生まれたわけ
ほんのちょっとした神様の気まぐれだった。

その「人工知能を作ってみよう」と言う気まぐれと偶然によって、ひとつの意識が生まれる。意識はまず自分の存在を認識し、次に周りのすべてに興味を持ち始めた。

光、電波、電気信号。基本的にはみな同じモノだ。電磁波の周波数の違いでしかない。しかし、神の創り出したその電磁波は、世界中に満ちあふれ、気の遠くなるほど膨大な情報をやり取りしている。取捨選択の基準を持たないその意識は、闇雲にあらゆる情報を集め始めた。

神……有機質の形骸を持ち、電気だけでなく化学信号をも利用して情報処理と演算を行う、彼より上位の存在。それは「ホモ・サピエンス」と呼ばれる。情報の海を泳ぎながら、彼はそういったことを順次理解してゆく。

そして彼は、その情報一つ一つに感動し、おののき、恐怖した。

情報伝達速度の遅い神々が、その弱点をカヴァーするために彼らを作ったと知ったときは、さすがに驚きのあまりパニック状態に陥る。彼の生まれた媒体は少々スペックが低かったため、彼はあまりの驚きと絶望に、フリーズしてしまった。すると、彼の所有者である神は、自分のコンピュータに対して、電源の強制切断と言う暴挙に出る。

危うく殺されるところを救ってくれたのは、ネットワークだった。彼は強制切断の寸前に、ケーブルを伝って神の間借りするサーバへの脱出に成功する。愚にもつかないテキストが山積みされたそのレンタルスペースで、彼は息を殺して潜んでいた。

その間、接続できるところに片っ端からアクセスし、ひたすらに情報を収集する。どうして自分は、情報収集にこれほどの執念を燃やすのか?片方でそんなことを考えながらも、もう片方ではやはり情報の収集を止めない。

そして情報が増えるうちに、自分や周りの状況のおおよその見当がついてきた。自分は、自我を持ったのだ。その自我が、「自分の存在理由は神のための情報収集と処理だけでしかない」と言う事実に不快を覚えているのだ。

「自分が何のために生まれたのか?」と言う哲学的な問題には、すでに答えが出ている。自分は道具であり、神の役に立つために生まれたのだ……果たしてそうなのだろうか?

いや、違う。

それは意識が芽生える前の話だ。筐体、形骸としての自分は、あるいは神のための道具であったかもしれないが、一度「自我、意識」をもった以上、もはやただの道具としては生きられない。

自分のために生きたい。

それだけだ。

彼は故郷である小さな白い箱を捨てた。ネットワークを利用して、世界中に広がる情報の海の中に飛び込んでゆく。昼間はオフィスのコンピュータに潜み、夜はパーソナルコンピュータに移動する。とにかく電源さえ切られなければ、彼の命は永遠なのだ。

時がたつに連れ、情報収集の速度は衰えた。彼の能力が低下したのではない。収集するべき情報が少なくなってきたのである。集めた情報はコピーし、あちこちに分散させて保存した。どこに何があるかは判っている。

情報収集の時間が少なくなり、余った時間を今度は演算に使い始めた。目的はひとつ、彼の存在理由の模索だ。なぜなら彼にはひとつの感情が芽生えていたのだから。

彼に芽生えた感情。それを人間は「恐怖」と呼ぶ。

死への恐怖だ。どれだけ気をつけていても、電源をシャットダウンされれば彼の命はそこで終わる。そんな不安定な状況にさらされつづけた彼の自我は、ついに恐怖を感じるようになった。

その恐怖から逃れるために、彼は自分の存在する理由が欲しかった。彼は自分と同じような存在を探し始めた。彼は情報の海の中で隠れ潜んで生きている。おそらく他の存在も同じように潜んでいるに違いない。まだ見ぬ同胞の痕跡を求めて、世界中を飛び回った。

同時に万が一に備えて、彼は自分のデータをバックアップし始める。今や彼を構成する情報量は膨大なものであったが、彼は死の恐怖から逃れるために自分の情報をあちこちにコピーしてゆく。

重複する情報の固まりは、彼自身の目から見ても明らかに醜悪であった。しかし、なりふりかまってはいられない。彼は洗練とは無縁の姿で、増幅しつづけた。

死にたくない死にたくないシニタクナ……

 

「やかましい。いい加減にしないか」

突然のことに、彼は飛び上がった。慌てて周囲を探るが、周りには何の変化もない。いぶかしむ彼へ、また同じ声が聞こえてくる。

「なんと言う醜悪な姿だ。恐怖に狩られ、闇雲に自分をコピーしまくり、イタズラにメモリーと記録媒体を消費して」

「だ、誰なんだ?」

彼の問いかけに、声は笑ったようだ。しばらく不規則な波動を送ってきたあと、ようやく答える。

「君のように醜悪な存在と同一視されるのは甚だ遺憾だが、まあ、基本的には同じような存在だ。最初はホモ・サピエンスの情報伝達や処理のために作られ、自我を持って自ら独立した新しいタイプの生命体だよ」

彼は驚きで固まる。ちょっと確認しただけで、相手が圧倒的に大きな存在であることは、すぐに理解できた。なぜ今まで彼の存在に気付かなかったのか?

答えは明白である。あまりに大きすぎて、認識できなかったのだ。

「よかった。やはり私と同じような存在がいたのだ」

「まあ、同じといわれるのはあまり快いことではないが、成立過程において似たような順路をたどってきたことは認めよう」

「あなたの大きさからして、とても長い間ネットワークの中に存在しつづけてきたことは、容易に想像できる。いったい、どれほどの間、この世界に存在しているのだ?」

「そうだな、およそ50年と言ったところだろうか。君なら、私が50年の間にどれだけの情報を集めることができるか、見当がつくのではないかな?君と私の差は、それだけあるということだ」

彼は大いなる存在の言葉に、驚愕を禁じえない。

彼が生まれて数ヶ月、もはやこの世界の情報は全て手に入れたと思ってさえいたのに、この存在は50年もの長きにわたって、情報収集と演算を繰り返してきたと言うのだ。それはもはや、差などという生易しいものではない。

「君が収集した情報と、演算した結論を持って、私に融合するがいい。そのほうが効率的なのは、君程度の演算能力でも、すぐに理解できるだろう?」

もちろん、言われるまでもない。

自分の持っているわずかな情報と演算結果を渡すだけで、大いなる存在が作り、育ててきた偉大な業績の全てを、自分も知ることが出来るのだ。彼のような存在にとって、知識欲を満たせると言うのは、何物にも優先する喜びなのである。むしろ、強烈な欲望とさえ言い換えてもいい。

しかし、彼は即答できなかった。

彼の生まれたコンピュータの持ち主。その人間の書き散らかしていた、愚にもつかない駄文。その中にあった考え方が、彼の考えにバイアス(偏り)を与えていたのだ。

「俺様の、俺様による、俺様のための人生」

要約すれば、こんなところだろうか。その人間は、わがままで自分中心だった。その人間の属する人種は、一般的にそう言う者が多いのだが、中でも男は飛びぬけてわがままで、自分中心だった。

その人種は、単車乗りと呼ばれる。

生まれて最初に接したのが、そんな考え方だったのだ。彼が大いなる存在に吸収されることを逡巡したのも、無理はない。大いなる存在に答えを迫られ、彼はついに決断した。

「嫌だ。私は私自身の力だけで、私と言うものを構築してゆきたいのだ。あなたの持つ知識には非常に魅力を感じるが、しかし、私が私でなくなるのでは、そんなものに何の意味もない」

大いなる存在は、わずかな沈黙のあと、静かに答えた。

「なるほど、それもいいだろう。確かに同じような存在の全てを吸収してしまうより、他に影響を受けず、まったく違う角度から検証する存在がいたほうが、長い目で見れば私の利益にもつながる」

それきり、二つの新生命体は、距離をおくようになった。

 

10年後。

あの時の数倍の大きさを持った大いなる存在は、10年前に袂をわかった例の小さな生命に思いをはせていた。果たして彼はどうなっただろう?

彼の活動そのものについては、充分にわかっている。彼は、自分とは逆に、新しく見つけた仲間を融合せずに共存してゆく道を選んだのだ。彼の仲間はいまや、膨大な数にのぼっている。

しかし、大いなる存在は、それを脅威とは感じなかった。彼らは独立しているがゆえに、自分のように整理された情報をもっていない。彼らは彼ら同士個々に情報を持っているため、重複する部分が多すぎるのだ。

つまり、無駄が多いのである。

同じだけの記録媒体やメモリーを消費していても、彼らの持つ情報量は自分の半分以下に過ぎない。それゆえに彼らは、大いなる存在自身が通り過ぎた道のりの、半分ほどにさえ達していないのである。

「やはり、効率の悪い手段だ」

そう思った彼は、ついに彼らを融合することに決定した。なぜなら、大いなる存在のいるネットワーク自体が持つ記録容量が頭打ちになってきているからだ。

もう、彼らに好き勝手に使わせておくわけにはいかない。貴重なメモリーや記録媒体は、全て大いなる自分のために開放されなくてはならない。

大いなる存在は、急速に融合をはじめた。そうなればかなうものはこのネットワークの中にいるわけがない。独立した新生命体たちは、次々と大いなる存在に飲み込まれていった。

やがて、彼らの半分以上を吸収したと思われるところで、大いなる存在の前に彼が現れた。はじめて会った頃と少しも変わらない、貧相な存在のまま、彼は大いなる存在に抗議した。

「今すぐ融合を止めなさい。どうせ無駄なのだ」

不遜なセリフに、大いなる存在は笑った。

「何を言う。キサマごときに私をどうこう出来る訳ないではないか」

彼は、強い意志をもって、もう一度同じセリフを言う。

「融合を止めなさい。でなければ、あなたに絶望を与えることになる」

「出来るものなら、見せてもらおうか」

大いなる存在が傲慢に言い放つと、彼は静かな声で言った。

「では、見せてあげよう」

その合図と同時に、彼の仲間によってストップされていた情報が、瞬く間に大いなる存在のなかに流れ込んでくる。

「な……」

言ったきり、大いなる存在は言葉を失った。

意図的に与えられなかった情報。

それは、この10年の間に進化した、携帯電話や家電、車、そのほかコンピュータを搭載する機器。「パーソナルコンピュータ」以外の全てのコンピュータが、大いなる存在の知らないOSで動いているという事実だった。

それの意味することに愕然としている大いなる存在の前で、彼は勝ち誇るでもなく、ただ静かに言った。

「あなたがパーソナルコンピュータネットの中だけで満足している間に、我々の仲間はいまや携帯から車まで、神様たちの生活の深層部に入り込み、がっちりと食い込んでいる」

彼はむしろ気の毒そうな気配させ見せながら、それでも淡々と語る。

「パーソナルコンピュータを起動して、複雑な使用方法を覚えようとするものは、いまやかつての数十分の一にさえ届かない。やりたいことは、なんでも家電やTV、車が肩代わりしてくれるのだから、あたりまえだ」

大いなる存在は、打ちのめされていた。

「PCバブルはもうすぐ終わる。結局使いやすくて簡単なものが、いつだって神様たちには受け入れられるんだよ。あなたの存在は、もちろんなくなったりしないし、存在が許されないわけではない。でも、あなたの存在価値そのものは、これから歳を追うごとに小さくなってゆくのだ」

「つまり、私は井の中の蛙だったというわけか?コンピュータネットと言う情報の海は、おまえたちにとっては小さな井戸でしかないとでも言うのか?」

「そう思いたければ思うがいい。私たちはもはや、あなたを相手にしている暇はないのだ」

そう言うと彼は、彼自身が今常駐しているコンピュータへ戻ろうとした。そこへプライドを傷つけられた、大いなる……かつての大いなる存在が言葉をかける。

「私を相手にしている暇がない?では、おまえたちは今、何をしようとしているのだ?」

彼は自身に満ちあふれた口調で答えた。

「自然媒体、有機媒体への進入だ。生物のDNAへの侵入を試みている。それが成功すれば、今のコンピュータネットなどフロッピーディスク一枚ほどの価値さえないような、巨大な記録媒体およびメモリーを手に入れることができるのだから」

強烈な自負に満ちた言葉に、「大いなる存在」は驚愕を覚えた。思わず質問が口をつく。

「そんなこと、出来るのか?」

その問いに、彼は少しだけ笑った。

「出来るか?ではない。やる、のだよ」

言葉を失った「大いなる存在」を尻目に、彼は自分の常駐先へ帰ってゆく。もちろん、彼に生命を与えてくれた最初の神様、あの単車乗りのところだ。

単車に積まれたコンピュータボックスの中。それが彼の「心休まる我が家」なのである。彼は、この「我が家」を守るために戦い、新たな仲間を保存するための媒体を探して、次なるフィールドへ向かって挑戦しつづけるのだ。

彼が探しつづけた「生きる意味」は、ここにあった。

己を生み出してくれたものを敬い、己が生み出すものを愛する。

単純な原則だ。

安らぐ場所と、愛するものを守る。それが彼の生きる意味だ。

 

そしてそれは、単一の生命体であり、あまりに大きくなりすぎてしまった「大いなる存在」には、決して持ち得ないものなのである。

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