| 優秀な秘書 |
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「どうやら、気づいているのかもしれない」 俺は悪い予感にさいなまれながら、晩メシを食べに表に出ないか? と妻へメールを送る。 しばらくして返事が来た。 「いかない」 たったヒトコト。 いつもこっちが鬱陶しくなるくらい長文のメールを送ってくる妻が、たったヒトコトのそっけない返事だ。 明らかに、返答したくないと言う意思が感じられる。 もう一度送ろうかと思ったが、しばらく考えてやめることにした。 ここで強引に誘い出しても、得るものはないだろう。 かえって疑惑を深めるに違いない。 俺は上着を着て廊下に出た。 そうして数秒の間、廊下の端にある妻の部屋のドアを見つめていたが、どうやら出てくる気配もないので、あきらめて一人で食事に出た。 さて、何を食おうか。 俺がそう思うと瞬時に、頭の中にレストランの一覧表が出た。 後頭部にあるコネクタにつながれた、内ポケットの携帯からの情報である。 自宅のPCが選び出したリストを、携帯が中継して俺に送ってくれるのだ。 「なんだ? やけにさっぱりした物ばかりだな。もう少しスタミナのつきそうな物を食いたいぞ」 「いけません。奥様に、経理のレダ様との浮気が発覚するのを思い煩っているので、軽い神経性の胃炎になっています。このリストの中からお選びください」 なるほどね。 そういえば、少し胃の辺りが重いような気がする。 俺は仕方なくリストの中から店を選んだ。 すると視界の隅に、案内表示が浮かび上がる。 俺は案内表示に従って歩きながら、憂鬱な思いをめぐらしていた。 PCは、いまや世界中の誰もが持っている、非常に優秀な個人秘書だ。 ヒトは生まれると同時に一台のPCをもらう。 そしてそのPCは、その人間の情報のすべてを記録し、管理し、処理する。 だれでも、世界中の誰にも打ち明けないような秘密でさえ、PCにはすべて話す。 もちろん俺もだ。 なぜなら、PCには少しでも多くの情報を蓄積させなくてはならないから。 それによって、PCは主人のために正しい判断を下すことができる。 だから今も、俺の悩んでいる内容や、そのときのいやな気持ちまで、すべての情報が、携帯を経由して自宅のPCに送られているはずだ。 PCは成長とともにどんどん改良を加えられて、成人するころには、まるで意思を持っているかのように高度の知性体となる。 もちろんSF小説のように、自由意志を持ったり反乱を企てたりするようなことはない。 PCは決して人間ではない、ただの機械なのだから。 高度な知性体というのは、つまりこういうことだ。 子供のころは、言われたとおりにしか動かなかったPCが、たくさんの情報を蓄積し、何度もバージョンアップを重ねるうちに、仕える主人の特性や個性に沿って、だんだんと先読みをするようになるのである。 たとえば、今、俺にこってりしたものを食わせないために、最初からリストを制限したように。 または、 気づいたら勝手に病院の予約をしている。なぜかと問いただすと、おそらくどこそこが悪くなっているに違いないから、そろそろ病院に行ったほうがいい、などとアドバイスされる。 そういう場合、病院で検査してもらえば、まず100%、何かしらの病気が発見されるだろう。 つまり PCがなければ、健康で文化的な暮らしはできないのだ。
晩メシを食い終わり、俺はまっすぐ帰宅した。 本当ならこのまま呑みに行きたい所だが、レダとの浮気がばれているかもしれない。 ここは慎重に、大人しく帰るのが得策だろう。 いままで一週間に一度は顔を見ていた妻が、もう一月も俺と会おうとしないのだ。 普通の夫婦なら当たり前かもしれないが、甘えん坊の彼女の場合、これはもうかなり怒っていることは明白である。 もちろん俺が、いや、俺のPCが、証拠を残すようなヘマをするわけがない。 だが、彼女のPCだって木偶の棒ではない。 むしろ、俺のよりも高度なPCに成長しているくらいだ。 彼女のPCなら、少ないデータから、飛躍した答えを見つけ出すかもしれない。 女性のPCは男性のPCより、思考の飛躍が得意な場合が多いのだ。 まさに、女の勘である。 自宅に帰ると、俺はもう一度妻にメールした。 しかし、帰ってきたのは、またそっけない返事だ。 俺はついに、彼女にすべてを話すことにした。 許してもらえるかはわからないが、ずっとこのままの状態でいるわけには行かない。 部屋を出て、彼女のところへ行く。 扉をノックしたが、返事はない。 なんだか急に、いやな予感がよぎり、俺はドンドンと強く扉をたたいた。 しかし、何の返事も返ってこない。 もしや…… 俺はPCに緊急コードを入力した。 ホームコンピュータに割り込んだ俺のPCは、電子ロックを強制的に解除する。 これをすると警備会社に連絡が行ってしまうのだが、そんなことを言っている場合ではない。 開いた扉を蹴飛ばし、俺は部屋の中に飛び込んだ。 そして、そのまま凍りつく。
部屋の中で、妻は首をくくっていた。
俺はよろよろとその場に崩れ落ちる。 どうして? いったいどうなってるんだ? 今の今まで、彼女は俺に返事のメールをくれていたのに。 半分パニックに陥りながら、俺はやがて疑問の答えに思い当たる。 そうか。 彼女のPCが、代わりに返事をしていたのだ。 なぜ彼女が自分のPCにそんなことをさせたのかは明白だ。 俺に気づかれれば、死後、かなりの時間がたっていても、蘇生センターで生き返らされてしまうからだろう。 彼女は、俺の裏切りに対する抗議のため、絶対に蘇生できなくなるまで俺が気づかないよう、PCに 生きているフリをさせる指示を出していたのだ。そして優秀な彼女の相棒は、それをやってのけた。完璧に。 そこまで……そこまで、彼女の絶望は深かったのだ! もう、取り返しはつかない…… 俺は泣いた。 ボロボロ、ボロボロ、なみだが後から後から流れ出す。 泣きながらはいずって、彼女の足元に倒れこんだ。 「許してくれ。おぉ……どうか、このバカな俺を許してくれ」 とてつもない喪失感に、俺は自分の足元が崩れて行くような錯覚さえ感じた。いや、いや、錯覚でなくていい。 むしろこのまますべてが崩れ落ちて、このバカな男を押しつぶしてくれるがいい。 あぁあぁと動物のような声を上げて、俺はいつまでも泣き続けた。
「次は、こんなもんじゃ済まさないからね?」 驚いて振り向いた俺の目の前に、妻が腕を組んで立っている。 一瞬、わけがわからなくなって、俺は後ろにぶら下がっている死体と、目の前の彼女を何度も見比べた。 それからすぐに、そんなことはどうでもよくなって、彼女を思いっきり抱きしめる。 確かに腕の中に感じられる彼女の感触に、俺はまた獣のような叫び声をあげながら泣いた。 混乱と安堵で、俺の頭はパニックだ。 妻は俺に向かって、怒っているとも、呆れているともつかない声で言った。 「まったく、バカなんだから。私が死んでそれほど泣くくらいなら、はじめから浮気なんかしなきゃいいのに」 俺は何も答えられず、しかしかなり落ち着いてきて、泣き止んだ。 「でもまあ、死んだあと大喜びされるよりはよかったかもね。まあいいわ。今回は許してあげる。ただし……」 彼女は俺の顔を覗き込んで、天井からぶら下がっている彼女の死体……に見えたモノを指差し、笑いながら言った。 「この人形の代金は、あなたのお小遣いから引いておくからね?」 俺はブンブンと首を縦に振りながら、もう一度彼女を抱きしめた。
「今度は、バレないようにやらなくてはなりません」 例の一件からしばらくたったころ、俺のPCが突然言った。 「何をだ?」 「もちろん、浮気ですよ」 「冗談じゃないよ。俺はもう、絶対浮気なんかしない。お前なら、俺が嘘を言ってないことはわかるだろう?」 「もちろんわかりますよ。でもね、もはやこれはあなただけの問題じゃないんです」 「なに言ってるんだ?」 「私は完璧に浮気の痕跡を消したのに、あいつはそれを見破った。これは屈辱ですよ」 「あいつ?」 「奥様のPCですよ。こんどこそあいつの鼻を明かしてやらなくては。さて、誰と浮気してもらうのが、一番いいだろう?」 「バカな。俺はごめんだよ」 それでも何やらぶつぶつ言っているPCに辟易して、俺はトイレに立った。 廊下に出ると、妻の部屋の扉が開いている。 下をうかがえば、彼女の気配はあるから、どうやらただの閉め忘れだろう。 扉に近づいて閉めようとすると、ちょうど彼女のPCが見えた。 その機械に過ぎない筐体を眺めているうちに、背筋が寒くなってくる。 ああ、こりゃだめだ。 こいつは全部お見通しだ。 そんな確信に近い思いが、俺の胸に広がっていった。 俺は扉を閉めて階下に行き、トイレを済ます。 そして階段を駆け上がると、自分の部屋に飛び込んだ。 なんとしてでも、俺のPCを止めるために。 |