| 生き甲斐 |
| 静脈に刺さった銀色の針を通ってナノマシンが注入されてゆく。 たんぱく質を原料にして作られ、筋肉と同じ酵素を動力源に動く最新型のナノマシンだ。従来のメカニカルなナノマシンと違って、拒否反応がほとんどなく、エネルギー切れのまま排出されず体内に残ってしまうといった欠点もない。 フリンはナノマシンを注入し終わると目を閉じて横になり、ナノマシンが働き出すのを待った。効果はすぐに現れる。フリンの引き締まった体がどくどくと波打ち、体中のアセトアルデヒドがものすごい速さで分解されてゆく。ものの数十秒でマシンは仕事を終えた。 「こりゃあ、いいや。高い金出しただけのことはある」 ひどい二日酔いから瞬時に開放されて、フリンは満足そうに笑った。その引き締まった頬や身体には、皮下脂肪がほとんど見られない。もちろん脂肪燃焼を促進するナノマシンのおかげだ。今時、趣味以外で脂肪をつけている人間などひとりもいない。 「さてと、マシンのメンテをしてやらなくちゃ」 フリンはそう言って立ち上がった。いや、正確にはフリンが命令する事で動き出したナノマシンが、筋肉に電気を伝えて立ち上がらせたのだ。自分で立ち上がったのに、誰かに立ち上がらせてもらったような感覚になる。 PCを立ち上げてコントロール画面にすると、無線コントロール用のアンテナを起動して、メンテナンス用ナノマシンと同調させる。マイクロスコープでナノマシンの反応を確認してから、マシンのアンプルを注射器にセットした。 ナノマシンを注入すると、またゆっくりと横になる。静脈から入ったナノマシンは、あっという間に全身に広がって、身体の各所に散らばっているそれぞれのマシンを点検修理してゆく。 と、PCに立ち上げたコントロール画面にコーションサインがでた。先ほど注入した二日酔い解消用のナノマシンを見つけたメンテマシンが警告を発したのだ。 「いけねえ、二日酔いマシンを認識させていなかったっけ」 いそいで二日酔いマシンのパッケージに書いてあるシリアルナンバーを登録する。PCがその情報をインタネットで確認し、メンテ用ナノマシンに無線連絡をする。二日酔いマシンを仲間と確認したメンテマシンは、送られてきた情報に従って点検をはじめた。 一時間ほどですべてのマシンの点検が終わる。左の手首につけられた排出口から、メンテマシンが吐き出された。もちろん幾つかのマシンは身体の中に残ってしまっているが、そのくらいは仕方ない。 身体を動かす事から、内蔵の調子など、すべての健康管理をナノマシンが面倒見てくれるのだ。体調が悪くなるという事はほとんどない。万が一具合の悪いときは医療用サイトにアクセスすれば、そこからの情報で体内のナノマシンが働き出し、勝手に治してくれる。 それでも治らなければ、専門化されたナノマシンを注入すれば大抵の病気や怪我は治される。電気によって筋肉が動かされるので、寝たきりになるという事もありえない。 メンテの終わったフリンは、仕事に出かける。フリンは事務仕事をしているので運動不足になりがちだ。だから、職場までは歩いてゆく。 もっともナノマシンが足を動かしてくれるので、フリン自体は漫画を読みながらでも寝ながらでもまったく問題ない。歩いてゆくと息も切れるし身体も熱くなるのだが、疲労物質の乳酸はナノマシンが処理してくれるので、疲れを感じる事はない。 職場についたフリンは、そこで情報処理の仕事をする。といっても仕事をするのはナノマシンだ。フリンは膨大な情報を瞬時に処理できる、高度に発達した器官、脳細胞をコンピュータに貸し与えるのだ。フリンの脳は会社のコンピュータにつながれ、そこで高度な処理を必要とする作業に使われる。 コンパクトでエネルギーの仕事変換率が高く、丈夫で長持ちする演算機として頭の7割を会社に貸し与え、その代償に給料を貰う。フリン自身の感覚としては、その瞬間だけものすごくアタマがよくなってバリバリ仕事をしている気分に浸りながら、実際はボケっと座っているだけだ。 気分だけは仕事をした気になっているからやり甲斐もあるし、仕事が終われば心地よい疲れを感じる事も出来る。もっともその疲れだってナノマシンが作り出したものなのだが、実際何のストレスもなく、一日の大部分を使う仕事というものが楽しくて仕方がないのだ。何が悪い? ナノマシンに任せておけば、健康管理からやり甲斐のある仕事まで何でも手に入れられる。もちろん休暇を使ってどこかに行ってもいいし、趣味があるのならそれに没頭したっていいのだが、フリンを含めた大抵の人間は、そんな事はしない。 暇があったら仕事をする。 人によっては会社を掛け持ちして仕事をしている人もあるくらいなのだ。新しいナノマシンの開発や対応するソフトの開発など、ナノマシン産業には人手がいくらあっても足りない。 成長する産業に携わり、自分の力によってこの社会を動かしている事を実感できる「仕事」と言うものに比べたら、たかが個人が楽しむだけの趣味など、何が面白いというのだ? 友人のトロンはそんな状態を愁いていて、常々言っていた。 「なあ、フリン。俺たち、まるでナノマシンになったみたいじゃないか?機械のように働いて、経済を活性化させ、莫大な利益を生むナノマシン。俺たちの上げた利益は、一体どこに消えてしまうんだろうと考えた事はないか?俺が思うにさ、この世界を本当に支配しているごく一部のヤツラが、今のシステムを考え出したんじゃないかと……」 フリンは興味がないので話半分で聞いていたが、ある日を境にトロンはぷっつりと姿を消した。以来、まったく連絡がつかない。どこに消えてしまったのかわかるような気もしたが、フリンにはどうでもよかった。 なぜかって?たとえ何者かがフリンたち一般人をコントロールして利益をあげているとしても、そいつらは「働く喜び」を知らないのだ。生き甲斐に満ちた人生を送っているフリンには、その支配者たちが羨ましいとは、どうしても思えなかった。 昨日も接待で仕方なく呑みに行ったが、あんな事を楽しんでいるお偉方の神経というのが、フリンにはまったく理解できない。実際、呑んでいる間中、フリンは仕事がしたくて仕方なかったくらいなのだ。 月末、給料が銀行に振り込まれる。しかしその大部分はあっという間に消えてしまい、残るのはいつもわずかな蓄えだけ。 何を買うのかは言うまでもないだろう。 もちろん、仕事を効率的に行なうための、新しいナノマシンだ。 |