| 明日は我が身 |
| 「おっさん、ヅラだろ?」 その高校生は酔っ払って大声を出す。 冬休み、居酒屋で合コンしているうちに舞い上がって飲みすぎたのだろう。急いで止めに入る友人を振り払うと、カウンターでひとり呑んでいた中年の男に絡み始めた。 さいわい店の中は、同じような若者の集団であふれ返り、こちらに注意を向けるものはいない。中年男は余計な恥をかかなくてすんだ。 彼は高校生を睨みつけると、憤慨した様子でしゃべりだす。 「近頃の若いモンは、本当にどうしようもないな。目上の人間をもっと尊敬したらどうだ?」 そのセリフに周りの友人が、しまったと言う顔をした。中年男が怒ったからではない。絡んだ友人が「哲学者」とあだ名されるほど、やたらに弁の立つ男だと言うことを知っていたからである。 案の定、その少年「哲学者」は、にやりと笑って反撃に出た。 「尊敬と言うものは、強制されてするものではないだろう?年齢など関係なく、尊敬できる人間であれば、人は自然に尊敬するもじゃないか?少なくとも俺は「尊敬しろ」などと言う虚しい言葉を吐く人間は、絶対に尊敬できないね」 「親や目上の者を敬うのは、当然のことだろう」 中年男のセリフに、少年は嘲笑で応える。 「さすがに、儒教的思想をガキの頃からガッチリ仕込まれた世代だ。まあ、俺だって親や先生は敬うし、尊敬するべきところは尊敬してるよ。でも、あんたには、カケラほども世話になった覚えはないな。それとも俺が忘れているのか?」 嘲笑しながら肩をすくめた少年の嫌味な姿は、その中年男でなくとも腹を立てるに違いない。 「あんたなんかよく知らないのに、どうやって尊敬しろって言うんだ?歳が上だからか?偶然早く生まれただけで、何で知りもしないあんたを尊敬しなきゃならない?」 「きさまが、先にからんできたんじゃないか」 「何を言ってるんだ、おっさん?今、そんな話してたか?理詰めでやり込められると、話題を強引に転換するのか?ますます尊敬なんか出来るもんじゃないな」 更に言い募ろうとする少年を、友人達が寄ってたかって抑えると、中年男に詫びて向こうへ引っ張っていった。
満月が雲の切れ目から顔を出す。月明かりに照らされた大通りから一本はずれた路地。そのちょっと奥まった薄暗がりの道を、少年はご機嫌に千鳥足で歩く。 すると突然、目の前に例の中年が姿をあらわした。少年は嫌な顔をしてつばを吐く。 「なんだよ、しつこい奴だな。やっちまうぞ、おっさん?」 「おまえ、どうやって見抜いた?」 「あ?ヅラの話か?なんとなくだよ。まあ、確かに精巧に出来てるから、大抵の奴は気づかないだろうけどな。俺の目はごまかせないぜ?」 「だから、なぜだ?」 「あぁ?うるせえな。勘だよ、勘。俺はな、昔からそう言うのが、なんとなく判るんだ」 「なるほど。人間の勘というのも、なかなか侮れないものだな。貴様は危険だ、この際処分しておこう」 そう言いながら中年男はカツラを取った。いや、取れたのは髪の毛だけではなく顔の皮すべてだ。まるでおもちゃのマスクでも剥ぎ取るように、皮はずるりと外れた。 皮は男の足元に落ちる。 男は少年に向かってげへへへへと笑った。中から出てきたのは、獣のような姿。男の顔はまるで、そう、ねずみだった。 その、ものすごくリアルでグロテスクなミッ@ーマウスは、歯をむき出すと下卑た声で笑いながら、少年に向かって勢いよく襲い掛かってきた。 中年男のような肥えた身体からは想像もつかないほど俊敏な動きは、まさに、ねずみのすばしっこさだ。牙の端によだれの泡を浮かべながら、ぎいぎいと薄気味悪い声を上げて、少年に飛び掛る。 と、次の瞬間、少年はねずみ男を叩き落とし、その首筋に噛み付く。食い千切られたねずみ男の首から、びうびうと血が噴出す。 ねずみ男はしぶとく逃げようとするが、少年はそれを捕まえては放し、明らかにいたぶっていた。やがてついに、ねずみ男の息が止まる。 自分の顔に付いた返り血を舐めながら、少年はにゃおんと鳴く。するとどこからともなくたくさんの野良猫が現れて、あっという間にねずみ男の死骸を食べ尽くしてしまった。 「ありがとよ、兄弟」 少年の言葉に、野良猫どもはあおんと一声応えると、現れたときと同じ様に夜の闇に消えていった。少年は、食い尽くしたねずみ男に話し掛けるかのように、満足そうな顔で独り言をつぶやいた。 「まったく、アレで化けてるつもりなんだから、笑わせるよ。おまえらがどんなに上手く化けたって、俺たちにはすぐにわかるんだ。だいたい、俺のあだ名を聞いてぴんと来ないモンかねぇ?よく言うだろうが?猫は哲学者であるって」 少年は満月に向かってウインクしながら、ほろ酔い加減で夜の街を歩いていった。長く伸びたその影は、街の暗闇の中に溶けてゆく。 モチロン少年は、背中を狙う狼男の視線になど全く気づかない。 |