| 見えない未来 |
遅まきながら香港で多発した新種の肺炎が、北朝鮮のBCW(バイオケミカルウエポン:生物化学兵器)だと発表されたときには、その脅威はすでに日本へと上陸していた。 老人や女子供など、体力的に弱いものは、早い段階でこの世を去っていた。それはある意味、幸せだったのかもしれない。なぜなら、彼らは本当の地獄を見なくて済んだのだから。 発症後48時間以内にワクチンの接種を受ければ高い確率で助かるが、それを過ぎると死亡率が90%に跳ね上がる。死亡数は政府の発表から2日のうちに、かなりの数にのぼっていた。 俺は休暇を利用してひとり単車に乗って日光の山の中をツーリングしていたのが幸いしたが、国際空港の近くや、人間の多い大都市では、壊滅的な被害だったと聞く。もっとも、混乱の中で何とか機能している情報と言えばラジオしかないので、その正確さは定かではないが。 ラジオから伝わってくる地獄絵図は、兵器の猛威が大都市だけにとどまってはいないことを伝えていた。田舎なら大丈夫かと思っていたのだが、どうやらそうでもないようで、ここのところ道端で死んでいる人間がやたらと目に付く。 俺はどこへ向かえばいいのか途方にくれていた。しばらく考えて、どちらにしてもいずれは感染することを避けられないと言う結論に達し、俺は単車を東京に向けた。一番近いワクチンの接種場所だったからだ。 都会から逃げたした車の群れが、途中で行き倒れたりして動かなくなり、高速道路は使い物にならない。俺は国道四号線を南下することに決め、走り出した。単車はご機嫌な音をたて、川口あたりに差し掛かる。 と。 道端にうずくまっていたひとりの男が、不意に俺の単車の前に飛び出す。急ブレーキで止まった俺に向かって、男は哀願するように言った。 「ワクチンの接種場所まで、乗せていってくれ。たのむ」 見れば、疲労困憊してはいるが、感染者に見られる高熱を発している様子はない。俺が確認すると、男は勢いよくうなずいた。 「まだ、感染はしていない。家族の安否が気になって、千葉からここまで歩いてきたんだ。残念ながらみんなすでに死んでしまっていたが」 「そうか。それは残念だったな。俺には幸いこれと言う家族もいないから、自分だけの心配で済むが」 「こうなってみれば、そのほうが幸せなんだろうな」 自嘲気味に笑う男を後ろに乗せて、俺は走り出す。しばらくはただ国道を走っていたが、そのうち男が話し掛けてきた。 「なあ、あんた名前は?」 「聞いてどうする?」 「どうと言う事もないが、命の恩人の名前くらいは知っておこうと思ってな。俺はケン。ジャーナリストだ。でかいヤマを追って横須賀、横浜、千葉と回っていたんだが、この騒ぎで川口の自宅まで戻ったところだったんだ」 「俺はジョーだ。今の職業は単車乗りさ。もっとも、こうなってしまえば仕事や肩書きなんか、何の関係もないがな。ははは」 俺たちは、エンジン音や風切り音に負けないように大声で、取り留めのない話を続けた。二人ともいつ発病するかも知れないと言う不安に、黙ってままでいるのが苦痛だったのだ。 あと少しで東京というところまで来たとき、またも道端に倒れている男がいた。俺は男のそばに単車を停める。するとケンが、俺のわき腹を突っついた。 「おい、あいつ発症してるぞ。高熱で顔が赤いじゃないか。接種場所まではもうすぐだ、放っておこう」 「そうもいかないさ。あの様子じゃ、まだ発症して間もない。いまなら、ワクチンを接種すれば助かるだろう。どうせもうすぐそこだ。やつも連れて行こう」 「単車に三人乗りする気か?ばかな」 「なーに、東南アジアじゃ、よくある光景だぜ?」 俺は感染の危険にビビりながらも、あえて明るくおどけて見せた。笑いながら後ろを振り返る。 そこで、俺の記憶は途絶えた。
気付くと俺は、方々荒れ果てたコンビニエンスストアの中に寝かされたいた。ゆっくりと起き上がると、頭が割れそうにいたむ。思わず持っていった手が赤く染まり、割れそうにいたむのではなく、割れているんだと言うことに気付いた。 起き上がって、荒らされ放題に荒らされた店の中から、どうにか見つけた包帯を頭に巻いていると、奥のほうから男が出てきた。男の顔は高熱で上気している。先ほど助けようとした男だ。 「大丈夫ですか?」 「ああ、なんとか。いったいなにが起こったんだ?」 「覚えていないんですか?」 「ああ、まったく」 男は、しばらく黙ったまま俺を値踏みするように見ていたが、やがて状況の説明をはじめてくれた。 「あなたの後ろにいた男が、あなたの頭を殴ったんですよ。あなたも応戦したんですが、男は落ちていた鉄パイプで、あなたの頭を殴りつけたんです」 「なるほどね」 お人よしの俺が悪いってコトか。これから先、この世界ではそんな甘いやつは生き残っていけないんだろう。 考え込んだ俺の顔を心配そうに眺めている男の視線に気付き、苦笑しながら俺は話し掛けた。 「あんた、名前は?」 「サルタと言います。すみません、私を助けるために、あなたまで酷い目にあってしまった」 「かまうことはない。ここからなら、歩いて行ったってワクチンの接種場所まではすぐだ。それよりあんたこそ時間がないだろう?発症してからどのくらいになるんだ?」 「一日たちました。あと一日の命ですよ」 男はあきらめたように薄く笑う。 「あきらめるんじゃねえよ。俺が連れて行ってやるから、一緒に歩くぞ!」 男は驚いた顔で俺を見つめると、不思議そうに言った。 「どうして、私を助けてくれるんです?私のせいであなたはそんな目にあっていると言うのに」 「ここであんたがあきらめちまったら、それこそ俺の頭が割られた意味がなくなるじゃねえか。一度助けるって決めたんだ。最後までケツは持つさ」 男は、黙って頭を下げた。 「やめてくれよ。別にあんただけのためじゃない。こうなりゃ意地だってだけだよ。礼をしてくれる気持ちがあるんなら、ワクチンを受けた後、俺と一緒にあのケンって男を捜してくれ。大事な単車をとりかえさなきゃならない」 俺はサルタを支えながら、東京を目指して歩き出した。 サルタといっしょに俺も予防のワクチンを受けると、俺たちはケンの行方を追った。しかし、足取りらしい足取りはどこにもなかった。俺に追われると考えたケンは、別のワクチン接種場所まで行ったのだろうか? 俺はサルタとともに、もときた道を引き返した。 一度例のコンビニまで戻り、そこから先をどうするか決めようと思ったのだ。天涯孤独の俺には、家族を守ると言う使命もなければ、これといってやるべきこともない。 サラリーマン時代は安穏と暮らしていたが、こうなってみてはじめて、人生の目的とか生きがいと言うものが、どれほど大事なのかを知らされたようだ。30過ぎながら、その日の快楽だけを追っていた今までの自分が、ヤケにつまらないものに思えてくる。 「なあ、サルタ。あんたの家族は?」 「妻も、娘も、早いうちに発病して死んでしまいました。ケンといっしょです」 「へえ、じゃ、あんたももう、天外孤独って訳だ。あんたこれからどうする気だ?何かやるべきことでもあるのか?」 「私はこうなる前、細菌の研究をしていたんですよ。ですから、この異変がこれから我々や我々の世界に及ぼす影響を、観察し、研究していこうと思います」 「なるほど、それがあんたの仕事って訳か」 「仕事と言うより、こうなってしまえばむしろ執念ですよ。あなたが意地で私を助けてくれたのといっしょです」 「ふ〜ん……」 俺は何気なくサルタに近寄ると、いきなりその顔面をぶん殴った。 サルタはコンビニの陳列棚に向かって吹っ飛び、棚といっしょに派手な音を立ててすっ転がる。 「な、何をするんです!」 「黙れ、このクソ野郎!」 俺は大声で怒鳴ると、倒れたサルタの胸を踏みつけた。 「ドジな野郎だぜ、まったく。てめえは言ったな?ケンが俺の頭をぶっ叩いて、単車を奪って逃げたって。だとしたら、てめえはケンと話す暇なんかなかったはずだ。それなのになんで、ケンの家族が死んでしまったことを知っているんだ?」 「そ、それは……」 「答えはひとつ。おまえは最初からケンのことを知っていたんだ。それと、今おまえが語った「仕事」と、ケンの仕事を考え合わせれば、どういういきさつだったかは、すぐわかることだ」 「……」 「ケンはジャーナリストだった。ヤツはでかいヤマを追って横須賀、横浜、千葉と動いていた。この地名からピンと来るのは、ただひとつ。自衛隊だ。そして、日本人のおまえがこの騒ぎの観察と研究をすると言うことは、とりもなおさずこの騒ぎの黒幕が、自衛隊の親玉、日本政府だって事だ」 「なるほど、ただの単車好きのバカって訳じゃなかったんですね」 開き直ったサルタの胸を、俺はブーツのかかとで容赦なく踏みつける。ぷげえっ、と変な悲鳴をあげて、サルタは沈黙した。 「つまり、北朝鮮の細菌兵器って言うのは、俺たちをだます嘘だったってことだ。だいたい、日本中でいっせいに発症したって段階で、おかしいと気付くべきだったんだよな。発症にタイムラグがなかったってことは、病原菌がいっせいにばら撒かれたって事なんだから。そうだろう?」 サルタは苦しそうにうなずくと、消えそうな声でしゃべった。 「自衛隊の飛行機で、空中散布したのだ……」 「何だって、そんなことをしやがる?北朝鮮と戦争する気か?」 「2000年代前半じゃあるまいし、いまさら北朝鮮と戦争するわけがないだろう。このプロジェクトは世界中で行われているんだ。増えすぎた人口を減らし、真にこの世界に生き残るべき選ばれた人間だけが、新しい社会…うぎゃっ!」 俺は話の途中でむかむかしてきて、サルタを思いっきり蹴飛ばした。 と、そのとき。 「やはりそうだったか」 突然の声に振り向くと、コンビニの入り口にケンが立っていた。 「ケン……おまえ、生きていたのか」 「危ないところだったがな。間一髪、逃げ出してきたよ」 ケンは日に焼けた顔で、にっこりと笑った。俺たちはどちらからともなく近づき、ガッチリと握手を交わす。この隙を見て、サルタは逃げ出した。 俺が慌てて追いかけようとするのを、ケンは片手を挙げて制す。 「放っておけ、ヤツは小物だ。俺とおまえの頭を鉄パイプでカチ割るのが、せいぜいのところさ。」 「冗談じゃねえ。こっちはそのせいで、ちっとばかり記憶喪失になっていたんだぞ?」 俺がふくれると、ケンが声をあげて笑った。つられて俺も笑い出してしまう。俺たちふたりは、荒れ果てたコンビニのなかで、大声で笑いつづけた。 やがてケンが真顔になると、俺に向かって言った。 「ジョー、おまえ、これからどうする気だ?よかったら俺といっしょに戦わないか?俺は、この残虐非道な行いを、世界中の目の前にさらすために、命をかけて戦うつもりだ」 俺は、ケンの目を見つめながら、首を横に振った。 「俺はな、バカで単純な単車乗りなんだ。そんな悠長な戦い方は出来ない。俺たちをこけにしたヤツラに、直接一泡吹かせてやるさ」 「銃を取るって事か?」 ケンの表情が険しくなる。 「さあな、どうなるかはわからない。もしかしたら、もっと単純に、生き残った弱い人たちを守っていく道を選ぶかもしれん。答えは風に聞いてくれってところさ」 「かっこつけやがって。まあいいさ。いずれどこか出会えることがあったら、そのときはゆっくりと酒でも飲もうじゃないか」 「ああ。じゃあな、気をつけろよ、ケン」 「おまえもな」 俺たちはそこで別れた。ケンはペンを持ち、俺はおそらく銃を持つだろう。俺たちは相容れない道を歩くかもしれないし、もしかしたら敵として対立するかもしれない。 それでも俺は、いつかケンとうまい酒が飲めることを確信していた。 なぜなら俺たちは、違う方向に歩き出したとはいえ、同じ血を持っているからだ。圧倒的な力とその圧力に対して、戦う意思を持ちつづける反逆者の血を。 俺は、見えない未来に向かって、ゆっくりと歩き出した。 |