| 君を信じて |
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どうしようもなく緊張が高まる。 しかし、まあ、無理もない。ハンス・シュナイダーが故郷の土を踏むのは、実に3年ぶりのことなのだから。それも、物見遊山や錦を飾りに帰ってきたわけではない。 いや、ある意味錦を飾るといってもいいかもしれないが、それでも彼の肩書き、新政府の高官という公式の肩書きではなく非公式のものは、非常に悪意に満ちたものなのだから、緊張するなと言う方に無理がある。 「裏切り者」 それがハンスの非公式の肩書きだ。 戦争が始まると同時に、ハンスは故郷を離れてアメリカに渡ったのである。もちろんハンスなりの目算があってのことなのだが、傍(はた)から見ればこれはもう、戦渦に巻き込まれることを恐れて逃亡したと言われても、致し方ないだろう。 戦争自体は、正味数ヶ月で終わった。 国連軍と言う名のアメリカ軍によって独裁政権は倒され、アメリカ主導で設立された暫定自治政府は、この春、ついに正式な新政府となった。 そして、人的資源の少ない新政府は、海外で高い教育を受けてきたハンスのような海外脱出組へ、新政府の高官を条件に帰国を打診してきたのである。 ハンスとて故郷を捨てたわけではない。むしろ離れたところで故郷の戦乱を聞くたびに、ひどく胸を痛めていたのである。 しかし、戦争が長く続かないことを読んでいたハンスは、むしろその後の混乱を早く収めるための方法として、海外で知識とコネクションを手に入れるために、あえて外でがんばっていたのだ。 「アルバートは理解してくれるだろうか」 ついに故郷の土を踏むにいたり、最初に気になったのはやはり、昔ともに学んだ親友、アルバート・キルヒアイスのことであった。 アルバートは海外へ逃れることを良しとせず、独裁政権を倒すために、故郷に残った。もちろん今では戦時中の貢献を買われ、新政府の軍部の高官となっているはずである。 しかし、彼が海外へ逃れたハンスのことをどう評価しているかは、まったくわからない。新政府とはいえ、現実にはアメリカのコントロール下に置かれている状況では、なかなか海外まで情報が流れてこないのだ。 ハンスを乗せた飛行機は空港に到着した。 タラップをおり、ハンスは大きく深呼吸する。故郷に帰ってきた感慨に胸が熱くなり、言葉が口をついて出る。 「ああ、帰ってきた」 「まったく、恥ずかしげもなく、良くぞこの地を踏めたものだ」 鋭い声に振り返ると、真新しい軍服に身を包んだアルバートが、射殺そうとばかりの鋭い視線をハンスに向けて放っていた。 「ア、アルバート」 「気安く呼ばないでもらおう、この裏切り者め」 激しい口調のアルバートに、共にハンスを迎えに来ていた新政府の文官が、あわてて口を挟む。 「口を慎みたまえ、アルバート・キルヒアイス大佐。ハンス・シュナイダー国務局長は君の上司になるのだぞ? そして、君の新政府軍軍人としての最初の任務は、局長の警護だ」 アルバートは無表情のままハンスをにらみつけている。と、次の瞬間には完全に形式だけの敬礼をすると、踵(きびす)を返して足音高くその場を去っていった。 「申し訳ありません、シュナイダー局長。どうも戦争屋のほうは帰国組をよく思わないものが多いものですから」 「ええ、無理もありません。彼ら戦ってきた者から見れば、私は祖国を逃げ出した臆病者でしょうからね」 「もちろん、われわれ文官のほうは、あなた方が先見の名を持ってこの国から一時的に避難したのだ、という事をよく理解しています。ご安心ください」 こびるような笑顔を見せる文官に微笑むと、ハンスは彼に案内されて政府本部の置かれているビルへ向かう。 本部ビルの会場は、帰国組の新高官たちを迎えるセレモニーへの参列者でごった返していた。やってきたハンスを愛想良く迎えてくれたのは、当然のごとくほとんどが文官である。 もちろんそこに、この先おそらく中枢に近いところでこの国を動かしてゆくであろうハンスに、今のうちからコネクションを作っておこうという打算があるのは言うまでもない。 ハンスは訳知り顔で近づいてくる文官たちより、忌々しそうな顔を隠そうともせず、はっきりと敵意を見せている武官たちのほうに、むしろ好感を覚えた。少なくとも彼らは、己の命を懸けて戦ってきたのだから。 形式ばった挨拶も済み、歓談の時間になる。 と、待ってましたとばかりに、ぞろぞろと帰ってゆく軍関係者のそばで、自分はハンスの警護のためにこの場を離れられないでいるアルバート・キルヒアイスの顔を見つけると、ハンスはしばらく逡巡した後、意を決して近寄って行った。 近づいてくる帰国組の新高官に、アルバートの周りの人間は、警戒した表情を見せる。そのうちの一人が、明らかな侮蔑の表情を浮かべながら、バカ丁寧に頭を下げた。 「これはこれは、新国務局長様におかれましては、われわれのごとき野蛮な戦争屋に何か御用でも?」 皮肉な嘲笑を方頬に張り付かせた軍人には目もくれず、ハンスはアルバートに向かって声をかけた。 「アルバート……少し話がしたいんだが、いいかな?」 「ご命令とあらば、国務局長様」 「おやおや、大佐。もしかしたら亡命のお誘いかもしれませんぞ? その節は私めもご一緒にお連れくださいますよう、勇敢なる国務局長閣下にお伝えください」 仲間が言ったハンスへの強烈な当てこすりに、アルバートは声を上げて笑った。しかしその笑いが少々わざとらしいのを自分でも自覚できたのか、急に不機嫌に黙り込むと、ハンスと共に会場を後にする。 後ろからは、まだ、からかいの言葉が投げかけられていた。 「ここらでいいだろう」 ハンスがアルバートをつれてきたのは、会場の近くにある休憩室だった。文官はコネクション作りに忙しく、武官たちはさっさと帰ってしまっていたので、休憩室には誰もいない。 「それで? いったいどういうお話でしょうか、局長閣下」 「もう、やめてくれないか、アルバート。私は君の誤解を解きたいんだ。あのころのように、ハンスと呼んでくれ。それとも、ほかの軍人たちのように、君も舌戦を持って私を非難するつもりなのか?」 アルバートは無表情を崩さずに、しばらくだまったまま何か考えていた。と、突然部屋の中を調べ始める。何事かと見守るハンスを尻目に、やがて何事か調べ終えたアルバートは、にっこりと笑って言った。 「どうやら盗聴の危険はないようだ。ここなら腹を割って話せる。お帰り、ハンス。久しぶりだな? 空港での一件は、まあ許せ」 その言葉に得心したハンスは、大きく胸をなでおろし、心底うれしそうに笑った。 「よかった。君までも私を誤解して、怒っているのかと思ったよ」 「お前がこの国を出たわけならわかっているさ。戦争で疲弊したこの国を戦後の混乱から速やかに復旧させるために、あえて裏切り者の汚名を着てまでも、国外脱出を図ったというのだろう? 外国との連絡役やコネクションを作るために」 的確な指摘に、ハンスはうなずくしかない。 「ハンス、見くびるなよ? 俺がそんなこともわからない石頭の軍人だと思ったか? お前が国外へ逃亡したと聞いたとき、俺にはお前の考えなど手にとるようにわかったさ。ああ、苦労性のハンスのやりそうなことだってな」 ハンスは涙さえ浮かべそうな顔で、何度もうなずいた。 「ありがとう、ありがとう。君がわかっていてくれるなら、もう、何も望むものはない。私はその事実だけで、なんと言われても平気な顔で仕事を進めることができるよ」 「だがな、軍部のほかの連中は、そうも行かないんだ。みんな海外へ逃げて安全な場所に隠れていたやつらが、いまさら出てきて高官の地位へつくのを、面白く思っていないんだよ」 「まあ、そうだろうな。しかし、こればかりは、今後の仕事で結果を出して、理解と信頼を深めていくよりないだろう」 「そんな悠長なことは言ってられないんだ!」 アルバートの強い口調に、ハンスは驚いて黙ったまま彼を見つめた。 「ハンス、心して聞いてくれ。軍の下のほうの連中は、君たち帰国組の高官の暗殺を考えているんだ。命を懸けて戦った自分たちより、隠れていた君たちがいい暮らしをするのが気に入らないんだ よ」 「そんなバカな。われわれだって国のために……」 「だめだよ。それがいくら正論だとしても、膨れ上がった彼らの感情を抑えることは非常に難しいんだ」 ハンスは黙り込んでしまった。もちろんきつい風当たりは予想していたが、まさか暗殺などというところまで反感が大きくなっているとは思わなかった。いったいどうしたら。 「そこで、我々心ある軍関係者の一派が、一計を案じた。帰国組を代表して、君に死んでもらうということだ」 「な、アルバート? 君はいったい……」 「おいおい、あわてるなよ。何も本当に死んでもらおうというわけじゃない。暗殺があったかのように、ひと芝居打ってほしいんだ。君の暗殺後に、尻尾をだすだろう反対派を、一気に片付ける作戦さ」 「なんだ、芝居か。脅かさないでくれよ」 胸をなでおろすハンスに向かって放たれたアルバートの次の一言は、さらにハンスの心臓を縮み上がらせた。 「だが、仮死状態になるような薬を飲んでもらうことにはなる」 「なんだって? 危険じゃないのか?」 「もちろん、かなり危険だ。しかし、医師団の中にも、暗殺計画に加担しているものがいるかもしれないんだ。中途半端な芝居では、すぐにぼろが出てしまうだろう」 「しかし……」 「薬を飲んで仮死状態になったところで、三人の医師の検死がある。そのあとは私の信頼する医師に君を引き取らせ、そこで蘇生してもらう手はずになっているんだ」 「そこまでしなくてはならないのか」 「ああ、君には申し訳ないと思っている。しかし、これも国のためだ。この機会に、すぐに感情的になって直接行動に出るようなバカ者どもを、一掃してしまおうと思うんだよ。君にはぜひ協力してもらいたい」 しばらく考えていたハンスは、やがて力強い笑みを浮かべてアルバートに手を差し出した。 「わかった。協力させてもらうよ」 二人はがっちりと握手を交わした。
それから二人は、あえて人前では犬猿の仲を演じた。どこに暗殺者の仲間がいるのかわからないのだから、当然のことである。 ハンスはアルバートを無知でおろかな戦争屋とののしり、アルバートはハンスを臆病な売国奴と責め立てた。 やがて、決行のときが来る。 大統領の誕生パーティの夜、ハンスは挨拶の壇上に上がった。壇上の隅には、居並ぶ高官に並んでアルバートの顔が見える。心なしか緊張し、青ざめたその顔を見たハンスは、改めて背中に寒いものを感じた。 そう、今夜この席で乾杯の音頭を取ったハンスは、シャンパンに仕込まれた薬によって仮死状態になる予定なのである。 ハンスは何度も読んで諳(そら)んじてしまった挨拶を述べながら、頭の中で計画のおさらいをしていた。 挨拶も終盤に差し掛かり、ハンスは相変わらず自動的に挨拶を述べながら、こっそりとアルバートを盗み見る。真っ青な顔をしたアルバートが、ゆっくり小さくうなずくのを確認した。 そこで、ハンスの頭にひらめくものがある。 まてよ? どうしてあいつはあんなに青い顔をしているんだ? そりゃもちろん、緊張しているからだ。失敗すれば帰国組を暗殺する連中が後を絶たなくなるのだから。 アルバートの地位さえ揺るがしかねない、大問題に発展する恐れがある。緊張して当然だ。 果たして本当にそうなのか? もしかしたら、アルバートこそ、その急先鋒なのではないか? まてまて、何を考えている、ハンス。落ち着け。アルバートが反帰国組の代表みたいになっているのは、こちらの作戦じゃないか。 しかし、その作戦を知っているものが、本当にほかにもいるのか? もしかしたら、これは私を暗殺するための作戦なんじゃないか? なんでわざわざこんな手間ひまをかける必要がある? もちろん、暗殺するだけなら、こんな手間をかける意味がない。ではなぜ? やはり、私の考えすぎか? いや、しかし、反帰国組のリーダー的立場となってから、アルバートは急速に軍部での力を伸ばしている。もしかして、これこそアルバートの考えた筋書きなんじゃないだろうか? この芝居によって私は、アルバートに責め立てられても、 彼を陥れるような工作を、一切やってこなかった。もちろんあくまで対立しているように見せかけはしたが、しかしそれはすべて芝居だった。 だからこそアルバートは、私を思う存分ののしりながらも、私からの反撃を恐れることなく、下士官たち我々に反感を持つものを掌握できたとも言えなくはないか? だが、本当 に私を暗殺してしまっては、アルバートが真っ先に疑われることは間違いない。少なくとも警備責任者としての責任を問われることは明白である。だからこそ、アルバートは私の暗殺を防ぐために、日夜努力していたではないか。 まてよ? だからこそ今日、なのではないだろうか? 普段、彼には私を守る責任がある。しかし自分自身も賓客として呼ばれ、私の警護に責任のないこのパーティの席上でなら、彼の経歴を傷つけることなく暗殺できるではないか。 そう思ってアルバートの顔を見てみると、何事かたくらんでいるように見えないこともない。 それじゃあ、このシャンパンに入っているのは、本当に毒…… しかし、もしこれが自分の勘ぐり過ぎで、毒など入っていなかったとしたら。 ここで飲むのをやめたら、せっかくの作戦が水泡に帰してしまう。 その上、アルバートとの信頼関係も崩れ、今度は本当に彼と対立してしまうことになるだろう。今や軍部でも一二を争う陰の実力者である彼と…… いったいどっちなんだ? 毒は入っているのか? いないのか? アルバートは私を裏切ったのか? 私の勘ぐり過ぎなのか? 用意してきた挨拶はとうに終わってしまった。みながシャンパングラスを持って乾杯に備えている。 ハンスはその壇上で脂汗をたらしながら、いつまでも立ち尽くしていた。 |