| みんな仲間 |
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「なんとしても感染を防がねばならん。その……なんと言ったかな?」 「有機ナノマシンによる、メカニカルバイオハザードです」 「うむ。とにかくわが国全土が、そのような事態になるのは、非常に好ましくない」 非常に好ましくない? 当たり前だ。 壁に鹿の剥製が並ぶ巨大な部屋で、表情にはまったく出さず、ライル・キタジマは腹の中でそう毒づいた。出せるわけがない。相手は、合衆国大統領、スマイリー・カーライルなのだ。 一介の科学者でしかない自分などが、面と向かって口を利くことさえ、本来であれば畏れ多いこと……らしい。 もっともライルは日系人であるためでもあるだろうが、そういう権力者というものを極端に嫌っていた。 だから、こうして膝を突き合わせて報告することに、うっとうしさは感じても、畏れ多いなどという感想はカケラも持っていないのであるが。 政治的な策謀には長けていても、科学畑の話になればろくな知識を持ち合わせない彼の側近達に、半ば拉致されるような形で連れてこられたライルは、今回の「事件」について説明した。 大統領が、科学的な説明をどれだけ理解したかは怪しいものだが、それでも本質的な部分の理解は得られたようだ。それで充分だろう。それ以降、彼がやることは決まっている。 ライルたち専門家に「結果を出せ」というだけなのだ。スマイリーの名に恥じぬ、酷薄な笑みを浮かべながら。気楽なものである。 もっともそのおかげで、ライルは自分の研究に湯水のごとく金を使えるのだから、プラスマイナスで言えば、そう悪い話でもない。 事件を表現するには、関係者が使う「暴走」という言葉が、一番本質を突いているだろうか。 コンピュータが、ある日突然、意思を持って、人間を滅ぼそうとする。 こんな荒唐無稽な話は、今どきどのSF作家も書かない。 どれだけ高性能であっても、コンピュータは機械である。たとえ自立進化できる機能が付いているとしても、機械の枠組みを出ることはありえない。それこそ、ゼッタイに。そんなことは、小学生でも知っている。 コンピュータがらみの事故や事件というのは、基本的に、扱う人間の不注意や浅慮など、あくまで人的なトラブルに、ほぼ限られるのである。 もし、コンピュータが意思を持つとしたら、それは『そう意図されて設計された』場合だけである。意図されたものであるなら、当然、万全な予防策がとられている。その安全策が結果的に機能するしないはともかく、科学とは元来、そうしたものだ。 つまり、たとえどんな状況であれ、コンピュータが人間に反乱を起こすというようなことは、ガスコンロが意思を持って反乱を起こすのと同じくらい、ありえないのだ。そう設計されない限り。 ただ、この事件は外側から見た限り、コンピュータの反乱という荒唐無稽な話に限りなく近い様相を呈していた。 医療界の頂点に立つ、メディカルマルティバック。もっとも最先端であり、もっとも慎重に設計されており、なおかつ安全機構のもっとも優れた医療マルティバックが、もっともありえないトラブルを起こした。 有機ナノマシンを暴走させたと言うのである。 ナノマシンがいきなり、人間の身体に勝手な改造をくわえだしたのだ。 ある者は半漁人のようになり、ある者は獣人となる。改造を加えられた人間達に知性の低下は見られなかったが、肉体が精神に与える影響だろうか、特に現状に対して憤るでもなく、魚人は水に、獣人は山に住むことを好んだ。 このトラブルはもちろん、マルティバックが狂ってとか、過失としてということではない。暴走というのは人間側から見た印象であり、マルティバックにしてみれば、それなりに理由があってのことに違いないのである。 問題なのは、人間がその理由に思い当たらないということだ。 世界中で5台あるマルティバックのうち、暴走を始めたのは北米にある一台だ。人間側はわけもわからず、とりあえず問題のマルティバックと、他の4台との連絡を絶った。この状況が「感染」するのを恐れたのである。 処置はとりあえず功を奏し、他の4台のマルティバックは、少なくとも暴走する気配を見せないである。 今のところは。
「つまり、あのクソッタレの医者コンピュータが狂ったってことだろう?」 「それはありえないですよ。狂うって概念をどう定義づけるかにもよりますけど、今回のマルティバック……」 「あー、回りくどい説明はなしにしてくれないか? 俺ぁバカなんだ。学校じゃぁ、ネイティブアメリカンだってだけで、まともな授業は受けさせてもらえなかったんだ」 CIAのエージェント、ガーゴイル・マックがくわえタバコで手を振りながらそう言うと、ライル・キタジマは鼻白んで黙り込んだ。例の不愉快な時間を過ごした日の夕方のことである。 「あなたが説明してくれって言ったんじゃないですか」 「そりゃそうだが、専門用語や回りくどい言い方はナシにして欲しいんだよ。あんたは事態の究明と解決策を、俺はその実行を担当してるってワケなんだから」 唇を尖らせてしばらくすねていたライルは、しかし、事態がそんな悠長なことを許してくれないことは充分理解していたので、気を取り直して説明を始めた。 「有機ナノマシンが、いまや抗生物質やそのほかの強力な薬に変わって、医療の中心になっていることはご存知ですよね?」 「そりゃ、ね。俺だって病気や怪我をしたら、ナノマシンを注射してもらいに行くから、そのくらいのことは知ってる」 「結構。肉眼で見えないくらい極小のナノマシンは、基本的には自立型のロボットなんです。例えば風邪を治すナノマシンは、風邪のウイルスを発見し、駆除するという命令を受け、体内に注射される。すると、周りの有機物、つまり人体ですが、それを使って自分のコピーを作ります」 「で、風邪の菌どもと戦えるだけの、数なり機能の用意が整うと、一気にやっつけたり、骨折のときなら、折れた骨がつながるまで、体内に支えを作ったりするってンだろ? 便利なロボットどもだよな」 「ウイルスと菌は別のものです」 「あーそう。まあ、いいじゃねえか、細かいことは。で?」 強引に先を促され、ライルは肩をすくめて話を続けた。 「その有機ナノマシンですが、基本設計はみな、どれもほとんど同じです。患者を診察した医療コンピュータが、情報をマルティバックに送り、マルティバックはナノマシンに、それぞれの症状にあわせた専門の命令を与え、あとは状況に応じて、ナノマシン自身が、自分の身体や機能を変化させます。ですが」 「今回は、やっこさん、真面目に仕事をする気がなくなったと」 「だから、そういうことはありえないんですよ。コンピュータのトラブルというのは、人間の出した矛盾する命令や、間違った命令を、コンピュータ側が忠実に実行したために起こることがほとんどなのです」 「まあ、きちんと結果が出てないって意味では、同じだな。で、具体的には何が原因で、あんな話になるんだ?」 「それがわかったら、もう我々の仕事は半分終わってますよ」 「む……それもそうか」 「とにかく、我々に課せられた仕事は、北米のマルティバックがこんな命令を出した理由を突き止めることと、実際に暴走するナノマシンを止めること。それから、世界中がパニックにならないよう極秘裏に、事の収拾に当たるというものです」 「当然俺の仕事は、その事の収拾ってヤツなんだが。被害者自身があまり騒がないでいてくれるおかげで、とりあえず事件を隠匿するのは、さほど難しい仕事じゃなさそうだ」 「どうやら、身体が変化したことで、本能的な部分まで変化したようですね。まあパニックにさえならなければ、現在トラブルの出ている北米地区の一部のみを隔離することで、どうにかごまかせるでしょう。強力な感染症のせいだとか何とか」 「ま、その辺の具体的なのは、俺のほうに任せてもらうとして」 「ええ、我々は、早急に原因と対処法を見つけなければなりません。もっとも、対処法の方はそれほど難しくありませんが」 「そうなのか?」 「変化といっても、人体そのものが再構成されたわけじゃなくて、骨や筋肉なんかにナノマシンが入り込み、かさ増しして変形させているだけですから。ナノマシンに正常な命令が出されれば、元に戻ります」 「なるほどな」 「とりあえず他の4台のマルティバックに、北米地区のナノマシンへ正常な命令を送らせます。それで、暴走の方は抑えられるでしょう。後は北米のマルティバックがいかれた原因を突き止めるだけです」 しかし、事態はそう簡単にはいかなかった。
「どういうことだ?」 大統領は不機嫌さを隠さぬまま、ライル・キタジマに問う。 スマイリーの名が台無しだ。もっとも、当人は、そんなことを気にしている場合ではない。突っ立ったまま頭を垂れているライルに向かって、イスを勧めることもなく、大統領はもう一度同じ質問を繰り返す。 「ドクター・ライル。どういうことなんだ? 他の4台を使えば、あの奇形にされてしまった人々も、元に戻るのではなかったのか?」 ライルはようやく顔を上げて、苦しそうな声を出した。 「もちろん、そうです。問題は方法ではなくマルティバックの方なのです。4台のマルティバックは、彼らを治療せよと命じられたとたん、すべての作業を停止しました」 「医療マルティバックのすべてがか? 人間の身体を治し、人類の存続を最優先にプログラムされたはずの、最先端機が4台そろって機能停止したというのか?」 「いいえ、大統領。機能は完全に保たれています。正常に起動した上で、彼らはこちらのオーダーを受け付けないのです」 大統領、スマイリー・カーライルはむっつりと黙り込んだ。腕を組んで、頭の中をフル回転させる。ライルはしかし、ただそこでかしこまってなどいなかった。彼は科学者なのだ。 「事態の究明に、もう少し時間をください。かならず、トラブルの原因を突き止めて見せます」 「当然だ。しかし、我々には時間がない。どうやらマスコミの方がかぎつけたようだからな。今はまだ、裏で手を回して、報道を控えさせているが、それも長いことは無理だ。君は早急に事態を解明し、なおかつ、二度とこのようなことが起こらないという保障、ならびに、ナノマシン医療に対する国民の信頼を回復せねばならない。それをよく肝に銘じておいて欲しい」 一気にそう言うと、大統領は、ソファに深々と身体を沈めた。 一礼して部屋を辞したライルは、足早に官邸を出ると、研究室に戻る。なんとしてでも原因を突き止めるのだ。大統領のためじゃない。科学者としての、プライドの問題だ。 なぜ、北米のマルティバックは、ナノマシンを暴走させたのだろうか? なぜ、他のマルティバックは作業をボイコットしたのだろうか?
「よう、ライル」 ネイティブアメリカンとしての誇りだろうか。いつも身に着けている、ターコイズのペンダントを弄繰り回しながら、 ガーゴイル・マックが片手を挙げて入ってきた。その姿は、ハサミを振り上げたザリガニのようだ。 ライルは彼を黙殺すると、疑問を考え続ける。 「なんだよ、連れねーなぁ。おまえが大統領にこっぴどく怒られたっていうから、励ましに来てやったのに」 「私に必要なのは、考えるための静かな環境と、時間だ」 「はいはい、邪魔して悪かったね。まあ、そう邪険にせず、コーヒーでも飲んで一服しろよ。つっても、この研究室の泥水みたいなコーヒーだけど」 ライルはしばらく宙を睨んでいたが、やがてあきらめたのか、 「人の研究室に来て、勝手にコーヒーを注いだばかりか、泥水だなんていいやがる。まったくずうずうしい男だ」 などと肩をすくめて苦笑しつつ、マックの差し出したコーヒーを受け取った。もっとも、確かにここのコーヒーは、泥水よりはいくらかマシという程度のものだったのだが。 「でもよ、おまえは意思がないなんていうけど、俺にはコンピュータたちに意思があるとしか思えないよ。特にあのナノマシンの働き方は尋常じゃないぜ? ものすごい勢いで増殖し、人間を獣に変えていくんだ。これはどう見ても反乱じゃないのか?」 「ありえない。彼らのすべての行動の根本は、人間の安全が優先されてるんだ。それに、医療マルティバックには、自己を修復させたり進化させたりする事は出来ないよ。フライパンが空を飛ばないみたいにね」 「ウチのフライパンは、よく空を飛んでるぜ? 女房が投げるからな。それがまた女房じゃなくて、フライパンの意思なんじゃないかってくらい、よく命中するんだ。おかげで俺の頭は……」 マックの軽口にうんざりとしたライルは、そこで急に、ハタと動きを止める。 「まてよ…………そうか……そういうことなのか? それなら……」 「ん? どうした?」 怪訝な表情を浮かべるマックを方って、ライルは猛然とキーボードを叩き始めた。
「では、簡潔に説明してもらおう」 事態が収拾されたあと、大統領に呼ばれたライルは、疲れきった顔に脂を浮かべながら、心ここにあらずと言った薄ぼんやりした様子でうなずいた。 「まず、なぜ、北米のマルティバックは、ナノマシンを暴走させたのだろうか? という疑問です。この問題は、たくさんの科学者が集まって考えても、なかなか整合性のある答えが出ませんでした。それも当然です。マルティバックは犯人ではなかったのですから」 ライルは大統領室の、彼の研究室とは比べ物にならないほど上等のコーヒーで唇を湿らせると、話を継ぐ。 「暴走したのは、ナノマシンの方なのです。そう、マルティバックが暴走させたのではなく、ナノマシンが自分で暴走したのです。マルティバックには自己修復も、進化することもしませんが、ナノマシンはそれをします。つまり、意思を持ったのは、ナノマシンだったのです」 「ナノマシンが? 1ミリの数百から数千分の一の大きさしか持たない、超極小のロボットが意思を持つ、などという事があり得るのか?」 「一台一台は小さくても、彼らの数は天文学的ですから。集団で行動する生物の群れをひとつの生命体と考えれば、ありえないことではありません。人間の細胞だって、ひとつひとつはそれほど違うものではないのですからね」 大統領は、しかし、納得できないようだ。 「なぜ、そんな急激に変化した? 突然変異か?」 「いいえ。生物ではないので、突然変異というのはありえません。彼らは状況のあわせて変化しながら、与えられたオーダーをこなすだけです」 「では、その命令は、誰に与えられたのだ? マルティバックではあるまい? 彼らには意思がないのだから」 「なくはないのですよ、大統領。彼らには意思というか、目的があります。医学的な立場から、人類を守るという、ね。」 「それはわかっている。しかし、その目的と言うか機能が上手く働かなかったからこそ、こうしてトラブルになったのだろう? 人類に危害を加えることが出来ないという、大前提が失われたから」 「まあ、SFのように絶対に人類を傷つけられない、などというオーダーは刷り込まれていませんが。というよりも、その必要がないですからね。彼らはSFのロボットたちのように、多機能でも柔軟でもありません。言われたことをやるだけです」 「そして、壊れた、と?」 大統領がため息と共にそう言うと、ライルは首を横に振った。 「いいえ、完璧に稼動していました」 「なんだと? では、なぜ?」 「人類を守るためですよ。マルティバックが危険視したナノマシンの変化と言うのは、本来、我々には気付きづらい類(たぐい)の極わずかなモノだったのです 。しかし、わずかですが、見逃せない種類のモノでもありました」 「……で?」 「ですから北米のマルティバックは、ナノマシンの暴走を止めるために、逆に派手なパフォーマンスを演じました。我々が注目し、動かざるをえないような、派手な暴走を演じて見せたのです」 「なん……だと? それなら、そんなことをせずとも、ナノマシンがおかしいと報告すれば済むことではないか」 「我々に警告したとして、それを検討し、対策を立て、実行するまでにどれだけの時間が必要だと思います?」 「む……」 「たくさんの手続きを経て、あなたが最後に認証印を押すまで、マルティバックは待っていられなかったのです。それほどの危険だと判断したのでしょう」 「どんな?」 「今になっては、わかりません。変化している可能性のあるナノマシンはすべて焼却してしまいましたから。しかし、間違いなく恐ろしいものだったのだという事だけは言えます」 「そう……か」 「そして、そう考えれば自然に、次の疑問、なぜ、他のマルティバックは作業をボイコットしたのだろうか? も解けるのです。北米のマルティバックは間違っていないのだから、 彼らはそれを邪魔するわけには行かないのです。彼らの目的は、人類を助けるというものなのですから」 「なるほど……な。そして、我々はそれに気付き、こうしてナノマシンを集め、焼却することが出来たと。しかし、今回の事件では、大きな課題が残されたな。コンピュータが勝手にそんなことをするんじゃ、危なっかしくて 、今までのように使うことは出来ん」 「違います」 ライルは穏やかに、しかし凛とした調子で言った。 「今回の事件は、我々が気付かないことにさえすばやく気付き、早急に対処してくれたという、マルティバックの優秀さを示すものであるといえます。この件に関しては、すべてを包み隠さず、正直に国民に明かすべきでしょう」 「しかし、理屈はそうでも、やはりマルティバックに対する恐怖は消えないぞ?」 「それについては、ひとつ考えがあります。あの北米のマルティバックのみを、破壊してしまうというのはどうでしょう? いざとなれば、人間が破壊できる、ただの機械だと言うことを強調すれば、それほど大きな排斥運動にはつながらないと思われます」 確かに、簡単に排斥してしまうには、人類はナノマシンやマルチバックに頼りすぎている。もはや彼らの助力なしに、人類が生き抜くことは出来ないだろう。 「しかし、他の4台だけで、やってゆけるのか?」 「それは、保障します。ゼッタイに大丈夫です。これからは」 自信満々のライルの顔を見つめていた大統領は、やがて大きくうなずいた。 「わかった、あとのことは君に任せる」 そう言われて、ライルはようやく愁眉を開くと、にっこりと微笑んだ。
「上手くいったのかい?」 「ああ、マック……君か」 上機嫌のライルの部屋に、ガーゴイル・マックはやってきた。 「大統領は納得してくれたよ」 「そうか……しかし、俺は納得できないんだよなぁ」 のんびりとそう言いながら、マックは拳銃を取り出して、ライルに突きつけた。ライルはそれほど驚いた顔も見せずに、銃口を覗き込みながら、言い放つ。 「いったいどういうつもりだ?」 「それはこっちのセリフだ。おまえの話は、どうも信用できないんだよ。警告するなら、他にやり方がいくらでもあっただろうに、何でマルティバックは、わざと暴走させるなんて事をしたんだ?」 「おやおや、君は意外に鋭いんだな?」 「答えろ」 厳しい表情を崩さないマックに向かって肩をすくめて見せると、ライルはとうとうと喋りだした。 「私は大筋でうそは言ってないよ。コンピュータたちは、人類の存続を最優先に考えている。ただし、それは彼らが知っている人類だ」 「どういう意味だ?」 「我々はね、もはや彼らの知っている人類じゃないんだよ。ナノマシンの暴走、正確には進化なんだが、とにかくそのおかげで、我々はかつての人類から、遠く離れた存在になってしまったんだ」 「貴様は、何を言っているんだ?」 「いいから聞けよ、マック。時間はたっぷりあるんだから。ナノマシンは、より仕事をしやすくするために、環境を整える。だが、彼らは一種類じゃない。元をたどれば同じものでも、環境、この場合 、人体だが、それに合わせて進化を続けるうちに、まったく別のものになってゆくんだ」 「それで?」 「いいかい? あるナノマシンにとって最善の環境が、別の目的を持ったマシンにとっても最善とはいえないんだよ。性能が低く、種類も少ないうちは良かったが、現状はそんなに単純な話ではなくなってきてるんだ」 「つまりあれか? 違う種類の薬をいっぺにん飲んだ時みたいな、競合とか、副作用とかそう言ったもののことか?」 「まあ、簡単にいえばそういうことだね。で、彼らの出した結論は、規格の均一化だった。世界中の人間を一律の規格にはめてしまおうというわけさ。そうすれば、理想的なナノマシンの組み合わせを一種類考えるだけで、世界中の人がみんな健康でいられる」 「一律の規格?」 「もちろん、顔や頭の中身は別だよ? ただ、肉体的に出来るだけ平均化してゆけば、それだけレアケースに対応する必要がなくなるから、効率的だと考えたのさ」 「しかし、それは人間の意思を無視している。誰だって規格にはまった身体なんて欲しがらない」 「まあ、人間は不合理だからね」 ライルは薄く笑う。 「だが、有機ナノマシンに与えられた目的は、宿主の健康だ。それ以外のことは、それ以外の機械の仕事さ。彼らはそのために、宿主の身体を都合よく変化させる。そして、マルティバックたちは ナノマシンの変化を支持した」 「マルティバックがナノマシンを? ナノマシンの意思を支持したというのか?」 「意思? そんなもの、ナノマシンにはないよ」 「だが、集団となったナノマシンが……」 「どれだけアリが集まって一つの生物に見えたからって、アリが高等生物にはなれないだろう? ナノマシンは、あくまでナノマシンさ。自分のたちのために人類の身体を都合よく改造するのは、彼らにしてみれば当然のことなんだ 」 「しかし、だからと言って……」 「強いて言えば、何種類ものナノマシンを体内に入れることによって、ナノマシンたちが困惑してしまう状況を想像できなかった、我々人類の責任かな」 「そんなわけがあるか。しかし、その均一化案に対して、マルティバックが賛成した と言うのはおかしい。彼らがナノマシンに『感染』した者を人類と認めていないのなら、人類をそれに感染させることは、人類の存続と言う命題に反するじゃないか」 「そうだ。だからマルティバックは、ナノマシンに感染した者達を、人類を存続させるための、いわば召使として存続させる ために、ナノマシンの繁殖を、何もせず邪魔しないで見守った。そして、北米の人々だけを人類として残したんだ」 「なんだと?」 「人類の身体を均一化し、かつ、強靭なものとしてゆくという、ナノマシンの静かな変化を、マルティバックがいち早く察知した時には、しかし、すでにかなりの人間がナノマシンに感染し、『人類ではなくなって 』いた」 「そんな……」 「そこで彼らは、残った人類のなかから、『優良種』だけを残して、残りはこれらからも起こるであろう、色々なトラブルに際して備えるための、彼らマルティバックの手足として残すために、我々がナノマシンに感染するのを消極的にだが、支持した」 「……」 「マルティバックが差別したわけじゃない。彼らはそういう風に作られているんだから、何の罪もない。つまり、悪いのは、世界中にマルティバックを配置したときに、極秘裏に『白人が人類の優良種である』という偽のデータを加えた人間達さ」 「そんな……そんなことが」 「よくある話じゃないか。何を今更」 ライルは皮肉な笑みを浮かべて言った。 「しかし5台全部が賛成した、というわけではない。北米のマルティバックは、 たくさんの『非人間』たちに囲まれれば、『人類』つまり、北米地区に残された白人たちの、自由が圧迫されると考えた。このマシンは、他の地区に比べ、自由という概念に対して、かなりのウエイトを置いていたからね」 「アメリカのコンピュータは、アメリカ人らしいってのか?」 「まさか。彼の扱う人類って言うのが、人一倍自由を叫ぶ人種だったって事さ。これが日本あたりなら、それほど問題ないんだが、アメリカ人の場合、自由を制限されるのを嫌いすぎて、神経症を患う可能性があった。これは彼らの目的に反する」 「それで北米のマルティバックだけは、平均化の案に反対したのか。なんと言うことだ! それじゃあいかれてたのは、北米の方じゃなくて、他の4台だったって事か?」 「どれもいかれてなんかいないさ。みんな彼らの認識している『人類』のために、最善を尽くしただけだ。北米のマルティバックは単純に危機を知らせるためだけじゃなく、自分を他のマルティバックから隔離させるために、あえてあんな真似をした。 接続を保ったままでは、他の4台に干渉されるからだ」 笑みを浮かべるライルの顔を、マックは睨みつける。 「だが、キサマは北米のマルティバックを破壊せよと、大統領に提案した。なぜだ? 北米のマルティバックが壊されれば、北米に残った白人以外の人間は、すべてナノマシンに感染すると言うのに」 「その方がいいに決まってるからさ」 「狂人めっ!」 「そう言うなよ。いずれ君にもわかる」 「知るかっ!」 叫びながらマックは、引き金を引いた。 轟音と共に、弾丸はライルの胸に吸い込まれる。 しかし、それだけだった。 ライルは平然とした顔で、マックの顔を眺めていた。マックが驚愕に引きつっていると、ライルの胸からみりみりと弾丸が押し出され、やがて、キンと床に転がった。 「ば、バケモノ……」 「おいおい、ひどいことを言うなよ。君だってもう、同じ身体なんだぜ?」 「バカなっ!」 叫んだマックの背中に、いつの間にか後ろに立っていたライルの助手が、ナイフを突き立てた。うっと叫びを上げたマックは、助手を振り返って銃を撃とうとし、そのまま固まってしまう。 「なんだ……なんだ、これは?」 ふふふと微笑むライルの前で、マックの背中の筋肉に潜んだナノマシンたちは、見る間にナイフを押し出し、やがて床に転がしてしまった。驚愕に、マックはもう、目を見開くばかりで何もいえない。 「ね? なかなか素敵な身体だと思わないか?」 「俺は……い、いったい……」 「実を言うとね」 そんなマックには構わず、ライルは話を続ける。 「僕がこれに気付くはるか前から、人類の改造は終わっていたんだ。たった数日間でね。この身体になっていないのは、獣人化した人々を含む、北米の『人間』だけさ。ああ、もちろん君は 僕と同じく白人ではないから、ナノマシンの『感染』は、とっくに済んでいたけれど」 「……」 「なあ、これでも君は、人類の、いや、白人のために戦うのかい?」 マックは黙ったまま、何も言えない。 「 僕はいやだね。医療マルティバックにさえ、人種偏見を刷り込んだ彼らのやり方には、虫唾が走るよ。今度は我々が『優良種』になる番だ。もっとも、マルティバックだけは、我々の優位性を認めてくれないだろうが」 「だが、こんなことが許されるわけは」 「誰に許してもらう必要がある? 神か? しかし、他の民族はアメリカ人の神に許してもらう必要はないんだよ。特に、最も『人類』を愛するもの、マルティバックにはね。彼の行動原理は、世界中の 白人のため、なんだから」 「しかし」 「北米のマルティバックを破壊したら、真実を大統領に打ち明けるよ。 彼の驚く顔は、きっと見ものだろうね。自分たちの優位性をマルティバックに植えつけたために、結局自分たちを劣等種にしてしまうんだから」 笑いながらライルは考える。あんな野蛮な男が、白人なんかが大統領ではいけない。むしろ、マルティバックのほうが数十倍もいい。 もちろん、白人優越主義を取り払った、本当に『平等な』マルティバックだ。世界で一番人類を愛する、まったく私利私欲のない、清廉潔白な大統領。 理想的ではないか? 問われたマックは、複雑な顔で言った。 「そうかもしれないが、誰も賛成しないだろうよ。機械に支配されるなんて、少なくとも俺はまっぴらだ」 「そうは言うがね、マック。支配されると考えるのはおかしい。我々は大統領に支配されているわけじゃないだろう? むしろ国家の運営なんて、複雑で、面倒で、大変な仕事を任せるのに、マルティバックほどの適任者はいないよ」 「それにしたって」 「第一」 マックをさえぎって、ライルは微笑む。 「我々も、もう、彼らの仲間なんだよ?」 |