながら、そんな風に話し合い、可愛がって育ててくれたのだから、そりゃあみんなお家では好き放題。 天使というより暴君に近いんだよ。 そんな暴君が一堂に集められて、集団生活をしようって言うんだ。思うとおりにならなきゃ、切れてわめくことしか出来ない半動物みたいな子ばかりになったとしたって、無理もないだろう? カッターナイフを持って、切れた翼くんが暴れだす。恥ずかしいのかはっきり言わないけれど、要は明日香ちゃんと同じ班になれなかったのが気に入らないのだ。席替えのたびに、一人やふたり、こういう子がいるんだよ。 でもまあ、ご安心を。 小学生の使うカッターナイフには、コンピュータが仕込まれていて、紙以外のものを切ろうとすると、自動的に刃が引っ込んでしまうように出来ているんだ。なんたって、天使の使うカッターだからね。万が一にも怪我をしないように、細心の注意が払われているのさ。 モチロンみんなそのことは知ってるから、カッターを持った翼くんが暴れたって、知らん振りしている。どうせ大声でわめいてすっきりしたら、何事もなかったように席に着くに決まっているんだから、心配するだけ損なのさ。 あんまりしつこく切れたりしたら、それこそみんなからシカトされて、その後の学校生活が地獄になってしまうからね。切れるってのは、あんまりナメると俺も黙ってないぞ? って言う、いわば示威行為みたいなもんだから。 ニホンザルのマウンティングと、まあ、同じようなものだよ。 上手にバランスの取れた世渡り上手。 結局はこれが一番いいのさ。 自分のポジションを認識して、それに見合った発言や行動を取れるくらいの頭のよさと、後で責任を追及されない程度の協調性や行動力、そして結果。これさえ押さえておけば、学校生活は安心だ。 もっとも天使を育てるお母さんたちは、際立った結果を求めるけどね。 まあ、それも無理ない話なんだけれど。 お父さんのお仕事やお給料でついた序列ってのは、そう簡単に変わらないだろう? だけど、子供の出した結果による序列ってのは、お父さんの出世よりは、上に行ける可能性が高いし、ばら色に見える。 だから、お母さんたちは、子供=自分みたいになってゆくんだ。子供の出した結果によっては、序列が一気に覆(くつがえ)ることもあるんだもん。必死だよ。 でもね、翼君たちだってバカじゃない。 自分たちがそんな、ある意味お母さんの 虚栄心のためのアクセサリー的な扱いを受けていることは、言葉に出来ないだけで、本能的に充分感じ取っているし、それで傷つくほど繊細でもない。 繊細だと思っているのは、母さんたちだけさ。 それでも、お母さんのステータスが上がるってコトは、当然、彼らの収入、つまりお小遣いにも反映してくる。収入が多くなれば、友達とのコミュニケーションに欠かせない、さまざまなアイテムが入手できるのだから、これはやっぱり少しでもがんばって、いい成績を残した方が得だ。 ちょっと前なら友達同士で情報交換をしたんだけど、今はそれも必要ないんだよね。なんたってコンピュータがあるんだから。インターネットで情報を集めて、それを元に一番楽で効率のいいショートカットを学ぶ。 恥じることも、臆する必要もない。 大人だってやってることなんだから。むしろ、そういうのが上手な近所のお兄さんの方が、モニターにメモ用紙を張ってるようなお父さんより、何倍も尊敬できるってもんさ。 もっとも、もう少し大きくなれば、そのお兄さんが社会的には何の貢献もしていない、ただの非生産的なヒキコモリだってこともわかるようになるだろう。 そして、引きこもること自体が社会問題になっているという、ある意味放牧的な自分の国の現状を知って……たぶん、それでも何も感じないんだろう。
翼くんは大学生になった。 私立大学の中では最高位に近い学校に、何とか滑り込むことが出来たんだ。お母さんは、もう、狂喜乱舞といった状態さ。お父さんなんて家にいないかのような扱いで、もう、家中が翼君を中心に回る。 もっとも、そのお父さんだって会社では、ことあるごとに息子がいい大学に入ったことを自慢してて、実際、周りの同僚や部下なんて、ちょっと食傷気味だったりするんだけど。 まあ、確かに翼くんはがんばったし、その後褒美に少々高めの国産スポーツカーを買ってもらったとしたって、いまどき、それほど大騒ぎするほどのことでもない。むしろマンションを買ってもらうなんてイカれた話よりは、よっぽどほほえましいよね。 根拠のないポジティブ思考。それを根幹にした明るさと軽さが、大学生活では、彼の一番の武器になる。 かつて尊敬していた近所のお兄さんと同じような連中を鼻で笑って蔑(さげす)み、個性と言いながら同じような格好の『仲間』と、毎日を面白おかしく過ごしていた。 たかだか7人やそこらの『仲間』ウチで、恋したり別れたり、ケンカしたり仲直りしたり。そしてそのどれもが、なんかのドラマで見た光景だったり。 生活感のないおしゃれな部屋に、『仲間』が集まって、何かって言うとパーティ。遅れてきた二人の表情がぎこちないのを、おせっかいな一人が追求し、「実は別れたの。でも、いい友達でいるんだ」なんて真実を引き出そうものなら、もう、大騒ぎ。 またある時は。 誰かに思いを寄せていた控えめな女が、何の電波をキャッチしちゃったんだか、その瞬間だけ急に積極的になり、別れ際にキス。その瞬間を、仲間内でもそういうのに疎(うと)いヤツ、もしくは「疎いという役回りのヤツ」が目撃して、みんなの前で「おまえ達、実は付き合っていたんだな」なんてデリカシー(笑)のないセリフ。 仲間と言いながら、誰も傷つけたくないなどと遠慮しつつ、その実、欲望にだけはやたらに忠実で、挙句の果てに子供ができただ、堕胎するだ。故郷から仕送りしてくる両親の顔なんて、3ヶ月に一回、思い出すかどうか。 思い出したら出したで、「ああ、俺はなんてダメな息子だろう」なんて嘆いてみても、せいぜい一時間かそこら。電話して切るころには親子喧嘩だ。いい加減うんざりするだろうに、そんなこともないようで、そんな「ドラマ」が似合わない年齢になると、新しい舞台と役柄を求めてさまよう。 都会の方がステキな役が転がっていそうな錯覚で、いつまでも「本当の自分探し」とやらに奔走し続け、気付けば大学も留年。あわてて社会と向き合って、とりあえず見栄えのいい職業を探しつつ、 今日も…… ポジティブに、明るく生きてゆく。
一方、お母さんも大変だ。 マイ・エンジェルの翼くんがいい大学に入ったはいいけど、それきり音沙汰ナシ。自分たちの生活を切り詰めながら、翼くんにはたっぷり仕送り。だって、お金がなくてカード地獄に陥ったり、犯罪にでも走られたりしたら困るからね。 子供を信用できないのかって? だって、かつてそうだった自分が育てたんだもの、そりゃあ自信も持てないよ。我慢だとか忍耐なんて言葉、自分も持ってないのに、子供に教えられるわけないだろう? それでもお母さんも当節の毒に犯されているのか、子供の人生は子供のもの。あの子の目の前には無限の可能性が広がっている、なんてばかげた幻想を抱いていたりするから手に負えない。 肉体的に優位な子供のうちは言うことを聞かせられたけれど、今になってはそれも無理。翼くんはすっかり言うことを聞かなくなって、暴君のまま、未だ社会に出ようとしない。 それははっきり、お母さんとお父さんのせいなのだけれど、それを認めたくない両親は「子供の自主性を重んじる」という、耳障りのいい言葉にすがって、自らを正当化する。 それは「放任」でさえなくて、責任放棄と言うんだということには、きっと一生気付かない。挙句の果てに子供が何かやらかせば、情報化社会のせい。 無制限に情報を与えることが悪なんではなくて、それを判別し、処理することが出来ないように育てたことが悪なのだということには、しっかりと目をつむる。 目をつむるのは、お父さん、お母さんの、学生時代からの得意技だ。
翼くん、ある日、大変なことをしでかした。 自慢のスポーツカーで、子供を轢いてしまった。 もちろん、情報化社会の申し子だから、その場で取り乱したり、不用意に謝ったりは断じてしないよ。警察でも、弁護士をよべの一点張り。俺は悪くない、あの子供が急に飛び出してきたんだ。 天使として育てられてきたから、自己弁護や責任転嫁は得意なんだが、今回ばかりは相手が悪すぎる。だって、向こうも天使なんだから。それもまだ、可愛い盛りの小さな天使。ある意味、最強だよ。 被害者の両親は、翼くんの言い草に呆れ、態度を硬化させる。 当たり前だね。 当然のごとく、示談は成立せず、今まで何度も速度違反や駐車違反をしていた翼くんは、キッチリ実刑を食らって市原(交通刑務所)行きが決定した。 納得の行かない翼くんは、控訴をしようとするが、弁護士さんも、無理だといって取り合ってくれないとなれば、両親にも、どうすることも出来ない。 なんたって当の翼くんがそんな態度なんだから、いくら両親がアタマを擦り付けたって、向こうの両親も許すわけには行かないだろう? 大事な天使を殺した、人殺しヤロウが、いけしゃあしゃあと無実を訴えているなんて、はらわたが煮えくり返る話だ。死刑にしたっていいと思ってる。 結局、控訴も出来ず、翼くんは服役することになった。 懲役6年の実刑だ。
四年目の春、翼くんは社会に出てくる。事なかれでおとなしく過ごすのは、昔から得意だからね。模範囚として見た目だけでも真面目に勤めれば、このくらいで出てこられるんだよ。 とは言え、翼くんにしてみれば、永遠にも等しい四年間だ。 逆恨みは、身体の芯にまで溜まりまくっている。なんとしてもこの仕返しをしなくちゃ、気がすまない。お母さんが優しい言葉をかけてくるのを適当に流して、翼くんは復讐の準備を始めた。 なあに、仲間と一緒にやれば、うまくいくだろう。 だけど、四年の月日は、翼くんから大事な『仲間』を奪った。 本当はそれぞれ社会に出て、ドラマごっこなんてやっている暇がなくなり、なんとなく疎遠になってしまっただけなのだけれど、翼くんにはそうは思えない。あの時『理不尽にも』刑務所に入れられてしまったから、俺はすべてを失った、としか感じられないんだ。 仕方なく、翼くんは最も信頼を置ける相棒を使うことにした。そう、モチロン、お母さんだ。お母さんは、やめてくれなんて言ってたけれど、翼くんの決心が固いのを知ると、今度はどうしたら翼くんが捕まらないで 済むか、ってことに頭を使い始めた。 お父さんは頼りにならない。 翼くんが犯した罪の償いに、相手の両親に賠償金を払うためだけに働いているような状態だから。お父さんも本当は逃げ出したいのだけれど、翼くんを愛している、もしくは愛していると思い込んでいるから、文句ひとつ言わず働くんだ。 お母さんはついに、完璧な計画を練り上げた。 そして、翼くんとともに、それを実行するために、色々と準備し始める。モチロン翼くんは、文句を言いながらも、計画のために、お母さんに言われたように動く。それは彼のもっとも得意とするところだからね。 こうして母子は、お父さんが仕事で忙しいのを尻目に、着々と復讐(嫌がらせ?)の準備を整えてゆく。その目ははっきりと正常で、狂気のカケラさえ宿っていない。 そりゃあそうさ。 だって、彼らはそれを当たり前だと思っているんだから。己の狂気を自覚して、自暴自棄に暴れる方がよっぽど可愛い。彼らにとって、彼らの人生をむちゃくちゃにした被害者の両親は、真に憎むべき仇 (かたき)なんだよ。 相手の気持ちなんて、知るものか。想像したことさえないね。 本当は、25歳なら、まだまだ社会復帰は出来る。 だけど、翼くんは反省も、真摯な気持ちで社会復帰なんて事も、最初からする気はない。そして、翼くんがそう思っているなら、お母さんだって、同じなんだ。 人間らしい心がなくなったのかって? 違うよ。 翼くんは最初から人間じゃない。 天使なんだ。 |