| トゥ ビー スライ |
ガラクタ置き場のような家の中で、ジムとユマはようやく一息ついた。 彼らを襲ったウォーカーマシン、ケンタウロスはもはやネジ一本さえ残ってはいない。 軍事用ウォーカーマシンのパーツと言う臨時ボーナスを受け取った最下層地区のたくましい人々は、貰う物さえ貰えば用はないとばかりに、あっという間に姿を消し、ジムのカタパルト攻撃で残った爪あとだけが、大地に深く刻まれている。 「結局、宝石は見つけてやれなかったなぁ」 ユマに対して詫びると言うより、むしろ自分のコトのように残念がるジムのつぶやきを聞いて、ユマは柔らかな微笑で答えた。 「仕方ないよ。フリントストーンは大事だけれど、命まで取られるわけには行かないもの」 まあな、とうなずきかけて、ジムは怪訝な顔をする。 「フリントストーン? ターコイズ(トルコ石)じゃなかったのか?」 「ターコイズだよ。でも、ただのターコイズを、ルーラ(最高支配者)がわざわざウォーカーマシンを出してまで探すと思う? それこそ、ルーラに取り入ろうとしてるロイヤル(上層市民)はたくさん居るんだから、彼らに任せればいいことでしょう?」 「それもそうか。すると、そのターコイズには、彼ら自身が出てこざるを得ないような何か秘密があるってことか? いったそいつはどんな石なんだ?」 「世界を滅ぼすほどの巨大な力を持った石、とでも言えばいいかしら。世界を爆発させる発火石という意味から、フリントストーン(火打石)なんて呼ばれてるの」 話の途中で、ユマの顔がだんだんと暗い影を帯びてゆく。 二人を襲った人間は、宝石を奪うと言うより、まっすぐユマを殺しに来た。もしかしたら、その辺にまだ深い事情があるのかもしれないなぁと想像しながらも、もともとそう言う込み入った話が苦手なジムである。 俺はとにかくユマを守ろうと心に決め、案外晴れやかな顔で笑った。 「まあ、細かいことはともかく、お前のことは俺が守るよ」 しかしジムの言葉を聞いても、ユマの憂いは晴れない。 「うれしいけれど、相手が悪いの。追ってくるのはルーラの中でも最大の権力を持った、まさにこの世界の支配者なんだもの」 そう言われて、ああそうかと一緒に暗くなるようなジムではない。ひねくれ者だけに、一度こうと決めたらなんとしても譲らないのだ。ジムのいいところでもあり、悪いところでもある。 「ちぇ、大船に乗った気で安心してりゃいいのに。んで、その支配者ってのはどんなヤツなんだ? やっぱりえらい歳食った爺さんなのかな? それとも昔の武将みたいに雲突く大男?」 ライブラリのアーカイブ(書庫)で見た武将たちの映像を思い浮かべながら、ジムが訊聞くと、ユマはその言葉に一瞬、遠くを見るような目をした後、ゆっくりと首を横に振った。 「ううん。若くてものすごく綺麗な男の人だよ。打ち立てのコンクリートみたいに真っ白な肌で、夜の闇のように漆黒の大きな瞳を持った、どう見ても美しい女性にしか見えない男の人」 そう言われても、ジムは最下層の粗悪なコンクリートしか見たことないので、想像のしようがない。 「へえ、そんな華奢な男が、世界の支配者なのか。なんだか、それなら勝てそうな気がするな」 もっとも、単純に肉体をぶつけ合うような争いではなく、戦争に近い最悪の暴力で戦いあうのだから、身体の丈夫さなどカケラも関係ないということは、ジムにも充分判っているのだが。 ジムの能天気なせりふに、ユマはぶんぶんと首を振って、思いのほか強い口調で叫ぶ。 「とんでもない! この世にあれほど恐ろしい人は居ないわ! それがどんなフィールドであれ、およそ争いと名のつくもので、あの人が負けるなんて考えられない」 「へえ、それほど……なのか……」 思わず鼻白んだジムに食って掛かるかのごとく、ユマは熱弁を振るう。 「味方でいる間はこれほど心強い人はいないけど、敵に回してこれほど恐ろしい人もいないわ。ああ、やっぱりあなたを巻き込んではいけなかった!」 崩れ落ちるように両手で顔を覆って泣き出したユマに、ジムは少々怒りを感じていた。なぜ、最初からそんな風に思っているのだ。俺が守るといっているのに。 しかし、ユマの様子にただ事ならないものを感じたジムは、その怒りを飲み込んで静かに訊く。 「味方でいるときは、ってコトは昔の仲間か何かなのか?」 びくっと肩を震わせたユマは、恐る恐るといった風に顔を上げると、悲しみに満ちた顔でうなずいた。 「……兄……なの」
最高会議は、緊張に包まれていた。 いつもは7人の最高議会の長老たちが、巨大な円卓を均等に囲んで、この世界の舵取りをしているのだが、今日はその席の並びが変わっている。 円卓の片側半分に窮屈そうに7人の老人が腰掛け、反対側には若い男が一人で座っているのだ。 その様は査問会か何かのようで、まるで若い男の失態について老人たちが吟味をしているようにも見える。事実これは査問に近いものだった。ただし、裁かれるのは老人たちのほうであるのだが。 「で?」 尊大なヒトコトで沈黙を破ったのは、若い男のほうである。豪奢な長い黒髪を流れるままに遊ばせ、血を塗ったように赤い唇から舌を覗かせるその姿は、妖艶にして淫靡である。 意を決した老人の一人が、額に浮かぶ脂汗を拭きながら、緊張に声を裏返しつつ報告を始めた。 「も、申し訳ありません。八方手を尽くして入るのですが、なにぶん下層地域は……」 ほっそりした手を優雅に上げて老人の言葉をさえぎると、男は口元に皮肉な笑みをたたえて言った。その声は美しいが、しかし氷のように冷たい。 「修辞、麗句は不要だ。つまり、逃がしてしまったということだな?」 「は……」 老人達は一様に硬直したまま、額に玉のような汗を浮かべている。肉食獣ににらまれた小動物のごときその様子を、冷笑しつつ眺めていた男は、やがて興味を失ったかのように手を振った。 「フリントストーンが「盗まれました」で済むようなものではないことは、卿らも十分承知しているだろうから、ここでうるさいことを言うつもりはない。卿らの努力に期待するとしよう」 「は、必ずやご期待に沿うよう」 思わず安堵のため息を漏らしながら汗をぬぐった老人に対し、男の冷ややかな声は続いて言う。 「それはいいとして、わざわざ最高議会長老部のお歴々に集まっていただいたのは他でもない。わが妹の処遇についてだ。こればかりは身内の私の一存で決め るわけにはゆかないので」 ここまでの経緯で明らかなように、この麗人が実際に老人達の意見や協力を必要としているわけではもちろんない。 彼が必要としているのは、ここで決まったことが彼個人の言い分ではなく、最高議会の決定であると言う「事実」だけだ。 ロイヤル(上層市民)を含む下層階級の人間達に対する場合はともかく、最高支配者であるルーラの間においては、何事も民主的に行われなければならない。少なくともその形だけは整える必要がある。 たとえ実質上はそうだとしても、表面上はあくまで、彼は独裁者ではないのだ。そういう体裁を整えなくては、マルティバックに命令することが出来ないのだから、仕方ない。 分散して世界中に広がるコンピュータ、マルティバックは、常に世界の監視と調整を続けている。 そして万が一、暴力による政権が樹立されたり、テロリストに中央制御室を乗っ取られた時などは、自動的にその活動を停止するように作られている。 世界中に分散しているため、マルティバックに対して同時に攻撃をかけることは不可能だし、コピーされ、分散したプログラムは、すぐに自己修復して、監視とコントロールを回復する。 今までの機械が使用者よって武器にも道具にもなり得たのに対し、マルティバックは民主的でない政権や暴力を持って簒奪された政権に対しては、一切力を貸さないのだ。 そしてマルティバックの助力がなければ、これだけ複雑になった世界を制御してゆくことは出来ない。 誕生したとき、これで世界政府が樹立されると喝采を浴びた、完全無欠のシステムなのである。 もっとも、完全無欠なのは当時予測された範囲のトラブルに対してであって、やがてある者が下層、普通、上層の三市民と言う被差別階級をつくり、彼らをマルティバックに「人間ではない」と定義させることなどまでは予測されていなかった。 世界中に広がり、常に世界を監視しながら、自己判断することの出来る複合コンピュータ、マルティバックを、どうやってそんなペテンにかけることが出来たのか? 答えは単純だ。 扱いやすいように、マルティバックの規模を小さくすればいい。世界中に広がっている? ならば、世界そのものを小さくすればいい。 マルティバックの協力を得なくてもどうにかやりおうせてしまうほど、人間がもっとも得意とするモノによって。 戦争。 それも最悪の細菌兵器による戦争を起こし、星の自然ごと自らの同胞を滅ぼした人間は、事前にそれを知っていた一部の者を残してそのほとんどが死滅した。 生き残った一部の者は、事前に用意された各地に点在する滅菌ドームで生きながら、わずかながら細菌に耐えて生き残った人々に対し、同じ人類にしたとは到底信じられない非道な行いを、むしろ嬉々としておこなった。 細菌に耐えてなんとか生き残った人々をサンプルとして捕獲すると、かつてのナチスや旧日本軍など足元にも及ばない、人道などと言う言葉がむなしくなるような実験をしたのである。 しかも、いつか彼ら自身がドームの外へ出るためではなく、「マルティバックに人間と認識されない人間」を作る。 それだけのために。 細菌による変化だけでは不十分だと言うことが判ると、こんどは彼らに対して放射能を浴びせ続けた。むろん、ドーム内でそんな危険なことをするわけはない。ドームの外に、うなるほどの土地があるのだ。 あの地区へはゆっくりと。この地区では急激に。あのあたりにはどれだけ。このあたりにはこれだけ。綿密な、悪魔の計画書に沿って、彼らはテストを繰り返す。 やがて、ついにマルティバックが人間と認めない人間が誕生した。 マルティバックはいまやドームの中だけを網羅し、世界中に点在するドームだけを世界だと認識している。当然、外の変化は知らないし、そんな生物がいることも知らない。 マルティバックは未知の生物を「人間外」と認め、「家畜」として扱うことを許した。ここに、ドームの人間達は、支配するべき奴隷を得たのである。 そう、彼ら生き残った支配階級は、「民主主義」が基本理念であるマルティバックを謀(たばか)って自分達の奴隷が欲しいがためだけに、これほどの非道を行ったのだった。 彼ら奴隷によってドームはどんどん作り足され、つながり、大きくなる。中の街もどんどん大きくなり、奴隷人口もどんどん増える。 もっとも、支配者達自身は、綿密な産児制限を行って、その数を一定に保った。 支配者になるのは、少数だけでいいのだ。 ドームを広げる速度に人口増加が追いつかなくなれば、建物はどんどん上に伸ばされた。やがてそれも限界に達すると、支配者達はついに奴隷の人口調節をも始める。 歴史上、最も効率的で、もっとも単純な方法で、それは成された。 大虐殺である。 増えすぎた「家畜」を間引きすることに、マルティバックはもちろん、異議を唱えることはない。支配階級の「人間」たちは、おおぴらに家畜の間引きを始めた。 とはいえ無差別に虐殺をしては、下層階級からの反撃もありえる。 家畜、奴隷と呼んではいるが、彼らとて意思を持った人間なのだ。あまりに強いプレッシャーは、大きな反動を生む。 そう判断した彼らは、下層階級を二階級に分け、上位の階級に上層民と名づけた。そして上層民が生きるためには、下層民を殺せ、とやったのである。 狡猾な方法だが、しかし、的を射ていた。 殺される人々の憎悪は、直接手を下す者に向き、その上にわずかにいる本当の犯人たちまでは届かない。そうして一度カーストを定めてしまうと、支配者達はその利便さに喝采した。 やがて下層民の中から現れた、さらにはみ出した者たちを「下層市民(マイナー)」と名づけ、今まで下層民といわれていた者たちを「普通市民(メジャー)」、上層民といわれていた者を「上層市民(ロイヤル)」と改称した。 下層民は、ある程度の自由と権利を与えられたことや、自分達以下のカーストが存在することに、上層民は「貴族」として、彼ら支配階級のおこぼれに与(あずか)れることに、それぞれ満足し、ここに安定した封建社会が完成した。 A.D(アフタードーム)暦の始まりである。 「フリントストーンを持ち出したのは、わが愚妹の愚挙であり、私の監督不行き届きでもある。私の落ち度と、妹の処遇について、卿らの賢明なる意見をお伺いしたい」 ヒトコト半句も心から思っていないであろうセリフを吐きながら、怜悧さを感じさせる広めの額にかかった長い髪をかきあげ、男は少し物憂げに瞳を伏せた。 とてもそういう態度には見えないが、瞳を伏せたのはすなわち、頭を下げたと言うことなのだろう。居並ぶ老人達は瞬時にそれを理解し、あわてて口々に言い募る。 「とんでもない。ミス・トクガワとて、もはや成人されておられます。その成人の行動に対して、本人以外の誰に責任がございましょう」 「まったくです。もし本人以外に責任を問うとすれば、それはトクガワさまではなく、教育係、執事、それにミス・トクガワと共にいたマイナーの男でしょう」 責任逃れの得意な面々に、己の責任がないことを立証させると、男……オスカー・トクガワ・ルーラは、またも軽くまつげを伏せ、すぐに瞳を上げるとおもむろに話し出した。 「卿らの寛大な言葉には、感謝の言葉もない。それではその言葉に甘えて、微力ながらこれからも、最高会議の一翼を担う重責を負うこととしよう。さて、ほかに議題がなければ、これで解散したいと思うが?」 むろん、反論の出るはずもない。 オスカーの言葉に、老人達はばね仕掛けのように立ち上がり、卑屈な笑いを張り付かせたまま、あっという間に部屋を辞した。残りの老人たちも、ハーメルンの笛吹きのごとく付き従って退出する。 従者以外、誰もいなくなった会議室の円卓に両足を載せると、オスカーはふんと鼻を鳴らした。その不快感が老人達へのものなのか、問題を起こした妹へのものなのかは、本人以外知る由もない。 彼の美しい眉間には、厳しい表情と深いしわが刻まれていた。
ふぃ〜〜ん、かしゃん、かしゃん バッテリースクータが3本足を忙しく動かしながら、最下層地区の瓦礫の合間を走って、いや、歩いてゆく。非力な電動モータながら本来なら時速3〜40キロは出るのだが、今はその性能を発揮するべくもない。 「なにこれ。走ったほうが速いんじゃないの?」 「仕方ないだろ、一人乗りなんだから。疲れないだけ、マシだろ」 そう、定員の二倍の人間を乗せているからだ。 敵の軍事用ウォーカーマシン、ケンタウロスは消息を断つ前に通信を残した可能性が高い。だとしたら、近くにいつまでも居ては危ないだろうと判断したジムは、バッテリースクータにユマを乗せて、住み慣れた自宅(のひとつ)を後にした。 「でもよ、その長老だかなんだかってなぁ偉いんだろう? で、あんたの兄さんといえば、それほど歳がいってるとは思えない。それなのになんでそんなに威張ってられるんだ?」 「それは……」 「ま、言いたくなきゃいいけど」 無関心な風を装ってそう言ったジムの横顔を後ろから眺めつつ、ユマはなかなか言葉を切り出せなかった。沈黙のあいだも、スクータは悲鳴を上げながらふたりを乗せて走る。 「トクガワ家って言うのは、特別なの。本当の支配者なのよ」 やがて決心したユマは消え入りそうな声で言った。 「ふうん、そのマルチなんとかがそう決めたのかい?」 ユマによって、この世界の驚くべき成り立ちを知ったジムは、しかし、それほど驚いたり、自分たちが人間と認識されてないということに対して憤(いきどお)ったりはしなかった。 ユマは奴隷どころか家畜呼ばわりされて、怒り心頭に達したジムに怒鳴りつけられることも覚悟で、この世界の重大な秘密を打ち明けた。 だが、彼は拍子抜けするほど冷静に「あ、そうなんだ?」のヒトコトで済ませてしまったのである。 もっとも、それも仕方ないことで、彼の頭の中はそれほど複雑にはできていないから、人権だの、尊厳だのといった、直接生きることに関係なさそうな概念は入る余地がない。その概念がないのだから、怒るべきだといわれてもぴんと来ないのである。 むしろ済まなそうに謝るユマに対して、からからと笑いながら「ご先祖様の罪まで背負って、肩身を狭くすることはねえさ」などと諭す始末である。 ユマは覚悟を決めていた分だけ、ほっとしたというよりむしろ物足りなそうな顔でジムを見たのだった。 「違うわ。マルティバックを作ったのが、トクガワの人間なの。もちろんたくさんのスタッフが関わったのだけれど、それとは時限の違う意味で、トクガワがマルティバックを作ったのよ」 「どうも、あんたの話はまだるっこしいな。俺にわかる言葉で話してくれないか? あんたが勉強しているあいだ、俺はゴミ捨て場を這いずり回っていたんだから」 ユマは一瞬、鼻白んだ。 が、ジムがいやみで言っているわけではないことを理解すると、気を取り直して話し出す。今までダブル、トリプルミーニングのやり取りばかりしてきた彼女は、どうしても言葉の裏に潜むものを探してしまうのだ。 「マルティバックというのはね、人間から独立していないと意味がないのよ。言わば実在する公平な神様、といった役どころだから。でも、権力者というのは、どうしても自分より上の存在を許せないのね。彼らはマルティバックの元に平等になることを拒み、マルティバックと平等になることを望んだ。むしろ、その上に立つことを」 「はぁん。つまりあんたのご先祖様は、神様になりたかったわけだ。神様なんて、願い事ばっかりされて、とても楽しい仕事とは思えないがなぁ。物好きなもんだ」 ジムののんきなセリフに、ユマは思わず破顔する。 「そうね。でも、それでも全人類の上に立つことを望む人は多いわ。そして、私の先祖、トクガワ一族もそうだった。彼らは秘密裏にマルティバックをコントロールすることが出来るようにしたの。トクガワの一族だけがそれを出来るように」 「でもよ、そんなのほかのヤツラが黙ってないだろう? お互いけん制しあったんじゃないか? それとも、そのころはトクガワしか権力者は居なかったのかな?」 鋭い質問に、ユマは驚いてジムを見る。もっとも、当のジムは思いついたことを言っただけで、どちらかというとスクータの運転のほうに気持ちを取られているようだ。 「ううん。もちろん対立する陣営はたくさん居たわ。特に今でも対立している、リー家の一族とか。でも、マルティバックでさえ従わなければならないモノと言うのは、どうしても 設定する必要があるのよ。対立する彼らでさえ、認めなくてはならないものが」 「ふうん。そりゃ、いったいなんだい?」 「つまり、自然だとか、新しく発見された法則だとか、そう言うものね。自然条件や新しい法則などの変化に対応するために、それを入力するコマンドがあるわけ」 「そんなもんなのか。で?」 「トクガワはその条件に自分たちを含めた。つまり、隕石の衝突によって、地軸のずれる速度が変わりましたとか、新しく発見されたこの法則のほうが正しいので、今までの計算式に修正を加えます、とか言った変更と同列で、特定の遺伝子を持つものの命令を無条件に聞く、という項目を加えたの」 「ちぇ、なんだかややこしい話だな。でもまあ、言いたいことはわかるよ。んで、そのコンピューターが機能し始めたところを見計らって、実は我々にはこういう力があるんだ、 みんな言うことを聞きやがれってやったんだろう?」 「そ、その通りよ。どうして判ったの?」 「そんなもん、上の人間の常套手段じゃねえか。なんだか便利そうな法律が出来て、こりゃいいやと思っていると、しばらくしてから必ずしっぺ返しが来るんだ。俺達ぁバカだから、実際にそうなってみるまで、その法律の本当の意味に気づかないんだけどな」 実体験から来るジムの言葉に、ユマは驚き感心すると、うなずいて話を続けた。 「とにかくそうして、その強大な力、マルティバックを操る力を一、二度、実際に見せて、トクガワの権勢は絶対になったわ。いつでもマルティバックを自由に出来るんだとわかれば、誰も逆らうものは居ないでしょ」 「俺は逆らうがね。俺達には全然関係ない話だ」 「そうでもないのよ。言ったでしょう? マルチバックはあなたたちを人間と認めてない。だから、害獣を狩るのと同じシステムで、あなたたちを狩ることが出来るの。そして、いつでもそれをさせる力が、トクガワの当主、私の兄にはあるってこと」 ジムは、面白くなさそうにふくれっ面をした。 「あんたにゃ悪いが、俺はあんたの兄さん、大ッ嫌いだ」 「そうね……それは当然だわね」 「でも、あんたは好きなんだな?」 「そ、それは……」 「まあ、いいさ。自分の家族を嫌うなんて、なかなか出来るもんじゃないしな。たとえどれだけ極悪非道だろうと」 「……そうね」 ユマは悲しそうな顔をうつむかせる。背中越しにその顔を見たジムは、肩をすくめて前を見た。こんなときに気の利いたことが言えるほど、洗練された男ではない。 「さてと、着いたぜ?」 「ここは?」 電動スクータが停まったのは、瓦礫以外何もないだだっ広い場所だ。少なくとも、建物らしきものは何もない。ジムはそこいらの瓦礫の下にスクータを隠すと、ユマの元へ戻る。 「なにもない……わよね?」 「あるじゃねえか」 言いながらジムが指したのは、瓦礫に埋もれるように隠れるマンホールの蓋だった。ユマは思わす顔をしかめて叫ぶ。 「ここから?」 「そ、ここから」 短く答えるとマンホールの蓋を開け、ジムはその入り口へ向かってあごをしゃくる。しばらく躊躇していたユマは、やがて意を決すると異臭漂う縦穴の中に入っていった。 続いて入ったジムが蓋を閉じると、瓦礫の広場は元の静寂を取り戻した。 と。 誰もいないと思われていた瓦礫の一部がごそりと動き、中から男がひとり現れる。 全身を真っ黒いゴムのスーツのようなもので固めたその男は、ジムが隠したスクータに近づき、何事かごそごそやった後、彼らの後を追うようにマンホールの中へ姿を消した。 一方、マンホールから地下下水道跡に入り込んだジムとユマは、鼻をつまみながら長いこと歩き、ようやく地上にでた。 いや、正確には地上ではなく、地下に作られた施設であるようだ。 「ここは……B.D(ビフォア・ドーム)のころのシェルタか何かかしら」 つぶやいたユマの声に、どこからともなく答える声がある。 「シェルタといえばシェルタだが、B.D時代と言われるのは心外だな。ここはすべて私の技術によって作られているのだ」 驚いたユマがきょろきょろするのを見て、ジムが苦い顔をしながら大声で怒鳴る。 「いたずらはまた今度にしてくれ、トロン。こっちは命がけなんだ」 「私はいつでも命がけなんだがね」 ブツブツ不平をもらす声と共に、突然、シェルタの扉が開く。 ずかずか入り込むジムに続いて、ユマも恐る恐る中へ入った。と、開いたときと同じように、ほとんど音もなく扉が閉まる。 驚いて首をすくめたユマの頭上から、先ほどの声が響いてきた。 「そこで一分間待ってなさい。消毒する。君達は不潔だからね」 「てやんでえ。水だって高いんだ。そうそうシャワーなんか浴びられるわけねえじゃねえか」 吠えたジムのせりふを聞いて、不意にユマはシャワーを浴びたくなった。もうかれこれ24時間以上、シャワーを浴びてない。ユマにとっては生まれて初めてのことだ。 「ねえ、ジム。中にシャワーはあるかしら?」 その言葉に、しばらく考え込んだジムは、やがて少しイジワルな笑顔で答えた。 「ああ、あるだろうな。だが、ここの装置を見てもわかっただろう? ここの主がシャワー室にカメラをつけてないなんて、俺は絶対信じないね」 とたんに。 「失礼なことを言うな。私はそんな下品なことはしない」 天井のスピーカが答えた。 「まったく、ジム。キサマと言う男には私に対する尊敬の念と言うものがこれっぽっちも……」 「いいから早いトコその消毒とやらを終わらせてくれよ」 「わかった、わかった。何でそう、身体がきれいになることを嫌がるんだ。まったく、キサマは動物と同じだな」 またもブツブツ文句を言いながら、それでも消毒が済んだらしく、反対側の扉が開いた。目の前に広がったのは、真っ白で無機質な、コンクリートの部屋である。 モニタや計器類にあふれた部屋の床には、これ以上ないほど雑多に、色々なものが散らばっている。そしてその真ん中には、無機質な部屋にはそぐわないほど高級そうな総革張りのイスがあった。 「ちょっと忙しいんだ。しばらくそこで待っててくれ」 イスの上の男はモニターから顔を離さずに挨拶する。 長い金髪を振り乱し、真っ白な皮膚と青い目を持つその男の両手は、キーボードやマウスの上を踊るように飛び回っていた。ジムはうんざりした顔で、ユマを見やる。 「こりゃダメだ。こいつがこういう時は、いくら話しかけてもちゃんと返事をしないんだ。やつの用事が済むまで、しばらくその辺で待っていよう」 言われても、座るスペースなど見当たらない。と、戸惑うユマを尻目に、ジムはそこいらにあるものを強引に押しのけて、どうにか二人分のスペースを作り出した。 「おいおい、乱暴にしないでくれ。オマエなんかよりよっぽど価値のある部品ばかりなんだからな」 「そういうなら、少しは片付けろって言うんだ」 ジムがまぜっかえすが、返事はない。どうやら作業に没頭しているのであろう。 「この部屋の中で価値があるのは、どう見てもそのイスだけだと思うんだがな」 「すごいイスね」 「ああ、アイツは人生のほとんどを、あのイスの上ですごしてるからな。高級なのを使わないと、痔になるんだろう」 「おい、ジム、いい加減にしないか。だいたいキサマと言う男は……」 ようやく作業が終わったらしいイスの男が、ジムに向かって悪態をつきつつ顔を上げる。そしてそのまま、凍りついた。 「あ、あなたは……」 その様子に、ジムも驚いた。 「なんだ? トロン。お前、こいつのコト知ってるのか?」 その瞬間、何かの部品らしい金属の塊が飛んでくる。あわててよけたジムが文句を言う前に、トロンと呼ばれた男は怒鳴った。 「ジム! ひかえろ! その方はルーラだぞ! それも、ルーラ中のルーラ、トクガワ家のご令嬢じゃないか!」 それから急いでイスを降りたトロンは、片膝をついて胸に右手を当て、ロアーがアッパーにする敬礼をした。その様子を見ながら、ジムは面白そうにからかう。 「へえ、トロンでもそんな風にきちんと敬礼するんだな。俺はまた、いつもあれだけ吹いてるから、相手がルーラでも中指立てるのかと思ったよ」 「おい! ジム! 何やってるんだ! これは冗談じゃない、本当なんだ! その人はトクガワ家のご令嬢の」 「ユマ・トクガワ・ルーラだろう? 知ってるよ」 「あら、ちゃんとフルネームを覚えていてくれたのね?」 「まね。あんたが男だったら何度聞いても覚えないだろうけど」 仲良く掛け合うふたりの様子に、トロンは驚いて目を丸くする。 「一体全体、これはどうなってるんだ?」 「ところで、トロンさんでしたっけ? どうして私の名を知っているの?」 声をかけられたトロンは、雷に打たれたかのようにびくんと身体を震わせると、おたおたと立ち上がって喋り始めた。 「トロン・バーサーカ・メジャであります、ミス・トクガワ。私は情報収集と処理を生業としておりますので、ルーラの主だった方や上層市民(ロイヤル)でもルーラとかかわりの深い人間のことは、熟知しておりますです」 同時に、ジムとユマが吹き出した。 「おりますです、だと? おめ、そんな風に喋れたんだな?」 「バーサーカなんて、ずいぶんいかめしい名前なのね?」 吹き出した理由はそれぞれのようである。戸惑いながらもトロンは彼の脳内にある優先順位どおり、ユマの言葉に返答した。 「は、バーサーカ家はご存知のように、もともと武人の家系でありますが、しかしそれはあくまでB.Dの頃の話でありまして、おそらく私とは何の血縁もないものと思われます」 「ふふふ、そうじゃないのよ。バーサーカと言うのは、昔の言葉で「狂戦士」を意味するの。あなたの髪や皮膚、目の色を見れば、ここらでは珍しいアングロサクソン系だと言うのはわかるけど、コンピュータに囲まれたあなたが、そんないかめしい名前だって聞いたから、ちょっと驚いてしまって。ごめんなさい、気を悪くしたかしら」 トロンがぶるぶると首を横に振る隣で、ジムがニヤニヤと笑う。 「まさか。こいつにそんな繊細な感性があるものか。なに言われたって、カエルのツラにしょんべんなんだから」 ぷうと膨れたトロンが何か言い返そうとするより早く、ユマが真面目な顔に戻って言った。 「ところでジム。トロンさんのところに来たのは、いったいどういうわけなの? 彼まで巻き込んでしまうのは、心苦しいわ」 「お役に立てるなら、巻き込まれるのはちっとも構わないのですが、いったいどういう話になっているのですか?」 「なあに、このトロンは、三度の飯よりトラブルが大好きだって言う、困ったやつなんだ。まして相手がルーラだって言うなら、二つ返事で協力するに決まってる。狂戦士というのも、あながち間違いじゃない」 とまあ、そういうわけで、基本的にはユマが話しながら、時々ジムがまぜっかえしつつ、今までの経緯をトロンに語る。トロンは黙って聞いていたが、だんだんと瞳が輝いてくるのは隠せなった。 どうやらジムの言うとおりの人間らしい。 「なるほど、わかりました。ルーラ相手に戦争なんて、こりゃまたずいぶん剛毅な話だ。やめろって言われたって、無理やりにでも協力させてもらいますよ」 言ってから目の前のユマもルーラだということを思い出し、あわてて口を押さえるトロンである。ユマは思わず吹き出しながら、ジムを見る。ジムは「な?」と言う表情で、笑いながらうなずいた。 「さてと、それじゃあジム。とりあえず場所を移動しよう。どうやらここは、連中に見つかったようだ」 驚いたふたりがトロンの顔を見ると、彼は満足そうな顔でにやりと笑った。 「このシェルタの周りには、いくつもの警戒網が敷いてあるんだ。実はオマエとミス・トクガワが来てすぐ、マンホールから入ってきた奴がいる。おそらく連中の偵察部隊の一人だろうが、そいつは抑えた。催眠ガスが通じないってことは、おそらくサイボーグだろう。とりあえず電撃でメカニズムを狂わせてあるが、定時連絡みたいなものはしてるだろうから、それが途絶えればヤツラ、いずれこの場所にやってくるぞ」 「なんだと、そういう大事なことは早く言えよな、このバカトロン」 「ミス・トクガワ、こちらへどうぞ。むさくるしいトコロですが、この際それはご勘弁ください」 ジムの悪態を無視したトロンはそう言って、ふたりを連れて走り出した。とはいえ、トロンは例のイスに座ったまま動いているのだが。 「驚いたな、そのイス、走れるのか」 ジムが言うように、イスからは8本の脚が出て、ジムたちと同じスピードでガチャガチャと走っている。トロンはその上でのんびり胡坐(あぐら)をかきながら、えへんと胸を張った。 「すごいだろう? 私が作ったんだ。省電力モータだからあまりスピードは出ないが、その代わり12時間ぶっ通しで走れる」 「少しくらいは運動したほうが身体のためだぞ?」 「ばかめ。運動が身体にいいなどというのは幻想だ。生きてゆくために必要なエネルギーをとっていれば、運動などしないほうが長生きできるに決まってる」 「でも、やっぱり、少しは動いたほうがいいんじゃないかしら?」 「そうですね、ミス・トクガワ。これからは少し運動するようにしましょう」 えらい変わり身である。ジムは悪態をつく。 「てめこの、根性曲がり。だいたい、どこへ行く気だ?」 「うるさいなぁ、少し黙ってればいいのに。ホラ、着いた。ここだ」 トロンの指差した先は、巨大な空間だった。 トンネルの中に突然開けたその空間は、おそらく野球場のひとつくらいは入るだろう。そしてそこには数々の巨大な工業機械と共に、一台のランドシップが停泊していた。 「ラ、ランドシップ! どうしてこんなものがここに?」 ユマは驚愕の声を上げる。ジムはそもそもランドシップ自体を見るのが初めてなので、ぽかんと呆けたままだ。 ランドシップ。 A.D(アフタードーム)の初期、ドームとドームの間を、大量の物資を運搬するために渡り歩いた、地上を走る巨大な船である。キャタピラを履いたトレーラを、縦横に平べったくつないだ物と思ってもらえれば、そう遠くない。 列車の連結器で縦横無尽につないだコンテナの群れを、無数のキャタピラを履かせて移動できるようにした、言ってみれば、船と言うよりは動く城だ。 「昔はドーム間の貿易に、こういったランドシップが使われていました。しかし、やがてその代わりに、地下通路が通った。それでほとんどすべてのランドシップ は、そのまま地上に破棄されました」 ユマは黙ってうなずく。ジムはまだ、ランドシップを見たままぽかんと口を開けている。よほど衝撃的だったのだろう。 「そんなわけで動かす者のいなくなったランドシップは、あちこちに放置されたままだったのです。私はドームの外壁修理用ロボットを使って、そのパーツを少しずつ集めました」 「それが、これ?」 うれしそうに胸を張るトロンの顔を見て、ジムがようやく声を出す。 「じゃなにか? こいつはお前が造ったって言うのか? うわ、それじゃだめだ。まともに走るわけがない。つーか、絶対動かないに決まってる」 などと言われても、トロンは余裕の表情で、ポケットからスウィッチを取り出し、無造作に押した。 と。 ヴゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン 空気を震わすほどの重低音が、あたりに響く。ランドシップ特有の、複数の大排気量エンジンが奏でる、荘厳とさえいえる排気音だ。 思わず耳を押さえたユマとジムに向かって、トロンはランドシップを指差した。その先には、いつの間にかポッカリと入り口が顔を見せている。 おどけた、バカ丁寧なしぐさでトロンに促されるまま、二人はランドシップの入り口をくぐった。先ほどと同じように、殺菌スペースがある。 「んだよ、ここでも殺菌か? おまえ、何でそんなに潔癖症なんだよ」 「そうじゃない。確かにシェルタにあったのは半分私の趣味だが、ランドシップの殺菌は絶対に必要不可欠なんだ。なんと言っても我々にとってドーム外の空気は、未知の雑菌であふれているんだからな」 今度の衝撃は、今までの比ではなかった。 文字通り、ジムとユマは驚愕に口も利けなくなる。トロンはそんなふたりにはお構いナシに、殺菌室のゲージを眺めて、殺菌状況を確認している。 「さてと、いいだろう。さあ、ミス・トクガワ。こちらへどうぞ。わがランドシップ「メタルギア」をご紹介します」 そこでようやく我に帰ったジムとユマは、同時に叫んだ。 「ドームの外に出る!?」 「そうですよ。それが?」 こともなげに言ったトロンは、そのまま優しくユマを促して、ランドシップの中に入った。あわてて後をジムが追う。追いながらジムが叫んだ。 「トロン! おい、トロ公! ちっと待てって! ドームの外に出るってのは、本気か? 冗談だろう? おい、トロン!」 振り向いたトロンは、眉をしかめて口を尖らせた。 「やい、ジム。トロ公とはなんだ! 前から言ってるが、お前はもう少し私に対する敬意ってものを払ってだなぁ」 「やかましい! いいから答えろ! 敬意なんぞ、安全なところに行ってから、いくらでも払ってやるから」 怒鳴り返されてむっとしたトロンは、しかし、次の瞬間ユマにも同じ事を聞かれて、あっさり答えた。 「そうです、ドームの外に出るんですよ。しかしまあ、ご安心ください。このランドシップは、私の技術の粋を集めた、いわば最先端技術の結晶なのです」 唖然とする二人の前で、トロンは大げさに一礼する。それからぽかんとしたままのふたりを見、ため息をつくと勢い込んで喋りだした。 「仕方ない、一から説明してやろう。いいか? ます、そこの……」 ウィー! ウィー! ウィー! ウィー! 突然、館内に警報らしき音が鳴り響いた。 驚いたトロンは、何事かときょろきょろする二人をそっちのけにして、コンソール(制御盤)らしき計器類のたくさん付いた卓の前に移動する。もちろん、イスごとだ。 しばらくモニターを見ていた彼は、やがて大声を上げた。 「まずい! どうやらさっきの追っ手が機能を回復したらしい。クソ、こんなことなら、きっちり止めを刺しておけばよかった。ミス・トクガワ、そこいらの手すりにつかまってください。急速発進します」 言うが早いか、ジムとユマがどこかにつかまるより早く、ランドシップ「メタルギア」はガクンとゆれて動き出した。コンソールの目の前にあるメインモニタらしき大きなモニタには、地下施設の壁が映っている。 「おい、どうするんだよ。こんなでかい図体じゃ、トンネルは通れないだろう?」 「いいから、黙って見ていろ」 トロンの言葉と同時に、先ほどに数倍する大きな音が鳴り響き、目の前の壁が厳(おごそ)かといってもいいほどの迫力で、ゆっくりと観音開きに動き出した。 開く先には、ドームの巨大な壁が、頭上に向かってそそり立っている。そして視線を下げれば、その下にあるのは。 「ドアー!」 ユマが叫んだ。この場合、ドアーは扉のことではない。大文字のDから始まる「Door」は、かつてドーム間の貿易で使用された、エアロック型の出入り口を指す。 「いっくぞぉ!」 子供のようにはしゃいだ声を上げて、トロンが叫んだ。ジムとユマはもう、あっけに取られるばかりだ。ふたりで顔を見合わせ、驚愕したまま黙っている。 ふと見ると、メインモニタに小さなワイプ画像が現れ、後ろにある三人が入ってきた入り口の映像を映し出す。そこにはすでに数人、いや、数体だろうか、例の黒尽くめの連中がやってきて、こちらを指差しながら何事か叫んでいる。 「はぁん。報告もせずに、こちらを指差して叫ぶなんて無駄なことをしているところを見ると、ヤツラ少なくとも脳は人間だな」 トロンは独り言ちると、にやりと笑って目の前のレバーを動かした。 ぐあん! と大きな音を立て、ランドシップは加速する。 「おい、大丈夫なのか?」 「黙って見てろ、ジム。ここからがクライマックスなんだから」 いまや完全に口を開けた地下施設の入り口を、ランドシップはすでに人間が走るくらいの速度まで加速している。巨大な質量を考えれば、恐るべき加速性能だ。 「どうだ、こいつは居住性や積載性を犠牲にして、機動性に機能をふっているんだ。まだまだ加速するぞ?」 「だから、加速するのはいいけど、目の前はドームの壁じゃないか。いったい、どうするんだ。このままじゃぶつかって壊れるぞ?」 「だからー。黙って見てろって言っただろう?」 ふんと鼻を鳴らすと、それきりトロンはコンソールのキーボード上を動く指先の動きに集中した。ジムとユマはもはやなすすべもなく、事の成り行きを見守るしかない。 と。 ついに壁が目の前に迫る。 「全員、対衝撃体勢をとれ」 そういわれても、ふたりはぽかんとしている。小さくした打ちしたトロンは、ユマに向かって叫んだ。 「ミス・トクガワ! そこらの手すりにつかまって、しゃがんでください。衝撃が来ます!」 「ハナからそう言えってんだよ。船長気取りでカッコつけやがって」 ジムの悪態には耳を貸さず、トロンはまたコンソールに向き直る。 次の瞬間。 どぉぉぉぉぉぉぉん! すさまじい衝撃が、三人を襲った。前に転がっていきそうになるユマの身体を、ジムが抱きかかえる。そしてトロンはと見てみれば、彼ご自慢のイスからは、ちゃっかりシートベルトが出ていた。 「ち、キタネエぞ、トロン!」 「まだだ! 頭下げて、おとなしくしてろ!」 叫び声と同時に、もう一度激しい衝撃がメタルギアを襲う。 どどぉぉぉぉぉぉぉん!! 今度の衝撃は、先ほどに数倍するものであった。しばらく衝撃の余波があったが、やがてメタルギアの中は、低くうなるキャタピラとエンジンの音だけになる。 ようやく落ち着いたところで、ジムが叫んだ。 「いったい全体、なにがどうなったんだ?」 「エアロックを抜けたんだよ。ドームの外に出るには、それしかないからな」 衝撃で何か不具合はおきていないかと、コンピュータでスキャンしていたトロンは、うるさそうに手を振って答えた。今度はそこに、ユマが質問を浴びせる。 「まさか、ランドシップの装甲でドームの壁を壊したと言うの? そんなことが出来るの?」 ユマに聞かれたので、トロンは顔を上げて答える。非常に現金な男だ。 「まあ、これを作ったときから、ドーム外に脱出するにはあそこしかないと思っていましたからね。こいつの前は体当たり用に、通常の4倍の装甲が貼ってあるんですよ」 「それでも、いくらなんでもドームの外壁を……」 「へへへ、実はね、それ以外にも手を打ってあったんです。エアロックのあちこちに、爆薬を仕掛けておいたんですよ。それをぶつかる寸前に、いっぺんに爆発させたんです」 「まさか。そんなことをどうやって? いくらまったく使われていない設備だとは言え、マルティバックがそんなことを見逃すはずがないわ」 その言葉に自尊心をくすぐられたのだろう。トロンは胸を張って答えた。 「完璧に管理されたシティの最上階に住んでいる方々は知らないかも知れませんが、手入れされなくなった施設には、雑草と言うものが、あちこちに生えるんですよ。植物と言うのは、まことにたくましいものでして」 「雑草……ああ、聞いたことはあります」 「その雑草が生えたおかげで、監視カメラにもたくさんの死角が出来ているんです。そこに爆弾を仕掛ければ、マルティバックは確認できません。もっと重要な施設ならともかく、廃棄された施設に念入りなスキャンをかけるような無駄をするほど、マルティバックは暇じゃないようですからね」 「そんなはず……ああ、そうか」 何かに思い当たったのだろう。ユマがそう言うと、トロンは意味ありげに深くうなずいた。 「ええ、そうです。トクガワ家の命令で彼らは現在、最大の政敵であるリー家のモニタリングに忙しいんですよ。トクガワ家がそのオーダに最優先の指定をしたので」 ユマはうなずいた。その表情は、心持さびしそうだった。それから不意に顔を上げると、まだ解せないといった風に話し出す。 「でも、赤外線スキャンくらいはしているでしょう?」 「四つんばいになって近づき、仕掛けたんですよ。ご存知でしょう? 我々はマルティバックに人間と認識されていないんです。二本足で歩く家畜、それが我々の定義です。四つんばいになって歩けば、ただの野良犬と区別 できません」 「…………」 ユマは黙り込んでしまった。先人も、彼らを貶めるために必要以上に家畜として扱ったことで、こんな形のしっぺ返しを食らうとは、よもや夢にも思わなかったであろう。 「と言うわけで、とりあえず我々は脱出できました」 「追っ手は?」 短く鋭い声で聞いたジムに、トロンは片目を瞑ってみせる。 「ドームの壁が壊れたんだぞ? 私達を追うどころじゃないさ。ドームの外を恐怖するのは、私達よりむしろ上のほうの人間なんだから。お前だってドームの外に出るって聞いたときは、あんなに驚いていたじゃないか」 「なるほどな。でも、修復作業と同時に、追っ手を差し向ければ……」 「だーかーらー! それを誰にやらせるんだ? ロイヤル? メジャー? それともマイナーか? いったい誰がドームの外へ追いかけてくるって言うんだよ? おまえがもし、今もゴミ捨て場の作業員をしてたとして、いくらボーナスを積まれたら、そんな仕事をする気になる?」 ジムは黙ってうなずいた。 確かに、たとえその日暮らしの作業員だって、ドームの外に出るなんて考えもしないだろう。まして、メジャーやロイヤルなど、想像さえしたことがないに違いない。 ドームの外は恐ろしい病原菌や放射能でいっぱいだってことは、三つのガキでも教わっているのだから。 「だとしたら……」 ユマが喋りだしたので、他の二人は黙って視線を向けた。 「なぜ? なぜあなたは、ドームの外に出るなんて考え付いたの? そんな非常識なこと、普通は考え付かないでしょう?」 「それに、俺だってドームの外が今はそれほど危なくないなんて、ユマに聞くまでは知らなかったんだぞ? 何でそんなことまで知っているんだ、トロン?」 トロンは詰め寄られて、しかし余裕の微笑を浮かべながら答えた。 「簡単なことだよ。私は、ドームの外からやってきたんだ」 この日、何度目かの絶句。 二人は驚き疲れていたはずなのに、それでも衝撃に眼を丸くして言葉を失った。 沈黙の漂う中、トロンだけが不敵に笑っている。 やがて。 懐疑心でいっぱいの表情のまま、ユマがゆっくりと口を開いた。 「あなた……何者なの?」 その言葉に、わが意を得たりといった表情で、トロンが穏やかに答えた。 「それを説明するためにも、これから急いで向かいましょう」 「どこにだ?」 ジムとユマが見つめる中、トロンはにっこりと笑った。 「私の故郷、ユーロドームへ」
To be continued |