| 好き?嫌い? |
裏山の一本杉に登って、いちばん下の太い枝にまたがる。ああ、心配しなくていいよ、首を吊るわけじゃないし、木登りは得意だから。 卒業式が終わって一週間。 東京の大学に行くために町を離れるから、最後の見納めに来たんだ。色んな思い出を抱いて、僕は明日から東京でがんばる。新しい生活への希望は膨らむばかりだ。 ただひとつ心残りなのは、あの娘に僕の気持ちを伝えられなかったこと。中学校から六年間、ずっとずっと想っていたんだけど、結局、最後まで気持ちを伝えられなかった。 告白して振られるより、友達としてそばにいることを選んだんだ。臆病者だと言われれば、きっとそうなんだろうね。かといって東京に行く今になって告白するわけにもいかないじゃないか。 だから僕はここに来たんだ。 杉の上から町を見下ろして、僕は胸一杯に息を吸いこんだ。それから大きな声で「好きだ」って叫……べるくらいなら、きっと何年も前に告白できてる。 吸いこんだ息を大きく吐き出してため息をつくと、木を降りようとお尻をずらした。あれ?何かがお尻に当たるぞ?慌ててポケットを探ってみると、出てきたのは一本のナイフ。 子どもの頃いつも持ち歩いていた、僕の大事な片腕だ。これで木を削ったり木の実をもいだりして、サバイバルごっこをしていたんだ。引越しの準備をしているときに見つけて、ポケットに入れたままになっていた。 ナイフを眺めている内に、いいことを思いつく。僕は枝に跨りなおすと、木肌を削りだした。そう、彼女と僕の名前を彫るのさ。いい考えだろう? 名前の上に「ずっと君が好きだ」って彫った僕は、満足して杉の木を降りた。それが、僕がこの町でやった最後のことさ。
それから五年後、大学を卒業した僕は、社会人一年生。可も不可もなく仕事をこなし、終われば同僚と飲みにいったり遊びにいったりして、アパートに帰ってくるのは夜中。まあ、普通の人生を送っていた。 え?あの娘かい? もちろん知ってるよ。彼女も僕に遅れること一年、やっぱり東京に出てきたからね。こっちに来てる何人かの仲間と一緒に、飲みに行ったこともある。 僕が大学で遊び呆けているうちに、彼女には色々あったみたいだ。しばらくぶりに会ったときは、すっかり垢抜けてすごく綺麗になっていたから。自信に満ちあふれた彼女は、キラキラまぶしかった。 僕は気後れしてなにも話せなかったよ。昔、好きだったんだ、なんて言ったら笑われそうだったから。だってその頃には、彼女に言い寄る男たちは大勢いたからね。 しばらくは連絡を取っていたんだけれど、いつのまにか疎遠になっていった。お察しの通り、僕が逃げたのさ。芸能人みたいにカッコイイ男に取り巻かれた彼女に近づくのがつらかったんだよ。 以来、二年ほど、彼女の消息を聞かなかった。 土砂降りの雨の夜、僕のアパートの扉を彼女が叩くまでは。
扉の向こうには、びしょぬれのまま途方にくれた顔で、彼女が立っていた。その姿からは、あの近寄りがたい自信に満ちた様子がごっそりと抜け落ちている。 僕はビックリしながらも、彼女を部屋に上げた。 彼女はすべてに疲れて、実家に帰ったんだそうだ。詳細は聞いていないけれど、いろいろあったみたい。そしてボロボロになり、打ちひしがれて帰ったその夜、それは起こったんだ。 「昨日からの豪雨と落雷で、裏山の一本杉が倒れてね。そのままにしておくと危ないって言うんで、男たち総出で片付けに行ったの。そうしたら杉を片付けに言った弟が、帰ってくるなりニヤニヤしながら言うのよ。どうやら姉ちゃんの周りだって、悪い男ばかりじゃないみたいだぜ?って」 何の話だか気付いた僕は、途中から恥ずかしくて下を向く。 「杉の枝、見に行ったの」 彼女がぽつんとつぶやいた。 「そうか、倒れちゃったのか……」 「うん……」 いろんな思いが頭の中で錯綜する。でも、なかなか言葉にならない。 「向こうはずいぶん変わったのかい?」 「うん……」 僕は大きく息を吸い込むと、なけなしの勇気を振り絞った。 「でも、僕の気持ちはずっと変わってないよ」 彼女はビックリして顔を上げる。僕はその瞳を、逃げないで見つめた。しばらく見つめあっているうちに、彼女の瞳に涙が浮かぶ。僕はゆっくりとうなずく。 僕たちは、どちらからともなく抱き合った。 そして今、僕は彼女と幸せに暮らしている。 そういうわけだから、毎年こんなにつらい思いをしても、僕は杉の花粉が憎めないんだよ。この時期になると、ふたりで鼻をかみながら、この時のことを思い出して笑うんだ。 いったい僕たちは、杉が嫌いなのかな?好きなのかな?ってね。 |