The end of the world
昼休み。河原の土手。

トロンはおむすびを食べながら、かばんの中をあさって一枚のディスクを取り出した。

ケーブルを後頭部のポートに差し込むと反対側を「ケータイ」に繋ぎ、ディスクをセットして読み込みを開始する。ディスクの情報はケーブルを伝わって、トロンの脳内にインストールされる。

午後の仕事に使う専門知識が正常にインストールされたことを確認して、トロンはほっとため息をついた。

この作業はいつでもある種の緊張感を伴う。それを見たからといってトロンを特別扱いする者はこの職場にはいないが、それでも自分がほかの人と違うということを認識するのは、あまりいい気分ではない。

認識するほうにも、させるほうにも。

不景気であればあるほど、会社というものは何でもできる便利屋のごとき人間をほしがる。3つの仕事に3人使うより、一人がそれをまかなってくれるなら、会社は給料を2倍出してもその一人をとるのだ。一人分の人件費が浮くのだから当然だ。

ケータイはそんな会社の、いや、社会のニーズに応える。普通の社会人はみな、同時に3種類くらいの専門職をこなせるのだ。

ケータイの力で。

と、ケータイからの信号が、トロンの脳の中でアラームを鳴らした。昼休み終了2分前のアラームだ。トロンは慌てて仕事場に戻った。

午後の仕事をはじめて1時間後、ケータイが着信を伝える。フリンからのメールだ。仕事の手を止めて、トロンは脳内でメールを開く。

(おい、外接!面白い動画が手に入ったぞ)

メールに添付されているのは、ひどく重たい動画ファイルだった。こんなものを仕事中に開けば、トロンの型遅れのケータイは速攻でフリーズしてしまう。

もちろんフリンは嫌がらせなわけではなく、親切で送ってくるので余計にタチが悪い。トロンのケータイのスペックを失念してしまうのであろう。

「ま、いまどき外接な方が悪いってことか……」

少し自嘲気味に笑うと、トロンは添付ファイルをサーバに残したまま仕事にかかった。没頭していると、すぐに終業時間になる。午後から使ったアプリケーションを削除してケータイの容量を何とか確保すると、フリンの送ってくれたファイルをダウンロードしながら、トロンは帰路についた。

 

土手の向こうに、真っ赤な夕日が燃えながら落ちてゆく。

フリンの送ってくれたのは、トロンの好きな監督の映画だった。歩行用に左眼の視覚だけを残したまま映画を見ながら、トロンは土手の道を歩いてゆく。

「よう、兄さん。あんた外接じゃないか?」

不意に声をかけられて振り向くと、男が一人立ってこちらを見ていた。ニヤニヤと笑いながら、トロンを値踏みするように眺めている。

「そうですけど?」

不気味さ半分、不愉快さ半分でトロンはぶっきらぼうな返事を返す。

と、男は後ろを向いて首筋を見せた。驚いたことに、そこには何の痕もない。振り返った男は、トロンを見るとニヤニヤを崩さないまま言った。

「ま、そういうことだ」

後頭部に手術痕がないということは、この男はケータイの埋め込み手術を受けていない。それどころかトロンのように、外接でケータイを使うことさえ出来ないと言うことになる。事実、男はケータイを持っていなかった。

たっぷり30秒はフリーズしていただろうか。トロンは我に返ると先ほど感じた不気味さも忘れ、男に向かっておずおずと質問した。

「ケ、ケータイなしで生きてる人……聞いたことはあったけど、まさか本当にいるなんて……いったいあなたは、どうやって生きているんですか?」

男は困ったような苦笑を見せながら答えた。

「別にどうと言う事もないよ。あのな、手術で埋め込むということは、もともとケータイなんてない状態が、人間として自然ってことなんだぜ?」

「でも…朝、寝すごしたら?友達との連絡は?仕事用の知識は?スケジュールの管理は?」

「自分の脳で覚えておけばいいじゃないか」

「そんなこと、できるわけないじゃないか。あなたは天才で覚えておけるかもしれないけど、僕たち凡人にはそんなこと不可能だよ」

天才というトロンの表現に、男は引きつるような苦笑を見せる。

「それはそうかもしれん。でもな、お前だって「なんか嫌だ」と思うから外接にしてるんだろう?体には端子を埋め込むだけで」

「いや、それは……」

「コレだけケータイの埋め込み手術が安くなったいまどき、わざわざ外接にして仕事用の知識もディスク読み込みしてるヤツなんて普通じゃないぜ?かえって高くつくだろうに。つまりおまえは、便利さよりセキュリティをとってるんだろ?それは、とりもなおさずこの「情報と高速通信の世界」を信用してない、ということじゃないのか?」

「いや、そういうわけでも……」

「あるだろう?だからこそ、不便な思いをしても外接のままなんじゃないか。隠したってしょうがないさ。俺にはわかってる」

トロンは男の目的がわからずに、首をかしげて黙り込んでいる。男はそこで怪しげな笑顔を作ると、急に親しげに話しだした。

「そんなやつだからこそ、俺はお前に声をかけたんだ」

「どういうことです?」

「俺は、いわゆるパワーハッカーだ。俺のやってること、これからやろうとしてることを知ったら、クラッカーと呼びたくなるかもしれないが」

「犯罪者なんですか?」

その質問へ、男は皮肉な笑いを浴びせる。

「解放者さ」

それからトロンの顔を覗き込むようにすると、自信に満ちあふれた口調で話し出した。

お前みたいに「この世界に疑問を持っている人間」を集めて、人間の本来あるべき姿を取り戻そうとしているだけだよ」

「本来あるべき姿?」

「そう。ケータイのない姿さ。俺は、お前みたいに通信機を外部において、あくまで人間を主と考える数少ない「本当の人間」を探しているんだ。今じゃ、たいていのやつらはケータイを内蔵して、何をやるにもケータイの指示どおり動く、言わばケータイの奴隷だからな」

「でも、そのほうが便利じゃないですか」

「便利だが、それだけだ。事実、昔の人間は何でも自分の脳で覚えていたんだぜ?今の人間にそれができるか?」

「……」

「昔、人間は自分の脳の30%しか使ってないといわれていた。残りの70%への可能性に、みんな夢を見たもんさ。それが今じゃ、このありさまだ。知ってるか?現代の人間は脳の15%しか使っていないんだぜ?残りは全部ケータイ任せだ」

男は肩をすくめると、呆れたように続ける。

「朝起きてから夜寝るまで。生まれてから死ぬまで。今の人間はケータイの末端なのさ。ケータイの中の予定、ケータイからの情報で生きてるんだ。そこに狙い目があるんだよ」

「狙い目?なんのです?」

「この世を終わりにするんだよ」

誇らしげに男は言った。トロンは不気味さで何も答えられない。

「いいか?どんなに技術が進歩しても、いや、進歩するからこそ、そのセキュリティを破ろうとするヤツ、破るヤツってのは必ずいるんだ。俺もそんなひとりさ。俺はな、ついに世界政府のコンピュータに進入することができたんだ。そして現在、そのコンピュータの80%以上を自由に操れる。つまり今、世界は俺の手元にあるのさ」

この男は誇大妄想狂なのだろうか?

トロンがいぶかしむと、その考えを見透かしたかのように、男はにやりと笑って言った。

「狂ってるかどうかなんて、結局、線の引き方だけなんだよ。俺の言っている事や、やろうとしている事は、人によっては狂っていると感じられるかもしれない。でも、俺が結果を出し、俺につくことが有利になるとしたら、俺がなにも言わなくたって、人は勝手に線の引き方を変えて俺を英雄とするだろう」

「それで?あなたは何をしようとしてるの?」

「言ったろ?今の世界を終わらせるのさ。ケータイを内蔵しているヤツラは、みんな俺の言いなりだ。俺の出す情報に踊らされるのさ。それを利用して、世界中をパニックにしてやる」

男の言葉は、夢見るような調子を帯びてきた。

「今まで世界を支配しようとしたヤツラは、必ず軍事力や組織力に頼ってきた。100%な。でも俺は、組織も軍も何もいらない」

「……」

「いいか?史上初めて、口先だけで世界を手に入れる男。それが俺なんだぜ?はったりと噂話だけで、俺は世界中を恐怖のどん底に陥れるんだ。そして、そのあと、お前やあと何人か声をかけてる「本当の人間」が世界を分割統治するのさ。どうだ?ワクワクしてこないか?お前が世界の支配者の一人になるんだぜ?」

「そんなことやめなよ。僕の友達だって、みんなケータイを内蔵してるんだよ?僕にはみんなを裏切るなんてできないよ」

トロンの答えに、明らかな不愉快さを見せると、男はそれでもうトロンには興味を失ったようだった。先ほどまで言葉に含まれていた、狂気さえ感じさせる熱が急速に冷める。

「そうか。なら、お前はやめるんだな。俺たちはもうやるぜ?決めたんだ。やらないならやらなくていいけど、邪魔はさせないぞ?お前の友達だってどうせ死ぬんだ。今のうちにこっち側に来ていた方がいいんじゃないか、と俺は思うがね?」

「もう、変更はきかないんだね?君は世界中のケータイ内臓者をもてあそび、パニックに陥れて、いずれは殺すんだね?」

「ああ、もう決めた」

トロンはゆっくり男に近づいた。

「じゃあ、死んで」

言うと同時に、トロンは持っていたナイフで男を刺した。刺された男は、自分の腹から生えているナイフの柄を不思議そうに見つめながら、ゆっくりと倒れてゆく。

トロンは死にゆく男に向かって、無邪気な声で話し掛けた。

「フリンから送られてきた映画、ゴッドファーザーって言うんだけどさ。まだ見終わってないんだよ。しかも、続編がいっぱいあるんだって。それ見るまではフリンに死なれちゃ困るんだよね」

急速に光を失ってゆく男のひとみを覗き込みながら、満面の笑みを浮かべるトロンの眼下で、男は息を引き取った。それを見届けると、トロンは歩き出した。

 

夕日が血のように赤い。

その真っ赤な血に照らされながら、トロンは映画の続きを片目で見つつ、家路を急ぐ。映画を見終わって、思い出したように、

「それにさ。あんた「この世界を終わらせる」なんて言ってたけど……」

トロンはしらけた顔でつぶやいた。

「こんな世界。もう、とっくの昔に終わってるよ」

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