| 本当の心 |
トロンの乗った宇宙船は、着陸寸前に大爆発を起こした。 世界初の全自動宇宙船「ギャラクティカ」は、救助用の宇宙船2隻にはさまれて、民間人初の月着陸という偉業を成し遂げた後、意気揚揚と帰る最終段階で原因不明の爆発を起こしたのだ。 しかし、幸いなことに食料はたっぷりとある。あとはそれを食べながら寝転がって救助を待てば……え?ちょっと待ってくれよ? 救助が来る?そんなわけはないじゃないか。なぜなら「ギャラクティカ」は爆発したのだから。爆発の瞬間も、すべてがばらばらになってゆく様も、俺はしっかりと確認していたじゃないか。心のどこかで、あぁ死ぬんだって思った事を、俺は鮮明に覚えているぞ? ここでようやくトロンは冷静になれた。 急いでバックアップ用のコンピュータを起動する。これは船内のどのセクションからも独立した非常用のコンピュータで、電源も独立しているはずだから、計器類が動かなくても支障はないはずだ。 バックアップコンピュータで故障の具合を確認すると、どうやら衝撃でメイン電源用のコネクタが壊れたかケーブルが切れただけらしい。このくらいならトロンにでも修理できる。彼はその場所を確認すると、身体を不自然に折りたたんで、修理をはじめた。 嫌になるほど狭い船室の中で修理を終えたトロンは、メインスウィッチを改めて入れなおす。聞きなれた起動音がして、宇宙船は生き返った。 同時に目の前のメインモニタに回りの映像が映し出される。 そしてトロンは、驚愕に目を見開いたまま固まった。 「ここはどこだ?」 硬直が解けても、トロンの頭を支配しているのはその疑問だけである事に変わりはなかった。彼の眼前には信じられない光景が広がっている。 楽園……なのだろうか? 宇宙船は大地に降り立っていた。周りには見たこともない花が咲き乱れ、虫や鳥が飛び、池には魚まで泳いでいる。どこかで見た事があるようだ。それでいてトロンの言葉では、この世界を表現する事は出来なかった。 トロンはしばらく考えた後、宇宙船を降りた。専門家なら考えられないような杜撰な行為である。しかしトロンは宇宙に関しては素人だ。とにかく目の前にある不思議な世界に、降り立ってみたくて仕方なかったのだ。 好奇心は猫を殺すと言うが、人類の顕著な特徴のひとつに好奇心の旺盛さがある。この時トロンと同じ立場にたって、この世界に興味を持たない人類はいないだろう。 トロンは恐る恐る扉を開ける。 瞬間、トロンの心に絶対的な癒しの感情が溢れ出した。トロンは思わず駆け足でオモテに出ると、その優しい空気をいっぱいに吸い込む。信じられないほどに、その世界は優しく、それでいて凛としていた。 と。 トロンのほうに向かって近づいてくる人影がある。ベテランの宇宙飛行士ならここで最大限の警戒をするところであろうが、この場所に満たされた癒しの空気にすっかり酔いしれていたトロンは、ひどく穏やかな気持ちでその人物をみつめた。 「やぁ、いらっしゃい。珍しいお客様だね」 男は屈託のない微笑を満面に浮かべて、トロンを迎えてくれた。トロンも彼の持つ優しい雰囲気に影響されて、リラックスしきった調子で尋ねる。 「こんちは。え〜と、いろいろと聞きたい事があるんですけど、構いません?」 男は眠そうな半眼のまま、穏やかにうなずいた。その様子に勇気付けられて、トロンは質問を発した。 「ここはどこなんです?俺は死んだはずなんですが、気付いたらここに来てました」 「死んだというのがどういう意味かはわかりませんが、そう言いながらここへ来た方は結構いらっしゃいますよ」 「つーと、ここは死後の世界?」 「さぁ、今言ったように、私は死ぬという概念を持ち合わせていないものですから、その問いには答えられません」 トロンはここで考えてみた。 どうやら俺は死んだようだ。ここを訪れた他の者が「死んだ」と言っている以上、ここはきっと死後の世界なんだろう。しかし、ずいぶんとイメージが違うな。 ここまで考えて、トロンは突然気付く。 「わかった!どこかで見たような気がすると思ったが、ここは天国じゃないか。いや、言い方が違ったな。確か……そう、極楽だ!ここは東洋人の言うところの極楽と言う場所ではないのか?」 「さぁ、あなたがそう言うなら、そうなのかもしれませんね」 トロンはいぶかしみながら言葉を続けた。 「なんでアメリカ人の俺が東洋的な死後の世界に来てしまったのだろう?俺は別にオリエンタルマニアではないのだが」 「よくわかりませんが、ここと同じような場所は他にはありませんよ?たまに来るあなたみたいな目の青い人は、同じような事を疑問に思うらしいですが」 「そうなのか?つまり我々キリスト教圏の人間が間違っていて、東洋の思想こそ正しかったのだな?」 「正しいと言うのがどういう基準なのか判りませんが、皆さん同じような事を言って愕然とされますね」 トロンは驚きで絶句してしまった。今まで曲がりなりにも信仰してきた宗教がまるっきりでたらめで、物珍しいが訳のわからないと思っていた東洋思想こそ、この宇宙の真理を的確に言い当てていたと知ったのだ。 幸いにしてトロンはそれほど熱心なキリスト教徒ではなかったが、これがもし敬虔なクリスチャンなら、発狂してもおかしくないのではないだろうか? 「俺はこれからどうすればいいのだろう?」 子供のように途方に暮れた声をあげたトロンに対して、彼は優しい微笑を浮かべたまま答えを言ってくれた。 「事実をありのまま受け入れればいいのではないでしょうか?今までにも何人か来ましたが、総じてアメリカ人と自称する人々は囚われていらっしゃるようです」 「囚われている?いったい何に?」 「アメリカ人である、ということにです。特に男性はそうなのですが、皆さん仰るのが「強く、正しく」ということですね。それがアメリカ人であるあなた方のアイデンティティなのかも知れませんが、ここまで来てそう気張る事はありませんよ?」 「……確かに。俺は強く正しい正義の国に生まれ、たくましく自信に満ちて生きてゆかねばならないと信じていた」 「もちろんそれもひとつの形ですでれどね。でも、曖昧さをたくさん残し、流れに逆らわず、自然と一体になって生きると言うのも、ひとつの生き方でしょう?現に今あなたは、すでにそんな生き方にあこがれている」 心のうちを見透かされて、トロンは衝撃を受けた。 「世界初の全自動宇宙船に乗る、勇気あるアメリカ市民」という己に、自信と栄誉を感じつつ参加したNASAの訓練施設。あそこで出会った東洋人の宇宙飛行士たちは、希望に燃えつつも常に死の覚悟をしていた。 世界のリーダーたるアメリカ人の自分は、そんな彼らを臆病だと笑ったものだが、今こうしてここに来てみれば、怖がっていることを否定しつづけた自分のほうが、本当は臆病であった事がよくわかる。 本当の自分を解放し、己の脆弱さや卑怯さを認め、己をつつむ世界の偉大さを認識し、その偉大なる自然と調和して生きてゆくと言う東洋の思想が、今のトロンにはとてつもなく素晴らしいものに思えてきた。 「あなたは国家への忠誠が大事だと思うかもしれません。でも、そこがアメリカだろうと、東洋だろうと、天国だろうと、極楽だろうと、あなた自身が幸せになる事に何の差支えがあります?」 トロンは答えに窮する。 「要はあなた自身です。アメリカ人としての誇り?それがあなたを幸せにしてくれますか?世界のリーダー?本当にそんなものになりたいのですか?たとえそれが敵と言われている国だとしても、もしあなたが幸せに生きる場所を提供してくれるのなら、そこは天国ではありませんか?」 トロンの迷いは解けていた。彼の言うとおりだ。肩肘張ってマッチョなアメリカ人を気取っていることがそんなに大事な事か? 答えは否だ。 俺は俺自身のために、生きるべきではないのか?いや、ここが死後の世界だとしたら、生きると言う言葉は当たらないが、それでもこれからは、もっと自分に正直に、肩の力を抜いて気楽にやっていけばいいのだ。 トロンはゆったりと落ち着いた気分になって、彼に向かって聞いた。 「では、俺はここでそう言う風に暮らしていいのか?」 彼はにっこりと微笑むと、後ろを指差す。振り返ったトロンの目に映ったのは、こちらに向かって手を振る青い目の同胞の姿であった。 トロンは彼に向かって握手を求めようとして、それが西洋の習慣だと言う事に気付いて手を引っ込めると、深深とお辞儀をしてから仲間の下に駆け出した。 トロンの心には、穏やかな喜びがいっぱいに広がっていた。 男はその後ろ姿を、優しい笑顔のまま見送っている。 コンピュータはトロンの処理を決定した。 試験室のカプセルの中では、バーチャルリアリティシステムによっていろいろな情況を与えられた被験者が、その多様さとは裏腹にひとつの事だけを試されていた。この国に生まれたものに、いちばん必要とされる心。 国家への忠誠心を。 高度に情報化された戦争では、人間の裏切りがいちばんの危険性を持つことになる。機械は裏切らないし、ウソをつかないからだ。それゆえアメリカと言う世界の偉大なるリーダー国に属する憂国の戦士達は、みな国家への忠誠心が試されるのだ。 もちろんすべてが志願者だけに、みな自信満々で入ってゆくのだが、試験室を出られるのは30%に満たない。真にアメリカを思う、本当の愛国戦士は悲しいかな、まだまだまだ少ないようだ。 試験に合格できなかったものは、そのまま洗脳室に送られる。 誰も洗脳室送りになるとは思わないほどアメリカを愛しているから、本人の承諾書も取得済みだ。どんな事があっても無理やりに洗脳などと言う野蛮な事はしない。なぜならここは、自由の国アメリカだから。 トロンは洗脳室に送られ、必要な処理を受ける。 コンピュータはトロンに加えられた最新の情報を記録した。 「処理済み愛国者」 |