| 死にゆくマッシュ |
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マッシュは淡々と死んでゆく。 おびえもせず、悲しみもせず、死にすぎも、死なな過ぎもせず。 マッシュの中ではすべてが調和し、解決している。そばにいる者は、その調和に癒され、恐怖や困惑に凝り固まった心をほぐされてゆく。 マッシュの死には覚悟も、決断もない。ただ、あるべきもののあるがまま、豊かな水をたたえた湖の水面(みなも)のように、静寂と安寧に包まれて、淡々と死んでゆくのだ。 穏やかに死を受け入れる姿は、そばにいる者にむしろ幸福さえ感じさせながら、ゆっくり、ゆっくり、そのときは近づき、やがて…… 心臓が止まる。 白衣の男が瞳孔、脈、そのほかを確認し、静かに頭を下げる。 「ご臨終です」 そばにいた看護士も一緒に頭を下げた。 周りにいた家族は取り乱すこともなく、静かに嗚咽している。 そんなものがあるかはともかく、どちらかと問われれば、おそらく「いい死」だったと言えよう。恐怖もなく、苦痛もなく、心配も、わだかまりもなく、安らかに逝けたのだから。 ドクターたちは部屋を辞し、残された家族は遺体のそばでまだ別れを惜しんでいる。部屋を出たドクターは、その足で隣の部屋へ入 った。壁一面、所狭しと並んだ最新機器に囲まれて、深さ50センチくらいの大きな水槽らしきものがひとつ。 何かの溶液で満たされたその水面には、男がひとり横になって浮かんでいた。体中に電極やチューブが取り付けられたその姿は、水溶液の水面に浮かんでいることを別にすれば、集中治療室の患者に酷似している。 と。 突然、部屋中の機器が、アクティブなサインを表示し始めた。ドクターは別段驚く風でもなく、やるべきことを淡々とこなす。水溶液の温度を徐々に上げ、それに伴い吸入器の酸素濃度をあげる。いくつかの機器のスウィッチを切り、電極をはずしてゆく。 やがて水溶液は抜かれ、水槽から出された男の体中に差し込まれたカテーテルが引き抜かれる。全身きれいにぬぐわれて、男はベッドの上に横たえられた。 「マッシュ、聞こえるか?」 ドクターが何度か呼びかけると、男はまぶしそうにまぶたを開けた。しばらく瞳だけで周りを見渡したあと、皮肉な笑みを浮かべる。 「ドクター、言っただろう? 今度起こすときは、かわいい看護婦さんの声がいいって」 ドクターはその男、マッシュの軽口には耳を貸さず、脈拍や瞳孔の反射、そのほか必要な検査を手早く済ませると、小さくため息をついた。 「俺が健康なのが、そんなに残念なのかい?」 マッシュの嫌味に肩をすくめただけで答えると、ドクターはきびすを返す。 「なんだよ、もう、行っちまうのか?」 振り向いたドクターは、何の表情もない顔で答えた。 「あとは看護婦、いや、今は看護士と呼ぶんだったな。彼女たちがやってくれる。君もそのほうがいいんだろう?」 マッシュはそのセリフににやりと笑う。 「なるほど。そりゃその方がいいな」 もっとも、放っておいてもマッシュを世話したいと言う看護士はあとを絶たないだろう。若くて、しなやかな身体を持ち、二枚目で、しかも仕事がダイイング・コーディネータとなれば 、マッシュがモテるのも致し方ないところだ。 そう、 マッシュの仕事はダイイング・コーディネータ。 死の演出家だ。 先ほどのように死の運命が決まった人間の精神に入り込み、死ぬ間際の不安や恐怖を取り除くために、一緒に死んであげるのである。入り込むのはマッシュの精神のコピーだから、マッシュ自身はこうしてそのあとによみがえるのである。 技術的にはそれほど難しいこともでもないのだが、精神を送り込んでいる間、身体が抜け殻になるので、こうして病院で保存しておいてもらう。その費用も、もちろん依頼者持ちだ。 それより何よりダイイング・コーディネータが選ばれた者だけの仕事である一番の理由は、とてつもなく強靭な精神の持ち主しかこなせないからである。 普通の人間は、例えかりそめであろうと、自分が死ぬ瞬間と言うものに、なかなか耐えられないのだ。 ダイイング・コーディネータ発足以降、その方面の精神科医やカウンセラの仕事が激減した。それはそうだろう。いくら心を開いて話そうと、相談に乗ってくれようと、一緒に死んでくれるものに比べれば、結局ヒトゴトでしかないのだから。 三人の看護士に面倒を見てもらって、なんとか立ち上がれるまでに回復したマッシュは、病院を出た。看護士のうちの一人が、私服を着て、マッシュの傍らでその身体を支えている。病院を出てゆくその後ろ姿を見ながら、院長はため息をついた。 「まったく、ウチの病院を出会い系サイトかなんかと勘違いしてるんじゃないだろうな?」 彼の嘆息もわからないでもない。 マッシュは病院に来るたびに、別の看護士にちょっかいを出しているのだから。彼がこの病院を選んだ理由と言うのがそもそも「看護士がかわいい」というのだから、さじを投げるしかない。 もっとも、かわいい看護士が多い理由は院長の趣味であるし、ダイイング・コーディネータの入院には保険が利かないから、大口の現金収入でもあるので、拒むことはできない。自業自得ではある。
「マッシュ、仕事だ」 恋人気取りでうるさく世話を焼き始めた看護士を追い出して、自宅兼用の事務所でバーボンを引っ掛けているマッシュの前に、黒いピンストライプのスーツを着た背の高い男が立っていた。 マッシュは薄目を開けてその姿を確認すると、ふんと鼻を鳴らしながらグラスを傾け、ごくりと一口飲んでから、目を閉じた。 「寝るな、バカ。仕事だって言ってるだろうが」 「うるせえな、コーネル。俺は先週、退院(で)てきたばかりなんだ。しばらく仕事をする気はねえよ。俺の口座の残高が寂しくなってきたら連絡するから、それまでその不景気なツラをここへ出すのはやめろ」 「そうはいかねえんだよ、マッシュ。今度ぁハンパな仕事じゃねえんだ。つーか、この仕事が終わったら、お前、もうひとの頭の中に潜らなくても済むようになるぜ?」 マッシュはデスクに投げ出していた足を引っ込めると、グラスを放り投げて座りなおした。グラスはバーボンを撒き散らしながら、じゅうたんの上を転がる。その様子を惜しそうに眺めたコーネルは、気を取り直してマッシュに向かった。 「相手はプレジデントだ。大統領閣下だよ。彼は末期のガンに侵されていてもう助からない」 「報酬は?」 相手の説明などまったく興味を示さず、マッシュはそれだけ口にした。コーネルは一瞬鼻白んだが、にやりといやらしく笑うと、片手を開いてマッシュに突きつける。 「50万? ふん、まあまあだな」 「500万だとよ。一生遊んで暮らせるぜ?」 マッシュは飛び起きてコーネルを見る。彼が冗談を言ってるわけでないことを見て取ると、座りなおして厳しい顔をした。 「で? お前の取り分は?」 「心配するな。俺は俺で別にもらう。お前が最初に言った金額をな」 「へ、何の苦労もしないで、ワタリをつけただけで50万かよ。俺もそっちの仕事に移るかな」 「決まりだな。まあ、断るわけはないと思ったが。それじゃあ、用意しな。表で車が待ってる」 「てめえ……」 そう言いながらもマッシュは立ち上がって、上着を引っ掛けた。 表に出ると、確かに黒塗りの高級車が待っていた。フルスモークのウインドからは中を見ることができない。 なにやら物騒な雰囲気をかもし出すその車を見て、マッシュは少し心配になった。 「おいおい、大丈夫なんだろうな? 終わってから500万が惜しくなって、消されたりしねえか?」 「そのくらいのリスクは覚悟しろよ。なんたって500万だ」 そのとき車からサングラスをした大男が降りてくる。男は内ポケットから分厚い封筒を出すと、コーネルに向かって差し出した。 相好を崩したコーネルがそれを受け取る寸前、横からマッシュが掻っ攫う。 「なにしやがる!」 怒鳴ったコーネルに舌を出すと、マッシュはにやりと笑っていった。 「俺が生きて帰ってこられるように、いろいろ策を練って置け。こいつは無事に帰ってきたら返してやるよ」 それだけ言うと、さっさと車に乗り込んでしまう。追いかけようとしたコーネルの前に、大男の身体が割り込んだ。無言のままコーネルに首を振って見せる。 しぶしぶと引き下がったコーネルは、車の後部座席に向かって、思いつく限りの悪態を浴びせた。車が走り去ってしまっても、コーネルの悪態はいつまでも続いた。
大統領の身体と、マッシュの身体が水槽に浸けられる。マッシュの精神が大統領のそれとリンクした。同時に末期がんの痛みが襲ってくる。 マッシュはあわてて痛覚を遮断すると、モルヒネをもっと大量に投与するよう、表に信号を送った。信号は変換されて、病室のモニターに表示される。 この一ヶ月、大統領と何度もリンクして信頼関係を築いたマッシュは、いつものように彼に話しかけた。 「よう、じいさん。大丈夫か? ここ二日ばかりこられなかったから、あんたの痛みがわからなかった。済まなかったな? いま、薬を注入してもらうから、もう大丈夫だよ。じきに楽になるはずだ」 大統領の精神は、死期を迎えたものらしくおぼろげな輪郭で、しかし、彼の最も生き生きしていた学生時代の姿のまま、マッシュを迎えた。 「マッシュか。遅かったじゃないか。えらく痛くて死ぬかと思ったぞ?」 「ははは、死ぬかと思ったはよかった」 「よくない! それと爺さんはやめてくれ。お前が来て、精神を形作ることを教えてくれてからは、こんなに若返ったんだからな」 それは若返ったのではないとは、マッシュは決して言わない。 「ああ、悪かったよ。ところで、今日きたのは」 「わかってるよ。もうすぐ俺は死ぬんだな?」 マッシュは黙ってうなずいた。それから、穏やかな表情になって、大統領に話しかける。 「怖くないか? 痛みは治まったか?」 「ああ、もう痛くはない。それに、怖いといえば怖いような気もするけど、お前がいてくれるから大丈夫だ。一緒に死んでくれるんだろう?」 「ああ、死んでやるよ。向こうに行ったら仲良く呑もうじゃねえか」 大統領はその言葉に、大きくうなずいた。 「なんだか、お前といると死ぬことが楽しくなってくるような気がするよ。しかし、マッシュ。どうしてお前は一緒に死んでくれる気になったんだ?」 マッシュが大統領の精神に干渉して、ダイイング・コーディネータというものの記憶を除去しておいたため、大統領は彼が本当に一緒に死んでくれると思っている。 マッシュだけが生き返ることを知ったら、一緒に死ぬ意味がないからだ。もっとも、あまり記憶や脳をいじると、安楽死させるのと大差なくなってしまう。ダイイング・コーディネートは死をごまかすのではなく、死を受け入れさせるのだ。 宗教的な理由で、自殺や安楽死に強い忌避を持つこの国だからこそ、この職業がこれだけ発展した、といえるだろう。 「それじゃあ、そろそろ死のうか?」 「ああ、そうだな。マッシュ、今までありがとう」 マッシュはやさしい、いつもの彼からは想像もつかないような、なんとも優しい顔で微笑んだ。その笑顔に、大統領はうれしそうに微笑み返す。 そして、そのときが来た。 「ああ、なんだかすべてが薄くなってゆく……溶け出して、世界のすべてと混じってゆくようだ……マッシュ……気持ちいいな?」 マッシュは黙ってうなずくと、いつものように淡々と死に始めた。 精神を形作る力を徐々に弱め、大統領の精神と交じり合ってゆく。大統領はマッシュの穏やかな調和を感じ取り、豊かな安らぎに癒されてゆく。 「ああ……天国に……行けるかな……」 「いけるさ」 マッシュと大統領は入り混じって、幸福なカオスになる。 そしてまた、離れては入り混じりを繰り返す。 穏やかな調和に満たされたふたりは、やがてゆっくりと希薄になり広がってゆく……
最悪の目覚めだった。 いままでの、どの病院よりもひどい。 最高にタチの悪い酒を、それもガロン単位で飲んだ次の朝みたいな気分で、マッシュは目覚めた。まぶたを開こうとして、なかなか開けない。目やにで固まって開かないのである。 「くそ、これぁ絶対、割増料金をぶん取らなくちゃ」 ぶつぶつつぶやきながら、一ヶ月間のコーディネート作業ですっかり弱った右腕を上げて、目をこする。そうして、ようやく開いた目に映った光景に、マッシュは思わず飛び起きる。 急に身体を起こしたために襲われためまいなど気にも留めず、マッシュは大口を開けたままぽかんとしていた。状況がつかめない。 マッシュが見たのは、抜けるような青空だったのだ。 きょろきょろと辺りを見回すと、どうやら森の中らしい。 苦労して立ち上がり、ごしごしと両手で顔をこする。どうやら落ち着いたような気がして、マッシュは改めて回りを見回した。 やはり間違いない。マッシュの住んでいた町から100キロは離れた郊外の森だ。 「くそ、なんだってんだ?!」 マッシュは毒づく。そして怒りに身を震わせていたが、その握ったこぶしに視線を移して愕然となった。 「なんだ? この手は?」 彼の手はシワだらけだった。 あわてて体中を点検したマッシュは、絶望に目がくらみそうになる。すべてを理解したマッシュは、獣のように声を上げて哭(な)いた。 「盗りやがった! あいつ、俺の身体を奪いやがった!」 マッシュが大統領の精神と一緒に死んでいる間に、抜け殻になった身体が奪われたのである。 そう、マッシュのコピーされた精神が大統領に入り込んでいる隙に、向こう側からも大統領のコピーされた精神がマッシュ身体に入り込んでいたのだ。 ダイイング・コーディネートは精神そのものが移るわけではない。本体の精神は眠らせておいて、コピーされた精神、電気信号に置き換えられた精神の複製が相手の脳内に入り込むのである。 つまり、今ここで慟哭しているマッシュの精神はコピーされたものなのだ。 己がコピーである、つまり本当の自分の精神は死んでいるという事実自体は、絶望的ではあっても、思ったほどではなかった。知識としてそうだとわかっても、今現在 認識しているこの自分の心がニセモノだとは、なかなか納得も実感もできないからだ。 マッシュ(コピー)にとって事態はもっと単純であった。 「身体を奪われた」 それだけだ。 それだけではあるが、しかし、どのような辱めよりも屈辱的で、どのような状況よりも絶望的だった。いや、それでもこの瞬間までは、まだマシだったかもしれない。 状況はさらに悪化した。 激痛。 末期がんの恐るべき激痛が、マッシュを襲う。マッシュはそれでも激痛に耐え、ふらふらと立ち上がった。彼を支えているのは、純粋なまでに凝縮された怒りと言う名の毒であった。 全身を這い回る恐ろしい痛みの中で、しかし、マッシュの精神は冷めてゆく。 取り戻さなくてはならない。 身体を、尊厳を。 マッシュは考えた。復讐の方法を。取り戻す方法を。 森の中では、小鳥がかわいらしく囀(さえずって)っている。 やがて。 彼はにやりと唇をゆがめた。 どうせ俺は電気信号だ。本物のマッシュ・ガーゴイルじゃない。 ならば、あの身体にこだわる必要はないじゃないか。 どこでもいい、ダイイング・コーディネートマシンがある施設で、誰かの身体を乗っ取ってやる。 いや、まてよ? マッシュは痛みを無視して考え込む。 このまま時間が過ぎてしまえばどうにもならないが、今ならまだ間に合うのではないか? どうせ乗っ取るのなら…… マッシュは森を抜けて、近くの村にゆく。そこで彼を見て驚く老人に笑顔を見せながら(激痛の中でこの作業をするのは、とてつもなく困難だった)電話を貸してくれといった。 老人が恐れおののきながら受話器を差し出すと、充分に離れるのを見届けてから、覚えている番号にかける。 相手が出ると、マッシュは痛みをこらえて不敵な声を出した。 「コーネルか? 俺だ、マッシュだ。わかったわかった、そう怒るなよ。ああ、そうだ、俺たちはだまされたんだ。あのクソ大統領、俺の身体を乗っ取りやがった」 それでも収まらないコーネルの呪詛を一通り聞いてから、マッシュは改めて言い募る。 「だから、お前の分も含めて取り返してやるよ。ああ、そうだ。お返しに乗っ取ってやるんだ。ああ? セキュリティがきつい? おめえ勘違いしてるぞ? 俺が乗っ取るのは、俺の身体じゃねえよ」 マッシュは電話口で、痛みと喜びの入り混じったすさまじい笑いを浮かべる。 「おまえ、わかってるのか? 俺が入っているのは、大統領の身体なんだぜ? 遺伝子レベルで解析されても、絶対に齟齬の出ない100%の本人なんだ。ガンだのなんだのは、俺が落ち着くトコへ落ち着いてから、ゆっくり対策するさ。言いたいことがわかるか? つまり……」 皿に山積みにされたこの地方の特産物と、高級なワインを持って、満面の笑みで近づいてきた先ほどの老人に、有名なプレジデントスマイルで応じながら、マッシュは穏やかに 、しかし強烈な決意を込めて言った。 「乗っ取るのは、この国だ」 |