ロマンの志士
「おまえ、将来のことを少しは考えているのか?」

先生、親、塾の講師、みながみな一様にそう言う。リョウはそのたびに、あいまいな笑顔を浮かべてごまかすのだ。

だからと言って、リョウが特別落ちこぼれと言うわけではない。成績も、身体能力も人並みだし、性格に難があるわけでもない。

それじゃあ、いったい皆どうしてそんな事を言うのかと言えば、答えは簡単だ。リョウはたったひとつだけ、人よりも抜きん出ているから。

ナニが抜きん出ているかって?この世界では一番必要のない、むしろ害にさえなる性癖が、だ。競争社会において、最も唾棄されるべき性格傾向。そのために、いつも心配されている。

リョウはロマンチストなのだ。

やるべき課題を終えてしまうと、さらにその先をやろうとする友人を尻目に、リョウは空想の世界に入り込んでしまうのだ。

競争に勝てなければ、将来に待つのは惨めで悲惨な人生だけ。親や先生にそう言われつづけてるのだが、リョウにはいまいちピンと来ない。別になるようにしかならないだろう。そんな達観した子供なのだ。

最悪の事態を避けるべく、両親や先生は一生懸命リョウの尻をたたいた。だが、当の本人にやる気がないのだから、如何(いかん)ともし難い。

大空を舞う夢を、大海原を駆ける夢を、大平原を疾走する夢を、天を摩す霊峰に挑む夢を、リョウはありとあらゆる冒険を夢見た。

現代において、それは社会的な死を意味する。

労働力をロボットを筆頭とした機械に一任するこの時代、必要とされるのはより合理性の高い発想だ。こうすれば、より早く確実に大量に結果を出せる。求められるのは、そんな現実に即した、新しい発想なのだ。

人々はみな知的労働者となり、社会にどれほど貢献できるか、その具体的な結果が求められる。のんきに空想に浸っているような人間は、不必要と言うより、明らかに害でしかない。

一般的な頭脳を持ち、一般的な能力を持っているリョウは、しかし「現実が見られない」と言う一点によって、「落伍者」の烙印を押されることになった。追い詰められた現代において、「落伍者」に容赦はない。

両親が泣き叫ぶ中、リョウは食料省の車に乗せられて、養人場へ運ばれる。もっと充分に太らせてから、リョウの肉は人工蛋白と混ぜられて缶詰にされる。

仕方あるまい?今の人口を生かしてゆくのさえ、もうギリギリ、いや、むしろ破綻しかけているのだ。世界は慢性的な食糧不足、人あまりなのである。役立たずは喰われることで、社会に貢献するのだ。

やがてリョウは、体重が三桁を超えたところでオトされる。

希望を出した両親に、VTRで伝えられたその最後の様子は、相変わらず夢見るように遠くを見つめたまま、いとも簡単に殺されてゆく姿だった。

リョウの両親は泣き明かし、100キロを超える大切な食料は、あっという間に人々の胃の中に収まった。

リョウが幸せだったかどうかは、誰にもわからない。

ただ、ちかごろリョウと同じように空想にふける人が増えてきたことは、特筆に価するだろう。缶詰にされたリョウのロマンティックは、世界中に広まっているようだ。

もちろんその人々も、いずれは缶詰にされてしまう。しかし、それはさらにロマンティックな人が増えると言うことでもあるのだ。

増えるだけ増え、行き場を無くしたぎりぎりの人類の、それは新しい可能性なのかもしれない。

宇宙に活路を見出すのか、海中に活路を見出すのか、地下に活路を見出すのか。

なんにせよ、ロマンティックな人間こそが、未知の危険をものともせず、新しい世界への扉を開くのだ。リョウは、唾棄されるべきと言われつづけながら、その魂で世界を救うのである。

歴史に名を残すことはないが、しかし、リョウこそが新時代の救世主なのだ。

 

と。

ここまで連想したところで、養人場からの迎えの車がきた。

リョウは、憔悴しきった両親に向かって微笑む。

「心配ないよ。いずれ僕の血肉が、この世界を救うのだから」

不可解な言葉に絶望を深める両親へ軽く手を振ると、リョウは自信まんまんにクルマへ乗り込んだ。

はたして、世界は救われるのだろうか?

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