| 炭焼き十兵衛 |
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小さな炭焼き小屋全体を震わすほど激しい雷鳴にあわせて、日本刀の切っ先が作る影が、ゆらゆらゆれる。 もっとも、刃先がゆれているわけではない。ゆれているのは、それを照らすろうそくの炎だ。清廉な輝きを放つその刀身に、男の顔が映っている。男は、じっと刃先を見つめているが、その瞳に狂気はない。 あるのは、ただ純粋な決意だけ。 「人を斬る」その決意の意味する重さに押しつぶされそうになりながら、それでも、唇を噛み締めて、手に持った日本刀の切っ先を見つめている。炭を詰めた俵に腰掛けて、男はいつまでも微動だにしないでいた。 男の名は柿割十兵衛(かきわりじゅうべえ)。 昨日まではただの炭焼きだった。 そして今は……
それは数日前のことだ。 炭焼き小屋の扉はもともと立て付けが悪かったのだが、その日は特に重たかった。と言うより、中に何か重たいものでもあるかのように、途中から動かないのだ。 「炭俵が倒れたかな?」 と思いながら十兵衛が力任せに扉を開けると、炭俵よりはるかに厄介な代物が足元に転がった。 「うわ!」 ビックリして飛びのいた十兵衛の視線の先には、人が倒れていた。ボロボロで血だらけの甲冑を身にまとった侍である。 「落ち武者か? おい、生きてるか?」 十兵衛はつぶやきながら、薄気味悪そうに近寄る。 戦場から逃げてきた落ち武者が、民家の土蔵や炭焼き小屋など人気のないところにもぐりこみ、そのまま死んでいると言うのは、まあ、よくあることなのだが、しかし、よくあるからと言って楽しい話ではない。 「戦をやるのは勝手だが、こんなところにもぐりこんで、死なないでほしいよなぁ」 正体がわかってしまえば、どうと言うこともない。驚きや気味悪さよりも、メイワクだと言う思いのほうが強いのは、いつも死体を片付けさせられる、十兵衛たち村の人間に共通する正直な気持ちであった。 とりあえず、このまま炭焼き小屋に遺体を転がしておくわけにもいかない。十兵衛は遺体のわきに手を入れて、えいやっと持ち上げた。 と、そのとき。突然遺体が動いた。いや、遺体が動くはずはないから、落ち武者はまだ生きていたのだろう。「ひゃっ!」っと叫んで十兵衛が飛びのくと、武者は甲冑を着たまま、のそりと動いた。 「ここは……?」 あたりを見回す落ち武者の態度に、理性的なものを感じ取った十兵衛は、少し落ち着いてきた。 話がわかる冷静な男なら、こちらもいきなり襲い掛かったりする必要はない。出て行ってもらうなり、それ以外の選択肢なり、話し合う余地があるということだ。 「俺の炭焼き小屋だ。気付いたんなら、出てってもらおうか……と言いたいところだが、その様子じゃそうもいくまい。怪我が治るまではうちに居ていい」 迷惑がっていたわりに十兵衛が親切なのは、傷が治るまで面倒を見て、そのあと、お礼代わりに働かせようという魂胆があるからである。 十兵衛の言葉にようやく自分の身体を省みる余裕が出たようで、男は甲冑を脱いであちこちを点検し始めた。やがてそのままの体勢でぼそりと 「いや、この血は返り血だ。私の身体は何ともない」 と独り言のようにつぶやく。それから顔を上げて十兵衛を見た。臨時の労働力のアテが外れた十兵衛は 「じゃあ、なんで気絶してたんだよ? 身体がなんでもないなら、今すぐ出て行ってくれ」 と嫌味を言おうとして、固まってしまった。なぜなら男は十兵衛の顔を、まるで幽霊でも見るように凝視していたのだ。唇から、 「う、右近様…?」 と声が漏れていることさえ、気付いていないようである。まさに、茫然自失といった体(てい)であった。男のただ事ならない様子に、 「これは、斬られる」 と勘違いした十兵衛は、慌てて炭焼き小屋から飛び出そうとした。すると男は 「しばらく、しばらく!」 と両手を上げてそれを制す。それからまたじっくりと十兵衛の顔を眺めた。 「しかし、よく似ている」 それから、急に自分を取り戻すと、慌てて頭を下げた。 「いや、失礼した。あなたの顔が私の知っている人物に、あまりにも似ていたものだから」 「右近なら、俺の父親だ」 十兵衛がそう言うと、男は飛び上がって驚く。その取り乱しっぷりは、先ほどの比ではない。 「な……それでは、あなた様が!」 男は慌てて座りなおし、平伏する。今度は十兵衛が驚く番だ。 それはそうだろう。炭焼きに平伏する武士など、聞いたことがない。十兵衛はどうしてよいのかわからずに、その場に呆然と立ち尽くしていた。 「拙者は、嵐山家家老、御剣万代(みつるぎばんだい)と申すものでございます。お父上の嵐山右近(あらしやまうこん)様は御息災でございましょうか?」 「ごそくさ……ああ、元気かってんだね? いや、死んだよ。おととしの冬に、病にかかって死んじまった」 その言葉に、万代は大きくため息をついて頭を下げた。 「それは、残念なことでございます。して、ひいらぎ……お母様は? お元気でいらっしゃいますか?」 「元気だよ。今は、俺とおっかあの二人暮しだ。ところで、どうやらあんたは勘違いしてるようだ。俺のオヤジは柿割右近だ。嵐山なんてご大層な苗字じゃねえよ。もっとも、苗字があるって事は、昔ぁどこぞの武家につかえていたのかも知れんがね」 十兵衛の言葉にしばらく考えていた男は、やがて何かに思い当たったのか、顔を輝かせて答える。 「かきわり……あぁ、なるほど! いや、間違いございません。お父上こそ、嵐山右近様でございます。右近様が御家をお出になる時、庭の一抱えもある柿の木を名刀雷電の一太刀で、袈裟懸けに一刀両断した話は、拙者も聞き及んでございます」 もう、十兵衛は唖然とするしかない。 そんな彼には構わず、男は十兵衛の手を取り、「嵐山家の受けた恥辱」とやらを、延々と語り始めた。そうこうするうち、ようやく自分を取り戻した十兵衛は、なおも話しつづけようとする万代を制して言った。 「取りあえず、怪我がないなら、俺の家まで行こう。おっかあに会えば、すべてははっきりするだろう」 「そ、そうですな。いや、あいわかりました。お供させていただきます」 「お供……ねぇ……なんだか、やりづらいな」 十兵衛は苦笑しながら、万代を従えて山を降りた。
母親の前で平伏している万代を見ながら、十兵衛はなんだか嫌な予感を思える。 貧しいながらも母とふたり、平和に暮らしている。そんな平穏な暮らしが、もしかしたらこの男の登場によって、ぶち壊されてしまうのではないだろうか? まだ母には告げていないが、十兵衛には思い人がいる。おなじ村の娘で今年21になる、お春だ。お春のほうも十兵衛のことを憎からず思っていてくれるようで、ふたりは時々村はずれの湖で逢瀬を重ねていた。 しかし、お春は十兵衛より四つ年上だし、十兵衛も貧乏炭焼きだ。ただでさえ色々と面倒が多そうで、十兵衛には悩みが尽きないのである。そこへ持ってきて、このあからさまに厄介そうな男だ。 どうしてこうも自分は厄介ごとが多いのだろうと、母と話し込む万代を見ながら、ひとりため息をつく。 「右近様は嵐山の家を捨てました。私も、息子もあの家とは一切関わる気はありません。まして、敵討ちやお家再興など、私たちの知ったことではありませんよ」 荒武者然とした万代に向かって、ふだん優しいあのおっかあが「右近様」「私」など聞きなれない言葉を使い、凛とした態度で万代に厳しい言葉を投げつけているのを聞いて、驚いた十兵衛は考え事から我にかえる。これがあの「おっかあ」か? 「第一十兵衛は何も知りません。今さら山の炭焼きを引っ張り出してきて「嵐山家の党首」に据えたところで、周りも、お上も納得しませんよ」 「し、しかし……」 万代が何事か言いかけたところで、オモテがやけに騒がしくなる。 何事かと顔を出した十兵衛の目の前に、馬に乗った武者が3人彼を見下ろしていた。 「おい、ここに落ち武者が逃げ込んでいるだろう? 隠してもダメだ。、村の人間からそう聞いたのだからな?」 横柄な口調でそう言われ、十兵衛は飛び上がる。これはまた困ったことになった。 落ち武者を匿ったということになれば、十兵衛や母親も、ただではすまない。ここはあの万代と言う男を差し出して、その隙に逃げられるところまで逃げるしかないか。十兵衛はそう決心して、男たちに告げた。 「匿ったわけじゃないです。あの男が勝手に入り込んできて、母を人質に取ったのです」 万代には悪いような気もするが、しかし、彼さえこなければこんな厄介ごとにはならなかったのだ。しかたないだろう。十兵衛がそう自分に言い訳をしていると、奥から万代が顔を出した。 「わしは逃げも隠れもせん。貴様ら3人でわしが倒せるとでも思っているなら、やってみるがいい」 なんとまあ、ずいぶんとでかい口をたたくものだと呆れながら男たちの顔色を見た十兵衛は、ビックリしてしまった。 なんと、明らかに男たちは気おされ、逡巡しているではないか。この万代と言う男は、それほどの猛者なのだろうか? と、その逡巡を万代は見逃さなかった。 疾風のごとく駆け、3人のうち槍を持った武者に飛び掛る。飛び掛りながら脇差を抜き、その刃先を鎧の隙間からずぶりと刺し込んだ。 両脇のふたりが慌てて太刀を抜刀するより早く、槍を取り上げた万代は、槍の柄でひとりを殴り倒し、そいつが馬から転げ落ちて地面に激突する前に、残ったひとりの首に槍先を突き通す。 その所業、まさに瞬く間。 唖然とする十兵衛に向かって男らしい、なんともいえないはにかみの笑顔を見せて万代は槍を投げ捨てる。そして三人の乗ってきた馬の手綱を取ると、十兵衛に言った。 「若、このままここにいるわけには行かなくなしました。真に申し訳ありませんが、拙者と共に山を降りていただかねばなりません」 「ちょっと待ってくれ。おっかあやお春を、置いてゆくわけには行かない」 「お春? それはいったい……」 ああ、まずそこから説明しなくてはならないのか、と十兵衛が少々うんざりして肩をすくめた、その時。 殴り倒されて地面に転がっていた男が、槍を持って立ち上がった。 「ち、しまった。トドメを刺していなかった」 万代がそう言いながら、自分の太刀を抜刀して身構える。 と、男は槍を振りかぶり、思いっきり投げた。槍の先は過たず万代を狙って飛んでくる……かと思われたが男も頭を打っていたので、少々狙いが狂った。 槍は見当違いの方向に飛んでゆく。その行方を半ば無意識に、十兵衛と万代は目で追った。そして、そのまま凍りつく。 槍の飛んで行く先には、表の騒ぎに顔を出した、十兵衛の母柿割千鶴(かきわりちづる)、元の柊千鶴(ひいらぎちづる)が立っていたのだ。槍の先は何の迷いもなく、一直線に千鶴の胸に吸い込まれた。 「ああああああああああ」 魂の抜けるような悲鳴をあげたのは、十兵衛のほうである。万代は電光の速さで男に駆け寄ると、太刀一閃、脳天をから竹に割った。そしてすぐさま、千鶴に駆け寄ってゆく。 「千鶴様! お気を確かに!」 千鶴は血の気のひいた唇を震わせながら、万代にすがる。 「どうか、どうか、十兵衛を戦いに巻き込まないでください。あの子は何も知らない、やさしい子なんです」 「承知しました。承知しましたとも。この万代、二度と若に近づくことはいたしません」 千鶴の手を取り、力強くそう言う万代に向かって、彼女は嬉しそうに微笑むと、そのまま永久にまぶたを閉じた。 「おっかぁ、おっかぁ!」 母のむくろに取りすがって泣き叫ぶ十兵衛の姿を見ながら、万代はなんとも言えぬやりきれない顔をする。そしてそのまま、どうすることも出来ずに立ち尽くしていた。 しばらくしてようやく泣き止んだ十兵衛は、万代に向き直ると、キッとにらみ付ける。 「貴様が来たから!」 万代はその場に座すと、深深と平伏した。 「私のために、千鶴様がお亡くなりになりましたこと、償えることではございませぬ。この命、どうぞご自由に」 十兵衛はブルブルと拳を握り締めたまま、万代をにらみつけている。しかしやがてがっくりと力を抜くと、震える声で言った。 「おまえを殺しても、おっかあは帰ってこない。ならば、これ以上人が死ぬのは見たくない。どこへなりと消えてくれ」 万代は、顔を上げて十兵衛を見る。唇を噛み締めて、母のむくろをにらみつけながら立ち尽くす十兵衛を見ると、もう一度深く頭を下げてから立ち上がった。そして、のろのろと馬の手綱を取る。 そのままあぶみに足をかけようとして、万代はハタと固まった。 「若! いや、十兵衛様!」 「なんだよ? 早く行ってくれ。俺はおっかあを……」 「お春と言う人は? もしや、村にいるのではないですか?」 「そうだ。それがどうし……」 そこでようやく十兵衛も、万代が何を言いたいのか気付く。 ここで死んでいる男たちは、さっきなんと言った? 「村の人間から聞いている」と言わなかったか? だとしたら……この男たちが、村の人間に丁寧に落ち武者の行く先を聞いたはずがない! 慌てて駆け出す十兵衛に、万代が後ろから声をかけた。 「十兵衛様! 馬を!」 「俺は馬に乗れないんだ!」 「ならば拙者の後ろに!」 一瞬逡巡した十兵衛だが、ここは意地を張っている場合ではない。慌てて戻ると、万代の乗る馬の後ろに飛び乗った。同時に万代が馬のわき腹を強く蹴る。馬は一声いななくと、ふたりの男を乗せて駆け出した。
村の入り口で、十兵衛と万代は立ち尽くす。 なんと言う、凄惨な光景だろうか。彼らの目の前には、自らの血液で朱に染まった村人が、ボロ布のようにごろごろと転がっていた。あの男たちは、ただひとりの落ち武者を探すために、村の人間を殺しまくったのだ。 血の海の中に、何人かの老人が呆然と立ち尽くしていた。そしてそのうちの何人かが、十兵衛と万代の姿に気付く。 ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……… 魂の抜けた、廃村を抜ける木枯らしのごとき声をあげて、老人たちは手に手に農具をつかみ、万代に向かって走ってきた。 しかし、万代はもう、覚悟を決めたようだ。自分ひとりのために、ここまでの犠牲者を出したまま平然としていられるほど、この男は狡猾でも、卑怯でもなかったのである。 死を覚悟して目を閉じる。このままこの老人たちに討たれて死ぬことこそ、自分にはふさわしい。 と。 突然、十兵衛が駆け出した。獣のような咆哮をあげて、累々と横たわる死骸の中へ駆けてゆく。 そのあまりに異常な様子に、老人たちも毒気を抜かれて立ち止まった。みなが見つめる中、十兵衛は一体の死骸に駆け寄ると、大声で叫ぶ。 「お春! お春! お春!」 あとは言葉にさえならない。おうおうと、遠吠えのように慟哭するその姿に、老人たちは抜けていた魂を取り戻し、涙を流す。 そして万代は、いよいよ覚悟した。もう、生きている資格など、自分にはこれっぽっちもない。その覚悟と、老人たちの激昂が爆発するのは同時だったろうか。 十兵衛の悲しい慟哭に火をつけられた彼らの復讐心は、もはや止めようもない。彼らは例え万代に斬り殺されても、手足が動くうちは飛び掛り、襲い掛かるだろう。手足がなくなれば、這いずって喉笛に噛み付くだろう。連れ合いを、子を、孫を殺された彼らには、もう、恐れるものはなに一つないのだから。 万代は再び目を瞑ると、全身の力を抜いてただ待っていた。そしていま、まさに彼らの手が万代にかかる寸前。 「待てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」 まさに魂消るばかりの咆哮が、死者で覆われた血の海の中からあがる。その声のもつ強烈な何かに、老人たちの動きが凍りついた。 「そいつは人質だ! これほど殺したんだ。ヤツラはどうあってもこいつが欲しいんだろう。だから、こいつをエサにして、ヤツラを皆殺しにする」 感情の高ぶった老人たちにも、その言葉の意味するところは理解できた。ただひとり、この男を殺すだけでは、飽き足らない。今まで虐げられてきたヤツラ全てに、一太刀浴びせてやるのだ。 それまでの彼らなら、そんなことは考えもしなかっただろう。しかしいまや、失えないはずの大切なものは、全て失った。もともと老い先短い命、後生大事に枯れかけの命を抱えたまま、泣き明かして暮らすなど、真っ平だ。 老人たちは互いに顔を見合わせる。そして、どの顔も同じことを考えているということを理解すると、ひとりがねっとりと怖いものを含んだ声音で言った。 「十兵衛、やれるのか?」 「やるんだよ」 「わしらとおまえじゃ、ひとりふたり殺すのが関の山だぞ?」 「そんなことはねえよ。なにも真正面から斬りあいするわけじゃねえ。俺たちは武士じゃねえんだ」 「なんか、策があるのか?」 別の老人が、これも恐ろしいほど冷静な口調で聞き返す。いや、冷静なのではない。みな、静かに狂いだしているのだ。 「遠山の爺さん、あんた若い頃は、江戸で花火職人やってたな?」 言われた遠山の爺は、やはり目の据わった顔で、おだやかな狂気に満ちた微笑を返す。 「俺は炭焼きだ。火の神様の怒らせ方は、よく知ってる」 十兵衛が言うのは、炭や小麦粉などの細かい微粒子を満たした空間に火をつけると爆発を起すと言う、いわゆる粉塵爆発のことである。 「おらぁ、熊撃ちだった。鉄砲ならまだ、床下に隠してある」 別の老人が言う。 すると他の老人たちも、それぞれの特技を言い出した。ここで己の能力を確認し、やれると言う自信をも確認しているのだろう。老人たちのあふれる狂気は、いまや行き場を見つけて轟々と燃え盛り始めた。 万代は驚きながら、しかし、感心してこの様子を見ていた。 「やはり右近様の息子だ。掌握の仕方を判っていらっしゃる」 それから、ゆっくりと彼らに近づいてゆくと、悲痛な、しかし堂々とした態度で彼らの前に立つ。 「みな、私のために大切な人々を失った。詫びて詫びきれるものではないし、この命ひとつで償えるものでもない。だからせめて、みなの思うように、この命を使ってくれ。なんでもしよう」 目的のはっきりした分、少々冷静になった彼らは、万代の言葉に胡散臭げな目を向ける。そこへ十兵衛が言った。 「おっかあも死んだ。お春も死んだ。俺はこいつを許すつもりはない。しかし、利用できるものは、全て利用しよう」 その言葉に、一同はうなずいた。 万代は十兵衛に向かって頭を下げると、腰の刀を差し出した。しかし、十兵衛は首を振ってその刀を押し返す。 「言ったろ? 俺たちは武士じゃない。武士なんかであるものか。俺たちの闘い方を見せてやる」 「はい、判りました。しかし、この刀はもともとあなたのものです。右近様にいただいた時、辞退する私に若はおっしゃいました。それならいつか私に息子ができるときまで、預かっていて欲しい、と」 十兵衛は、それでも頑なにこぶしを握っていたが、武器は多いほうがいいと判断したのか、やがてその太刀を受け取った。 万代はその瞬間肩の荷を下ろしたのか、それとも自分のせいでたくさんの罪もないものが死んだのがよほど堪えたのか、がっくりと肩を落とす。その姿は、十も老け込んだように見えた。
炭焼き小屋のなかで、十兵衛は父の形見である日本刀をにらみつけながら、雷鳴の中でじっと座っている。彼の瞳に、狂気の影は微塵もない。 嵐山も柊も関係ない。復讐に身を染めても、母やお春が喜んでくれるわけでもない。もう、ただ己の心の中に湧き上がる消せない炎の言うままに、彼は成すべきことを成す。 正しいとか間違ってるとかの問題ではないのだ。成すべきことだと、自分の魂が確信している。それだけで充分だ。 やがて、炭焼き小屋に仲間たちが集まってくる。あの時の虐殺を逃れた中には、老人だけでなく女子供もいた。わずかながら、生き残った若い男もいる。もっとも五体満足でいるものなど、ひとりもいなかったが。 彼らの胸には、十兵衛と同じ暗い火が、漆黒の炎を上げている。 「火薬や炭粉は、全て仕掛け終わりました。城内に出入りしている者が何人かいたおかげです。彼らは決行と同時に、中から陽動を行ってくれる手はずになっています」 乱暴されたあと片目をえぐられながら、それでも命を取り留めた娘のひとりがそう言った。彼女はその美貌で城内への奉公が決まっていたのだが、片目失い刀傷で醜くひきつれた顔になってしまったために、奉公の取り消しを言い渡されたのだ。 もちろん、取り消されることはわかっていたが、城内に入り込んだ仲間との連絡をとるために、彼女はあえて、衆目の中にその傷ついた顔をさらしたのである。 「そうか」 一言だけ答えた十兵衛に、決意のこもった瞳でうなずくと、娘はそのまま小爆弾をつかんだ。元花火職人の老人が、連日徹夜して作った代物である。 彼は最後のひとつを作り終わると同時に、十兵衛の腕の中で息を引き取った。死の寸前まで、何度も何度も、復讐を彼に託しながら。 「嵐じゃ、火がつかないんじゃないだろうか?」 誰かが言うと、十兵衛はにやりと笑う。 「大丈夫。この分なら、明日の朝までには、すっかり晴れる。明日はきっと抜けるような青空が広がるさ」 炭焼きの十兵衛が言うのだ。おそらく間違いはないだろうと、みなは安堵した。あとは、万代を捕まえたから金をくれと言いながら、最初の城門さえ抜けてしまえばいい。 「万代、おまえは身体が動く限り、暴れつづけ、殺しつづけろ。クソっタレの武士どもを、ひとりでも多く殺すんだ」 一片の情もない十兵衛の言葉に、しかし、万代はむしろ嬉しそうにうなずいた。彼も死に場所を求めているのだろうか。 「万が一俺が生き残ったら、今度はおまえの言う通り、嵐山の再興にでもなんにでも力を貸してやる」 その言葉に万代は瞳を輝かせ、仲間たちは不信な顔をする。 「十兵衛、おまえは武士になりたいのか?」 ひとりの老人が語気鋭く詰問すると、十兵衛は彼に振り向き、屈託ない笑顔で答えた。 「ああ、なりたいね。俺は嵐山家の殿様の血を引いているらしいからな」 その答えにみなが騒然とする中、十兵衛は笑みを絶やさずに続ける。 「これがうまく行ったら、次は嵐山家を再興して、もっと大掛かりに武士どもを殺してやるんだ」 一瞬の間を置いて、みなは口々に喝采を上げる。 その騒ぎのなかで万代はひとり、なんとも悲しそうな顔でうつむいていた。
騒然とする江戸城のなかに、一枚の書状が届く。 お飾りの子供将軍には当然、届けられることもなく、実際に政(まつりごと)を取り仕切っている老中連中に、それは届けられた。 しかし、地方で起こった「農民による城の爆破と大名の殺害」という、まさに幕府の屋台骨を揺るがすような大事件に忙殺されていた彼らは、そんな些事に関わっているわけにはゆかない。 書状の内容はろくに詮議もされず、大まかな部分で許可が与えられた。地方の小さな武家の再興願いなどに、時間を割いているわけにはゆかないのだ。 大まかなところ、証拠や証人はそろっているようだし、たかだか三万石程度の家など、後で不都合があればいつでも取り潰せるのだから。
再興願い受理の知らせを聞いて、十兵衛、いや、いまや嵐山家当主、嵐山春近(あらしやまはるちか)は、にやりとほくそえむ。父の右近と愛するお春から、一字づつもらってつけた春近という名前の持つさわやかなイメージからは程遠い、凄惨な笑みであった。 「万代、よくやった」 嵐山家の証人として春近の身元を保証した万代は、しかし、浮かない顔でうつむいている。その心の中をよくわかっている春近は、そのうえであえて、万代に言った。 「これでもう少し、おまえ、いや、そちに働いてもらわなくてはならなくなったな」 万代は黙ったまま平伏する。そこへ誰かがやってきた。 「殿」 「入れ」 短いやり取りの後に入ってきたのは、片目のない、片頬のひきつれた女であった。女は無表情のまま頭を下げる。 「おめでとうございます。これで殿の絵図面も、またひとつ現実となりましたようで」 「うむ。だが、これからだ。そちにも今まで以上に働いてもらわねばならんぞ?」 「は、命に代えましても」 「うむ。命を捨てる時は、ひとりでも多くの武士を道連れにしろ」 その言葉に女は、心底嬉しそうな笑顔を見せる。彼女の主(あるじ)は、たとえ「殿」などと呼ばれていても、決して忘れていないのだ。 あの悔しさを。あの悲しみを。 自分はこの人のために、いや、死んでいった両親や恋人や仲間のために、この人と共に命をかけて戦おう。あらためてそう決心しながら、女は春近の前を辞す。 それからしばらくは、あの爆破事件で生き残り、何とか隣国、元の嵐山領に逃げ込んだ仲間たちが、ひとり、またひとりと訪れては、祝いの言葉を述べていった。 やがてそれも終わると、春近は大きく伸びをしてから、万代に向き直った。 「万代。くれぐれも言っておくぞ?」 万代はもう、その先の言葉は十分にわかっていたのだが、それでも憂鬱な面持ちでうなずいた。かれにはもう、それをいさめたり、意見するだけの気力も、心も、なにも残っていないのである。 「余は、いや、俺は……決して武士などではないからな?」
やがて世を戦乱に導き、皆殺しの春近と呼ばれるようになる稀代の大悪党、最悪の吸血大名「嵐山春近(あらしやまはるちか)」誕生の瞬間であった。 |