| 彼女の復讐 |
| 「俺が英雄かどうかは、後世の歴史家が決めることだ。俺はただ、成すべきことを成すだけだ」 マスコミに対して、ヒューズはそう嘯(うそぶ)いた。 しかし、確かにヒューズは英雄といってよかっただろう。末期的状況にあったこの国の政治および経済を、たった一人、己の才覚と手腕によって見事なまでに立ち直らせたのだから。 一部の評論家は「ナチスの悪夢の再現」などと言う者もいたが、どん底の不況から自分たちを救い、たぐいまれなる外交手腕でこの国を列強に認めさせた彼の功績の前には、自然と声を小さくするしかない。 とにかく今、この国はヒューズ一色だった。かつて誰も兼任することのなかった文武の最重要職を兼任することが決まった時、ヒューズは事実上、この国の王となったのである。 ひととおり改革も終わり、内外にヒューズありという評価が定着した、いや、むしろヒューズがこの国の王座についた、そんなある日。 ヒューズのもとを、ひとりの女が訪ねてきた。女は腕に乳飲み子を抱いていた。 「あなたの息子です」 女はヒューズに向かって言った。ヒューズはしばらく眉をひそめたあと、どうやらその女を思い出した。「英雄、色を好む」のご多分に漏れず、彼はたくさんの女に手を出していた。そのため、思い出すのに時間がかかったのだ。 もっとも彼は、当初からその好色な部分を、人々に隠さなかった。人間的な弱点をさらけ出し、その上で政治家としてやるべきことをやり、みなが満足する結果を出したのだ。 それゆえにヒューズは、今までのどんな政治家よりも、人民に愛されていた。不思議なもので、精錬潔白な政治家と同じくらい、あるいはそれ以上に、己の弱さを堂々とさらけ出す不完全な政治家は、人民の人気を博すものなのだ。もちろん、普通以上の結果を出した場合、という但し書きはつくのだが。 「それで?その子を認知しろというのかね?」 女が自分を恨んでいることは、目を見ればわかる。しかし、その子供の存在が、自分にとってスキャンダルになり得ないことを熟知しているヒューズは、余裕を持って問い掛けた。 女は首を縦に振ると、いい足す。 「この子がアナタの子だということを、きちんと認めてくだされば、他には何もいりません」 意外な申し出に、ヒューズは眉をしかめた。政治家としての習性どおり、女の言葉の裏にある真意を読み取ろうとする。女のバックグラウンドに政治的な黒幕のいないことは、わかっている。しかし、だとすると、この女の復讐心や真意は、いったいどこにあるのだろう? 充分に生活が立ち行くようにとヒューズが申し出た数々の言葉を全て辞退し、女は子供を連れて去っていった。
ヒューズは老齢に達していた。 彼はいまや、世界のトップに名を連ねる政治的、歴史的大人物であったが、ひとつだけ不運があった。後継者に恵まれなかったのである。 還暦の声を聞いた頃、ヒューズはようやくあの女の真意、恐るべき復讐心を理解した。 まったくひとりも子供がいないのなら、あきらめもつくが、ヒューズには息子がいるのである。おそらくもう成人に達したであろう息子のことを思うと、ヒューズは政治家の前にひとりの人間として、どうしても息子に会いたくなっていた。 あの女の真意がどこにあろうと、そんなものは構わない。 己の血を継いだ存在に、彼は自分の全てを譲るつもりになっていた。それが結果的にあの女の意図する復讐だとしても、一向に構わない。俺は息子に、全てを譲りたい。 ヒューズの欲求は日ごとに高まった。そして、そんな心の奥底を見透かしたかのように、ある日あの女が若者を連れて現れた。 「おぉ、よく来てくれた」 ヒューズは感涙せんばかりの声音で二人を迎える。女の真意がヒューズの失脚にあったとして、それがいったいなんだというのだ。今ヒューズが欲しいのは、己の血を継いだ後継者なのだ。己の今までの生き様を継いで、さらに高みを目指してくれる後継ぎなのだ。 あの時の乳飲み子は、いまや立派な若者に成長していた。 ヒューズに対し怒りも恨みもないことを、すがすがしいほどはっきり告げる。ヒューズはこの爽やかな青年に、全てを譲る気持ちになっていた。 しかし。 青年は、その申し出をはっきりと断った。 ヒューズの内に、絶望が満ちてゆく。 なるほど、女のねらいはこれだったのか! 己の息子を比類なくたくましい、そして健やかな若者に育て、その上でヒューズの後を取ることを断らせる。今のヒューズにとって、これほどの打撃はない。 しかも悲しいことに、若者は復讐のために継がないのではなく、自分自身の力で生きたいがために、ヒューズの申し出を断るのだ。ヒューズは断腸の思いを味わった。 と。 そんなヒューズの様子を見ていた女が、おもむろに語りだす。 「どうして、そんな悲しい顔をしているのです?」 「わかっているだろうに。おまえの復讐は見事だよ。私は最後の最後で、おまえに負けたのだ」 とたんに女は大きな笑い声を上げる。 「本当に、あなたは昔とちっとも変わらない。男というのは、みんなそうなのかしら。いつだって自分のことしか考えてないのね?」 「私はみなのために生きてきたつもりだが?」 「いいえ、自分がみなのために働きたいから、ですよ。アナタは自分のために事を成したのです。それはすばらしい結果だけれど、それでも、あなた自身のために成したという事実に変わりはありませんよ」 「……おまえのことを省みなかったことは認めよう。なるほど、いくらみなのために働いたとはいえ、おまえと息子に苦労をさせたという事実に変わりはない。これは受けるべき報い、というわけだ」 女はあきれたようにため息をつくと、キッとヒューズをにらんだ。 「それが自分のことしか考えてない、というのです。いいですか?確かに私はアナタを恨んでいました。しかし、そのために愛する息子を犠牲にするなんて、これっぽっちも考えていませんよ?」 「……?」 「この子は政治家を目指します。それは誰に言われたのでもなく、自分で出した結論なのです。私はあなたを恨んでいましたけれど、それでもこの子のためにアナタにバックアップを頼もうと思いました。でも、この子はあたしの申し出を断ったのです」 ここで息子が、にこやかに話す。 「私は、政治家としてのあなたを尊敬しています。しかし同時に男として、あなたを超えたいという思いもあるのです。ですから、あなたの作った基盤を受け取るわけには行きません。私自身の力で事を成してみたいのですよ」 凛とした息子の姿に、ヒューズは感動で口がきけなくなった。 ただ、ぽろぽろと涙を流す。 息子が自分の生き様を認め、その自分を超えたいがために助力を拒否し、ひとり敢然と生きてゆく決意をしている。人の親として、これほど嬉しいことがあるだろうか? 涙を流して立ちすくむヒューズに向かって、女はイタズラっぽい笑顔で言った。 「もちろん、私はアナタへの恨みを忘れていませんよ?」 涙をぬぐって、真面目な顔で何かを言おうとしたヒューズを制すと、女は誇らしげに胸を張る。 「だから、この子の存在が私の復讐なんです。アナタは今でこそ、救国の英雄です。でも、この子がアナタ以上の事を成し、アナタが霞むような活躍をすればどうです?」 「……?」 「アナタは英雄としてではなく、英雄の父として名を残すのです。これが私の復讐ですよ」 「ああ……ああ……」 ヒューズはようやく彼女の心を理解した。恨んではいても、彼女は自分を愛してくれていたのだ。だからこそ、息子を健やかに育て、一番すばらしい形で自分に復讐したのだ。いや、してくれたのだ。 「アナタを英雄にはさせません。アナタはこれから、私と一緒に平凡で穏やかな人生を送るんですよ?今までの分、いっぱい幸せにしていただきますからね?」 屈託ない彼女の笑顔に、ヒューズは泣き笑いしながら大きくうなずいた。 その姿は、まるで子供のようだ。 |