酒場にて
「ねえ、アイリ。今日も、帰ってこられないのかい?」

レオンは少し苦しそうに言った。

しかしアイリの耳には、いつものうるさいセリフにしか聞こえない。

「そうね。今日はお店でベイカーさんの昇進祝いをやるから、帰りは多分朝になると思う」

予想通りの答えに、レオンの表情は翳(かげ)る。が、一瞬で気を取り直すと、哀しくなるほど透明な笑顔で、アイリの長い髪に触れる。

「そう……じゃあ、朝食を一緒に食べようか?」

「わるいけど、無理っぽいなぁ。明日も忙しいから。多分、直接ショップの方にいって、ジュエリー関係の打ち合わせをしたあと、そのままウチの店で接待ってことになると思うから」

むしろ事務的にそれだけ言うと、アイリはそそくさと家を出る。その後ろ姿を、レオンは複雑な表情で見送り、ため息をついた。

レオンは苦しんでいた。

アイリは優秀な女で、そして、奔放な女だった。やり手の実業家といっていいだろう。3軒の酒場を経営する傍ら、ジュエリーデザイナーの仕事までこなしている。

そこに至るまでには、もちろん、たくさんの苦労をした。

借金して始めた一軒目のバーの経営が思わしくなく、ジュエリーデザイナーを始めたが、無名の彼女の作品を買ってくれるものなど、そう居るものではない。

かといって、苦し紛れに店の客に買ってもらおうとすれば、疎まれて、客足が遠のく。何をやってもうまくいかない、苦しい日々が続いた。

そんな時、レオンはずっと彼女の傍らにあった。そばで励まし、時にはいさめ、持てる愛情のすべてを注いで、彼女を支え続けた。

レオンは新鋭の芸術家だったから、アイリ以上に金がなく、経済的に助けてあげることは出来ない。だから、せめて心だけでもと、一生懸命彼女を支えた。

アイリも彼の愛情にすくわれ、苦しいながらも、そこそこ幸せな日々が続いた。

そして、ある日、レオンが絵を見てもらっている画商のひとりが、彼の指輪に目を留める。絵の方にはこれっぽっちも触手を動かさなかったその画商は、レオンの指輪に心を奪われ、譲ってくれと頼んだ。

すべてはこれをきっかけに、急速に転がりだす。

一般的にはともかく、好事家のあいだで、その画商はなかなかの有名人だった。彼は絵画の愛好家が集まるパーティに、アイリがデザインした指輪やネックレスをしていったのだ。そして、そこで多くの名士の目に留まり、アイリのデザインするジュエリーは、突然、売れ出した。

得意先の 多くが、センスや感覚の鋭い、絵画など美術の愛好家であったことが、彼女に追い風を与えたのかもしれない。

彼らはそれほどブランドにこだわることなく、自分のセンスで気に入ったアイリのジュエリーを、堂々と身につける。そしてアクセサリというものは、それを持つ器量のある人間が身につけると、本来よりもずっと輝くのだ。

彼らのセンスのいい服に、彼らのセンスで選ばれて身につけられた、アイリのデザインする宝石や貴金属は、やがて多くの人を魅了した。 アイリはあっという間に有名ジュエリーデザイナーの仲間入りをする。

そこでジュエリーデザイナー一本でやっていこうとすれば、それなりにまた苦労もしただろう。しかし彼女は、デザイナーとしてではなく、実業家として生きることを選んだ。

得た名声を利用して、バーの経営に力を入れる。ジュエリーは、その合間に、たまに作る程度だ。

バーは名士が集まることで、人が人を呼ぶ。ジュエリーはその数が少ないことが希少価値を高め、ますます人気が上がってゆく。今度は何をやっても、すべてがいい方向に転がっていった。

まさに、順風満帆。

ただひとつ、レオンの心を除いては。

 

アイリのバーの片隅で、レオンは一人静かに飲んでいる。

場末のごみごみした飲み屋街の一角。

二号店以降は名士の集まる高級なラウンジやクラブなのだが、ここだけは始めたころのまま、小さいけれど落ち着いたショットバーだ。もっとも、アイリが顔を出すことはまずない。

雇われている無口なマスターがグラスを磨くほか、店にいるのはほんの数人。そのうちのひとり、30くらいの女が、ふいにレオンの横へ座った。レオンは物憂げな様子で、彼女の方を見る。

それほど美しいというわけではないが、愛嬌のある、いわゆる男好きのする顔立ちとでも言えばいいのだろうか。話しかけてきた口調も、なんだかやけに明るくて、アイリのことで沈んでいるこっちの 方が馬鹿馬鹿しくなってくるほどだ。

「暗いなぁ。どうしたの?」

何が珍しいといって、いつもならこんな無神経なセリフは無視してしまうはずなのに、今夜はなぜか、相手をしてやろうという気になったことだ。まさに、酔興(すいきょう)というヤツだろう。

「ま、色々あってね。君はまた、ずいぶんとご機嫌だけれども、そっちこそ、何かいいことがあったのかい?」

「ううん、その正反対」

「へえ、とてもそうは見えないけれど」

「嫌なことがあったからって、沈んでてもしょうがないでしょ?」

「それは理屈だけれども、実際はなかなかそうも行かないんじゃないかな、普通の人は。嫌なことがあったら、沈んでしまったって仕方ないだろう」

レオンの言葉に、彼女は肩をすくめてふふんとハナで笑う。

しかし、それはバカにしてるというよりも、単純に彼女のクセなのだろう。少なくとも、そういう好意的な解釈をしてあげたくなるくらい、彼女のしぐさには嫌味がなかった。

「嫌なことがあったんだ?」

「まあね」

「何があったの?」

「君に何があったのか、教えてくれるなら、教えてあげるよ」

「ふうん……」

女は小首をかしげて何事か考えていたが、やがてマスターに指を一本立て見せると、レオンに向き直って話し出した。マスターは彼女のアクションに、すかさず飲み物のお代わりを作り始めたようだ。

「私ね、今日、男と別れたのよ」

「ほう、それはそれは」

「ま、振られたんだけどね」

「なにか、悪いことをしたのかい?」

言いながらレオンは、彼女をアイリと重ねて見る。

底抜けに明るい雰囲気や人懐っこいキャラクターは、アイリのように人々に愛されるだろう。センスのいいアイリが、同じくセンスのいい芸術愛好家達に愛されるがごとく。

そしてきっと、彼女の奔放な性格が、相手の男の我慢を超えて……

「悪いこと? するわけないじゃない。私、彼のことが大好きだったんだからね? むしろ、悪いことをしたのは、向こうの方かな」

自分の想像をたしなめられたようで、レオンはびっくりして彼女を見つめる。それから彼女に他意がないことを確認して、肩をすくめた。

「へえ、浮気でもしたのかな?」

「相手は人間じゃないけどね」

彼女は、コケティッシュに微笑む。可愛らしい笑顔だ。

「あたしの敵は、彼のお仕事。忙しい、忙しいって言葉に、負けちゃった。好きなら我慢できるかと思ったけど、やっぱりだめだね。彼がこっちを向いててくれないと、すごく寂しくて、哀しくて、私、あなたの何なの? って思っちゃうんだよね」

どきん。

思わずレオンの心音が高鳴る。

まるで自分とアイリのようじゃないか。

それから、ちょっとの哀しさと、それを覆(おお)いつくすような諦めが、心を満たしてゆく。 やっぱり、そういうものなんだろうな。一方的な恋は、いつか終わりが来るのだろうな。

「君だけじゃないと思うよ。男だって、相手が自分の方を向いていてくれないのは、すごく寂しいし、苦しいと思う。それが浮気とかじゃなくて、単純に忙しいという理由だとしても」

そのセリフに、女はぱぁっと表情を明るくした。

「そうだよね? あたしの求めたことって、間違いじゃないよね?」

「もちろんっ!」

レオンは、必要以上に強くうなずく。

間違いでなどあるものか。

好きな相手に、自分の方を向いていて欲しいって気持ちは、絶対に間違いなんかじゃない。それが我慢できなくて別れてしまう事や、我慢してがんばってゆくことの違いはあるかもしれないけれど、でも、「想うこと」自体は、決して否定されない。

されてたまるか。

女は、レオンの強い応(いら)えに、にっこりと微笑んだ。

「嬉しいな。今日は私がおごっちゃうよっ!」

「おー! そいつはありがたい。それじゃあ、ひとつ、ボトルでも入れよう」

「あー、ひどいっ!」

酒場に、明るい笑い声が響く。いつも無表情なマスターも、心なしか口元が緩んでいるようにさえ見える。レオンはさっきまでの憂鬱な気分が、少し払拭されたように感じた。

と、彼女の表情が少し翳(かげ)る。

「でもね、やっぱつらいよね。待ってるのって」

「そう……だねぇ……」

「私、いっぱいがんばったよ。黙って待ってるなんて性に合わないから、思ったことを一生懸命伝えた。帰ってきて。私と話して。私にキスして。私を抱いて。私を見てっ! ってね」

「それがうるさかったのかも……いや、ごめん」

「ううん、いいよ。たぶん、うるさかっただろうから。だけど、私はね、黙って待ってる都合のいい家政婦になんて、ゼッタイなりたくなかったんだ。私が見てる半分でも、一割でもいいから、彼に私を見て欲しかったんだ」

「そりゃあそうだ。『お互い同じだけ』なんてのは、たぶん、無理なことだろうけど、でも、少しでも大切に思ってくれるなら、時には態度にあらわして欲しいって思うのは、当たり前だよ」

「でしょ、でしょ? いくら心で思ってるって言われたって、やっぱり、時々はそういう目に見えたり、耳に聞こえたり、手で触れることのできる『実感』が欲しいよね?」

「うんっ」

レオンは、彼女の気持ちに、完全に共感していた。

男と女が入れ替わっているだけで、彼女の苦しみやつらさは、自分の感じているそれと、露ほども変わらないではないか。レオンは目の前に、自分の分身を見る思いだった。

いや、未来なのだろうか?

「はぁ」

「なに? ため息ついて。大好きな彼女のことでも、思い出したの?」

レオンは黙って肩をすくめる。自分の分身たる彼女は、そしていったいどうなった? そう、彼女は思いを伝え続け、自分を見てと主張し続け、ついに、その愛を失ってしまったのだ。

そしてそれは、明日の自分かもしれない。

レオンは切なくなって、言葉が思わず口をついた。

「ねえ、今日くらいはいいんじゃないかな?」

「なにが?」

レオンの言葉に、彼女は小首を傾げてそう聞き返す。レオンは透明な笑みを浮かべて、優しく、優しく、いつくしむように言った。

「今日くらいは、我慢しなくていいんじゃないかな?」

「だから、なにを?」

「泣くことを、さ」

店のスピーカーから、枯れた歌声が流れる。いとしい人を失った男の、胸が張り裂けるような切ない歌だ。いつの間にか店の中には、マスターと彼ら二人しかいなくなっていた。

やがて。

彼女は。

しかし、泣かなかった。

その顔に満ちるのは、むしろ、こぼれるような笑み。

「泣かないよ? だって、哀しくないもの。ううん、哀しいけれど、それよりも、あったかいもの」

「あったかい?」

思わぬ応(いら)えに、レオンはただオウム返しに口を開く。彼女は彼に向かって、満面の笑みをたたえてうなずいた。

「でも……別れてしまったんだろう?」

「うん」

「なら、哀しくないわけがないじゃないか」

「そんなことないよ? あ、私がそれほど彼を愛していなかったなんて思わないで? そうじゃなくて……何て言えばいいのかなぁ……」

レオンには、見当もつかない。ただ、彼女の答えを待つ。

女は、しばらく腕を組んで考え込んでいたが、やがて大きくうなずいた。

「そう、いっぱい愛していたから、そのことが誇りだから」

「わからないなぁ。いくら愛していたって、ステキな思い出がたくさんあったって、最後に別れてしまうんじゃ……」

「無駄になる?」

「ムダ……ってわけでもないけれど……なんか、すべてが幻だったみたいな……結局、あの幸せはウソだったのか、幻影だったのか、みたいなさ」

「あなたはそう思ってるの?」

「そう思いたくないから、この恋を幻にしたくないから、いま、こうしてがんばっているんじゃないか。あ、いや、君にはまだ話してなかったけれど、実は僕も同じような気持ちになっていてね」

それからレオンは、彼女に自分の境遇を話した。彼女にひどく共感していることも、だからこそ、彼女が別れたという事実が、自分を傷つけるのだということも。

レオンの話を聞いて、彼女は問う。

「それじゃあ、あなたは彼女といる間、ちっとも幸せじゃなかったの?」

「幸せだったよ。でも、今は苦しい。苦しいけど、彼女を失いたくない」

その言葉に、彼女は胸を張って答える。

「なんだ。それじゃあ、帳尻は合ってるじゃない」

「え?」

呆けたレオンに、彼女は自信満々で答える。

「だってさ、ずっと幸せだったんでしょう? なら、そのあと少しくらい苦しくたって、マイナスじゃないじゃん?」

「そんな……」

あまりの言い草に、レオンは思わず苦笑する。

「それじゃあ君は、こう言いたいのか? 僕はもう、幸せの前払いを受け取っているから、後は支払いだけなんだって?」

「ちがう、ちがう。あなたはもう、幸せなんだよってこと」

「そりゃあ、だめだよ。だって、いくら幸せ『だった』と言ったって、今が幸せじゃないんなら、何にもならないじゃないか。むしろ、今まで幸せだったことが、逆につらいよ。最後に失うなら、幸せなんてない方が、よっぽど……」

「これまでいっぱい幸せでも、そのあと不幸になったら、すべての幸せは否定されちゃうの? そんな風に思ってるあなたの、あの頃は良かったって思ってるあなたの、今って、いったいいつ?」

「…………」

レオンは、絶句した。彼女は構わず言葉を継ぐ。

「ねえ」

「うん?」

「私はね、幸せだよ。幸せなときと、幸せじゃなかったとき、どっちが多いかなんて計算したことないけど、でも、幸せだったよ。あの人に会えたし、ステキな時間をいっぱいもらったし、たくさん笑えたからね」

「でも、今はそのどれも失っているじゃないか」

「うん、今はね。その代わり、今日、あなたと会って話が出来た。それも、幸せのひとつだよ。彼との時間ほど幸せではないかもしれないけど、それも大切な、『今』だよ」

「僕は、そんな風には考えられない。僕はアイリを失いたくない」

「そうして失わず、ずっとつらい思いをして、最後に笑えればそれでいい?」

「そう……かもしれない。そうじゃないかもしれない。僕にはわからない」

「そうだね、私にもわからないや。ずっとつらくても最後の一瞬が幸せなのと、ずっと幸せで最後にそれを失うのと、どっちが本当の幸せなんだろうね?」

ふたりはそこで沈黙する。

と。

「もう、答えは出ているんでしょうね」

不意にマスターがつぶやく。二人は驚いて彼を見た。マスターはいつもの無表情のまま、いや、それよりは心持ち優しい表情で、彼らに語りかけた。

「最初幸せで、最後に不幸な人。最初不幸で、最後に幸せな人。誰でもみんなそれぞれ、言い分はあるでしょう。ずっと幸せ、ずっと不幸、そのどっちかでない限りは」

「そりゃあ、言い分はあるだろうね。でも、答えって?」

レオンの問いに、マスターは微笑む。

「その言い分の、どれもが正しいんじゃないでしょうか?」

「幸せは、ヒトと比べるものじゃないってこと?」

「まあ、それも真理だと思いますが、比べる比べないは別にして、まだ愛する人を失っていないあなたは不幸だと言い、もう失ってしまったあなたは幸せだと言う。でも」

そう言いながらマスターは、レオンと女を順番に指差した。

「私らは、物語のなかで生きてるんじゃない。最後にハッピーエンドであればいい、なんて単純な世界で生きてるわけじゃない。だからこそ、彼女が言うように、一瞬一瞬の幸せを忘れないようにしなきゃいけないし、彼のように最後のハッピーエンドを目指してがんばらなくちゃいけない」

「思い出を大切にしろってこと?」

「最後まであきらめるなってこと?」

レオンと彼女は、同時に、別々の問いを発した。それから顔を見合わせて、少し笑う。マスターはふたりにうなずいた。

「幸せになるってことにとらわれすぎ、未来を見るばかりで、昔を思わないのはもったいないです。今を見ないのは、もっともったいない」

「…………」

「嬉しかったこと、楽しかったこと、それをはっきりと思い出してみることも大事じゃないですか? ただ思い出すんじゃなくて、目の前で再現してるみたいに、かみ締めながら、味わいながら」

「…………」

「未来ばかり思うんじゃなくて、もっとはっきり、何が目の前にあり、何が周りにあるのか。誰がいて、何を考えているのか。そんな『今、自分の居る場所』をしっかりと認識する。 と言うのも、大事なんじゃないでしょうか?」

「でも……」

「いや、私は、こう思えって言ってるわけじゃないです。こんな考え方があるんだよ、って言ってるわけでもないです。お二人の考えを聞いてて、なんとなく思っただけのことですから」

二人は感じることがあったのか、しばらく黙って考え込んだ。それからしばらくして、レオンが口を開く。しかし、口をついたのは、今までと同じ言葉だ。

「そう……でも、ぼくはやっぱり……アイリを失いたくない。過去を思い返して、今をごまかすなんて出来ない」

「私は、ごまかしてるわけじゃないよ? 幸せだ、って本当にそう思ってるし、幸せだったことに満足も納得もしてる」

結局、何の答えも出ていなかった。

しかし、なんだか少し、ふたりの表情はさっきと変わって見えた。 それはもしかしたら、同じ思いをしてきた者がここにもいるのだと言う、そんな思いのせいかもしれない。いわば戦友とでも言うような。

マスターは、黙って頭を下げると、酒瓶をあげて二人の杯に注ぐ。

「おごりです」

「ありがとう」

レオンは、肩をすくめて礼を言った。女は、注がれる酒を眺めながら、少しイタズラっぽく、もう一度、マスターに問う。

「ねえ、マスター、結局どういうこと? 答えって?」

女の言葉にマスターは、片目をつむって微笑んだ。

「つまり、酒って言うのは、そういうときのためにあるんだってことです。これだけは間違いない、真理ですよ?」

ふたりは思わず顔を見合わせると、吹き出した。

「なんだぁ、マスターもわかってなかったのか」

「そりゃあ、そうですよ。私だって、その答えを探してるんですから」

「そうだよね。みんな、その答えを探してるんだよね? 人それぞれ、その答えは違うんだろうね。で、彼は結末をよくしようとがんばってるんだし、あたしは幸せだって納得してるんだ」

女が微笑むと、レオンは少し寂しそうに、でも、さっきよりはよっぽど明るく、うなずいて答える。

「みんながそうして、同じような思いを持っていることがわかっただけでも、なんだか少し気が晴れたように感じるよ。でも、やっぱりこれからも、悩んだり、苦しんだりしてゆくんだろうね」

マスターと女は、優しくうなずいた。女は杯を上げて、おいしそうに呑む。レオンも、それを見て、自分の杯を干し、マスターに掲げて見せた。マスターはうなずいて、レオンの杯を満たす。

「だからこそ、ですよ。悩んだり苦しんだりして疲れたら、休んで、一杯飲めばいいんです。人生をちょっと休むために飲むんです。ヤケになったり、忘れるためにじゃなく」

そこで マスターは、自分にも一杯注ぐと、嬉しそうに笑った。

「酒と酒場は、そのためにあるんですからね?」


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