| 最後の仕事 |
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その会社の「研究室」は、研究室とは名ばかりの「吹き溜まり」であった。実体がどうであれ、すくなくとも社内での評価はそう言うことになっている。 もちろん、若く、やる気のある研究員も入ってくるのだが、そのだらけた環境に染まり、一年を待たずしてダメ研究員の仲間入りとなる場合がほとんどだった。 この不景気続き。さすがに社内でも、研究室のことが問題となり、ついにひとつの決断がなされた。つまり、「 大きな成果を挙げなければ、研究室の人員を大きく入れ替える」と言うのである。 「冗談じゃねえよなぁ。いまさら俺たちが営業やれるわけねえだろう」 「でも、それほどすごい新製品なんて、急にできるわけないですよね」 相川と園田主任がぼやいていると、室長室があいて阿武隈(あぶくま)室長が顔を出した。 「おい、だらだらしてるんじゃない。おまえら、営業で成績が残せるわけないんだから、新製品を完成させなきゃクビと同じだぞ?」 それだけ言うと、室長はどこかへ行ってしまった。 「ちぇ、簡単に言ってくれるぜ」 「でも、確かにやるしかないでしょうね」 肩をすくめてぼやいた相川のセリフに、主任以下、研究員全員が、深いため息をついた。 そこへまた室長が帰ってくると、大声で叫んだ。 「ほら、さっさと仕事せんか!」 研究員たちは弾かれたように飛び上がり、各自の持ち場に着こうとする。すると室長はそれを呼び止めた。 「まて。お前らに任していたら、この研究室は本当に総入れ替えになっちまう。俺が仕切るから、お前らはそれに従え。まずは会議室へ集合だ」 やる気のないことでは研究室一番だった室長にそう言われて、全員、強い反感を感じながら、それでもしぶしぶと会議室へ移動する。 「それじゃあ、相川から順番に思いついたアイディアを言ってみろ。いいか? いままでみたいに適当な答えじゃ、今晩家に帰れないと思えよ?」 とりあえず、とっとと家に帰りたいみんなは、今まで一番真剣に会議を始めた。 しかし、そう簡単にいいアイディアなど出るわけもない。 会議は夜更けになっても続けられた。いつもなら一番先に帰りたがるはずの室長が、厳しい顔のまま腕組みをして、会議を仕切っている。 こりゃあ、室長は本気なのかもしれない。 どうやら本気でやらなければ、家に帰れそうもない。 みんながようやく総本腰を入れてきたため、会議は少しづつ白熱し始めた。やがて、キリのいいところで室長が立ち上がる。 「最後の最後で、ようやく会議らしくなったな。しかし、まだまだだ。いいか? 明日も朝一番で出勤してくるように。構想が固まるまで、何日でも会議を続ける」 ようやく会議の終わった安堵と、明日の会議への憂鬱は、みなの脂の浮いた顔に、疲労の影を色濃く落とす。 いつもなら必ず一杯飲みに誘うはずの園田主任も、誰に声をかけることもなく、肩を落として帰路に着いた。
翌朝は、初めからヒートアップした。 若手が意見を述べ、年長者が経験を生かしてその可否を述べる。 年長者が意見を述べ、若手が新しい観点から可否を述べる。 会議は3日連続で行われ、やがていけそうなアイディアがいくつか出された。それを検討し、一番可能性のあるものから順に三つを三班に分けられた研究員が、それぞれ担当することになる。 もちろん分けたとは言っても 基本的なところでは共通の部分も多かったので、三班はお互いの班分けなどにこだわらず、活発に研究成果を公表し、研鑽しあった。 しかし、彼らも人間だ。時々は気を緩めることもある。 するとそこに、室長の嫌味たっぷりの檄が飛んでくる。 若手は若いことを、古株は古いことを、女は女であることを、独身者は独身であることを。仕事とは関係のない、いわれのない中傷をこめたハラスメントを交え、室長は文句を言い続けた。 少しずつ溜まってゆく澱(おり)のように、みなの精神にストレスと言う名の毒がたまり続けた。なかには、胃をやられるものも出てくる。 それでも室長はみなをイビリ、いじめ、尻をたたき続けた。 そして、会社の切った期限のわずか3週間前。 ついに新製品の試作が完成する。社長を含めた重役たちの目の前で、研究員たちはこれまでの成果を発表した。 反応はおおむね良好で、研究室は存続することに決定する。 みな、喝采を叫んだ。 寝食を忘れてがんばった園田主任を、元気な若手たちが胴上げする。 と。 「どうやら間に合ったな。これでわかっただろう? お前らだってやればできるんだ。これからも今の気持ちを忘れるなよ?」 室長が傲慢な口調で言った。 その言葉に、相川がついに堪忍袋の尾を切る。 「そうおっしゃいますがね。あの日から今まで、我々全員、ロクに帰れもしないで仕事したんですよ。園田主任なんて、最後の3ヶ月は家に帰ってないんです。こんなペースでこれからもなんて、できるわけありませんよ」 「それでもやるんだ」 「冗談じゃない! だいたい室長! あなたは何をしたんです? 嫌味を言ってみなのやる気をそいだだけじゃないですか! まさか、自分が叱咤したから、この結果が出たなんておめでたいことを考えてるんじゃないでしょうね?」 「それ以外に、ダメ人間のお前たちがここまでできた理由があるというのか? 今回の一番の功績は私にある」 唖然。 そして。 そのあとに襲ってきたのは、猛烈な怒りだった。研究室の全員が、室長に殺意さえ抱く。 「いい加減に…………」 相川が猛烈に反論しようとした、まさにそのとき。 ごふっ…… 身体を折った室長は、右手を口に当てた。 と。 その指の間から、どす黒いモノが流れ出す。一同は声も出せずに、その赤黒い液体を凝視した。 室長はしばらく苦しそうに咳き込んだあと、なみだ目のまま顔を上げて苦笑いをした。口元に赤黒い筋が幾条か流れている。 「ち、最後まで持たなかったか。意外とヤワだな、私も」 「室長……それは……」 みなを代表するかのように、園田がそう問いかけると、室長は胸のポケットからハンカチを出して口をぬぐいつつ答えた。 「まあ、アノ日ってわけじゃないさ」 いつもの下品な冗談だが、誰も笑うものはいなかった。もちろん、いつも笑わないのとは違った意味でだが。反応のないのに苦笑しながら、室長は相変わらず軽い調子で言った。 「あと一週間だそうだ」 時が止まる。 やがて…… 「な……ぜ……?」 思わずつぶやいた相川に向かって、室長は黙ったまま答えない代わりに、意外に優しい顔で微笑んで見せた。こんな笑い方もできるんじゃないか。相川は現実感なく、そう思った。 誰一人、口を開くものはいない。その沈黙を楽しんできるかのように、室長はにやりと笑ってみなに言う。 「俺だって本当は、お前らががんばったおかげだってわかってるんだ。だからこそ、遠くに行っちまう前に、ま、なんていうのか……餞別代りに、いろいろ憎まれ口をたたいたが、まあそう言うことでカンベンしてくれな?」 みな、下を向いたまま、室長の話を聞いている。 そのうち、女性研究員たちから、すすり泣く声が上がり始めた。 「お前らには、未来がある。こうしてみんなで力をあわせてがんばれば、こんなすごい結果も出せるじゃないか。でもなあ、みんな? 大事なのはこの結果じゃないんだ」 呼びかけられて、みな顔を上げる。相川や園田の目には、熱いものが光っていた。 「この結果を出せたことで得られた、お前たち一人一人の自信。それが一番大事なんだよ。それにくらべりゃ、新製品の一つや二つ、たいしたことじゃないんだ。いや、もちろん今回の結果はすばらしかったが」 うなずく一同を頼もしそうに優しい瞳で眺めながら、室長自信も少し涙声になって声を詰まらせる。 「ちぇ、笑って終わりたかったのになぁ。これ以上ここにいたら、みっともないところを見せちまうな。俺はもう行くぜ? 見送りはいいよ」 「室長、どちらへ?」 その言葉に、いたずらっぽい微笑を浮かべて、室長は言った。 「もちろん、社長に言ってくるのさ。今回の功績は、私ひとりの物ですよってな? はははは」 大声で笑う室長に、ついには泣き出すものまで出てきた。 「おいおい、泣くやつがあるか。俺の冗談がつまらないのは、自分でもわかってるよ。だけど、頼むから、最後くらい笑って送ってくれ」 もう一度、やさしく微笑む室長を、みな泣き笑いしながら送り出した。 そして、 研究室が沈黙に包まれる。 あまりのことに、誰も口を開けない。やがて、ひとり、またひとりと、研究室をあとにした。 相川は帰ろうとして園田と目が合う。 すると園田は真っ赤に充血した瞳をこすりながら、相川に向かって微笑んだ。 「相川。一杯付き合わないか?」 相川も微笑み返しながら、ゆっくりとうなずいた。 二人並んで研究室を出ようとしたとき、相川が突然転ぶ。 「おいおい、大丈夫か?」 「へ、平気です。靴が滑っちゃって。何だろう……あ」 室長が吐き出したものがリノリウムの床の上に、いまだ濡れて光っている。生々しく残ったその跡に、相川の靴は滑ったのだった。 「これは……ひどいなぁ……ねえ、園田さん。室長、ずいぶんと我慢してたんですね。こんなにどす黒い血が…………」 感慨深げにつぶやいた相川の言葉が、途中で切れる。ふと妙な思いに駆られ、相川はその血を指で掬い上げ、鼻に近づける。すると、 わずかに、本当にわずかに、しかしはっきりと刺激臭がした。 あまりのことに固まってしまった相川の その様子で、園田もピンときた。 「まさか?」 相川は振り返ると、驚愕に目を見開いて答えた。 「ええ……これは、塗料です」 その答えには、園田も絶句するしかない。 やがて、相川の顔が少しずつ紅潮して来た。 「信じられない……なんてヤツだ。なにが「あと一週間」だ! あのヤロウ、功績を全部独り占めしやがった! 園田さん! あいつ、本当に社長のところに行ったんですよ! 全部自分の功績だって言いに!」
まさに「一週間後」。 阿武隈室長は「遠くに行く」との言葉どおり、大阪本社に栄転となった。 もちろん、右手に新製品開発の栄誉、左手にその開発スタッフを指揮した功績という、ふたつの大きなトロフィーを抱えて。 |