| 男はつらいよ |
| 「なあ、ジョージ。それを言っちゃぁ、おしまいだよ?」 タイガーはジョージの顔を覗き込みながら言った。ジョージも言い過ぎたと思ったのか、言葉を濁してもごもごと口の中で呟いている。 「それじゃぁナニかい?俺がいちゃぁ、メーワクだってのかい?] ジョージを含め、誰一人答えるものはない。タイガーは一瞬唖然としたあと、突然、大声でわめきだした。 「あーそーかい、わかったよ。それならそうとはっきり言いやがれってんだよ!判ったよ、俺は出て行くよ。それで構わねーんだろう?」 機関銃のように言い放つと、タイガーは席をけって立ち上がった。テーブルについている者すべてが、ばつの悪そうな顔で下を向く。 「止めないのか?止めないんだね?あぁ、わかった。お前らの性根はよ〜くわかった。もういい。こんなところは、こっちから願いさげだっ!」 タイガーは扉を開けて出てゆく。屋敷の門をくぐりぬけたところで、後ろから呼び止める声がした。 「待って!」 期待の表情で振り向いたタイガーは、それが妹だと判ると、露骨に残念そうな顔をしてきびすを返す。 「お兄ちゃん、待ってよ!」 「なんだよ、チェリー!止めても無駄だぞ?兄ちゃんはもう、今度という今度は、頭にきたんだ。どいつもこいつもしたり顔の間抜けな雁首そろえて、二言目には落ち着け、しっかりしろ、人様に後ろ指されるな……うるさくて聞いちゃいらンないよ」 「お兄ちゃん、それでどこにいくの?」 心配そうに尋ねる妹に向かって、のんきな兄はのんきに答えた。 「さあな。風に相談して決めるよ」 言うだけ言って気が晴れたのだろう、頭に来たという割には案外さっぱりした顔で、タイガーは街の喧騒の中に消えていった。 チェリーはその後姿を、心配そうにいつまでも見送っていた。
「だからね、言ってやったんだよ。おめーらの顔なんざ、金輪際見たかねえ!俺はもう出て行く!ってな」 扉にテーブル、カウンターからスツール、おまけにグラスまですべてが鉄で出来ている一風変わった酒場に、タイガーのドラ声が響き渡った。 数人の常連は慣れているのか、どこふく風といった調子でニヤニヤ笑いながら黙殺している。 結局いつもの酒場にたどり着いたタイガーは、舎弟のオリジンを相手に飲んだくれてクダを巻いていた。オリジンはにこにこと笑いながら、タイガーの話を聞いているのかいないのか、美味そうにジンをすすっている。 「ジン公!てめえ聞いてるのか?」 オリジンは名前の後ろの「ジン」と、好きな酒のジンに引っ掛けて、みなにそう呼ばれているのである。もちろん名付け親は、タイガーだ。 「聞いてるよ、兄貴。でも兄貴が家を飛び出すの、コレで20回目くらいじゃないかい?きっと家のみんなも、もう慣れっこだろうね」 「やかましいや」 タイガーはふてくされると、目の前のシングルモルトを一息に飲み干す。続けて注文しようとした矢先、マスターが高級そうなワインを差し出した。 「あっちのお客様からだよ。タイガーも隅に置けねぇなぁ」 不思議そうな顔をしたタイガーに向かってそれだけ言うと、マスターはひとり合点をしながらニヤニヤ笑っている。 言われて振り返った先には、この店には似つかない何とも妖艶な女がひとり、ほっそりした綺麗な足を組んで座っていた。その横顔は冷たいくらいに美しい。 と、ふいにこちらを見たその女は、振り向いたタイガーに向かってにっこりと微笑む。笑顔になると急に幼く見え、そのギャップがまた男心をくすぐった。 タイガーはワイングラスを持ったまま、そちらに近づく。 「家出少年にしては、ちょっと年を取りすぎているみたいだけど?」 女は言いながら上目遣いでこちらを見上げる。その、長いまつげの下の濡れたブルーの瞳に、タイガーは一発で恋をした。まあいつもの通り、いつものごとく、なのだが。 「い、いや、家出ってわけじゃないんだけどね」 「いいのよ?無理に話さなくても。聞いちゃうと、私も話さなきゃならなくなるでしょ?私もそういうこと、あまり話したくないから」 「名前くらいは、聞いてもいいのかな?」 女はにっこり微笑むと、彼女には重そうに見える鉄製のワイングラスを差し上げながら、 「こういう時は?」 女の問いに、何を言いたいのか気づいたタイガーは、慌ててグラスをひっくり返しそうになりながら、 「ああ、先に名乗れってんだな?失礼。俺はタイガー」 「私は、リリー。それじゃ、二人の出会いに乾杯しましょうか?」 鉄のワイングラスが、風鈴のようにチンと涼しい音を立てた。 バンカラだが意外にロマンティストでもあるタイガーは、映画のようなこの状況がすっかり気に入って、ご機嫌で杯を重ねてゆく。 自分のバカ話に、リリーが声を上げて笑うのが嬉しくて仕方ない。いい具合に酔っ払ってきて、さて、これから恋の詩でも吟じようかと座りなおしたまさにその時。 突然、店の扉が乱暴に開けられた。 黒尽くめの剣呑な男が、開け放したドアの前で店の中を見回す。ヘビのようなその視線は、這うように店の中を巡回すると、リリーのところでぴたりと止まった。 男はズカズカとリリーに近寄ってくる。リリーは一瞬、逃げようと腰を浮かしたが、あきらめたのかどっかりと座りなおす。 「なんだ、てめえ?」 わめくタイガーをまったく無視して、男はリリーの腕を取ろうとした。その腕をタイガーが下から蹴り上げる。 男はそこでようやくタイガーの存在に気づいたかのように、ゆっくりと振り向く。青白い顔にカミソリで切れ目を入れただけのような、恐ろしく酷薄な目でタイガーを嘲るように見ながら、 「邪魔をすると殺すぞ?」 大量のアルコール。彼の中ではすでに恋人に決定済みの女性への乱暴。昼間のむしゃくしゃ。最後のトドメがこのセリフ。 タイガーの頭の中で、何かの配線が切れた。とはいってもこの男の頭の中は、常に切れた配線の残骸でいっぱいなのだが。 「やってみやがれ」 「やめて、タイガー!この男はプロよ」 リリーがそう言うのと、男が銃を取り出すのは同時だった。 「リリーさん、安心しな。こんな目の細い男に君は渡さないよ?」 「目が細いのはカンケーないっすよ、兄貴」 近寄ってきたジン公の突っ込みにゲンコツで答えると、タイガーは男をにらみつけた。完全に目が飛んでいる。 「あ〜あ、またかよ〜!今月、何回目だ?」 マスターがため息をつきながらそう言うと、周りにいた常連はグラスを持ったまま店の隅のほうに移動してゆく。 そでを引っ張られてリリーが振り向くと、ジン公が人懐っこい笑みでニコニコしながら、 「お姉さん、こっちにおいで。危ないから」 いぶかしむリリーを、ジン公は店の隅に引っ張ってゆく。常連達は隅のテーブルでグラスを傾けながら、いつものように成り行きを観戦するつもりだったのだが、リリーがやってくると、みんなで取り囲み口説き始めた。 「こら、カマイタチ。いや、おまえたち!リリーさんが困っているじゃないか。顔のまんまの下品な真似はやめねえか」 常連の仲間達に向かってタイガーが叫ぶ。カミソリ目の男は銃を上げてタイガーに向けると、 「威嚇射撃はしない」 「結構ケだらけ猫灰だらけ。お尻のまわりはファック・オフ!」 中指を立てたタイガーに向かって、リリーが叫ぶ。 「ダメよ!その男は本当に……」 パン! 乾いた銃声が店中に響く。 タイガーの胸にぽつんと黒い穴があき、彼はそのまま仰向けにぶっ倒れた。一瞬おいて、リリーが悲鳴をあげる。 ところが周りの人間は、薄笑いを浮かべて酒を飲みながら、この状況を眺めているだけだ。 「大丈夫だよ、リリーさん。見ててごらん」 のんきな調子でジン公がそう言うと同時に、タイガーがむっくりと起き上がる。カミソリ目の男も、さすがに動揺を隠せない。 「一発目はゆずる主義なんでね」 「それ、普通はゲンコツの話ですよ、兄貴」 タイガーは今や、完全に立ち上がって男をにらんでいた。男はパニックにならないように、自分を抑えるのに必死である。 「俺様に鉛弾なんぞ撃ち込みやがって。覚悟しやがれ?」 タイガーの背中が、もぞり、と膨らむ。と、次の瞬間、タイガーは上を向いた。 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁおぉぉぉぉぉぉぉっ…… 叫びというよりは、獣の咆哮である。その咆哮と同時に、タイガーの体が一気に膨らんだ。 着ていた服が、びりびりと音を立てて裂けてゆく。裂けた服の下から現れたのは、黄色と黒の獣毛につつまれた獣の身体であった。 カミソリ目の男が、小さく悲鳴をあげたのも無理はない。 身の丈2メートルを超え、2本足で立っている、グロテスクに擬人化された虎の姿が、忽然とそこに現れたのである。 カミソリ目の男はついに自制できなくなった。 うわぁぁぁぁっ! パニックに陥りながら、拳銃をパンパンと発射する。だが、その弾丸はまるでポップコーンのようにはじけて、タイガーの足元に落ちてゆく。弾丸を撃ち尽くしても、男はカチカチと引き金を引き続けた。 ガルルルッ! 一声うなるとタイガーは男に向かって突進してゆく。男は悲鳴を上げて店の中を逃げ回るが、ついに追いつかれると、タイガーの前足の一振りで壁にたたきつけられた。 もちろん暴れ足りないタイガーは、起き上がった男に襲い掛かる。男は必死で抵抗するが、拳銃弾さえ効かない化け物に成すすべもなく、テーブルやイスを派手にひっくり返しながら、あちこち叩きつけられ、ついに失神してしまった。 「じゅ、獣人……はじめて見た……」 あまりの成り行きに、ポカンとしてそうつぶやたいたりリーの傍で、マスターが呆れたように、 「な?この店の中の物が、何から何まですべて鉄で出来ている訳が判っただろう?あのバカがいつも壊しちまうんだよ」 獣人はいまやその数を大幅に減らしている。天然記念物指定され、保護の対象となっている種類もあるくらいだ。 都会など人間の多いところでは差別されやすい彼らは、大抵田舎町に引っ込んでいる。そのため都会に住む人間の中には、獣人を見たことがないと言う者も少なくない。 「おかげでやつの家族は、いつも迷惑をこうむっているのさ」 常連のひとりがそう言い、リリーは振り向くと、 「だから家出しちゃうんですね?暴れて、誰かに怪我をさせたり、物を壊したりしてしまうから」 「ははは、違うよお姉さん。兄貴は獣人登録もちゃんとしてあるし、今のだって一応は正当防衛だろう?そうじゃなくて……」 ジン公がそう言いかけたちょうどその時、警察が店の中に乱入してくると、まだ暴れているタイガーに向かって、一斉に飛びかかる。 タイガーはそれを振り払うと、追いすがり飛び掛ってくる警官を引きずりながら店の外へと飛び出す。 後に残されたのは、マスターと常連客、ジン公にリリーである。店の中は乱雑になってしまっているし、他にすることもないので、みんなで表に出ると、タイガーの逮捕劇を見ながら、ビールを飲み始めた。 「あれがまずいんだよ」 「何が?」 不思議そうな顔をするリリーに向かって、ジン公は呆れた調子で説明する。 「ああやって表に出ちゃうのがまずいんだ。そのうち興奮が収まるだろう?そうすると残るのは、全裸のバカひとりじゃないか」 「じゃあ……」 「そう。兄貴の家族は、いつも恥ずかしい思いで警察に引き取りに行くのさ。なんたって、刑法第175条、猥褻物陳列罪の常習犯だからね、あのヒト、つーかあの虎」 リリーは吹き出してしまった。 己の境遇に関係なく、自由奔放に生きている彼らを見ているうちに、彼女を追ってきた男が厳格な華族である実家からの差し金であるとか、その家柄のせいで友人が出来づらくて家を逃げ出したこととか、今まで思い悩んでいた事が全てどうでもよくなってしまっていた。 彼女がTVで見知っていた獣人は、いつも肩をすくめて逃げるように暮らしていた。そこに己と似たような境遇を感じて、彼女は獣人関係の番組が始まると、いつもTVを消してしまっていた。 それが、ココにいる獣人や、その周りの人間達はどうだ?どんな境遇だろうと、腐らず、なんと真っ直ぐ、奔放に生きていることか。リリーは胸のつかえが取れたような思いを感じていた。 何度目かの乾杯では、彼女も心から笑ってグラスをぶつけた。 「今度の引き取りは、私が行こうかしら?」 ふと漏らした彼女のセリフに、みながいっせいに顔をしかめて首を横に振る。その様子に、リリーはまた吹き出した。 笑いながら向こうを見ると、タイガーは人間の姿に戻り、警官に取り押さえられ、引きずられながら連行されて行くところだった。 もちろん、素っ裸のまま。 |