スプラッシュ
豪奢な金髪が潮風に濡れて、大理石のような真っ白い肌に張り付いている。海を閉じ込めたブルーの瞳には、キャカの褐色の肌とクセのある髪が映っている。

キャカは目を離さずに、その瞳を見つめていた。

大人たちは皆、漁に出ている。母親を含めた女達は、その帰りを待ちながら木彫りの人形を作っているのだろう。観光客へのお土産として、今ではこの島の結構な収入源となっている。

働き盛りの若い者は、こんな田舎の島をとっとと飛び出してゆく。そして文明の国へ出稼ぎに行ったきり、二度と帰ってこない者が多い。だから島には年寄りと子供ばかり。

その中でもキャカは、いっとう幼い。他の大きな子供達のように、海に潜って魚をとるのもきらいだし、花をつんで首飾りを作るのだって真っ平ごめんだ。キャカはいつもひとりで海を見ていた。

いつからだろう?誰も来ない岩場に腰掛けて海を見ていると、そばに誰かが座るようになった。とても不思議な女の人だった。

自分と違う真っ白な肌と金色の髪は、キャカの瞳にはとても幻想的に映った。そしてそんなことより何より、その不思議な女の人には、

脚がなかった。

本来脚のあるべき場所には、魚のようにウロコにつつまれた尻尾があるだけだ。彼女はその身体で器用に岩場へ昇ってくると、いつもキャカの隣に腰掛けた。二人で飽きることもなく海を見る時間は、いつのまにかキャカの宝物になっていた。

彼女が誰なのか、どうして下半身が魚なのか、そういうことはすごく不思議だったけれど、それを言ったら彼女が二度と現れなくなってしまうような気がして、キャカはいつもそれを聞けないでいた。

そばにいて一緒に海を見ているだけで楽しいのだから、余計なことは言う必要がない。キャカはもともと寡黙な少年なのだ。 両親には内緒にした。

街から来る観光客にいつも愛想笑いをしているくせに、彼らが去るとぶつぶつ不平を言っている両親だ。脚のある観光客でさえ、よそ者と言うだけでこんなに嫌っているのに、明らかに自分達とは違う彼女の姿を見たら、彼らはきっとキャカが彼女に会うのを止めるだろう。

それだけは避けなくてはならない。だから、キャカは秘密をたった一人で抱えていた。楽しい秘密だった。

「あなたは私を信じる?」

突然、彼女はキャカに話し掛けてきた。初めて聞いた彼女の声は、思った通り涼やかで透き通っていた。

キャカは首を縦に振りながら、つっかえつっかえモチロンと答える。

「ずっとこうしていられるといいね?」

彼女が自分と同じことを想っている!

それだけでもう、キャカは最高に有頂天になってしまった。 そのあと二人は、お互いの話をたくさんした。

彼女が人魚と呼ばれていること。その肉が不老長寿の秘薬だというので、彼女の仲間が乱獲されてしまったこと。彼女はもしかしたら、最後のひとりかもしれないということ。

キャカはこの日、色んなことを知った。

「友達が誰もいなくて、さみしい?」

「キャカも友達がいないみたいだけど、寂しくないんでしょう?」

「君がいるもの」

「私も同じだよ?」

太陽がみなもに反射してキラキラと輝く。

そのキラキラの中で彼女は儚げに笑った。切ない微笑だった。

キャカの胸がきゅんとなる。

「キャカに好きな人が出来るまで、ずっとこうして、ふたりで色んなことを話していられるといいね?」

「僕に好きな人が出来たら、君はどこかへ行ってしまうの?」

「たぶんね。キャカが私を必要としなくなれば、私はいなくなる。そうしてキャカは私を忘れてしまうでしょう」

想像しただけですごく悲しくなって、キャカは泣き出した。その背中を人魚が優しくなでる。キャカは泣きながら叫んだ。

「ずっと必要だよ!絶対、忘れないよ!」

彼女は寂しそうに笑った。 

 

キャカは成人の儀式を迎える年になった。

同じ16歳で島を出てゆかない者は、もう何人もいない。そのうちのひとり、幼馴染のルルのことが、キャカは最近、気になってしょうがない。

生きるエネルギーの塊のようなルルを見ているだけで、キャカの心臓は勝手にどくどく高鳴る。海からの反射を浴びてキラキラ輝くルルの褐色の肌は、人魚の美しさとはまた違った美しさと輝きを持っている。若さと生きる歓びにあふれて、なんだか圧倒されるようだ。

ある日ルルはキャカを訪ねてきた。キャカが何事かといぶかしんでいると、ルルは突然抱きついてきた。

キャカの腕の中に、若いはずむような肉体が飛び込んでくる。甘い女の香りが、キャカの鼻腔をくすぐる。キャカはルルを抱きしめ返した。彼女が島を去らなかったのは、つまりそういう訳だったのだ。

その日からしばらく、キャカは人魚に会いに行かなかった。

何日かして、ルルは不意に顔を曇らせると、キャカに向かって挑むように言った。

「キャカは私が好きじゃない」

「好きだよ?」

「嘘。キャカが岩場に女の人に会いに行ってるの、私、知ってるんだよ?何度か見かけたことがあるもの。あんな綺麗なひとじゃあ、私は敵わない」

ルルは泣き出した。

キャカは困ったなぁと思いながらルルの背中をなでる。なでながらいつのまにか、昔、人魚にこうして背中をなでてもらったことを思い出し、それを懐かしく嬉しく思っている自分に気づいた。

このままではルルが可哀想だ。僕はルルが好きなんだし、彼女は人魚だから、彼女と結ばれることは出来ない。

そう思い立ったキャカは、ついに人魚との決別を決心した。 

 

その晩。満月が、岩場を煌々と照らしていた。キャカはひとりで岩場に立つ。なぜか、いつものように昼間ではなく、今日、この時間に、ここに彼女が来ることが判った。

キャカはさざなみの立つ南の海を、唇をかみ締めて見つめている。

と、後ろの岩場から彼女が顔を出した。月明かりに見るその姿は、切ないほどに幻想的で、ぎゅっと拳を握り締めなくては決心が揺らぎそうだった。

キャカはゆっくりと低い声で話し出す。

「今日は、お別れを言いにきたんだ。あなたがむかし言ったように、僕には好きな人ができた。その人を泣かせるわけには行かないから、僕はもう、あなたと会うことは出来ないんだ」

人魚は寂しく笑った。

すべてわかっているよ、と言うようなその笑顔を見ているうちに、キャカはついに耐え切れなくなり、嗚咽を漏らし始めた。その場にひざまずいて、声にならない泣き声を上げている。

人魚はその傍らにやってくると、キャカの背中を優しくなでた。キャカの嗚咽が高まる。しばらくの間、キャカは泣きつづけた。

ようやく落ち着いて顔を上げると、そこには青白い光に照らされて彼女が笑っていた。その寂しくて美しい笑顔を見ながら、キャカは彼女の瞳を見つめる。

彼女はゆっくりとうなずいた。

キャカの心は寂しかったけれど、その笑顔で救われた気がした。寂しいけれど、これでお別れ。僕はこれから強く生きていける。キャカもゆっくりと、力強くうなずいた。

その時。

ぶん、と唸りを上げて飛んできた何かが、彼女の胸に吸い込ま れる。それは彼女の身体の中に、凶悪な逆爪を広げてがっちりと食い込んだ。

キャカは唖然としてその物体に見入る。何が起こったのか、瞬時には理解できないでいた。

次の瞬間、彼女の胸に刺さったモリは後ろについた引き綱を引かれて、びん、と緊張する。キャカはすばやく、その綱の先を目で追った。大人達が何人も、手に手にモリや網を持って集まってきていた。

「な、なぜ……」

つぶやくキャカの目は、男達の後ろにいるルルの姿を捉えた。頭の中が真っ白になる。その間にも、人魚は逃げようともがいていた。しかし何人もの男達に引っ張られて、成すすべもなく引きずられてゆく。

キャカは吼えた。

ひしり上げるような雄叫びを上げて、男達の方へ駆け出す。

手には赤ん坊の頭ほどもある大きな石をつかんでいた。

「おおキャカ、でかしたぞ!人魚………」

全部言い終わる前に、先頭の男はキャカの握った石塊で頭を割られ倒れた。ざくろのように爆ぜた頭から、ぴうぴうと血が噴出す。

返り血を浴びながらキャカは、次々と男達を殴り殺していった。

男たちとは言っても、若者のいないこの島のこと。みんなキャカの父親と同じか、あるいはそれ以上の歳である。

16歳のキャカが我を忘れて暴れるのを止めることの出来る屈強な男は、ひとりもいない。色んな思いが飛来して、キャカは完全に暴走した。こうなればもう、彼自身にも自分を止めることは出来ない。

キャカはあふれる感情のままに、殴りつけ殺し続けた。

やがて、死体の山の真ん中に、血だらけのキャカが立っていた。

ふうふうと肩で息をしながら、惨劇の真ん中にひとりで立っていた。

ふと我に返り、キャカは人魚を探す。倒れている彼女を見つけると、キャカは急いで駆け寄った。近くの死骸の手からナイフをもぎ取ると、人魚の身体を慎重に切ってモリを抜く。

そして彼女を抱き上げた。人魚はやっぱり悲しそうな顔で、弱々しく笑う。

「ごめんよ。こんなつもりじゃなかったんだ。ごめんよ」

途方にくれているキャカに、人魚はささやくような声で言った。

「私は大丈夫。人魚は死なないの。海に帰ればすぐによくなるから」

「僕も……僕も一緒に行くよ」

そう叫んだキャカに向かって、人魚はゆっくりと首を振る。

「あなたは人間だもの」

「人間なんかやめてやる。僕は君と一緒に行くんだ」

人魚はふっ、と笑った。

「あなたは人間。怒りに任せて、こんなにたくさんの命を奪ってしまうあなたは、やっぱりどうしようもなく人間なの」

キャカは言葉を失う。

「私のために怒ったのは最初だけ。あなたはここぞとばかりに、今までの鬱憤やら何やらを、すべて破壊の衝動にぶつけた。 あなたは明らかに、悦んで殺したの。そしてそれは人間以外、どんなモノもやらないことなの」

彼女は弱々しく、しかし決然とキャカを突き放す。

「僕も……いっしょに行きたいんだ」

キャカの瞳には涙が浮かんでいる。

驚きと、焦りと、後悔とでくたくたになりながら、それでもキャカは一縷の望みを託し、もう一度つぶやいた。震える声でつぶやいた。

「君といっしょに行きたいんだよ」

しかし、人魚はもういちど首を振る。

「あなたには、やらなくてはならないことがあるよ?命を奪った責任を取らなくてはならないのだから。それに、私は海に帰るのだけれど、あなたはそうじゃない。海へ逃げ出そうとしているだけ。それは許されないことでしょう?」

キャカは打ちのめされて立っていた。

足元がぐらぐらとゆれて、目の前が真っ暗になる。

彼女への想いが、全身を駆け巡る。

それでも彼は、歯を食いしばってそこに立っていた。

やがて潮が満ちるように、ぽっかりとした絶望が、キャカの心をゆっくりゆっくり満たしてゆく。キャカは魂まで吐き出しそうなほど、深い深いため息をついた。

黙って人魚を抱き上げると、岩場に向かって歩いてゆく。

岩の上で片膝をつくと、ゆっくりゆっくり、愛しむように彼女を海へ返す。彼女はしばらく漂っていたが、やがて元気になったのか、ポチャンと水音を残して海へもぐった。

キャカはその後ろ姿をずっと見送っている。

一度だけ海面から顔を出した彼女は、あの消えそうに切ない、涙が出るほど美しい笑顔で微笑むと、やがて波間に消える。

それきり、二度と姿を見せることはなかった。

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