恋する気持ち

初めて彼女に会ったのは、高校生の時だ。

何でもはっきりとモノを言い、教師にも上級生にも臆することなく、自由奔放に生きる彼女に、僕は恋というより憧憬に近い想いを抱いていた。

クラスのリーダー格の彼女は、いつも一番目立ち、いつも話題の中心にいた。クラスの行事を中心になって引っ張り、理不尽な教師にはたてつき、上級生、同級生、下級生問わず、いつも恋の話題に満ちていた。

彼女は中心的な存在だった。

そう見えた。

見えただけ。

半年もするうちに、彼女がやけに教室内で浮いているような、妙な違和感をぬぐえなくなる。そしてそれは、クラスの女子が話しているのを偶然聞いたときに、決定的な確信に変わった。

彼女は嫌われていたのだ。

どうしてだろう? そう思いながら、教室の入り口のところで女子の話を聞いているうちに、徐々に疑問が解けてくる。

「あの子ってさ、なんであんなに調子に乗ってリーダー面してるわけ?」

「ほんと、ムカつくよね。何かあると勝手に仕切りだすし、そのくせ絶対最後までやらないんだから。この間の文化祭だってさぁ」

「そうそう。勢い込んで劇をやるとか言い出して、自分で主役と監督と全部やるっていったくせに、二三日したらぜんぜん練習に出てこないでさ」

「知ってる? あの子練習してなかったから、本番めちゃくちゃだったでしょ? それなのに、終わってからなんて言ったと思う?
「女優になるのって、意外と簡単かもね。私、女優を目指そうかしら」
だってさ。笑っちゃうよ」

僕はその場を後にしながら、彼女の行動を思い出してみる。

ああ、なるほどなぁ。

つまり、彼女は「劇場型」の人間だったんだ。

彼女のリーダーシップは、みんなのためではなく「人気のある自分」を演じるため。

彼女が教師にたてつくのは、「理不尽な圧力に屈しない、強い自分」を演じるため。

彼女が恋多き女なのは、「男子に人気のある、モテる自分」を演じるためなのだ。

そこにあるのは、リーダーシップでも、確固たる主張でも、純粋な恋心でもない。すべてが観客に見せるための、ポーズ。その観客とは我々であり、そして彼女自身なのだろう。

彼女の行動は、すべて観客を意識し、観客のために行われるものだったんだ。自分以外の人間は、彼女を惹きたてる脇役と、彼女を賞賛する観客でしかないのだ。

そう気づいてから彼女を改めて観察すると、なるほど何かアクションを起こしているときの彼女の顔は、夢見るような、陶酔の表情に他ならない。そして実際の行動と言えば、ただのわがまま。

整った顔立ちと、自信にあふれた様子に目を奪われて気づかなかったが、彼女の世界は彼女の中だけで完結していて、他の人間が主張するもの全てに、関心を持つことがないのだ。

僕のほのかな恋心は、いっぺんに冷めてしまった。

 

就職して一年が過ぎた頃、僕は街中で偶然彼女と再会する。

あの頃から綺麗な顔立ちをしていた彼女は、そこに大人っぽい色気も加わって、ぞくぞくするほどの美人になっていた。

これだけ美しければ、もしや彼女は高校時代言っていたように、本当に女優になっているかもしれないな、と思いながら、僕は彼女に声をかける。

彼女は少しだけ思案したあと、僕を思い出したのだろう。急に顔を輝かせて、元気に両手を振った。見ているほうが驚くほど、オーバーなアクションで。

余談だけれど、こういうオーバーアクションと言うのは、相手の男に「この子は俺に気があるのかもしれない」というような思いを抱かせるため、男をオトす強力な武器になる。あくまで「適度に使うと」だがね。

僕はこの彼女の武器に、一発でやられてしまった。

「こんな綺麗な子が、気さくに手を振ってくれる」

そんなちょっとしたうれしさは、わりあい簡単に恋心へと変化する。男ってのは、単純にできているのだ。少なくとも、この頃の僕はそうだった。

高校生の頃のことなどすぐに忘れてしまい、僕は彼女に夢中になった。

しかし、人間と言うのはそう簡単に変われるものではない。 僕は、彼女と付き合うようになってから、その事をイヤというほど思い知らされることになる。

彼女はやはり女優を目指していた。

が、どんな場所でも自分勝手な人間と言うのは、あまり快く思われない。それでもそれを許されるだけの才能の輝きや、たゆまぬ努力、真摯な態度と言うものがあれば、許容されるものだ。

だが不幸にして、彼女には、そのどれも備わっていなかった。

ただ綺麗なだけの女性なら、この世には幾らでもいる。小さなコミュニティの中で幅を利かすだけならそれでも充分だろうが、世の中に認められるには、それ以上の何かが要るのである。

そんな簡単なことに、彼女は決して気づくことはなかった。

彼女は芽が出ないのを、才能不足、努力不足、忍耐不足とは考えず、「不運」の二文字で片付けて、世の中をハスに見ることしかできない。

それでも僕は彼女を勇気づけ、元気づけ、応援した。

彼女は小さな仕事をもらっては大喜びで出かけてゆき、決まって不機嫌になって帰ってくる。撮影現場で「だたの端役」と言う現実を思い知らされるのだ。

そしてその憂さを晴らすために酒を飲み、僕に当たりちらす。それでも僕は、彼女のそばにさえ居られれば構わなかった。

彼女が女優をあきらめることは、考えられない。なぜなら女優というのは彼女にとって、自分の天職だと思い込んでいる、言わば拠り所なのだから。

けれど客観的に見て、彼女が女優になれるとは思えない。彼女は演じることでなく、演じている自分が賞賛され、愛されることが好きなのだ。それは普通、女優ではなく子供と呼ばれる。

僕は安心して、彼女と暮らした。

「いつか私にチャンスが来て大女優になった時、不遇の時代を支えた恋人として、あなたにも賞賛の声が上がるわね」

そんな彼女の妄想も、笑って聞き流すことができる。そんな時は来るはずもなく、例えチャンスが来ても、彼女にそれをモノにする力がないことは明らかなのだから。

彼女に才能があるとしたら、それは女優としてではなく、作り上げた偽りの自分に酔い続けることができる才能、だろう。

そして僕は、それを悪いとも、醜いとも思わない。

現実に女優として成功すること。自分が才能ある女優だと信じ続けること。自分の感じる誇りや生きがいに、どれほどの違いがあるというのだ?

実際に手にする金や名誉や賞賛と、妄想の中で得られるそれ。 夢をつかむ幸せと、夢を見る幸せ。 幸福であると言うことに、何の違いがあるというのだ?

つらい現実の中で傷だらけになってつかんだ栄光は、すばらしいかもしれない。しかし、それが永遠に続くと言う保証はどこにもないだろう? いや、その前に幾ら努力したって、栄光がつかめる保証はないではないか。

だが、僕が与える幸せや喜びは違う。僕が居る限りいつまでも続くのだ。 彼女と言う女優が演じる、人生と言う舞台を、僕が演出してやる限り、彼女は死の寸前まで主人公のままなのだ。

それの何が悪い?

これが僕の愛し方なんだ。

 

僕は彼女の休む楽園となり、彼女を包む子宮になり、彼女を囲む城壁となった。

彼女は外でどれだけつらい思いをしても、僕の元で癒される。僕の胸で泣き、僕の腕で眠り、僕の言葉に傷を癒しながら、偽りの賞賛と僕の愛に包まれてまどろむ。

彼女は決してここから出ることはできない。 出られる勇気があるのなら、きっと女優として成功しているだろう。

「私は普通の人とは違う」

そんな彼女の勘違いに、僕は最高の笑顔でうなずく。

「君が悪いんじゃない。君を理解できないこの世界が悪いんだ」

僕の言葉に安心して、彼女は今日も眠りにつく。

決してくることのない「その日」を夢見て。

そして僕は、これから先も、ずっと彼女のそばに居るのだ。

最大の理解者として。 強靭な庇護者として。

そして、彼女がこれから演じるであろう物語。

 

その、ただ一人の観客として。


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