トロいヤツ
「トロいヤツってさ、見てるとぶっ殺したくなるよな?」

光一(こういち)は教室の後ろで仲間とたむろしながら、大声で叫んだ。

しかしその三白眼は、仲間には向いておらず、黒板を消している博之(ひろゆき)へ刺すような視線を浴びせている。

博之は後頭部でそれを聞きながら首をすくめた。それから、恐る恐る振り向くと、光一を目が合う。慌ててそらそうとしたが、そらせばまた殴られるとあきらめたのだろうか?

仕方なく、おどおどと、お伺いを立てるように愛想笑いを作る。

「なに笑ってんだよ?俺の顔がそんなにおかしいか?」

光一は大声で威嚇しながら立ちあがった。周りの仲間たちは、ニヤニヤとなりゆきを見守っている。博之はその大声だけですくんでしまったのか、動けないでいた。

「光一君、ちょっといいですかね?」

突然上がった声に、一同は視線を集めた。

その視線の先には、背が低く、痩せぎすで、ぎょろりとした黒目がちの瞳を微笑ませながら、一人の男が立っている。おととい転校してきた、高崎明(たかさきあきら)という少年であった。

「なんだよ、高崎?なんか、文句があるのか?」

威嚇するような光一の言葉に、明は小首をかしげて言った。

「いえね、なんで君達は伊藤君をいじめるのかな?と思ったもので。純粋に、興味本位で聞くんですが」

伊藤は博之の苗字である。明の矮躯を見て侮っている光一は、鼻で笑いながら博之を小突く。

「見ててむかつくからだよ。理由なんかねえ」

そう言いながら博之を蹴飛ばすと、博之はしゃがんで縮こまりながら「ごめんなさい」を連発する。その姿に、光一は刺激される。イライラと博之を蹴飛ばすと、仲間に振りかえって叫んだ。

「やっぱ、トロいヤツは見てていらつくわ。ホントぶっ殺してえよ」

その言葉に、明はにっこりと微笑む。

「ああ、そうでしょうね。それは仕方ないですよ。人間として当たり前のことですから」

「そ、そんな……た、高崎君!」

博之の驚いたような声を無視して、明は光一を見据えたまま話を続けた。

「もともとサルって言うのは木の実や花を食べていました。樹上生活を捨てたわれわれの祖先も、最初の頃は同じようだったでしょう。しかし、やがて彼らは肉食を覚えます。小さなウサギや鳥を食べることを覚えたわれわれの祖先は、飛躍的にたんぱく質を効率よく摂取出来るようになったんです」

いきなり始まった生物学の講座のような話に、光一や博之達は、呆気に取られてしまう。

「元来、草食動物というのは、あまり脳が発達しません。植物っていうのはエネルギーが少ないですから、一日の大半を食事に費やさなければならないんです。脳を発達させる暇がないわけですね」

「おめー、なに言ってるんだ?」

毒気を抜かれた光一に優しく微笑むと、明は楽しそうに講義を続ける。

「ところが肉食を覚えたわれわれの祖先は、食事以外の時間をたくさん持てるようになりました。すると、次にはどうやったらもっと簡単に、効率よく獲物を取れるか?ということを「考える」ようになります。脳が発達してくるわけです」

「だから、それとトロいヤツがむかつく話しと、どうつながるんだよ?」

「ですからね、より効率よく獲物を取るためには、みなで協力し合わなくてはならないでしょう?ところがトロいヤツがいると、そいつのせいで獲物を逃がしてしまったりすることがあるわけです」

ここでようやく光一も得心がいったようである。にやりと笑って博之を見た。博之はおびえた様子で下を向いている。

「つまり、トロいやつを生かしておくって言うのは、その集団の死活問題にもつながるわけですよ。われわれの遺伝子には、そういうやつを見ると排除したくなる性質が、遥か原始の昔から組みこまれているって事です。トロい人間に殺意を覚えるのは、人間として正常な反応ですよ」

光一は愉快そうに笑いながら、眼だけは鋭く博之をにらむ。

「なるほどな。つまり博之をぶっ殺すのは、人間として正常って事なんだな?」

「ええ、そうです。本当に殺すのなら、ね」

にやつきながら博之に近づいていた光一は、驚いて明を振り向く。その顔を面白そうに眺めながら、明は淡々としゃべりつづけた。

「殺しもしないくせに、余計なちょっかいをかけているのは、見ている方には不愉快なんですよ。マサイ族には、他人に不快を与えるものはいません。なぜだかわかります?厳しい環境で生きるものにとって、無用の不快は死に直結するからです」

淡々と話しながら光一に近づいた明は、いきなり人差し指を光一の鼻の穴に突っ込んだ。

一瞬遅れて、聞くものの背筋を凍らせるような悲鳴が、光一の口から発せられる。しかし、光一が両手でつかんでいるにもかかわらず、明の指は光一の鼻から抜けない。どうやら、中で指先をまげてフックさせているようだ。

「動くと余計痛いですよ。おとなしくしていなさい」

冷たく言い放った明は、驚きに動けない博之や光一の取り巻きに向かって、相変わらずの冷静な口調で語りつづける。

「君達のじゃれ合いはね、ちょっと不愉快です。僕は静かに思索したいのですよ。わかりますか?」

そう問われても、驚きで固まっている彼らには、答える事が出来ない。

「弱い生物が、仲間同士で階級を確認し合うのは動物の常です。が、思うに、現在の人類の階級別けの基準は、腕力ではないでしょう?どうせヤルなら人類らしく、どちらが経済的に上か?どちらがより残酷になれるか?そう言ったところで勝敗を決めなさい。それなら、僕の思索の時間を邪魔することもないでしょうから」

明はフックした指を引っ張って、光一の顔を強引に自分の顔の前に持ってきた。光一は涙を流し「あぁぁあぁぁ」と魂の抜けるような声をあげながら、成されるままになっている。

「光一君、わかりました?伊藤君を殺すか、放っておくか、どちらかにしなさい。それから、僕の目の届く範囲で、騒ぎを起こさないように。僕は思索を邪魔されるのが、なにより我慢ならないんです。いいですね?」

光一は涙を流しながらうなずく。その姿は、痛みに負けたというよりは、目の前の高崎明という生物に恐怖しているかのようであった。

「よろしい」

それだけ言うと、明は鼻の穴から指を引き抜き、光一のワイシャツでその指をぬぐった。

光一とその取り巻きが、慌てて姿を消すと、博之がおずおずと近づいてくる。

「高崎君。あ、ありがとう。僕ね、実は君に言いたいことがあるんだけれど……」

そこまで言って、博之の言葉は止まる。振り向いた明の瞳に射すくめられて、それ以上しゃべることが出来ないかのように。

「消えなさい。伊藤君、僕は光一君のように君とじゃれ合う気はありません。君は非常に不愉快です。これ以上僕に近寄ったら、殺しますよ?」

脅しではなかった。明の目は人間と話す人間の目ではなかった。

博之はあわてて、明の前から逃げ出した。

 

体育館の裏に、大勢の人間が集まっている。

その中心にいるのは、高崎明だ。

明はものすごく不愉快そうな顔で、目の前の人間たちを見つめている。明の前に立っているのは、光一と、彼が集めた不良グループである。

「てめえ、もう、わびを入れても遅いからな?二度と学校に来れなくしてやる」

「来れなくではなくて、来られなく、ですよ。人類のゆがんだ進化に大きく貢献した最大の武器、「言語」くらい、きちんと操りなさい」

明の的外れな説教を聞いて、光一達は激怒する。

「うるせぇ!おい!やっちまえ!」

光一の叫びと共に、数十人の人間が、明に向かって襲い掛かる。

めんどくさそうにポケットから手を出しながら、明はその一人に自分から近寄り、いきなり抱きついた。驚いた相手が一瞬躊躇しているスキに、その喉笛に食らいつく。

あぎゃぁぁぁぁぁ!

男の悲鳴と共に、驚くほど大量の血液が、ぴうぴうと首筋の頚動脈から噴水となって吹き出た。吹き上がった血液は、近寄っていた男たちの全身に降り注ぐ。

集団効果で酔っ払っていた不良達は、実際に目の前で行われた殺人と、自分に降り注ぐ血液のリアルな暖かさに、現実を取り戻した。

これは違う。

いつもの、高揚感を伴なった殴り合いではない。顔を腫らしながら、後で仲間と思い返して大笑いできる。そういう類いの暴力ではない。

これは………そう。

ただの屠殺(とさつ)だ。

一度、現実を認識すれば、彼らの行動は早かった。悲鳴を上げながら、散り散りになってしまう。残されたのは光一と、もはや死体になりつつある最初の犠牲者のふたりだけである。

光一も逃げ出そうとしたのだが、物理的な力を持つかのような明の視線に射すくめられて、腰を抜かしてしまっていた。

「自分より強いものからは逃げる。小さなコミュニティで豆粒のような権力を振るっているうちに、そんな生物として最低限の本能さえなくしてしまったのですか?まったく救いがたいですね、君は」

口の周りを血だらけにしたまま、何の興味もなさそうに、明は淡々としゃべる。

と。

物陰から、姿をあらわす者がいた。

「おや、伊藤君じゃないですか?どうしたんです?そんな物騒なものを持って」

明の言葉に、光一が振りかえると、そこには出刃包丁を持った博之がいた。

「ひ、博之……おまえ……」

震えて及び腰になりながらも、包丁を構える博之の姿に、光一は驚きと感動を覚えていた。その顔を見て、明らかに興ざめだといった面持ちで明が言った。

「こんなやつでも、お友達ってワケですか?」

「うわぁぁぁ!」

博之は叫びながら走り寄って来る。

たったったったったったったったっ……どすっ!

博之の包丁は刃を上にしたまま、狙い過(あやま)たず腹部のど真ん中に深深と突き刺さった。そして次の瞬間には、腹圧によって上に押し上げられ、刃先は内臓をずたずたに引き裂く。

明は一瞬驚いて固まった後、にやりと笑う。

その視線の先には、腹部から包丁を生やした光一が、信じられないといった顔で博之を見つめていた。博之は、はあはあと肩で息をしていたが、やがて落ち着くと明を振りかえる。

「なるほど、この機に乗じて復讐と言う事ですか?しかし、よく思いきりましたね?警察につかまるのは怖くないんですか?」

腹から生えた包丁を抱えて、奇妙な叫びをあげながらのた打ち回っている光一の姿を冷ややかに見ながら、博之は微笑んだ。

「なに言ってるんだい?光一君の持ってきた出刃包丁を取り上げて、彼の腹を刺したのは君じゃないか。でも、仕方ないよね?大勢に囲まれて襲われたんだもの。正当防衛だよ。心配しないで?僕が証言するから」

博之の言葉に一瞬、唖然とした明は、すぐに心の底から楽しそうに笑い出す。

「はははは。なるほど、なるほど、そう言うことですか。ねえ、伊藤君。僕は君を見くびっていたようです。本当に申し訳ない。心から謝罪させていただきます」

博之は少し恥ずかしそうに、顔を赤らめた。

「ねえ、僕ら、いい友達になれそうですね?」

明の言葉に、博之はうれしそうに微笑む。

「もちろんだよ!うれしいな。僕、友達がいなかったから」

「うふふ、僕もですよ。トロい奴ばかりで、うんざりしていたところです。伊藤君はずっと前から、彼らのほうが、自分より優秀だとはどうしても思えなかったんでしょう?」

「うん。少し考えれば結果が明白なことに、いつも事態が起こってから慌てる彼らのほうが、僕よりずっとトロく感じていたんだ。だから、おまえはトロいと言われても、ちっともピンとこなかったよ」

「ええ。トロいやつほど、自分がトロいってことに気づかないんですよ」

「僕は自分の心が怖かったんだ。どうして、こんなにも他人を憎んで殺したくなるんだろう?僕は異常者なのだろうか?ってね」

「判りますよ。私も昔、同じことを思いましたから」

「だから昨日、君の「トロい人間を憎むのは、本能なんだ」って言葉を聞いて、全身に震えが走ったよ。自分がまともなんだとわかった時の嬉しさと言ったら!」

「ふふ、そりゃ、嬉しかったでしょうね。しかし、まったく、トロいやつらにはイライラさせられます。皆殺しにしてやりたいと思いませんか?」

博之は明の言葉にうなずいて、大きく胸を張った。

「僕ね、いつもひとりで退屈だったから、世界中のトロくて無神経な人間を皆殺しにする計画を立ててたんだ。だけど、ひとりで実行するのは少し怖かったんだよ。もし、君が手伝ってくれるなら、凄く心強いな」

「へえ、それはまったくすばらしい。僕も同じように計画を立てていたところです。それじゃ、僕の家で計画を検討しましょう」

明と博之は嬉しそうに微笑みあうと、連れ立って歩き出した。

死にゆく光一のうめきは、もう二人には届かない。

それも当然だ。

ふたりとも、トロい人間が嫌いなのだから。

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