キング

その街は眠っている。

砂漠の切れ目、街の入り口からこっちは、どこの墓場でもそうであるように、気温が2、3度低いように感じられる。天を摩すように立つビルディングたちは、朽ち果て苔むした墓石の荘厳さで沈黙している。

街のちょうど真ん中には大きな広場がある。

広場の中心にある、もう噴き出さなくなった噴水のヘリに腰掛けて、キングは静かに酒を飲んでいた。

本当の名前はもう誰も知らない。眠った街にひっそりと息づく人々が生まれる前から、キングはすでにキングだった。

大きな街の残骸に住む人々は、広場を通るといつもキングの前にひざまずき、頭をたれて忠誠の言葉を述べる。キングは鷹揚にうなずいて、持っている杯を軽く持ち上げるだけ。

尊敬と崇拝に囲まれて、キングはいつも上機嫌に笑っている。

キングは宮殿なんかには決して住まない。人々に会うために、いつもこの広場にいるのだ。そして穏やかな微笑をたたえて、人々をいつも見守っている。その姿を見て、街の人々は今日も安心して暮らせるのだ。

キングさえいれば、すべてが大丈夫なのだから。

街は眠ったまま、時は穏やかに刻まれてゆく。

 

キングは神から与えられた力を持っていた。

いや、もちろん本当に神様から貰ったわけじゃない。彼が長い研究の末に考え出した、この世の真理とも言うべき、エントロピーの増大を防ぎ逆行させるための方法論だ。

簡単に言えば、自由に奇跡を起こすことが出来るという、絶大な力だ。

だが、ここは魔法の世界ではなく、現実の世界だ。物理の法則にもあるようにエネルギーは保存され、無から有は生まれない。彼はただ、確率論において可能性を無視していいといわれる確率の事象を、思うままに引き起こすことが出来るのだ。

例えばすり抜け現象。

原子と原子の間は離れているから、あなたが壁にぶつかりつづければ、壁の原子とあなたの身体を構成する原子の全てがぶつからずに、すり抜けてしまう可能性もある、と言う現象のことだ。

こんなことは百回生まれ代わって壁にぶつかり続けても、まず間違いなく起こることはない。だが、それでも確率論から言えば皆無ではないのだ。奇跡的ではあってもゼロではない。

キングはその天文学的な確率の事象を、任意に起こすことが出来るのである。判りやすく言えば、包丁と魚を箱に入れて上下に振るだけで、きれいに盛りつけられたお刺身が出てくるといった具合だ。

まさに現代に生まれた神様と言うしかないだろう。

その力を利用して、キングはキングになった。歴史上初めて、世界統一王朝を築き、その玉座に座ったのである。誰もなしえなかった、全人類の完全なる支配を、たった一人でやってのけたのだ。

キングはあらゆる事をやり尽くした。酒池肉林どころの騒ぎではない。全人類からキングに流れ込む富は、莫大なものなのだから。

もっとも、貧困にあえぐ人々や、戦争に苦しむ人々も同時にいなくなった。種をまけば100%収穫でき、理論的に可能な技術はすべて実際に行うことが出来るのだから、貧富の差を埋めることなどたやすい事である。

世界はキングの元に平等になり……

そして、ゆっくりと死に始めた。

詳しい理由や原因は今もってはっきりとはしないのだが、ひとつ言えるとしたら、生物と言うものは厳しい環境や競争の中にあってこそ、進化し発展するものなのだ、と言うことだろう。

なんでも可能なはずなのに、人々は何もしなくなっていった。充分に満たされ、明日への心配がなくなった時、人類から活力というものが失われたのである。キングと言う絶大な庇護者の下で、人々は安寧をむさぼりつづけた。

人口は頭打ちになり、やがて徐々に下降線をたどる。

一人一人が昔の王様のような暮らしが出来るから、不満も反逆も起こらない。例え反逆したとしても、奇跡の人キングには決してかなわないのだ。ムナしい反抗や努力を続けるには、みな豊か過ぎたのである。

世界が絶望的な倦怠に包まれ、それはやがて永い眠りとなる。

いつのころからか、あちらこちらで砂漠化が進み始めた。それでも気にする者は誰もいない。圧倒的に少なくなった人類にとって、地球は広すぎた。いまや数%の陸地があれば、人類は十分にやっていける。

徹底的に発達した通信網と自動輸送システムによって、人々は家から出なくても済むようになった。ひとりあたりの陸地の占有面積は気が遠くなるほど大きくなり、オモテを歩いても誰かに会う確率はゼロに等しい。

人類はみんな引きこもってしまった。

そろそろまずいんじゃないか?と思う人間も幾人かはいたのだが、彼らとて「じゃあ、昔のようにひしめき合って暮らしたいか?」と訊かれれば沈黙せざるを得ない。人口は加速度的に少なくなり、やがて世界で一千万人を切る。

そして、そこで減少は止まった。これが本来の人類の理想的な分布なのだろう。余った土地は砂漠化やジャングル化が進み、地球は緑に包まれた本来の姿を取り戻す。

争いも、飢えも、貧困もなくなり、ひとびとは支配者を必要としなくなった。生きてゆくのに何の心配も要らないのなら、団結も支配も必要ないのだから当然だ。

それぞれの趣味をお互いに見せびらかすためだけに交流し、自分の食べる分だけを、自分の広大な土地で作り育てた。収穫や飼育はロボットを筆頭とするハイテクマシンが引き受けてくれる。

かつて「街」と呼ばれ、人類がひしめき合っていた場所は、次々と眠りにつき、自己修復型の機械たちだけが、主人のいなくなった街を守りつづけている。

 

キングの前を今日も街の人々が通り過ぎてゆく。

みな彼に忠誠を誓う、キングの可愛らしい子供たちだ。

人類に必要とされなくなったキングは、その奇跡の力を利用して新たな人類を創り出した。森に住んでいた霊長類を、意図的に進化させたのだ。

オランウータン、チンパンジー、ゴリラなどと呼ばれていた下等霊長類は、ものすごいスピードで進化し、爆発的に増え始めている。

極端に離れて暮らす人類たちがこのことに気付くのは、まだまだ当分先だろう。そのころには、新しい人類が大きな力を持つようになるに違いない。

やがて彼らは、お互いに争い始める。忌まわしい戦いの歴史が、また繰り返されることだろう。人類とは、戦争する霊長類のことを指すのだから。

いまや圧倒的に少なくなった古い人類が勝つか、それとも新しく生まれた何種類かの人類が勝つのか、そればかりは神のみぞ知るところだ。

まあ、キングにとっては、とにかく、またたくさんの人々がひしめき合って暮らすようにさえなってくれれば、どちらでもいい。

人類はキングを必要としなくなったが、王様には家臣が必要なのだ。

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