| 彼らの決断 |
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神の声を持つ男。 それがセルゲイの通り名だ。その名の通り、セルゲイの声はすばらしい。優しく甘く、それでいて包み込むような包容力と説得力のあるその声は、声優学校にいたときから評判だった。 そして学校卒業と同時に、彼にはすばらしい役が与えられる。歴史的大人物の声だけに、ある程度の批評は予想されていたのだが、しかし、人々は喝采を持って彼の声を迎えた。 作品は世界中にセンセーションを巻き起こす。 天才声優 セルゲイ、ここにあり。 しかし、その役があまりにも完璧だったため、人々の彼に対する印象はその役に固定されてしまった。 セルゲイの声はイエス・キリストの声。 さて、ほかの役をといったところで、神の声に普通の人間の声を演じられるわけもない。いや、セルゲイの才能はすばらしかったが、もはや彼の声は、人間を演じることを許されなかったのだ。 彼は天才であり、大御所であり、そして仕事のまったく来ない、ひとりの哀しい声優だった。 そんな彼に、仕事が舞い込む。 喜び勇んで訪れたスタジオには、男が二人待っていた。陰湿な瞳を銀縁メガネの奥に光らせる痩せぎすの男と、にごった瞳を大量の肉塊に埋もれさせた、大男のふたりだ。 「おお、セルゲイさん。神の声を持つ男。よく来てくれた」 表面上は愛想良く、しかしその裏に腹黒いものを隠しながら、太った男が笑いかけてくる。 「さっそくですが、仕事にかかっていただきたい。あなたの神の声で、人々を救っていただきたいのだ」 どこを叩けば「人々を救う」なんて言葉が出てくるのか見当もつかないような酷薄な表情のまま、やせぎすの男が促す。 セルゲイは促されるまま、録音スタジオに入った。
いいかげんに、認めたらどうだ。 おまえは、矮小な人間だと言うことを。 悲惨な事件で愛するものを失った人。その姿を哀れんでおまえは涙を流しているのか? 違う。 社会を揺るがす深刻な問題をはらんだ事件。だからおまえはその問題を真剣に語るのか? 違う。 おまえが涙を流すのは、哀れむ心を持つ自分を演出するため。 おまえが真剣に語るのは、真剣な自分を演出するため。 なぜ、そんなマネをするのか。 自分が有用な人間ではないという事実から、目を背けたいからだ。 おまえは決して認めたくないのだ。誰からも必要とされてないという事実を。おまえの代わりは何人でもいるという事実を。 人生が つらい? 仕事が大変? だが、心の底では判っているはずだ。おまえよりずっとつらい人がいることを。大変な人がいることを。 同情をひきたい訳ではない? ああ、もちろんそうだろう。おまえの本心は、もっと狡猾なのだから。 おまえは同情をひきたいのではなく、がんばっている自分を演出して、これほど忙しいのは、これほどつらいのは、自分が必要とされているからだという結論を引き出したいのだ。 そう、おまえは確かに、人を騙そうとはしていない。 もっとたちの悪いことに、おまえが騙そうとしているのは自分自身なのだ。いつもいつも、なんどもなんどもそんなことをしているものだから、いつの間にか自分自身で信じ込んでしまっているのだ。 でも、はっきり言おう。 おまえは必要とされていない。 おまえは決して有用ではない。 おまえなど、いてもいなくても、この世界は髪の毛一筋もゆるがないのだよ。 では、どうして誰もそれを指摘してくれないのか? おまえの周りの人間も、おまえと同じだからだ。 みんな、自分は違う、自分は人に必要とされている。そう思い込んでいるだけなのだ。思い込みたいだけなのだ。 おまえは、心を病んだり己を傷つけるものを哂(わら)い、または嫌悪する。 なぜ 哂い、憎むのか。 彼らは気づいてしまった。彼らは疑問を持った。彼らは自分自身を正当に評価し、その評価に耐え切れなかった。だから、彼らは心を病み、自分を傷つける。 だが、おまえは気づいていない。疑問さえ持たない。ほかの人間の欠点を見て、自分は違うと豪語するほど、鈍感で愚か者なのだ。だから、彼らを哂い蔑むのだ。 しかし、意識の底の方では、おまえもわかっている。彼らのほうが繊細で、彼らの方が正しくて、彼らのほうが無垢であることに。 だから、彼らを不愉快に思うのだ。 だから、彼らを愚かに思うのだ。 彼らを肯定してしまっては、おまえが存在できないから。 彼らが正しくては、おまえは明日から生きてゆけないから。 幾重にも衣を付けて、己を偽り、狭く小さな世界でひざを抱えて丸まっている。それがおまえの本当の姿なのだよ。 安いてんぷらのように、衣をはがした後に残るのは、尻尾と同じくらいの大きさしかない、本当のおまえなのだよ。 哀しいな? 哀しくて仕方ないな。
希望に満ちた歌を、お前は歌う。 前向きで明るい歌を、おまえは愛する。 その歌詞に自分の人生を安っぽく重ね、共感し、歌う者を自分の理解者だと勘違いして、カラオケのリモコンを押すのだ。 もう、気づいてもいいだろう。 歌っている者も、おまえと同じく欺瞞に満ちた人間なのだ。明るい未来は現在の努力が作るのだ。根拠のない前向きさは、ただ、愚かなだけなのだ。 しかも、すべてを認めて、そこから始めたとしても、それでも必ず未来が開けるとは限らない。 運命なんて安っぽい言葉で片付けてもらっては困る。 おまえの現在は、おまえの過去が作ったんだ。 おまえの未来は、おまえの現在が作るんだ。 「いつかどうにか」ならないんだ。 ただ前を向いていれば、すべてがよくなるなんて幻想だ。 こう言うとほら、今度は開き直るのだろう? 一度の人生、悔いなく。 自分がよければいい。 誰にも迷惑はかけていない。 生きたいように生きるだけ。 わかった、わかった。まったく、自己弁護にかけては、おまえは天才的だよ。いままで得てきた知識、経験、そのすべてを自己弁護と自己憐憫に費やすその勇気と才能には、脱帽させられる。 でも、そうして開き直って、かりそめの安心を手に入れても、おまえを取り巻く状況も、おまえ自身も、何一つ変わってはいないだろう? そう、何をどう理屈つけたって、おまえが必要じゃないということは変わらない。 世界はおまえなしでも成り立ち、時間はおまえがいなくても流れてゆく。 世界というのが人間の作るものである以上、能力のない者はそこでただ生かされているだけなのだ。養豚場の豚以下の、つまらない存在。 それがおまえなのだ。
おまえには、なにもない。 生まれ持った才能も、積み重ねてきた結果も、なにひとつ。 世界を構築することもなく、世界を破壊することもなく、おまえはただ生まれ、生き、死んでゆくのだ。 消費し、汚染するだけの、役立たず。ただのたんぱく質の塊でしかないのだ。 そろそろ、認める気になったか? それならば、道は三つだ。 今までのように、これからも無為無駄に、ただ存在するか。 すこしでも何かの、誰かの役立つために、存在を終わらせるか。 偉大な目的の礎(いしずえ)となるために、神に帰依するか。 最初で最後の、決断の時だ。 おまえ個人の、審判の時だ。 さあ、どうする?
「すばらしい。私のような人間まで、思わず悔い改めたくなりましたよ。あなたの声は、確かに神の声だ」 太った男は 満足そうにそう言うと、芋虫のような指の並ぶ手を差し出す。セルゲイは嫌々ながらも握手をした。 「この仕事に関しては、他言無用でお願いします」 やせぎすの男の言葉に、セルゲイは貯まっていた疑問をぶつけた。 「いったい、これはなんなんです? 世界を救うとは、どういうことですか? あなた方は、いったい何をするつもりなんですか?」 その言葉にしばらく逡巡した後、男達は答えた。 「つまり、あなたの説得力のある声で、若者の不安をあおるのです。そして、我々の示した神に帰依させるのです」 「新興宗教の宣伝ですか?」 男達は薄笑いを浮かべた。 「あなたは自分の声の説得力を、過小評価しているようですね? これは宣伝じゃありません。武器ですよ。われわれのような海千山千の悪党でさえ、あなたの声には引き込まれる。まして若者達なら、ひとたまりもありません」 「そうです。何でも持っている若者達に、おまえの持っているモノはすべてニセモノだと思わせる。では、本物はどこに? そう、われわれの作る宗教の中にある」 なんという下種な男達だ。しかし、セルゲイは何も言わなかった。彼の声が、数千人の若者を不安にし、恐れさせ、そして救う。魅力的な話だ。 セルゲイは大きく息を吸うと、にやりと笑いを浮かべて言った。 「録音した声だけで、うまくいくと思いますか? 私なら、その場に応じてどんなセリフでも言うことができますが?」 あっけに取られた二人の男は、やがてこの上なくいやらしい笑みを浮かべて、セルゲイに右手を差し出した。これ以上ない協力者を得た喜びをあらわしながら。 今度はセルゲイも、喜んでその手を握った。
「さあ、どうする?」 セルゲイの言葉に、若者達はざわめく。 舞台の袖では、太った男とやせぎすの男が、成功を確信してニヤニヤ笑い。目の前にいる数千人の若者達は、これから彼らの下僕となり、手足となり、金の卵を産むガチョウとなるのだ。 セルゲイはにやにやと笑いそうになるのを必死にこらえ、厳粛な顔で若者達の反応を待った。 と、一人の若者が歩み出る。 「すべて、お見通しだったんですね?」 セルゲイは貸衣装の法衣をひるがえし、はったりを利かせてゆっくりとうなずいた。すると若者は、頭を抱えてしゃがみこむ。 「ああ、なんと言うことだ! なんと言うことだ!」 絶望のうめき声を上げる若者。成功は目の前だと思われた。 その矢先、若者は拳銃を取り出す。驚いてあとずさるセルゲイの前で、彼は取り出した銃を口にくわえると、止めるまもなく引き金を引いた。 くぐもった銃声とともに、若者の頭が吹き飛ぶ。 同時にあちこちで絶望の悲鳴があがった。銃を持つものは銃で、ナイフを持つものはナイフで、自らの命を絶ち始めた。 思わぬ事態に呆然とする大人三人の前で、集まった若者の大半が自殺してしまうまでに、ものの数十分しか要しなかった。 残った若者達は、悲鳴を上げて逃げてゆく。 やがて。 残された三人は、言葉もなく立ち尽くしていた。 長い沈黙。 ようやく太った男が口を開く。 「いったい、どうしたんだ? 確かに彼らは動揺し、今までの自分に疑問を持っていたように見えたのに」 その声に、やせぎすの男が力なくこたえた。 「彼らにはそのまま生きるという厚顔さも、神に帰依してこれからの人生を変えるガッツもなかったんだ。甘やかされ、実際以上に持ち上げられて生きてきた彼らは、絶望と同時に、生きる気力も失ったんだろうよ」 太った男が忌々しげに舌打ちする。 「なんてことだ。ガキどもがそこまでだらしないとは」 そしてまた、口を閉ざした。 沈黙の中、三人はそれぞれの思惑に沈む。 そして。 「なあ」 三人いっしょに口を開いた。そして同時に、それぞれが同じことを考えていたことに気づき、苦笑する。セルゲイが代表して言った。 「老人なら、うまくいくんじゃないか?」 男たちは、うなずいて答える。 「そうだな。それに老人の方が金を持っているだろう」 「あんたの神の声、このまま眠らせるには惜しいからな」 お互い見つめあった後、三人は同時に笑い出す。 ガランとしたホールの中、笑い声はいつまでも響いていた。 |